【完結】魔法少女、クビになりました   作:守次 奏

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65.魔法少女、傷む心

 スティアにかかっている疑いと、それが似姿に過ぎないとはいえ、妹をこの手にかけたことに対する罪悪感は、拭おうと思っても拭えるものではない。

 ホテルのベッドに身を投げ出した結衣は、滲む涙をパジャマの袖で擦りながら、頭の中を回遊魚のように泳ぎ回る疑念と、自責の念に押し潰されようとしていた。

 わかっている。

 本当ならば、スティアの夢の中に出てきた「エリュシオン」という言葉が敵の口からも飛び出してきた時点で、諏訪部に報告しなければならないということは。

 しかし、スティアの身体からは、複製された芽衣と戦った時に感じた敵星体反応──「星の悲鳴」が聞こえないのだから、単なる偶然である可能性も否定できない。

 それが楽観的な考えであることは、結衣も承知の上だ。

 もしかすればスティアは予知能力を本当に持っていて、夢の中で「エリュシオン」という声に呼ばれたというのも、この沖縄で起きる出来事を予期してのものだったのかもしれない。

 全てに確証がないのだから、そう考え直すこともできる。

 それでも、最悪の事態を想定するのなら、もしもスティアと敵星体の間に何らかの繋がりがあるのだとしたら、その時自分はどうするのか。

 何ができるのか。

 震える手でスーツケースの中に隠された、護身用の拳銃を取り出して、結衣は安全装置を外さずにそれを虚空に向けて構える。

 スティアをマジカル・ユニットに引き込んだのは自分の責任だ。

 ならば、もしもの時が訪れたなら、その際に引き金を引くべき人間が誰であるかというのは自明の理である。

 

「……撃ちたく、ない……」

 

 結衣は両目の端に涙を湛えながら、虚空に向けた拳銃をだらりと下ろす。

 頭の中をよぎるのは、軍を一時的にクビになっていた時に過ごしていたスティアとの時間。

 渇き切った心に彩りを取り戻してくれたのがスティアという存在で、その無垢故の知りたがりな性格や、言葉にどれだけ自分が癒されてきたかわからない。

 もちろん、結衣はスティアと敵星体の間に繋がりがあるという疑惑は、そこに確証がないという理由で否定しているつもりだ。

 だが、確証がなくとも、何かパズルのピースが嵌っていくかのように、「エリュシオン」という符号は不穏な、破滅をもたらす予感を抱かせる。

 だからこそ、身構えていなければならない。

 最悪な事態が起きた時に、覚悟を決めておくためには、それが戦場に求められる能力であり、死神の鎌を紙一重で逃れるための方法だと、軍人たちは口を揃える。

 それでも、結衣は一人の少女だった。

 拳銃をスーツケースにしまい直すと、結衣はおもむろに立ち上がって、涙を拭いながらスマートフォンとカードキーを手に部屋を出ることにした。

 なんということはない。

 じっと蹲っている時に嫌な考えばかりが浮かんでくるのなら、歩いていれば少しはマシになるのではないかと、そう考えただけの話だ。

 スティアにかかる疑念を無理やり自分に言い聞かせることで一時的に拭っても、今度は芽衣の、妹の似姿を手にかけたという事実が鎌首をもたげて、結衣の心に襲いくる。

 部屋のオートロックが作動したことを確認しつつ、裸足の上に履いたスリッパで、ぺたぺたと無駄に長い廊下を歩む。

 

(おねえ、ちゃ──)

 

 芽衣らしき何かは、否、敵星体に複製されたのであろう芽衣は、その末期に自分のことを呼んでいた。

 その身体には赤い血が通っていて、「光」の魔法がいかに対象を熱量で分解する性質を持っていたとしても、刃をその柔らかい肉体に突き立てた瞬間のことは、感触は、今も生々しく結衣の両手にこびりついている。

 殺した。誰が。自分が。

 殺した。誰を。妹を。

 敵星体反応が確認された時点で、既にあの複製されたのであろう芽衣を助けるという選択肢は存在しなかった。

 例え無理やり取り押さえて「オケアノス」に連れ帰ったところで、意思疎通が不可能な状態で、かつ敵星体反応が出ている存在を庇い立てられる道理など、存在するはずがない。

 だからこそ、自分は正しいことをしたのだ。

 事実として、結衣の選択は、間違っていなかった。

 芽衣が最期に姉の名を呼んだのも、恐らくは記憶関連に強固なプロテクトがかけられていて、死の瞬間にのみようやく解放されるという悪辣な仕組みを敵星体が用意していたからで、きっとその死をもってしか、妹を呪縛から解き放つことはできなかったからだ。

 その行いは正しいと、誰もがきっと結衣をそう称えるだろう。

 しかし、正しさが常に優しさと共にあるとは限らない。

 修羅場を潜り抜けた魔法少女であるとはいえ、まだまだ幼い子供に過ぎない結衣にとって、その選択はあまりにも過酷で、非道なものだった。

 思考をフラッシュバックに蚕食されながら、結衣はふらふらと、あてもなく廊下を彷徨い続ける。

 そうして、気付けば辿り着いていたのは、宿泊施設に特有の強気な値段設定がなされた自販機のコーナーだった。

 ぶぅん、と、断続的に低い唸りを上げる冷蔵機能の作動音を聞きながら、結衣は清涼飲料が並んでいる隣に並んだ、アルコール類が軒を連ねる自販機に視線を向ける。

 大人はどうしてもやりきれなくなったとき、アルコールを飲んでひっくり返るという選択ができるらしい。

 厳格に育てられた結衣は、今まで一口だって酒の類を口にしたことはない。

 故に、そのアルコール度数9パーセントという数字がどれほどのもので、どんな味わいなのかは想像の産物でしかなかった。

 だが、きっと皆が好き好んでいるのだから美味しいに違いないのだろう。

 そんな安直な考えを抱くと共に、震える結衣の右腕は、無意識に、スマートフォンを握りしめ、アルコール類が提供されている自販機へかざされようとしていた。

 

「だ、ダメ、です……! 結衣さん……!」

「あ……絵理……? 私、何を……」

 

 しかし、必死に声を張り上げた絵理が、すんでのところでそれを引き止める。

 絵理が自販機コーナーを訪れたのも、また偶然の巡り合わせでしかなかった。

 喉が渇いたから何かを飲もうかと部屋を出たその時に、結衣が酒を購入しようとしている姿が目についたのだから、青天の霹靂もいいところだ。

 

「……そ、その……やっぱり、辛い、ですよね……」

「絵理……?」

「……わたしには、結衣さんの……全部が、わかるわけじゃ、ないです……でも、その……結衣さん、敵の魔法少女を倒した時……とっても……辛そうな顔をしてました」

 

 戦況を俯瞰していた絵理だからこそ、見えていたのだろう。

 震える手、眦に滲む涙。そして濃く目元に刻まれた隈。

 結衣の事情はわからなくとも、客観的に見て、彼女がもはや限界を迎えつつあるということは、容易く見て取れる。

 

「……妹、だったんだ」

「……結衣、さん……」

「……殺した……私が、妹を……芽衣を、この手で……ころしたんだ……」

 

 がくり、と膝から崩れ落ちて、光の消えた瞳から涙を零し続ける結衣の姿は、人類を救った英雄という肩書きからは程遠く、絶望の前に打ちひしがれる、ただ一人の少女でしかなかった。

 だが、絵理はそこに失望を抱くことなく、まるで自分のことのように涙を滲ませると、頽れた結衣の身体を抱きとめて、その涙に寄り添い続ける。

 それが全てを癒せるなどと、そんな傲慢を絵理は抱いていない。

 ただ、五百円で買えるビニール傘のように、少しでもその涙の雨から、結衣のことを守りたかった。同じ雨に立ち濡れたかった。

 本当にただ、それだけのことだ。

 

「……絵理……えり、ぃ……っ……」

「……大丈夫です……だいじょうぶ、です……結衣、さん……」

 

 もはや、結衣には、人が善意という名で呼ぶ、目の前の温もりに縋り付く以外の選択肢は存在しなかった。

 絵理の豊かな胸元に顔を埋めて、子供のように泣きじゃくりながら、その手にかけた妹の名を、結衣はただ呼び続ける。

 絵理は敬虔な信徒のように、殉教者のように、結衣の懺悔をただ、ありのままに受け入れて、その悲しみに寄り添うかのように涙を零す。

 自販機が低い唸り声を立てる狭苦しい区画は、さながら聖堂のように厳かな悲しみに包まれていた。

 しかし、それを見届けていたのは、結衣と絵理の二人だけではない。

 物陰に隠れて息を潜めていたのは、奇しくも絵理と同じ理由で飲み物を買おうとしていた、スティアだった。

 

「結衣は、泣いてる……スティアは、悲しい……でも、絵理と一緒に泣いている……スティアは、胸が苦しい……?」

 

 流れるままに涙を流し続ける二人の様子を陰から伺いながら、スティアは胸の奥を針で突かれたような痛みに、その表情を曇らせる。

 その感情がなんという名前をしているのかを、スティアは知らない。

 だが、それが痛みを伴うものだということは、今、実感という形で理解しているつもりだ。

 できることならば自分も、結衣の悲しみに寄り添いたい。

 だが──自分はそのために必要な言葉を持っていない。

 スティアは、それを自覚していた。

 だからこそ、この場から自分が去るしかないということは、自然と察せられることだった。

 

「……結衣……」

 

 呟きが一つ、夜の静けさに溢れて落ちる。

 釈然としない胸の痛みを抱えながら、スティアは、結衣の悲しみに背を向けて、自らに当てがわれた部屋へと引き返してゆくのだった。

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