『原因は不明だが、その研究所の人員はほぼ昆虫精霊に乗り移られたようだ。』
サザンカの住居があるタコマ地区はシアトルの南西、くだんのレドモンド地区は北東だ。
それなりの距離がある、彼女はマイカーであるGMCブルドックを走らせていた。
スピードは遅いが、厚い装甲をもつバンで、小火器の銃弾などものともしない。
この世界ではオートパイロットが一般的だったが、現実世界(ここもすでに現実なのだが)の意識が強く残っている彼女は自ら運転を行っていた。
「あんなものを研究するなんて頭がおかしいわね。」
『私もそう思う、だが一応研究所には対昆虫精霊用のガス兵器と、最終的に研究所ごと爆破するシステムが用意されている。依頼人は最悪それを起動してもかまわないとのことだ』
昆虫精霊は人類の敵と言っていい存在だ。
まず現世に顕現するために人間の肉体を必要とする。
そして際限なく増えていくのだ、かつてそれらが市街に溢れた際は、戦術核が使用された。
『サザンカ、それを使ったほうがいいと思うぞ』
助手席にちょこんと座ったシロガネがそう言う。
導師精霊はもちろん昆虫精霊とは全く違う存在だ。
気に入った覚醒者に取り憑き、加護と代償を与える。
しかしそれが本当に精霊なのかは議論が行われていた。
何しろ取り憑かれた覚醒者以外には一切認識がされないのだ。
二重人格の一種なのでは?と考える研究者もいた。
「で、やっぱりそこはアレスの研究所なわけ?」
『それはノーコメントだ、わかってくれると思うが一切口外禁止で頼む。』
アレス重工はトリプルSと呼ばれるこの世界のトップの大企業だ。
前述の核を使用したこの企業は昆虫精霊について大いにやらかしていた。
「もうすぐ合流地点ね、それじゃ切るわよ?」
『ああ、すまない。シアトルでシカゴの二の舞が起きるのはごめんだ、君たちを信じているよ。』
そう言ってフィクサーはコムリンクを切った。
なんとなく車の周囲を見ると、街灯がゆっくり後ろに流れていく。
「転生していきなり昆虫精霊に核とか…ゲームマスターは相当のろくでなしね。」
『いるとすれば、ナイアルラトホテップ当たりか?』
シロガネが言ったのはクトゥルフ神話TRPGに登場する邪神だ。
人をもてあそぶのが大好きなやつだ。
「はあ、いくらそいつでも第6世界を丸々作るなんて無理だと思いたいわね…。」
彼女は車を急がせた。
◎◎
「よう、あんたがサザンカか?いい車に乗ってるな。」
集合地点には既に二人の人物が待っていた。
一人はヒューマンの若い女性で、一人は巨大なトロールの男だった。
彼は気さくに手を上げて挨拶をしてきた、恐らく彼がアデプト(魔力による身体能力強化者)だろう。
その巨体は厚い脂肪に覆われていて一見鈍重そうだが、あれが突撃してきたならそれをいなすのは自分でも苦労するのは間違いない。
「ええ、エルフでミスティックアデプト(魔法を使えるアデプト)のサザンカよ。よろしくね」
「メイジがいるのは助かるな、俺はジェイムズと呼んでくれ。銃は使わんし、頭も悪い。だが敵の前に置いてくれりゃあ仕事はするぜ。」
その言い方からすると恐らくかれはブローリングアデプトと呼ばれる存在だろう。
銃万歳のこのアメリカでは珍しい存在だ。
もっとも、トロールの拳はそこら辺のマグナムより遥かに危険な武器だ。
実際彼は頼りになるだろう、そして"サザンカ"の記憶は彼の顔に見覚えが会った。
「貴方、もしかして武蔵山?」
サザンカがそのしこ名を言うと、ジェイムズは額を押さえた。
「日本人ぽかったから嫌な予感はしたんだよな。まあそれは気づかないふりをしてくれ。」
ジェイムズは認めたも同然だった。
武蔵山は日本帝国の大相撲で数年前に活躍した外人力士だ。
黒人としては久しぶりの横綱になるのは確実と呼ばれていた彼だが、18歳のときにゴブリナイゼーションが起きた。
それは思春期のヒューマンが突然にオークやトロールに変異する現象である。
日本の大相撲はヒューマン限定だった。
サザンカは変異したその顔をマトリクスニュースで見た覚えが合ったのだ。
「あ、ごめん。私の方が失礼だったわね。今の会話は無しってことで。」
「そうしてくれると助かる。」
どうやら彼はかなり頼りになる戦士のようだ。
サザンカはその会話中、しゃがみこんでじっとARに没頭していたもうひとりの女性を見た。
黒髪のショートカットで、背中にかわいらしいデザインのリュックを背負っている。
一見するとそこらへんのティーンエイジャーにしか見えない。
まあもっとも、スリングで吊るした傑作アサルトライフル、アレス・アルファが全てを台無しにしていたが。
「もうひとりはデッカーと聞いていたけど、貴女はサムライ?」
サムライは人体改造を積みまくった戦士の隠語だ。
サザンカはオーラ・リーディングの能力を持っていた。
それによればこの女性はエッセンスがかけらほどしか感じられない。
エッセンスは生きるものなら皆が持っているエネルギーで、肉体にサイバーを入れると減少する。
ここまでエッセンスが減っているのは、サムライしかありえない。
「ん、兼業。デッキングもできるよ。ロータスって呼んで。」
どうやらフィクサーは最高級の人材をよこしてくれたようだ。
『すばらしい戦士たちね。でもサザンカ、貴女以上の戦士はそうそういないわ。彼らを驚かしてあげなさい』
シロガネが膨れた様子で言った。
どうも彼女は彼らに感心していたサザンカにご機嫌斜めらしい。
自分の相棒ひいきが激しいな、と彼女は思った。
「じゃあ行こうぜ、シアトルの危機だ。対応するのがたった3人ってのが馬鹿げてるけどよ。」
「施設のマップをコムリンクに送るね、確認して」
どうやらロータスはずっと研究所のホストコンピュータにアタックをかけていたようだった。
恐らく直結できる場所を見つけていたのだろう。
サザンカがコムリンクに送られてきたデータを見るとそれはとても詳細なものだった。
昆虫精霊のマザーがいるであろう場所の候補や、対昆虫精霊用兵器の保管場所がマークされている。
腕がいいだけでなく、気も利くようだ。
『サザンカ、もうあいつ一人でいいんじゃないかなって言わせるのが目標よ』
「馬鹿じゃないの?」
彼女はシロガネのセリフに首を振って呆れた。
◎◎
侵入は地下の駐車場からだった。
分厚い扉をフィクサーから預かっていた解除コードで開くとそこには3体の化け物が待機していた。
「本当に受肉してるわね…。」
直立するゴキブリのような怪物が1体と、巨大なカマキリのようなのが2体だ。
「ロータス、弾は節約していいぜ。」
そう言うとジェイムズは何の恐れもなく突進していった。
すさまじい反応速度だ。
神経増速を入れたサムライのロータスよりもさらに速い。
一瞬で間合いを詰めると彼はカマを振り上げていたカマキリに強力なぶちかましを当てた。
ゴギィン!
すさまじい音が響くとカマキリは数mを吹き飛び、壁に当たって動かなくなる。
息はあるようだが、あれでは恐らく立ち上がれまい。
「私も負けてられないわね。」
サザンカは既に起動していた魔力収束具の支援を受けながら同じく突進した。
さらには能力値増強『直観力』の魔法を使い、集中力で維持している。
今の彼女はアサルトライフルのフルオートすらかわす自信があった。
「ハッ!」
彼女の美しい脚が振り上げられ、巨大ゴキブリの頭部を狙う。
サザンカの筋力は人並みで、その威力は大したことがない。
だが蹴りはあくまで敵に触れるための触媒だ。
本領は死神の手の魔法だ。
これは接触という条件があるため、メイジが使うことはまずない。
彼女のような身体能力を増強したミスティックアデプトが使う魔法だった。
「後一匹!」
脚を通って流し込まれたF8の魔力が巨大ゴキブリの体内で暴れ、弾け飛んだ。
チート存在である彼女は卓越した能力値で魔力を7にし、さらにF3の魔力収束具を結合している。
この程度の昆虫精霊なら、彼女にとってはいつぞやのギャングと大差ない敵なのだ。
シャーマン様式のメイジである彼女は魅力と意志力によって魔法の反動であるドレインに抵抗する。
エルフであり、両方を高い水準で持つ彼女にとってそれは容易いことだった。
「ヒュ~、何だよその威力。むちゃくちゃじゃねえか。」
「ん、私マトリクスを見てるね。」
ロータスは銃口を構えつつも、視覚をARに切り替えた。
道はサザンカと、ジェイムズの巨体が塞いでいる。
こちらの射線は通ってないし、向こうも自分を狙えないだろう。
KISYAAA!
カマキリが意味のわからない叫びを上げてジェイムズにカマを振り下ろす。
それは命中したものの、彼のまとうアーマージャケットに弾かれ、全くの無傷のようだ。
サザンカは一瞬ジェイムズが巨大な熊に見えた。
ひょっとしたら彼は熊の導師精霊に憑かれているのかもしれない。
「よしよしいい子だ。」
ジェイムズはそう無駄口を叩くと、カマキリの体をがっしりと掴んでそのまま放り投げた。
その体は数mを飛行し、地面に勢いよく叩きつけられる。
カマキリは2体並んで、重傷だ。
そして彼らは傷のため立ち上がれない2体にトドメを刺した。
「まず、3体。この研究所にはどのくらい人がいたんだっけ?」
「30人以上はいたらしいが、全部やるのは少々面倒だな。隠れられても面倒だし例の自爆装置を使おうぜ」
サザンカとジェイムズはそう方針について語る。
しかしその時、ロータスが二人の間に割って入った。
「生き残りがいる、どうする?」
「え!?」