「……みのりん先輩? どうかしたんですか?」
さんごがふと気付いて、尋ねてみる。
「……いや」
一同がみのりに注目する。
みのりは、間を置いてから、口を開いた。
「私の思う『トロピカってる』とは、だいぶイメージが違ったから……」
直後、まなつが、ピラニアのように食いついた。
「そうなのっ!?」
肉迫するまなつに、みのりは思わずたじろいだ。
「じゃあ、見てみたい! 気になっちゃう! みのりん先輩の『トロピカってる』!」
興味津々に、まなつはチョークを手渡した。
「え……、私、絵はあんまり……」
「お願いします、みのりん先輩~」
「ちょ、まなつ……」
まなつは、みのりの背中を押して、黒板へと歩いていく。
「おい……。無理矢理は感心しないな」
あすかの指摘に「うぅ……」と残念そうにまなつが唸る。
あすかの軽い説教が続いて……
「……」
それをよそに、みのりは黒板に視線を移した。
黒板では、まなつの怪作が、まるでみのりのことを優しく見つめるように描かれている――
「……わかった」
「……え? ……いいのか?」
あすかが意外そうに尋ねた。
「……うん。……ちょっと、やってみたい」
「……みのりんせんぱ~い」
まなつがうるうると声を漏らした。
みのりは、チョークを握りしめると、再び黒板に向き直った。
「……この、まなつの絵はどうする?」
「あ、消しちゃってくださいっ!」
みのりは、黒板消しにまっすぐと手を伸ばした。
「ねえ。それ、シャボンピクチャーで撮っときなさいよ。せっかくの、まなつ画伯の傑作じゃない」
ポットの中で、ローラがプププと笑った。
「くるるんー」
くるるんがポットのシャッターを押した。
カシャッ。
音とともに、まなつの傑作が、泡の中にぷかぷかと浮かび上がる。
「その手があったかー」
まなつのアート?は、泡の中で揺らめいて、元よりもさらにいびつに見える……。
「……じゃあ」
みのりは、黒板消しを細かく上下させると、まっさらな黒板に、自分の『トロピカってる』のイメージを描き始めた。
その過程で、一瞬、みのりはためらいの表情を浮かべた。
だが、みのりはそのまま休むことなく手を動かし続けた。
そして……
「私は、こう」
みのりが体を避けると、一同は、その絵にまるで吸い込まれるように見入っていた――
× × ×
一人の少女が、波打ち際の浜辺で水平線を見据えている。
そこからは太陽が顔をのぞかせ、漏れだす光が、少女の姿を明るく照らしている――
× × ×
「まなつのイメージと違って一人なんですね」
見入っているさんごが呟いた。
「うん……」
みのりは毅然と、だが少し恥ずかしそうに口を開いた。
「今までは、あまりに広大に感じて……、計れなくて……、恐ろしささえ感じていたあの大海原に……、一歩、勇気をもって踏み出せたときの、なにか、あたたかな気持ち」
言い終えて、みのりは優しく微笑む。
「これが、私の『トロピカってる』……」
一同は、静かに聞き惚れていた。
「すごい……、すごいよ、みのりん先輩……!」
「うん……。直す気も起きない、良いイメージだ」
さんごは、心奪われたように、ぼーっと絵に見惚れている。
ポット内のローラは、変わらず「ふーん」とすましているが、やがてニッとはにかんで、
「やるわね、みのり」
みのりが恥ずかしそうに頬を染める。
「くるるーん!」
飛び上がったくるるんがポットのシャッターを押した。
カシャッ。
音がして、みのりの絵が、ふわふわと泡の中に浮かび上がった――
「なるほどな~……。一歩踏み出せたときの勇気……。目から黒子だよ~」
「……目から『鱗』、って言いたいの……?」
あすかのツッコミに、まなつがいたずらに笑う。
それから、まなつはわざとらしい口調でこう続けた。
「ところで、あすか先輩とさんごは?」
あすかが、苦い表情で、
「……くると思った」
「ここまできたら、気になっちゃうよ〜」
「こういうの、私は得意じゃないな……」
「あの、じゃあ私が。……いいですか?」
絵に見惚れていたさんごが、口を開いた。
「え……? ああ、もちろん」
あすかが意外なように答えた。
「よし、いっちゃえ、さんごー!」
さんごはみのりからチョークを受け取った。
そして、ゆっくりと黒板の前へと歩いていく。
「……失礼します」
さんごは、そう言うと、黒板消しで丁寧にみのりの絵を消していく。
やがて、まっさらな黒板と、さんごは毅然と向き合った――