漆黒のウマ娘と孤児院のお兄様(トレーナー) 作:ライスのお兄様(自称)
ブルボンさんとの合同練習二日目。初日のうちじゃ、全然ブルボンさんには追いつけなくて、追い抜くなんて無理なんじゃないかな……
二日目になった今日も、ライスはブルボンさんと一緒に並走して、休んで、並走してを繰り返す。相変わらず、ブルボンさんを追い越すためのビジョンは見えていない。
二日目の最後、お兄様がブルボンさんとライスの走りの違いを教えてくれた。それは、ライスがブルボンさんに追いつけない理由でもあった。
まず、フォームが甘い。ライスのフォームは走る時に力が斜めに伝わっていないんだという。
斜め前に伝われば推進力を維持してもっと速く走れるはず……なんだけど、ライスの身体じゃ、足幅も筋力も足りなくてブルボンさんのフォームそのままでやっても、多分……走れない。
次に技術。カーブを曲がる時に、体を傾ければ外に膨らまずに走れるんだけど……それでも、最高速に乗った状態で身体を傾けたら足で地面を掴む力が小さいから、滑ってしまうこともある。
ブルボンさんは逆に体を曲げずに、寧ろカーブに入っても肩が一直線になって走ってる。そうすれば足に加わる力をそのままに、遠心力もスピードに変えて走れている。
ライスじゃ、足りないことがいっぱいだ。
走るためのフィジカルも、技術も。そんなライスがブルボンさんよりも早く走るなんて、とてもじゃないけど、想像なんて出来ない。
「──っ、でも」
ブルボンさんだって、この走りになるために、いっぱい走ってきたって言ってた。その末に、こんな圧倒的で、計算された走りを手に入れたって。だったら、倒れそうになっても、挫けそうになっても、諦めない。諦めたくない。
目の前で走るのはライスの憧れ。感情を出すのが少し不器用で、それでも走ってみんなに笑顔を与えていた。
メイクデビューのあの日、ライスはブルボンさんの走りを見て、憧れたんだ。
小さい頃テレビで見た、みんなを笑顔にする走りだったから。
──負けられない。負けたくない。憧れてても、ライスじゃかなわないって思うほど強いブルボンさんでも……負けたくは、ない。
ライスにできるのは、前を向いて、目の前を走る子を追い抜くこと、それだけだもんね……お兄様。
昨日お兄様が言っていた言葉を実践するのは、やっぱり怖い。誰であろうと、前を走る子を追い抜く。それがどんなに憧れているブルボンさんでも
でも、憧れていても、ライスはブルボンさんには負けたくないから。だからライスは……
──ブルボンさんを、追い抜く。
──────────
三日目。ライスとブルボンの走り方、その違いを本人に話したが、今考えれば失敗だったかもしれない。
当たり前だが、ライスとブルボンの体格差はかなりある。小柄なライスと、比較的体躯のあるブルボン。体の構造以前に、走る際に用いる強みというのが違う。
俺がライスに話したブルボンの走り方は、ブルボンに近しい体格、柔軟性、思考を持つウマ娘にしかできない。つまるところ、ブルボンの走りはブルボンにしかできない。
もし、ライスがその走りを真似することになれば、速くなるどころか怪我のリスクにつながってしまう可能性が極めて高い。
「だが──」
ライスがそれを聞いた上で、ブルボンにはできないライスだけの走りを見出すことが出来れば、どうだろうか。ライスの今の走りは、小柄な体躯を活かした軽重量での走り。パワーこそ無いかもしれないが、加速力は大したものだと思う。だが、それだけでは、ブルボンには届かない。
自分だけの走り、それを生み出すには、他者からの意見じゃダメだと思う。他者からの意見でもしもその走りが成功したとしても、それは自分の強みを完全に生かした走りにはならない。……いや、トレーナーがウマ娘のことを理解できていれば、それでも成功するのかもしれない。だが、俺にはそれが出来ない。……全く、不甲斐ないよなホント。
でも結局。俺に出来るのは、頭を使って、ウマ娘のために何が出来るのかを考えるだけ。休んでる暇なんてない。ルーキーがベテランに勝つには、発想力と時間をかけてベテランに迫るしかない。それでも絶対に勝てるわけがないのは、当たり前だが。
「相変わらず、早いですね。黒沼トレーナー」
レース場に着くと、既に到着していた黒沼トレーナーが俺の声を聞いてこちらを振り向いた。この人、練習が始まる三十分前には既に到着してコースの状態を確認したり、全体を見て他にいかせる何かがないか考えているのだという。
「……神木か。また、聞きたいことでもあるのか?」
「はい。今日で最後になるので、色々聞かせてもらいますが、いいですか?」
「あぁ、構わん」
この三日間で、俺は合同練習開始前と開始後に黒沼トレーナーに様々な知識を貰っていた。
学園内の巨大プールを用いたトレーニングや坂路、ウッドチップの特性などの基本情報から、ウマ娘の身体に対する話を栄養学や骨学などなど、専門知識を有する話もしてくれた。
専門的な学問はトレセンを受ける時に幾度となく参考書を読み漁ったのだが、いざ使うとなると教科書通りのケースである方が少なく、様々な情報を組み合わせ、それを駆使して問題点を洗い出す必要があるのだという。
黒沼トレーナーは尋ねられたことしか答えないので、毎回部屋に帰っては自分の疑問をまとめたメモ帳を書きなぐったりして質問を出している。
「……あとは……っと、もうこんな時間か。ありがとうございます、黒沼トレーナー」
「気にするな」
話すこと数十分。気がつけばそろそろ予定していた時間が迫ってきていた。後はライスとブルボンが来るのを少し待てば、合同練習最終日が始まる。昨日の練習後、ライスは何やら思案顔だったのだが……
「お兄様!」
「おう、来たか」
気が付けばライスが傍に来ており、見上げる形でこちらを見つめていた。どうやら少しの間意識がどっか行ってたようだった。心配そうにこちらを見てくるライスを見ると、なんか申し訳なくなってくる。心配ないという旨を話す。
「ブルボンさんは……まだ来てないんだね」
「多分、練習開始ギリギリまでまた走ってるんだと思うぞ」
ライスは辺りを見渡してブルボンがいないことを確認すると、意を決したように口を開いた。
「あのね、ライス……昨日色々考えたんだ。ブルボンさんに勝つ方法、ブルボンさんを、追い抜く方法」
「……それは、見つかったか?」
俺の言葉に、ライスはしばらく悩んだそぶりを見せる。俺はそんなライスから視線を話すことなく、ライスの続きを待つ。
「……ううん。見つからなかった。どんなに考えても、技術じゃ、ブルボンさんを追い越すことはできないって、分かっちゃったから」
「それに関しては俺の責任でもある。ブルボンを三日間見て、黒沼トレーナーを見てきて、嫌って程実感した。トレーナーとしての知識や、育成への情熱とかな」
そうだ。俺達には足りないものが多すぎる。黒沼トレーナーが育てたミホノブルボンという壁は、俺達にとって大きすぎる。技術じゃ勝てない、知識じゃ勝てない。ライスも、この二日ブルボンと走ってきて、嫌というほど思い知ったのかもしれない。
「でも、諦めるにはまだ早い。ライスだって、まだあきらめてるわけじゃ、ないんだろ?」
「うん……まだ、終わってないから。ライスを信じてくれたお兄様を、裏切りたくないから」
「俺も、信じてくれた初めての担当を、輝かせてあげたいからな」
そのために、俺が出来ること。正直言って、こういう結論は結構苦手なんだが……まぁ、ライスの強みを考えたら、これが一番強いのかもしれない。
ライスは俺の思考を読んだのか、軽く笑みを浮かべた。
「多分ね、ライスとお兄様が考えてること、一緒だと思うな」
「だな……じゃあ、作戦を練るとするか」
「うん!」
俺は考えていること全てをライスに話すと、やはりライスも同じことを思っているようだった。ライスにしかできない、ライスだけの走りを。
──────────
──走る。走る。
前にいるのはブルボンさん。何回走ってもその背中は遠くなっていくだけで、一回もその背を超えた景色は見れていない。
今日がブルボンさんと走れる最後の日。ライスがブルボンさんに追いつけるかどうかが分かる、最後の日。
そして、これが合同練習における、最後の並走トレーニング。
多分、今日ここでブルボンさんに追いつけなかったら、ライスは二度とブルボンさんには敵わない。そんな気すらする。
集中、する。足を、腕を、肺を全稼働して。目で、耳で、全身でブルボンさんを視る。
いつもと変わらず、ブルボンさんの走りには迷いがなかった。ライスとは違う、絶対に走りきるっていう強い意志があった。
じゃあ、ライスは? ブルボンさんのように、そんなに強い思いで、レースに望んでいたのか。いや、人並みには思っていた。負けたくない、負けて悔しい思いをしたくない。
でも、ライスのその思いは、負けたくないって気持ちから来るんだと思う。負けて、失望されたくないから。負けたら、お兄様に見捨てられるかもしれないから。そんなことないって分かってても、そう思ってしまう。
ライスには、ブルボンさんみたいに、勝ちたいって思えない。
距離はあと千メートルを切っていた。そろそろラストスパートに向けて、動き出すところ。
お兄様とライスが建てていた作戦なんて、初日から変わっていない。ただ、追い抜くだけ。でも、初日から思ってた。
──ライスじゃブルボンさんには勝てないんだ、って。
でも、それじゃダメなんだ。それじゃ、勝てる試合も勝てない。気持ちで負けてちゃ、技術で負けてるブルボンさんに勝てるわけがないんだから。
ブルボンさんを視る。呼吸を、手の振りを、歩幅を、体幹を。わずかの誤差、その刹那にも満たない変化を見極めて、ライスはブルボンさんを抜き去らないといけない。
最終コーナーを曲がり、最終直線に入る瞬間。僅か、ほんの僅かに、ブルボンさんの歩幅が、緩まる。カーブの際の速度調整のため、それ以上スピードをあげると遠心力に振り切られてしまうという判断だった。
──その一瞬の隙を、待ってた。
──────────
ここまでの戦績、29戦29敗。併走において、この三日でライスがブルボンに勝ったことは一度もなく、その全てにおいてライスはブルボンを一度も追い越せていない。
遠すぎる背中だと、諦めたくもなるだろう。
敵わない相手だと、嘆きたくもなるだろう。
だが、ライスはここまで走り続けてきた。その届かない背中に向かって、がむしゃらに追い続けてきた。
知恵が足りない、力が足りない、技術が足りない。控えめに言って、全てが足りないのだ。俺達には。
ブルボンの天才的なまでのタイム管理、黒沼トレーナーの狂気的なまでの限界を突破するトレーニング方法。そしてそのトレーニングに食らいついてくるブルボンの努力。
あぁ、悔しいが、これは勝てないって思わされた。どう足掻いても無駄だって、一瞬でも感じてしまった。
でも、さっきの併走、ライスはブルボンにクビ差まで追いついた。
違う。ライスも俺も、努力はしていた。勝ちたいと思って、一緒に頑張ってきた。
書類を読み漁った。ライスのポテンシャルを、新人である俺が最大限活かせるように。
多くの人に聞きまくった。様々なアクシデントに対応できるように。
ライスと語り合った。彼女の事を知り、彼女に合うトレーニングを行うために。
技術面で俺に言えることは全てライスに叩き込んだ。戦略も、フォームも、テクニックも、何もかも。
だから、あとはライスの成長次第、というのもなんか俺の不甲斐なさがある気がするのだが。
──ついに、その瞬間がやってくる。
舞台は芝2500良馬場の最終コーナー。ラスト700m程の事だ。
ライスは開始直後からブルボンの後ろにぴったりマークしており、一定の距離を保ったまま様子をずっと見ていた。
この時点で、今までの29戦とは違うものを感じたのだろう。ブルボンから僅かな緩みが見られた。それが顕著に出たのが、この最終コーナー出口の前だった。
僅か、ほんの僅かだったが、ブルボンのスピードが落ちた。それはライスの気迫に押されたのか、それともなにかほかの原因があったのかは定かではない、が。
「抜い、た……?」
分かるのはただ一つ、ライスがブルボンよりも前に出たという事実だった。
ライスに抜かれ、今までの一定だったペースが破られた。焦るように、前を走るライスを追いかける。その差は一馬身程度。
「……」
隣を見る。黒沼トレーナーはその表情を変えることなく、今までと同じ様に二人の走りを見守っていた。
かく言う俺は、正直言ってそんな冷静ではいられなかった。だがここで大声を上げてペースを乱す訳にもいかず、固唾を飲んで二人を見つめていた。
直線に入り300、200と距離が縮まっていく。この状態ですでにブルボンは差し返そうと距離を縮め、ライスと並んだ。
逃げろ、逃げろ……逃げろ、ライスっ!
残り100。それでも二人の距離が離れることない。そこで初めて、俺はライスの表情を見た。
「──負けないっ、負けたく、ないっ!」
そう言わんばかりに全身をフル稼働させて走るライスの表情、その瞳が青黒く輝くのを幻視した。見間違いだったのか、その光景は一瞬で消え去り、気がつけば二人はゴールを過ぎ去っていた。
「……」
だが、最後の瞬間だけは鮮明に目に映っている。残り10mという場面でも、二人は並んでいた。だが次の瞬間、ライスの体勢が揺れ、減速した。
その一瞬が、勝負を分けた。
──一着、ミホノブルボン。そして二着はライスシャワー。
戦績にして30戦30敗。圧倒的なまでの実力不足、でも、決して無駄じゃなかった。
「ふぅ……負けたかぁ」
思わず口に出てしまう、口に出して初めて、敗北感というのが俺の胸に襲いかかる。だが、一番悔しいのは、実際にブルボンと走ったライスなのだ。俺が、下を向いちゃダメだ。
「──」
「ブルボンッ! ライスシャワーッ! ウォームダウンが終わり次第、集合しろ!」
黒沼トレーナーのそんな声を聞いて初めて、俺が下を向いていることに気がついた。
「……ありがとうございます」
「構わん。悔しいと思えるうちは、まだまだ成長できる……ライスシャワーも、お前も」
黒沼トレーナーのそんな言葉が聞こえ、それ以降俺と黒沼トレーナーの間に会話はなかった。
負けることは別にいい。黒沼トレーナーが言ったように、そこから成長していけばいいから。
でも、トレーナーという職業上、そこから成長するのはライスで、俺はその補佐しかできない。言い方は悪いかもしれないが、レースというのは代理戦争のようなものだ。これはブルボンとライスの戦いという意味もあれば、俺と黒沼トレーナーの戦いという風にも捉えられる。
たかが練習、たかが一対一の併走トレーニング。だが、負けは負けだ。実践には30回というチャンスはない。一回だけで、全てが決まる。
本番にはブルボンだけを見ればいいという訳では無い。GIであれば十人を超えるウマ娘が、そのレースに命を燃やす。
「……」
強く、手を握りしめた。
あぁ、認めよう。俺は怖いんだ。ここまで時間を掛けてきて、それで負けることがあったら、その全てが無駄だと思い知らされそうな気がするから。
──でも、それで諦めちゃ、何も出来ない。
「……だよな。これまで以上に頑張ればいいだけだ」
そろそろライスとブルボンが帰ってくる。トレーナーである俺がなよなよしている暇なんてない。そんな暇があれば、さっきのレースの分析をする方がマシだ。
「よしっ!」
自分の頬を強めに叩き、気合を入れる。そうして二人の様子……主にライスの様子を見るためにコースの方へと目を向ける。
ライスはまだ終わったことに気がついていないのか、心ここに在らずといった風に感じられた。
「……」
走り終え、こちらに戻ってきても、ライスのその表情に変化は見られなかった。
毎度の如く挨拶は短かった。最終日でもそれは変わることなく、一分も経たずに解散の流れになり、残されたのは俺とライスだけだった。
「……まずは、移動しようか。ここにいちゃ、他に使う人の迷惑だしな」
「……うん」
……空気が重い。歩いている間、会話はなく、俺の後ろを着いてくるライスの足音しか聞こえない。
左右を木々が生い茂り、その間の舗装された道を歩く。
そして、俺は不意に立ちどまった。そうして振り向くと、同じく立ち止まっていたライスが、こちらを見ていた。
「ライス」
「……っ」
俺はライスの方へ、一歩踏み出す。ライスは動かない。目を伏せたまま、微動だにしない。
「一つだけ、聞いてもいいか?」
「……うん」
できるだけ、穏やかな声音を心がけ、ライスに話しかける。空のせいか、ライスの顔は赤くなり、その表情に影が落ちてその表情は見られなかった。
「ブルボンを追い抜いたその瞬間、ライスはどう思った?」
「──ライス以外の人が前に誰もいなくて、ターフが目の前に広がってて……とっても、キレイだった」
ライスは言いよどみながらも、最後まで言葉を伝えてくれた。
「勝ちたいって、思ったか?」
「……うん」
「ブルボンにもう、負けたくないか?」
「──っ、うんっ」
「なら──」
俺はそっと、ライスの頭を撫でる。泣きそうになりながら、いや、今にも泣いているであろライスを慰めるように。
「次は、勝とうな」
「うん……うんっ!」
そのライスの姿を見て、もう負けたくないと、強く思った。