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目覚めと共にあったのは、漠然とした疑問だった。
微睡も気怠さもなく、ただ瞭然とした意識があった。鮮明な五感はしかし歪な違和感を齎した。肌に触れる空気は幾らか冷たく、影のかかる瞳には朝焼けの景色が広がっていた。明確な自我は、同じような疑問を何度も頭の中に反芻するだけであった。
「……どういう、ことだ?」
顔の半分を自らの掌で覆いながら、少女――くろめは、誰に問うでもなく呟いた。
暗黒星くろめという少女を語るには、いくつもの言葉が必要だった。
プラネテューヌの亡霊。夢幻神格。女神の残骸。復讐心の末路。
そのどれもがくろめにとっては忌々しく、心に鬱陶しく纏わりつくものであったが、それを否定することはできなかった。それは覆せない事実であり、今の彼女を構成する、唯一のものだった。
だからこそ、くろめは困惑していた。
消えてしまったはずだった。負けてしまったはずだった。
歴史から消え、誰にも覚えられることもなく、ただ彼女の中で生きるはずだった。
それなのに。
「どうして、オレはここにいる?」
細い指の隙間から覗く、暗闇のような瞳が、周囲へと視線を巡らせる。
崩れ落ちた壁の向こうから照らす朝陽が、彼女を照らしけていた。
床に散らばる瓦礫を超え、昇りはじめた太陽の方へ。
崩落した壁の向こう、その先に見えた景色は――
「……プラネテュー、ヌ?」
忘れられるはずがない。自らを裏切り、亡きものにしようとしたあの国を。
そして、それでも守りたいと願った、この国を。
「どうなってる……」
疑問の後に残ったのは、苛立ちにも似た感覚だった。
とにかく、頭を落ち着けることが必要だった。何がおかしくて、何が正しいのかすらも曖昧なこの状況で、まともに思考しても意味がない。そう結論づけるとくろめは静かに息を吸ってから、自分の中にある一番新しく、そして一番忌々しい記憶を蘇らせた。
敗北した。醜く無様に足掻き、それでもなお真正面から戦いを挑み、そして負けた。
復活を望まれぬ、忌み嫌われた存在として、彼女の中で永遠に残り続けることになった。
そこまでは覚えている。はっきりと、心に刻まれている。
ただ、問題はそこからの記憶が完全に抜け落ちていることで。
「……考えても仕方ないか」
もやもやとした疑問を紛らわすように呟いて、くろめがその場へ腰を落ち着ける。
改めて眺めるプラネテューヌの街並みは、しかし違和感に満ち溢れていた。
乱立する近未来的な高層ビルに、無駄に自動化された遊歩道。
公園には緑が生い茂り、遠くから微かな鳥の囀りが聞こえてくる。
なるほど、確かに外見はくろめの知るプラネテューヌとまったく同じものである。
だが。
「こんなにも、つまらない国だったかな」
口にした呟きが、国の隅々までに響き渡りそうなほどに。
この国は、静かだった。
「ふーん」
膝を組み、呆れたように息を一つ。
ひどく冷め切ったその瞳には、彼女の知らないプラネテューヌの姿が映るだけであった。
「壊したとしても、暇つぶしにすらならなさそうじゃないか」
言葉を発した時点で、くろめにはある程度の予想がついていた。
つまるところ、ここは別次元に位置するものなのだろう。
マルチバースや多元宇宙論、並行世界などという言葉で表される、それ。
くろめはそうした場所へ、何らかの力によって呼び出されたのだのだと結論づけた。
理由は分からない。方法も。突飛な発想であることも、否定はしない。
ただ、目の前にあるプラネテューヌが、自らの知らないものであること。
それだけで充分、根拠になる。
「どうしようか」
答えが返ってくるわけでもないのに独り言ちるのは、仕方のないことだった。
先ず思いついたのは、この次元の破壊。八つ当たりと言われようが、癇癪と言われようが、くろめにとってプラネテューヌは忌み嫌うものなのだ。だが、ここまで別物になってしまったプラネテューヌを破壊したとしても、何の憂さ晴らしにもならないのは、分かり切っていたことだった。
次に考えたのはこの次元の探索だが、それもやめた。こんなに静かでつまらない場所を歩いたとしても、ただの徒労に終わるだけだろう。そんな無駄なことをする必要性が見いだせない。
結局のところ、することがない。だからくろめは、こうして無為な思考に時間を費やすことにした。もし自分をここに呼び寄せたヤツを見つけたら、どうしてやろうかと考えた。
傍に転がる瓦礫の破片を掴み、何度か宙へ投げて遊ばせる。
そして一度それを握り締めると、くろめは自らの背後へ振り返ることなくその破片を投げつけた。
衝撃波。ずどん、と腹に響く轟音が、プラネテューヌの街へ響き渡る。
「……少し、考えたんだけど」
退屈そうに体を伸ばしながら、くろめは立ち上がって。
「八つ裂きか串刺し、どちらが君の好みだい?」
口元にいつもの静かな笑みを浮かべながら、ゆっくりと振り返る。
そして、驚愕に目を見開いたのは――くろめの方だった。
「な……」
無様たらしく腰をついているのは、一人の少女だった。
燃えるような赤い髪を独特なツインテールで纏め、夕暮れ色の瞳は怯えるようにこちらを見つめている。服装は気崩したシャツと、灰色のショートパンツ。黄色い大きなネクタイが、嫌と言うほど目を引いた。
身長はくろめと同じくらいで、歳もそれこそ、くろめと全く同じくらいのもの。
より簡潔に述べるのであれば、くろめと瓜二つの姿をした少女。
そしてその少女を、くろめは知っていた。知らないはずがなかった。
もう一人の暗黒星くろめ。あるいは、彼女の本当の姿。
その名は――天王星うずめ。
「俺……?」
「オレ……?」
言葉が、重なる。
その直後、くろめは自らの右腕を突き出し、その先に薄暗いエネルギーを収束させた。
「わわっ、ちょ!」
「おいおい、ウソだろう? 冗談にしてもタチが悪すぎる……」
理解が追い付かない。いや、理解を頭が拒んでいるのか。その判断すら曖昧だった。
張り付けたような笑みを浮かべたまま、くろめがぶつぶつと呟き続ける。
「何が起きてるんだ? オレはここにいるのに、どうして俺がここに……」
「お、おい……」
言葉を続けようとした、次の瞬間。
彼女の解き放った光球が、うずめに似た何かの頬を掠った。
「口を開かないでもらえるかな? 極めて不愉快だ」
冷たく言い放つくろめに、しかし彼女は訝し気な視線を向けながら、
「……もしかして俺、とんでもねー女神を呼んじまったのか?」
尚も口を動かし続ける彼女の顔面を吹き飛ばそうとしたが、やめた。
「呼んだ……? このオレを、君が?」
「ああ」
頷くと、彼女はポケットに手を入れて、そこから取り出した何かをくろめへ見せる。
果たしてそれは、虹色の輝きを放つ四つの結晶であった。そのどれもが内部に電源マークを模した構造体を有しており、見覚えのあるそれに、くろめが舌打ちをしながら答えた。
「シェアクリスタル……なるほど、神格を疑似的に四つに揃えたのか」
「話が早くて助かるぜ」
苛立ちを無理やり晴らすように、くろめが頭を掻き毟る。
シェアクリスタルによる神格の統合。つまるところそれは、この次元の女神の全ての力を疑似的に揃えたということになる。それだけの力があれば、別次元のくろめをこの次元に呼び寄せることなど、造作もないだろう。それをシェアクリスタルの力によって代替するには、かなり高純度のシェアクリスタルと膨大な量のシェアが必要なはずだが、それはこの際どうでもいいことだった。
「どうしてだい?」
「あん?」
「どうして君は、オレみたいな出来損ないの女神を呼んだのか、って聞いてるんだ」
その言葉に彼女は、む、と少しだけ不満そうな表情を浮かべながら、
「別に、好きでお前みたいなおっかねーヤツを呼んだわけじゃねえよ」
「だったら……」
「でも、これも何かの縁なんだろ?」
同じ形をした、けれど違う色の瞳がくろめのことを見つめている。
静寂。紙縒のように張り詰めた緊張が、二人の間に流れる。
やがて、はじめに言葉を発したのは、くろめの方からだった。
「……願いは」
「え?」
「君の願いは、何なんだ?」
絆された、というよりは、諦めと言ったほうが正しいのかもしれない。
ただ、今のくろめの中にあったのは、最後の矜持であった。
亡霊として消えたはずの自分が、女神として自らと同じ形をした少女に召喚される。
であるなら、召喚された女神として、その願いを聞き届けるのが役目なのだろう。
あるいは。
自らを女神と呼ぶ彼女に、少しだけ何かを期待していたのかもしれない。
「……俺の、願いは」
やがて長い沈黙の後、少女――否、うずめは口を開き、
「この世界を、どうか救ってくれ」
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▼ Ep:01 _ [Save the World]
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