遊戯王 プロフェッショナル・ジャーニー   作:紅緋

1 / 2
 多少、選ぶ作品だと思われますが、お好みに合えば幸いです。


01:始まりの道

 草木も眠る真夜中。

 郊外にある山中で動く影が6つ。

 

 先陣は1つの白い影。

 ただひたすらに先頭を行き、背後に迫る者達を引き剥がす──否。

 後方から追ってくる者達から逃げるように、自身の白い衣服が土や泥に塗れようとお構いなく駆けている。

 

 白い影を追うのは5つの黒い影。

 先行く白い影に追いつく、というよりも捕えんとすべく後を追っている。

 

 追われる者と追う者。

 相反する構図ではあるが、両者に共通するものが1つ──

 

「2番3番は右。4番5番は左から追い込め」

「クソガキがッ! 逃げるんじゃねぇッ!!」

「──っ、ぐっ…!」

 

 ──それは共に必死の形相であること。

 無論、既に日付が変わるほどの深夜に和やかなレクリエーションの鬼ごっこをしている訳ではない。

 白い影──白服の少年は時折後ろを振り返りつつ、その若さと類稀なる身体能力から力任せに逃げる。

 対して5つの黒い影は用意されていた暗視スコープで視界を確保し、悪路や枝を避けて少年を追う。

 

「明かりもないのに何てすばしっこいっ……!」

「侮るな。アレは博士のお気に入りと聞く。当然その身体能力も常人の比ではない」

「だからってあそこまで身体を鍛えさせるかよ!? お陰でこっちはとんだとばっちりだよチクショウが!!」

「お気に入りだから過度な調教を施したのだろう……それと──」

「あぁ!! それと何だよ!?」

「──お気に入りを逃したとなれば、貴様らの処罰は想像に難くないな」

 

 リーダー格の発言に4人は同時に身震いする。

 彼は雇われの身のためさほど責任は重くないが、残りの4人は違う。

 末端と言えど直属組織の人間だ。それ故に現状の失態だけでも逆鱗に触れるが、万が一ここで最悪のケースに陥った時のことなど想像に難くない──というよりも想像したくない気持ちが一致する4人。

 

「なっ、何としても捕えろ! 逃がしたとなれば大目玉なんてもんじゃねぇ!! オレ達のクビが物理的に飛んでもおかしくねぇぞ!!」

「おっ、おう!!」

 

 恐怖で多少声が上擦るも、結果的に士気は向上。

 既に限界の力で追っていた男達は限界以上の力を出し、徐々に少年との距離を詰めていく。

 その差が5メートル──4メートル──3メートルと明確に縮まる。

 

「このっ!!」

「──っ!?」

 

 そして僅か片腕分の距離。

 最も接近していた追跡者の腕が少年へと伸び──虚空を掴む。

 

「なっ──」

「くっ──」

 

 当然、確実に捕えたと思っていた追跡者の顔は驚愕のそれに変わる。

 そしてそれは逃走者の少年も同じ。

 

 少年は追跡者の存在に気を取られ。

 追跡者は少年を捉えることに執着。

 

 両者共に意識が傾倒していたため、僅か数歩先が急斜面になっていることに気付かず、少年は悪路で足を踏み外したのだ。

 少年の体勢が急に低くなったので追跡者の腕は空を切り、少年は急斜面を転がるボールのようにゴロゴロと滑り落ちていく。

 そして斜面の先にあったフェンス、その支柱に頭をゴンッ! 鈍い音を響かせて少年の転倒劇は終わる。

 

「クソっ! おいっ! オレ達も早く追うぞ!」

「手間をかけさせやがる……!」

「いや──待て」

 

 転倒した少年の二の舞にはなるまいと、追跡者らは注意しながら斜面を下りようとしたところで制止の声。

 リーダー格の発言に眉を潜め、追跡者らの1人が不満気な声を漏らす。

 

「何だよ。ガキは転がって全身打撲の頭を打って気絶。絶好の機会じゃねぇか」

「確かにそうだが──場所が悪い、いや悪すぎる」

「はあ? 場所が悪いって、こんな山ん中に悪いも何も──」

 

 場所が悪いとはどういうことだ、と視線を少年が転がった先へ向ける。

 何の変哲もない、山中の斜面だ。

 少年はその急勾配で足をもたれ、バランスを崩し転げ落ちた。

 現に今も突き当りのフェンス(・・・・)に直撃し、当たり所が悪かったのか気を失っている。

 

「──は?」

 

 男から呆けた声が出る。

 それもそうだろう。

 本来は少年の目的のために人が少ない深夜の山中で事に及ぼうとしていたのだ。

 だが、何故こんな山中に人工物があるのか。

 そう思った矢先──

 

 

〈ビー! ビー! ビー!〉

 

 ──突如としてけたたましいサイレンが鳴り響く。

 同時にフェンスの支柱に設置されていた赤い回転灯も動き出し、明らかな警告が発せられる。

 

「なっ──」

「存外、麓まで来てしまったな……ここには決闘者(デュエリスト)の養成所がある。ここで騒ぎを起こしてはマズイ、引くことだな」

「ちょ、待てよ! あのガキはどうすんだよ!? このままじゃ見つけられちまうし、手ぶらで帰ったら博士に何て言えば──」

「知らんな。私はあの少年と屋外でデュエルするだけの契約だ。逃走──いや脱走のことなど本来なら契約外だ」

「てめっ──」

「無駄話が過ぎたな。早く退散せねば怖い教諭──最悪、元最上位(トップランカー)が居るやもしれん」

「──っ、チィッ!!」

 

 リーダー格の男がそそくさと引き、残った追跡者らは一瞬だけ少年の方へ視線を向ける。

 先の斜面転倒時に丁度枯葉の山に突っ込んだのか、紅葉色の葉の山からひょっこりと白袖が見える程度だ。

 もしかすれば養成所の者らに発見されないかもしれないと、僅かながらの希望。

 そして捕まえられなかった憤り──この後に博士からどのような扱いを受けるのかと、不安を抱えながらその場を後にしたのだった。

 

 

 

 

 

「──以上9名が昨シーズンの最上位(トップランカー)の決闘者だ。ここ5年は顔ぶれは変わっていないが、かと言って上位(ハイランカー)の力が足りないという訳でもない。原因としては現9位のドラゴン馬鹿──んっ、失礼。あのドラゴン阿呆が門番の如く1桁順位と2桁順位の間に位置し、その所為で上位9人中7人がドラゴン使いで固めている所為だ」

「センセー、馬鹿も阿呆も蔑称ですよー」

「構わん。あの偏屈者は現在も過去もやらかし、おそらく未来も何かやらかす。あんな問題児を蔑称で呼称しても何ら問題はない」

「えぇ……」

 

 明日、昨晩の逃走・追走劇から時計の針は1回りした頃。

 麓にある養成所──東関東プロ決闘者養成所では、平時と同じように講義が行われていた。

 

 教壇に立っているのは元プロ決闘者であり、現在は後進のために教鞭を振るう初老の男性。

 スクリーンには講義資料として現ランキング上位9人の簡易プロフィール、戦績等が映し出されている。

 ある1人のプロ決闘者へ私怨混じりの説明に数人の研究生が困惑するが、講師は構わず続行。

 

「一応注意するが、諸君らはあの馬鹿のようにならないように。昂ったからと言って全力デュエルで会場を半壊させたり、プロ決闘者との親善試合で先攻制圧による心と精神と気持ちを圧し折ったり、ファン交流会でファンそっちのけでドラゴンと戯れるようなことはするんじゃないぞ」

「できねーよ!」

「何なのランク9位の人……」

「それがあの馬鹿だ……まぁ、今のところ幸運にもこのクラスは真面目な者が多いので、そういった心配の必要がないことは喜ばしい」

 

 半ばため息混じり、最後の方は本当に安堵したような声色の講師の言葉に研究生らは同情。

 『色々あったんだなぁ』、『だからあんなに白髪が……』など失礼なことを思われていたところで、講義終了のチャイムが鳴る。

 

「むっ、時間か。では来週の私の講義まで今回のプロ決闘者に関する所感をレポートで提出するように。全員でも良いし、1人に絞っても良い。だが、2位と9位のメカドラコンビについては厳しく採点されることを念頭に置くこと」

「えぇー!? そりゃないぜ古賀(こが)センセー!!」

「話題に事欠かないあの2人なら楽だと思ったのに!」

「たわけ。あの2人を知っている私からすれば当然だ」

 

 ぎゃーぎゃーわーわーと喚く研究生らを尻目に講師──古賀は教材を片付け始める。

 講義終了に伴い、研究生らも筆記用具やタブレット類をカバンに仕舞い込んでいる中、あぁ、と古賀が思い出したように顔を上げた。

 

「そういえば昨晩、敷地境界の柵に何かが接触し警報が鳴った。おそらくはシカやタヌキの類だとは思うが、夜中に山に入った馬鹿が居たかもしれん。くれぐれも害獣と馬鹿には気を付けるように」

「はーい」

「センセー、クマ相手だったら実体化しての正当防衛って許されますかー?」

「緊急時であれば許可する。だが諸君らはあくまでも研究生だ。本来であれば認可できないことは頭に入れておくように」

 

 『はーい』という研究生らの返事を聞き、古賀はふぅと一息。

 教材を全てカバンに仕舞い、踵を返して講義室を出ていった。

 

 

 

 

 

 残った研究生らは丁度昼休みになったこともあり、一部は講義室に残ったまま友人らと談笑。

 そのまま持参した昼食を取ったり、一部は食堂に向かったり、敷地外の飲食店へ赴くなど様々。

 

天崎(あまさき)さんはお昼どうする? 私たちは食堂に行こうと思うんだけど」

 

 そんな中、5人グループの女子が1人の女子に声をかける。

 

 ハーフアップで纏められた煌びやかな黄金の髪はどこか高貴さを感じさせ。

 飾り気のない純白のブラウスに、淡い蒲公英(たんぽぽ)色のロングフレアスカートは彼女の清楚な人柄を表すよう。

 ややタレ目がちな眼差しはどこか優しい雰囲気を醸し出している。

 

「お誘いありがとうございます。ですが今日は先約がありまして、ご一緒できないんです……申し訳ありません」

「約束あるなら仕方ないって。てか、これぐらいのことでそんな頭下げなくていいよ」

「そーそー、そんな畏まらなくていーよ」

「そう言って頂けると助かります」

 

 天崎、と呼ばれた女子は深々と頭を下げてやや大仰に謝るも、その行動に誘った側が困惑。

 少々──多少、箱入り気味に育てられた彼女からすれば、折角誘ってもらった厚意を無下にしたようなものであり、本心から申し訳ないと感じてしまったのだ。

 もちろん、誘った側の女子らもそのあたりはここ数ヶ月の付き合いで慣れ、このやりとりも1度や2度ではない。

 困惑と苦笑いが混じった表情を浮かべつつ、グループの1人が何気なく口を開く。

 

「ちなみに先約って誰? 男?」

「男性──と言えばそうなります」

「えっ、マジ!? 天崎さんに男!?」

 

 瞬間、講義室に緊張が走る。

 彼女──天崎天音(あまさき あまね)は10人中、10人が美人と寸暇なく答えるほどに顔が整っている。

 やや世間知らずな面もあるが、基本的に老若男女分け隔てなく柔らかく接し、男女からの人気は高い。

 またそのプロポーションも出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいるモデル体型だ。

 

 そんな彼女に男。

 講義室の女子は恋愛脳で昂り、男子は穢れた煩悩が加速。

 一体どこの誰がこの天使と一緒に昼を共にするのかと聞き耳を立てる。

 

 得も言えぬ緊張感が生まれるが、天音は普段と変わらないおっとりとした雰囲気で口を開く。

 

「はい。今日は兄さんがこちらに伺う用事があり、是非お昼を一緒にと」

「……なーんだ、お兄さんか──って、お兄さん!?」

「えぇ!? 天崎さんのお兄さんってことは、上位(ハイランカー)天崎玄人(あまさき くろと)プロぉ!?」

「そうなります。何でも午後から親善試合に関する会議に出席するとのことで、折角養成所まで行くからお昼を一緒に食べようと誘いがあったんです」

「あぁー、なるほど。それなら納得だわ」

 

 女子は項垂れ、男子は拳を握る。

 思春期真っ盛りでの浮ついた話かと思いきや、実際には兄妹でお昼を食べるだけ。

 女子としては期待外れ、男子としては天崎玄人プロに若干の妬みが入るが、まぁ兄妹ならと渋々納得している。

 

「まぁお兄さんも忙しそうだもんね。上位(ハイランカー)だし、顔も体も性格も人柄もセンスも良いから、デュエルだけじゃなくて色んなメディアに引っ張りだこだもん」

「うんうん、そりゃたまには兄妹水入らずでゆっくりしたいよね。それなら仕方ない、アタシ達とのお昼はまた今度ねっ」

「そう言って頂けると助かります。では」

 

 同期の仲間からの暖かい言葉を受け、天音は立ち上がってペコリと一礼。

 白いショルダーバッグを肩に掛け、踵を返して講義室を出る。

 右手にはおそらく作ってきたであろうお弁当──5段重箱2つ(・・・・・・)を軽々と持ち、これまた軽い足取りで待ち合わせ場所へと向かう。

 

 

 

 

 

「はぁ……」

 

 10分後。そこには敷地端のベンチに腰掛け、ため息をつく天音の姿があった。

 その様子は講義室を出た時のような明るいものではなく、むしろ真逆のそれ。

 

 理由は2つ。

 1つ目は同期が昼食に誘ってくれたのに、断らざるを得なかった罪悪感。

 兄と昼食を共にするという数日前からの約束があったので、これは半ば仕方なかったことだ。

 

 2つ目はその兄と一緒にお昼を食べられなくなったこと。

 待ち合わせ場所に5分前には到着した天音だったが、ついさっき兄から所用が出来てお昼を一緒に取れないと連絡があったのだ。

 天音自身はもちろん、兄の玄人も相当楽しみにしていたのでその落胆は大きい。

 またその玄人から30秒置きに謝罪のメッセージとアイコンが来る始末。

 

(……兄さん、流石に鬱陶しいです……)

 

 おそらくあと30通程度は同じようなメッセージが来るだろうと、天音は後半のメッセージを未読のまま携帯端末をバッグへ。

 はぁ、再びため息を吐きつつ、傍らに置いていた5段重箱を膝の上に乗せる。

 続けて先ずは飲み物をと円柱型の2リットル水筒をカバンから取り出し、横に置こうとし──

 

「あっ」

 

 ──カン、コーンと2度バウンドしてベンチから転がり落ちる。

 置いた角度が悪かったのか、カラカラと金属製の水筒が天音から逃げる逃げる大脱走。

 膝の上に乗せた重箱を置き、天音は慌てて水筒を追いかける。

 

「ちょ、待っ──あっ」

 

 カン、と敷地端のフェンス支柱にぶつかったところで水筒は停止。

 いずれ止まるなら慌てて追い駆ける必要はなかったなぁ、と少しばかり内心で愚痴りつつフェンスへ向かう。

 路面の上を転がってしまったので水筒に細かい傷が付いたかもしれないが、仕方ないかと思いつつ水筒へ手を伸ばし──

 

(──あれ?)

 

 ──ふと、銀色の水筒に反射するモノに違和感。

 秋冷のこの時期であれば、境界フェンスに映るのは紅葉と黄葉のハズ。

 だが、何故かその落ち葉の中に白色(・・)肌色(・・)が見えるのか。

 

「……っ!?」

 

 天音は視線を鏡面反射する水筒の先へ移し──絶句。

 その瞳に映ったのは枯葉の山に埋もれる人。

 視界に入った白色は衣服で、肌色は手。

 間違いなく人が倒れている状況だ。

 

「だっ、大丈夫ですか!?」

 

 天音はフェンス横にある出入口に駆け、南京錠を素手で容易に引き千切ると横たわっている人物に寄る。

 被っていた枝葉を取り除き、うつ伏せになっていたその人──少年を仰向けに。

 肩口を軽く叩きながら声をかけ、先ずは意識の有無を確認する。

 

「……ぅ……あぁ…」

 

 うわ言のような返事があり、一先ず最悪の状況になっていないことに天音は安堵。

 だが少年は未だに意識はハッキリしておらず、何か怪我か病気で倒れてしまったのだろうかと、緊張が走る。

 外傷等はないかと少年を頭から爪先まで視線を動かす。

 頭部、異常なし。

 肩部、問題なし。

 胸部、外傷なし。

 腹部、異音発生。

 腰部──と、ここで天音の視線が一旦戻る。

 お腹の方に何か異常が、と逼迫した表情で視線を向けると──ぐぅー、という異音。

 

「…………」

 

 瞬間、天音は無言になる。

 聞こえた異音は別に何てことはない。

 ただ腹の虫が鳴っただけのこと。

 

「……空腹」

「……みたいですね」

 

 そしてその腹の虫に続く少年の第一声は──『空腹』の2文字。

 現時点で最悪な状況でも、大事がなかったことに天音はふぅと安堵の息を吐く。

 一安心したところで──きゅー、と彼女の腹の虫まで呼応。

 

「──っ」

 

 瞬間、彼女の頬と耳が朱に染まり、羞恥で顔と胸が熱くなる。

 少年の腹の虫に釣られたか、今まさにお弁当を広げていたところからの安心感で気が抜けたか。

 どちらにせよ、少年少女2人が本能に抗えるハズがない。

 

「……よろしければ、一緒にお弁当食べますか?」

「……すまない」

 

 天音はタコさんウインナーのように真っ赤になった顔のまま提案。

 ぐぅーとはらわたの怪物が喚いている少年は申し訳なさ気に了承。

 少年と少女の出会いは、腹の虫から始まった──

 

 

 

 

 

「うまい」

 

 ──5分後。

 天音は兄と食べるハズだった5段重箱×2を、見知らぬ少年と共に頬張っていた。

 

 顔面蒼白で今にも倒れそう──というか倒れていた少年の顔に色が戻り、口いっぱいに食べ物をもっきゅもっきゅ。

 鶏の竜田揚げ、玉子焼き、タコさんウインナー、ロールキャベツ。

 鮭の塩焼き、さんまのかば焼き、イカリングフライ。

 ほうれん草のおひたし、きんぴらごぼう、にんじんグラッセ。

 梅干し、昆布、おかかのおにぎり。

 デザートにはウサギ型に切ったリンゴ、バナナ1房、キウイ等々。

 

 まるで運動会に出る子供のためにお母さんが張り切って作ったようなお弁当だ。

 常人であれば胸やけどころか過剰摂取になりかねないのだが、少年は新しいおかずを口に入れる度に『うまい』と無表情ながら、ひょいひょいパクパクと食指が止まる気配はない。

 

「よっぽどお腹が空いていたんですね」

「あぁ。いつからかはわからないが──もぐもぐ──しばらく食べていなかったと思う。腹具合から察するに──うまい──半日は絶食していたのだろう」

「それは絶食というほど時間経過していません」

 

 要領を得ない少年の言葉に天音は僅かな違和感があったが、そんなことよりも気持ちの良い食べっぷりに感心。

 天音自身も健啖家ではあるが、自分と同じくらいよく食べる人間と会うのは初めてだ。

 ちょっとした親近感を覚えつつ、天音も少年に劣らないペースで箸を動かす。

 

 ひょいパクと箸を動かす傍ら、天音は改めて少年を観る。

 白雲のような髪に、前髪やもみあげ等の一部がメッシュのように赤い差し色。

 兄とはまた違った、まるで創られたような端正な顔立ち。

 中肉中背そうに見えるが、腕まくりされた前腕部は同世代の男子よりも頑強そうな筋肉も付いている。

 

(こんな人、養成所に居たかな?)

 

 そこまで観てから天音は自身の記憶と照合。

 カニさんウインナーを頬張りつつ、所属クラス以外の人の顔を思い出していくが、赤混じりの白髪という目立った髪色の人物は、天音の記憶で研究生には居ない。

 じゃあプロ決闘者だろうかとも考えたが、最上位(トップランカー)上位(ハイランカー)で有名な者ならともかく、それ以外となると自身の記憶には存在しない人物だ。

 なし崩し的、それも無警戒にお昼を一緒に食べ始めてしまったが、天音は『大丈夫でしょう』と根拠のない確信があった。

 

(デュエルディスクを持っていますし──彼のデッキも良い子たちそうですし)

 

 それは決闘者の直感。

 少年が持っていたデュエルディスクはやや古い型であり、相当使い込まれた形跡もある。

 またセットされているデッキにも悪感情を一切感じられず、いわゆる悪人といった人物評にはならないと天音は思ったのだ。

 

 現に少年も人気(ひとけ)のない場所でうら若い少女と2人っきりという状況であるにも関わらず、彼の手が赴く先はお弁当のみ。

 思春期の少年と少女、周りに誰もいない、当然何も起こらないハズもなく──なんてことはなく、本当に何も起こっていない。

 2人はただ黙々ともっくもっくご飯を頬張るだけ。

 

「うまい。今まで食べた中で一番うまい」

「ありがとうございます」

 

 発する言葉も男女のそれではなく、食事の感想のみ。

 剣呑な雰囲気でも、砂糖のように甘い空気でも、青春のような甘酸っぱい1ページのどれとも異なる。

 ただ、互いにやや口下手な少年と少女が、それぞれの5段重箱の中身をひたすらに減らしていくだけの時間が過ぎていった。

 

 

 

「「ごちそうさまでした」」

 

 食べ始めてから十数分後。

 2人は重箱の中身を米粒1つ残さずキレイに平らげ、満足そうに息をつく。

 

「どうぞ、お茶です」

「ありがとう」

 

 食後の一杯、と水筒に入れていた暖かいお茶を少年に差し出す天音。

 少年も素直に受け取り、ずずぅーと一口分を飲むなり『ほう……』と落ち着いた声色で一息つく。

 それを見てから天音も自分の分を注いでから一口。

 食後のリラックスタイム、とばかりに2人はのほほんと、のんびりと青空へ目を向ける。

 

「あっ、そういえばどうしてあんなところで倒れていたんですか?」

 

 さながら至福の時、とゆっくり数分ばかり呆けていたところで、天音は思い出したように顔を少年へ。

 つい食欲に敗北してご飯に夢中になってしまった天音だが、今更ながら肝心なことを聞き忘れていた。

 

「むっ、そういえば何でオレはあそこで倒れていたんだろうか」

「……えっ?」

 

 キョトン、と天音の目が丸く見開く。

 いくら空腹で倒れていたとは言え、何故そんな返答になるのか。

 

「今更になるが、そもそも──」

 

 少年がさらに言葉を紡ごうとしたその時──

 

 ──ブォオンッ!! と、けたたましい排気音が2人の耳に刺さる。

 揃ってその爆音源へ目を向けると、数百メートルほど離れた位置に1台の黒いバイクが視界に入った。

 その座席には車体と同じ黒いライダースーツに身を包んだ1人の男。

 

 天音と少年が男自身へ視線を向けたと分かるや否や、勢いよくハンドルを回す。

 再びブォンッ!! と大音が鳴ったかと思えば、バイクは一直線に2人の方へ加速。

 

「何だアレは」

 

 少年は向かってくるバイクに物怖じせず、腰を上げてデュエルディスクを装着。

 デッキからカードを引こうと指を伸ばすが──

 

「少し失礼します」

 

 ──少年と向かってくるバイクの間に天音が立ち塞がる。

 2人に向かってくるバイクは加速──からの減速&急ブレーキ。

 天音の目の前──ではなく、安全に配慮して5メートル近く手前で停止。

 

 黒いライダースーツの男は慣れたように降り、やや乱暴にヘルメットを脱ぐ。

 晒された顔は10人中、10人が美形と評する眉目秀麗のそれ。

 どこか天音と似ているその顔は凛々しく、険しく細められた眼差しは少年へ。

 次いで天音の方へ向け──

 

「天音ぇッ!! 何なんだいこの男はッ!? お兄ちゃん、男と2人っきりになるなっていっつも言ってるだろう!!」

 

 ──その整った顔が台無しになるほど、今にも泣き出しそうな顔になる。

 

「落ち着いて下さい玄人(くろと)兄さん。彼はただ空腹で倒れていて一緒にご飯を食べただけで、兄さんが想像するようなことは一切していません」

「えぇっ!? 倒れていた彼を膝枕して、『あーんっ』でご飯を食べさせただって!?」

「違います。そこまでしていません」

 

 激昂する男──玄人、と呼ばれた天音の兄は、耳がイカれているのか自身の都合の良い──というより、自身の考えうる最悪の状況下であったような聞き間違いで驚愕。

 少年が『何だコイツ』というような冷めた目で見る中、天音はため息をつきながら額に手を当てる。

 

「そもそも兄さんはさっきお昼を一緒にできないと連絡してきたじゃないですか。何でここに居るんですか?」

「何で居るかッ!? 我が妹ながらヒドイ!! いや急用を速攻で終わらせて、少しだけ遅れるって改めて連絡したじゃないか!!」

「えっ──あぁ、本当ですね。16通目の謝罪連絡の後にこっそりありましたね。見落としていました」

「重ねてヒドイ!!」

 

 玄人の言に天音は携帯端末を確認すると、確かに連絡は来ていた。

 だが、当初の一緒にお昼は取れないという謝罪連絡が何十通と来た後のことで、さらには『あと○分で着くよ!』という、まるで処刑台の階段を上るカウントダウン染みた連絡も何十通と送られていたのだ。

 

「すいません。全部謝罪連絡だと思って5通目あたりから無視していました」

「重ね重ねヒドイ!! あぁでもそこまで天音がボクのことを理解(わか)ってくれていると思えば、兄妹愛としては何もおかしくないどころか正しいのでは?」

「私としては半ばストーカー行為に近い兄さんの行動に正当性を一切感じられませんので、おかしいとしか思えません」

「そんなことはないだろうッ!! ボクは天音のお兄ちゃんだよ!? 最愛の妹がどこぞの馬鹿の毒牙にかからないかと心配で心配で──! 行動を把握しておきたいのは兄の務めじゃないか!!」

「そんなお務め要りません」

 

 まるで駄々っ子のように喚く兄。

 それを正論と正答で容赦なく刺す妹。

 傍から見ればコントのようにも見えるが、無関係そうで微妙に関わりのある少年としては反応に困る。

 少年からすれば暴走バイクが突っ込んでくるかもしれないと思い、とりあえずデュエルディスクを構えたは良いが結局は出番なし。

 この構えた腕と自分はどうすれば良いのだろうかと、冷ややかな目で兄妹を見る。

 

「とにかく!! 兄の責務として最愛の妹に近づく不埒なハイエナは駆除する必要があるッ!! わかるね、天音」

「わかりません。そもそも彼とはついさっきが初対面ですし、何度も言いますがやましいことは一切ありませんでした」

「さっきが初対面ッ!? 初対面の人間に天音の手料理を食べさせたっていうのかい!? くっ……!」

 

 益々ヒートアップする玄人。

 いくら天音が冷水という名の言葉を浴びせても熱が下がることはなく、むしろ浴びせる傍から蒸発させてしまい、熱気という名の怒気が上がっていく。

 玄人はまるで恩讐の相手を見るかのような眼差しで少年を睨む。

 当の少年は冷め切った目で見ている辺り、両者には温度差が生じている。

 

「少年ッ!! ボクとデュエルだッ!! ボクが勝てば今後一切ッ! 未来永劫ッ! 金輪際ッ! 天音には近づかないこと!!」

「何を言ってるんですか兄さん……はぁ、ごめんなさい。兄の妄言ですので聞き流して下さい」

 

 ビシィ! と既にデュエルディスクを付け、準備万端だった少年を指さす玄人。

 荒唐無稽なことを口走っており、天音は本日何度目になるかわからないため息を吐く。

 

「それにご存知の通り、あんな兄でもランク14位の上位(ハイランカー)です。文字通り並居るプロの中でも上位陣の決闘者なので、普通の人が勝てる相手では──」

「いや、受けよう。そのデュエル」

「──えっ?」

 

 天音が少年を諭そうとした矢先、少年はそれを制して彼女の前に出る。

 左腕に装着したデュエルディスクを起動させ、準備万端。

 

「えっ、あの正気ですか? いくら兄さんが我を失ってデッキのカードから失望されて万全な状態でないとはいえ、相手はプロの上位(ハイランカー)なんですよ?」

「相手の事情はよく知らないが、デュエルを申し込まれた以上は受けなければいけないだろう」

「えぇー……」

 

 何なんですかその価値観、という言葉が出ずに若干引いた顔になる天音。

 対照的に玄人の顔は怒気混じりが若干和らぎ、幾分か感心したような表情に。

 

「ほう、ボクを相手に物怖じしない姿勢は評価しよう。だけど勝つのはボクだ。今の内に天音から離れる準備をしておくことだね」

「確かに。今からデュエルするから離れた方が良いぞ」

「あっ、はい」

「違ぁうッ!!」

 

 天音の方が少年から離れ、デュエルの準備を整える。

 素っ頓狂な少年の対応に玄人は声を荒げるが、慣れている天音は無視。

 生来からなのか感情の変化に乏しい少年も特に気にかけない。

 

 ぐぬぬ、と顔に悔しさと怒りに染めた玄人もデュエルディスクを取り出し左腕に装着。

 それと同時に互いのデュエルディスクがリンクし、電子音を発する。

 次いでオートシャッフル機能でデッキが小気味よい音を立て、ピタリと静止。

 

「本当ならLP8000(フルライフ)で完膚無きまでに叩き潰したいところだけど、午後に用事があるからね。今回はLP4000(ハーフライフ)で手短に。パパッとやらせてもらうよ」

「了承した。特に問題はない」

 

 中空に仮想立体映像(ソリッド・ビジョン)が表示され、設定を少しだけ変更する玄人。

 少年の方も不満はないので素直にそれを受け入れ、改めて相手を見据える。

 先攻・後攻もデュエルディスク側でランダムに決定されたことを確認し、互いにデッキから5枚のカードを引く。

 両者の背後に仮想立体映像(ソリッド・ビジョン)にライフポイントが表示され、準備が整ったことを告げ──

 

「「デュエルッ!!」」

 

 ──同時に宣誓する。

 

「先攻はオレだな。手札から≪教導(ドラグマ)の聖女エクレシア≫を召喚する」

 

 手札のカードを一瞥し、少年はその中から唯一のモンスターカードを手に取り、流れるような手捌きでデュエルディスクへ。

 デュエルディスクにカードが置かれるや否や、少年の眼前に1人の少女が現出する。

 少年の髪色と同じ白い鎧を纏い、手には大槌を持った少女──≪教導の聖女エクレシア≫。

 

(……【ドラグマ】? 聞いたことがないカテゴリだ)

 

 対峙する玄人は初見のカードに警戒するように目を細める。

 何度か戦った相手や、世間的に広く知れ渡っているカードであれば対処は可能。

 だが初見のカードとなれば、どんな効果を有しているのか不明なため、どう動くこうかと思考を巡らせようとする。

 

「≪エクレシア≫の効果発動。このカードが召喚・特殊召喚に成功した時、デッキから自身以外の【ドラグマ】カード1枚を手札に加える。オレはデッキから≪ドラグマ・エンカウンター≫を選択」

(ふーん、サーチャーか)

 

 しかし、思考を巡らせるまでもなく効果が判明。

 カテゴリのカードによく見られるサーチカードであることに玄人は僅かばかりの安堵、そして警戒を強める。

 

(カテゴリの''モンスター''じゃなくて''カード''ということは、並のサーチャーよりも範囲が広い。手札に加えたのは罠カード──ということはキーカードの1枚だろう)

 

 怒りと勢いでデュエルに誘った当人ではあるが、その脳内は至って冷静。

 例え醜態を晒そうがプロ決闘者、デュエルには真摯に向き合う。

 

「リバースカードを2枚セット。オレはこれでターンエンドだ」

「ふむ……ボクのターン、ドロー」

 

 比較的静かな立ち上がりの先攻ターンに玄人は冷静に少年の方を見る。

 モンスターは攻撃力1500の≪エクレシア≫が1体。

 魔法・罠ゾーンにはリバースカードが2枚。

 手札は3枚、ライフポイントは増減なしの4000のまま。

 

 先攻手としては定石。

 まぁ悪くない手ではあるだろうと思いつつ、手札のカード3枚(・・)に指をかける。

 

「手札の≪堕天使アムドゥシアス≫と≪堕天使ゼラート≫を捨て、≪堕天使マスティマ≫を特殊召喚ッ!! このカードは手札の【堕天使】カード2枚を捨てることで手札から特殊召喚できる!」

「──っ、いきなり最上級モンスターか……!」

 

 玄人は一瞬にして手札の半分を使い、最上級モンスターを呼び出す。

 緋色の光輪を頭上に輝かせ、白磁の翼と体躯を持った天使──のようで違う。

 頭には捻じれ曲がった角、顔は獣の如き闘志を震わせている悪魔、≪堕天使マスティマ≫が玄人の場に現れる。

 

「これだけじゃないよ! 手札から魔法カード≪堕天使の戒壇≫を発動! 墓地の【堕天使】1体を守備表示で特殊召喚する! さぁ蘇れ≪堕天使アムドゥシアス≫!」

「2体目か……!」

 

 次いで魔法カードで場に【堕天使】を増やす。

 守備表示と言えど上級モンスター、そのプレッシャーは少年の場の≪エクレシア≫は比肩すらできない。

 

「ボクはライフを1000ポイント支払い、墓地の≪堕天使の戒壇≫を対象に場の≪アムドゥシアス≫の効果発動! 墓地の【堕天使】魔法・罠カードの効果を適用できる! よって、墓地の≪堕天使ゼラート≫も守備表示で特殊召喚だ!」

「3体目……!」

 

 さらに増える【堕天使】。

 巨躯の≪マスティマ≫。

 黒衣の≪ゼラート≫。

 一角馬の≪アムドゥシアス≫。

 全てが上級モンスターということもあり、それらが放つ存在感の圧は尋常ではない。

 少年も3体の【堕天使】を前に薄らと冷や汗が流れ、緊迫した面持ちで玄人を見やる。

 

「≪アムドゥシアス≫の効果で選択された≪堕天使の戒壇≫はデッキに戻る──ふふ、驚くのはまだ早いよ? ボクは≪アムドゥシアス≫と≪ゼラート≫の2体をリリースッ!!」

 

 そんな少年とは対照的に玄人の顔は余裕のそれ。

 場の守備表示の2体をどかし、残る2枚の手札の内の1枚に指をかける。

 そして頭上高く掲げたかと思えば、そのカードを勢いよくデュエルディスクへ叩きつけた。

 

「十二の翼を持つ堕天使の王よ! 今ここにその力を解き放て! アドバンス召喚ッ!! 現れよ──≪堕天使ルシフェル≫ッ!!」

 

 2体の堕天使が地に沈み、それと同時に暗礁色の魔法陣が出現。

 魔法陣からゆっくりと浮上するモノが少年の黄色の瞳に映る。

 先ずは【堕天使】達と同じ緋色の光輪。

 次に黒い翼。

 そしてその次に──麗人と評するような、整った顔立ちの男性。

 十二の黒翼を背に、黒い鎧、黒い剣を携えるその姿は神話世界のモノそのもの。

 先ほどまでの【堕天使】達の圧が可愛らしいと思えるほどの、圧倒的かつ重厚な威圧感。

 

 その御身を見るなり、少年は無意識下で息を飲む。

 今姿を現したモンスター──≪堕天使ルシフェル≫こそが、玄人の絶対的なエースであると、直感した。

 

「≪ルシフェル≫のモンスター効果発動! このカードがアドバンス召喚に成功した場合、相手の場の効果モンスターの数まで手札・デッキから【堕天使】を特殊召喚できる! 君の場には≪エクレシア≫が1体居るため、ボクはデッキから≪堕天使ネルガル≫を特殊召喚ッ!!」

「──っ、今度は攻撃可能な最上級モンスターが3体か……!!」

 

 そしてその効果も''王''と呼称するに相応しい。

 デッキから配下となる【堕天使】──黒剣を握る堕天使≪堕天使ネルガル≫が王である≪ルシフェル≫の声に呼応する。

 先ほどまでの3体中2体が守備表示ではなく、3体ともが攻撃表示。

 しかも全てが攻撃力2500を超えている最上級モンスターに相応しい力を有しており、その絶対的な存在感は常人であれば竦むほど。

 

(……まだ、諦めて──いえ、あの目は……)

 

 兄である玄人のデュエル。

 その必勝パターンのこの状況を幾度も目にした天音からすれば、もう勝負は決まってしまったと感じた。

 

 だが、その兄と対峙する少年の目に絶望の色は見えない。

 むしろ、兄の敷いた布陣に感動や感心さえ覚えているかのように──言わば、楽しんでいるかのような眼差しだ。

 玄人を前にしてそんな目をした人物を、天音はかの『女帝』や『竜姫』といった最上位(トップランカー)以外に知り得ない。

 まさか、と思っているところで玄人がデュエルディスクへ指を伸ばす。

 

「≪ルシフェル≫のもう1つの効果発動! 自分場の【堕天使】モンスターの数だけデッキトップを墓地に送り、その中の【堕天使】カードの数×500ポイント、ボクのライフを回復する! ボクの場には3体の【堕天使】が居るため、3枚を墓地に送るッ!」

 

 玄人は慣れた手つきでデッキトップから必要枚数分のカードをめくり、一瞥。

 顔に喜色が見えた、かと思えば一瞬だけしかめっ面に。

 即座に余裕のある笑みになり、玄人は3枚のカードを少年へかざす。

 

「墓地に送られたカードは≪堕天使イシュタム≫、≪堕天使降臨≫──そして≪死者蘇生≫だ。【堕天使】カードは2枚だからボクのライフは1000ポイント回復する」

「実質、先の≪アムドゥシアス≫の発動コストは帳消しか」

「そういうことさ」

 

 フフン、鼻を鳴らして玄人は改めて3枚のカードを墓地へ送る。

 だが天音は玄人が一瞬だけ見せたしかめっ面に、あぁと察しがつく。

 

(本当は≪堕天使の戒壇≫と≪堕天使の追放≫が墓地に欲しかったんですね兄さん。場の≪マスティマ≫と≪ネルガル≫でそれぞれコピーし、墓地の≪ゼラート≫を蘇生して手札コストを確保。一掃してからの総攻撃が理想みたいでしたが……今の自棄になっている兄さんにデッキは応えませんよ)

 

 あくまでも冷静に。

 長年、それこそ生まれて物心ついた時からの付き合いだからこそ分かる、兄の狙い。

 例え半分の4000ポイントであるハーフライフでも、8000のフルライフでも相手のライフを確実に抉り取るコンボが決まらなかった。

 無論、本来の正常な状態であれば決められただろうが、今の玄人は半ば暴走状態(シスコン狂い)

 デッキのカードが狂った決闘者に力を貸すハズがなく、最低限回っているのは義理のようなものだと天音は確信していたのだ。

 

(あと心配性な兄さんのことですから──手札には破壊身代わりの≪堕天使テスカトリポカ≫。あのカードを捨ててまで攻め込むほど、無鉄砲ではないですからね)

 

 そして天音の予想も的中している。

 玄人の手札最後の1枚は、手札から捨てて場の【堕天使】の身代わりになることができる≪堕天使テスカトリポカ≫。

 万が一の、相手が効果破壊や高攻撃力での戦闘破壊を狙った場合の保険として握っているのだ。

 

「さて──それじゃあそろそろバトルといこうか! ボクは≪マスティマ≫で≪エクレシア≫に攻撃ッ!!」

 

 それ故、玄人は相手にリバースカードがあろうと気兼ねなく攻撃宣言できる。

 例え全体破壊のカードだろうが、単体破壊、攻撃力を上昇させたり、逆に自軍の攻撃力を下げられても対処できるという自負がある。

 当然、そんな玄人の戦術は間違ってはいない。

 

 ≪マスティマ≫がその巨躯に見合った突進を≪エクレシア≫目がけて敢行。

 容姿だけなら少女とも呼べる≪エクレシア≫は迫り来る巨体に身体と顔が強張り、ぎゅっと大槌を握る手に力が入る。

 攻撃力2600と攻撃力1500、数値差で言えば1100もあり、≪エクレシア≫は呆気なく破壊されるだろう──

 

「罠カード≪攻撃の無敵化≫を発動。このバトルフェイズ、≪エクレシア≫は戦闘と効果では破壊されない」

「……えっ?」

(──っ、そちらの効果……!?)

 

 ──そう、天崎兄妹は思っていた。

 しかし、寸でのところで少年の2枚あるリバースカードの内の1枚が表に。

 それが露になったところで1つ目の驚愕。

 そして現況ではありえない選択をしたことに2つ目の驚愕。

 

「何だってっ!?」

 

 玄人の声が発すると同じく、≪エクレシア≫を覆うように半透明の半円が出現。

 ≪マスティマ≫の突進をその半円が遮り、受けきれない衝撃波が直接少年の身を襲う。

 

「ぐっ──」

「何故≪攻撃の無敵化≫の戦闘ダメージを0にする効果を使わないんだい!? いくらボクの堕天使達の総攻撃を受けてライフが残るにしても、ロウソクの火ほどのライフしか残らないよ!?」

「──今は、これがオレにとって最善の手だ。それにライフ0にならなければ負けではない」

 

 衝撃に耐えながら話す少年に玄人は呆気に取られる。

 確かに少年の言に間違いはないが、それでも残るライフは僅かだ。

 それを『0にならなければ負けではない』という、豪胆な答えに天崎兄妹の目が見開く。

 

「──面白い子だ……! なら、ボクは続けて≪ネルガル≫、≪ルシフェル≫の順で≪エクレシア≫に攻撃ッ!!」

「≪攻撃の無敵化≫の効果で、≪エクレシア≫は破壊されない……!」

 

 ≪マスティマ≫の突進、次いで≪ネルガル≫の剣戟。

 最後に≪ルシフェル≫の剣閃と、最上級モンスター3体の攻撃が≪エクレシア≫──から≪攻撃の無敵化≫で超過したダメージが少年を襲う。

 ≪エクレシア≫の攻撃力は1500。

 ≪マスティマ≫の攻撃力は2600。

 ≪ネルガル≫の攻撃力は2800。

 ≪ルシフェル≫の攻撃力は3000。

 それぞれの超過1100、1300、1500と少年のライフは削られていき、4000あったライフポイントは残り僅か100。

 

「さて、その選択が正しかったのかどうか、次のターンで証明できるかな? ボクはこれでターンエンドだ」

 

 総攻撃終了後、玄人はターンを終える。

 玄人の場には≪マスティマ≫、≪ネルガル≫、≪ルシフェル≫という3体の最上級堕天使が存在。

 リバースカードこそ存在しないが、唯一の手札には破壊身代わりの≪テスカトリポカ≫。

 質と量の両方で圧倒している布陣だ。

 

 また、仮に戦闘破壊耐性を持つ守備モンスターを出したとしても守備貫通効果を付与する≪ネルガル≫が居るため、守勢に回ることは許されない。

 それどころか≪ルシフェル≫の効果で墓地の【堕天使】が増えれば、除去はおろか物量でもさらに圧倒される恐れがある。

 まさしく絶体絶命に等しい状況だ。

 この状況からの逆転は不可能ではないが、難しいだろう。

 そう、玄人は思っている。

 

(──おそらく、あのリバースカード……)

 

 そしてそんな中で天音は観戦者として思考。

 最初のターンで少年がデッキから手札に加えた罠カードが使われなかったことで、召喚・効果の妨害系、戦闘補助等の類ではないことを予見。

 ならば残る効果としては展開系──何か、条件付きの、とまでは考えた。

 だがそれを玄人のターンで使わなかったため、自分ターンが条件か──はたまた未だその条件を満たしていなかったのか。

 天音の視線は自ずと少年の方に向けられ、その一挙一動に注目する。

 

(──ふぅー)

 

 当の少年はと言えば、天崎兄妹の視線など歯牙にもかけず、心の中でゆっくりと深呼吸。

 状況は不利だが、最悪ではない。

 デッキに眠っている唯1枚のカードさえ引ければ、そして相手が手札から何かしなければ勝てるという自信も自負もある。

 

(──来い)

 

 少年はゆっくりとデッキトップのカードに指を置く。

 負けたくないという気持ちは誰しも持っている。

 ただ少年は心底から──何かに抗う、ないしは何かに怯える、もしくは何かに打ち勝つため。

 強い意志を胸の内、そしてデッキトップにかける指に込め──

 

「オレのターン──ドローッ!」

 

 ──一閃が如くカードを引く。

 まるでスローモーションの世界に入ったように、少年はドローカードをゆっくり顔の前に持っていく。

 引いたカードは──モンスターカード。

 それも少年が待ち望み、かつ少年のデッキにおける、最強のカード。

 

「リバースカードオープン! 罠カード≪ドラグマ・エンカウンター≫!」

((来た……っ!!))

 

 そして少年が前のターンで手札に加えたカードを発動するなり、天崎兄妹は注視。

 妨害でも戦闘補助でもないカードとすれば、その効果はおそらく展開系。

 そう、思っていたが──違和感。

 

 カードイラストの右半分には少年の場の≪エクレシア≫が描かれているが、左半分はまるで(もや)がかかっているかのようにぼやけている。

 さらにテキスト欄も一部が文字化けの如く意味不明な言語になっており、カードの全容が掴めない。

 何だあのカードは、と思う間もなく少年はプレイングを続行。

 

「このカードは手札から【ドラグマ】モンスター──を特殊召喚するか、墓地の【ドラグマ】モンスター──を手札に加えるか、特殊召喚するッ! オレは手札から、この【ドラグマ】モンスターを特殊召喚する!」

 

 少年はたった今ドローしたカード。

 そのカードに信頼の眼差しを一瞬だけ向け、勢いよくデュエルディスクへ。

 

「現れろッ! ≪教導の騎士フルルドリス≫ッ!!」

 

 直後、少年の背後に金色の魔法陣が垂直に浮かび上がる。

 そしてその魔法陣から真っ先に現出したのは──剣。

 切っ先が突き破るかのように現れ、それが矢のように飛ぶ。

 剣を振るって戦場に降り立つは騎士。

 白銀の鎧を纏い、右手に握るは大剣。

 左手にラウンドシールドを携え、背には金糸の刺繍が施されたマント。

 王道を往く、騎士然としたモンスター──≪教導の騎士フルルドリス≫が少年の眼前に降り立った。

 

「──っ、なるほど、それが君のエースモンスターか……! けどその攻撃力じゃボクの【堕天使】全てに劣っているよ」

 

 ≪フルルドリス≫の姿、そしてステータスを見るなり玄人はそう呟いた。

 レベル8にして攻撃力2500と、標準的な最上級モンスターとしてのステータスは所持。

 だが攻撃力は玄人の場のモンスター全てに劣っている。

 ならばあとは如何なる効果を持っているのかと、期待半分不安半分といった面持ちで少年へ視線を移す。

 

「劣っているなら、上げてやればいい。オレは手札から装備魔法──3枚全てを、≪フルルドリス≫に装備!」

「なっ──」

 

 言うと同時に少年は残った3枚の手札全てをデュエルディスクに挿し込む。

 中空に仮想立体映像(ソリッド・ビジョン)で3枚のカードが映し出され、その詳細が表示される。

 1枚目──≪魔導師の力≫。自分場の魔法・罠カードの数×500ポイント攻撃力・守備力をアップ。

 2枚目──≪ファイティング・スピリッツ≫。相手場のモンスターの数×300ポイント攻撃力をアップ。

 3枚目──≪団結の力≫。自分場のモンスターの数×800ポイント攻撃力・守備力をアップ。

 

 3枚の装備魔法によって≪フルルドリス≫の攻撃力は劇的に上昇。

 最初に≪魔導師の力≫で1500アップし攻撃力は4000。

 次いで≪ファイティング・スピリッツ≫で900アップし攻撃力は4900。

 最後に≪団結の力≫で1600アップし、その攻撃力は──6500にまで至る。

 

(攻撃力──6500ぅ!? いや、あの攻撃力ならボクの場で一番攻撃力が低い≪マスティマ≫をやられてもダメージは3900止まりっ! このターンでは決めきれないッ!!)

 

 友人の『女帝』には及ばないが、強化に強化を施されたステータスに目を見開く玄人。

 だが瞬時に数値差分のダメージを計算し、致命傷ではあるもののライフポイントが0にはならないことに安堵。

 また、手札には≪テスカトリポカ≫が居る。

 例えどの【堕天使】を攻撃されても生き残り、次のターンで≪エクレシア≫を攻撃すれば勝利は確定するのだ。

 

「バトルッ! ≪フルルドリス≫で≪ルシフェル≫に攻撃ッ!!」

(勝った──ッ!!)

 

 そして≪フルルドリス≫の攻撃宣言が行われたことで玄人は勝利を確信。

 ダメージこそ負うが、≪テスカトリポカ≫で破壊を免れれば問題ない。

 この数値差ならライフは残る。

 そう確信していた──

 

「攻撃宣言時、≪フルルドリス≫の効果発動ッ! 自軍【ドラグマ】モンスターの攻撃宣言時、自軍の【ドラグマ】モンスターの攻撃力は500アップするッ!」

「なっ──ッ!?」

 

 普段の玄人であれば『たかが500程度』と思っていただろう。

 だが、今の≪フルルドリス≫の攻撃力は6500。

 対して≪ルシフェル≫の攻撃力は3000。

 その差は3500──これに、500が上乗せされればどうなるか?

 答えは明白。

 

「行け≪フルルドリス≫ッ!! ドラグメント・セイバーッ!!」

「くっ──ぐぅううううううぅぅっ!!」

 

 攻撃力7000となった≪フルルドリス≫に攻撃力3000の≪ルシフェル≫が抗える術はない。

 例え玄人の手札にある≪テスカトリポカ≫で≪ルシフェル≫は守れても──その前に玄人のライフが尽きる。

 ハーフライフの4000ポイント丁度、その分のダメージが玄人を襲う。

 一瞬にしてライフポイントは4000から急降下し、2秒と経たずに0を告げた──

 

 

 

「ボクが……負けた……?」

 

 ──デュエル終了直後、玄人は膝から崩れ落ちた。

 両手は伸ばしたまま地に付け、項垂れたまま動くことがない。

 上位(ハイランカー)はおろか、プロ決闘者ですらない人間に負けたのだ。

 そのショックは推し量れるものではない。

 

「……大丈夫か?」

「問題ありません。むしろ兄さんには良い薬です」

 

 当の少年としては玄人の事情など全くわからず、デュエル中に怪我でもさせてしまったのかと歩み寄ろうとする。

 だがそれを寸前のところで天音が手で制止、両者の間に立つ。

 そして玄人に背を向け、少年と向き合う形に。

 

「良いデュエルでした。≪攻撃の無敵化≫で≪エクレシア≫を守ったのは、ラストターンの≪団結の力≫に繋げるためだったんですね」

「アレしか勝てる方法がなかった。予め≪エクレシア≫に装備魔法を付ける手もあったが、手短に倒すにはアレしかないと思った」

「……もしかして最初からワンショットキル狙いでしたか?」

「あぁ、彼が『手短にパパッと』と言っていたから、そうしたんだが──間違っていただろうか?」

「間違い──ではありませんが……」

 

 少年の言葉に天音は苦笑いを浮かべる。

 いくらLP4000(ハーフライフ)とは言え、上位(ハイランカー)に3ターン目でワンショットキルを決めた。

 最上位(トップランカー)ならいざ知らず、それを自分と同世代(と思われる)少年がやったのだから驚愕だ。

 

「ちょっと答えに困るというか……あなたに──あっ、そういえば」

 

 ポン、と両手を胸の前で合わせて天音は思い出したような表情に。

 コホン、と軽く咳払いし、改めて少年の顔を真っ直ぐに見据え、柔和な笑みを見せる。

 

「今更ですが、自己紹介がまだでしたね。私は養成所2組の天崎天音(あまさき あまね)と言います」

「あぁ、そういえば」

 

 聖母の如き笑みを見せた天音に何の感情も抱かないのか、少年は単に天音の言葉に釣られるように同じく手をポンと叩く。

 既に出会ってお昼を食べてデュエルまでしていたというのに、名前すら知らないのはおかしいと天音は思い──

 

「オレは……ん?」

 

 ──当然、少年もそう思った。

 

「どうかしましたか?」

「いや……うーん……」

 

 だが、少年からの返答は唸り声。

 自己紹介しただけなのに、何かあったのだろうかと天音が不思議に思っていると──

 

 

 

 

 

「そういえば、オレは誰なんだろうか」

「……えっ?」

 

 ──予想だにしない返答。

 少年の言葉に、天音はただキョトンと。

 藍色の大きな瞳をパチクリさせるしかできなかった。





お読み頂きありがとうございました。
本作は私作「遊戯王 プロフェッショナル・オーディナリー(作品ID:231502)」と同じ世界観で制作しております。
時系列的にはこちらが先、「オーディナリー(日常)」の方が後日談(おおよそ1~2年後)です。
興味がありましたら「オーディナリー」の方も読んで頂ければ幸いです。



次回「02:編入試験」

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。