リッチはエディを背負いながら鎮守府へ向かっていた。もう日は沈み、灯台の明かりだけが海を照らす。
「今日は疲れたよ・・・」
「エディは連戦だったからね。はい、これ」
リッチはポケットからチョコを出した。
「わーい。ありがとう」
エディはチョコをひとかけらだけ食べて、リッチに食べさせようとする。
「僕はいいよ。エディが食べて」
エディは後で食べようと思い、ポケットにしまった。
「初霜ちゃんは大丈夫かな?」
「きっと助かるよ」
「みんな、褒めてくれるかな」
「これだけやったんだから。これからはもっといろんなところに行けるだろうね」
エディはリッチと取り留めのない会話をする。自分だけ眠ってしまうのが嫌なのか、リッチを一人にしたくないからか、或いは・・・
「ねぇ、エディ。話したいことだけど・・・」
リッチがそう切り出した時には、エディは睡魔に負けて眠ってしまっていた。
「ごめんね、エディ」
姉さんを睡眠薬入りのチョコで眠らせた後、僕は進路を南に変えて、指定された座標へ向かった。姉さんにこんなことをしたのは胸が痛むが、これは姉さんを守るためだから仕方ない。これは僕が抱えなければならない任務だ。
前方に目的の船を見つける。発光信号を送ると、向こうも返してきた。すべて手筈道理だ。今日まで僕を苦しめた呪縛の象徴。いっそ沈めてしまえばこの任務からも解放されると思ったこともあったが、失敗してエディに大怪我をさせてしまった。何度も人目を盗んで無線通信をしなければならないせいで、姉さんと僕の時間が無くなったのは大きな苦痛だ。謹慎をくらって、火事場泥棒をしろと言われた時は肝を冷やしたが、僕が堂々と目的の物を確保できたのは天の助けだろうか。
「姉さん、これで終わるんだ。もう嘘をつくことも、後ろめたさで悪夢に悩まされることもない。今日ここで僕は勝ち取る。本当の心で、姉さんと・・・」
僕は艦尾灯に照らされた星条旗を忌々しげに見つめた。あの旗を見て思い出すのは、腹立たしい事ばかりだ。強いものが奪い、弱者は搾取される強盗の正義。それを堂々と公言する船長も嫌いだった。だが、そのおかげで今自分はこうして勝利を手に入れようとしているのだから、あの男に感謝してやってもいいと思った。そんな奴らとの関係もここで終わる。大姉さんは別だが、あんな最低な国には何の未練もない。これが終われば、もう彼らに協力しないと約束した。
僕は甲板からつりさげられた縄梯子に手をかけ、登る。明日から。いや、鎮守府に帰ったらすぐ、姉さんに僕の本当の心を伝えよう。新しい自分として生きていくのだ。そう思うと、姉さんを背負っていても足取りは軽かった。
あと二段、一段、梯子を上り切り、僕は達成感に包まれて船室へ向かって歩こうとした。その時、突然探知灯が光って僕を照らした。目が眩んだ一瞬のうちに、僕に無数の銃口が突き付けられた。僕は例の物を捨ててエディを庇う。
「もうあきらめろ、お前の負けだ」
船室から声が聞こえ、出てきたのは山岸少佐だった。
山岸はエドワーズが落とした魚雷発射管を見て、夕張に指示して取ってこさせた。夕張は慣れた手つきで発射管から酸素魚雷を取り出した。
「ああ、やはり狙いはこれでしたか」
「何がどうなっているんだ。どうしてこんなことに」
リッチは気が動転していた。山岸は夕張に促して、状況を話させた。
「事が露呈したのは今日の14時30分。大潮が偶然発見した負傷者よ」
五十鈴に肩を貸されて、黒と金の髪の少女がぼろぼろの姿で出てきた。
「すまねぇ・・・リーチャ・・・行きに何もなくて油断してたら・・・しょ、触雷しちまった」
触雷という言葉に何かトラウマがあるのか、妙にそこだけ声が震えていたように聞こえた。それもそのはずだ、彼女は・・・
「ドッグタグから彼女はSS-218アルバコアだということが分かったの。取り調べの結果、あなたたちの行動が露呈したということよ」
五十鈴が説明する。こうしている間にも憲兵隊に連れられて、船内から船員と武器が運び出されていた。
「アルバコアが艤装以外に音響装置を装備していた。データ解析の結果、我が国でも研究されている深海棲艦を引き付ける音声と、ソナー欺瞞用音声が収録されていたわ」
「君はペリー船長・・・いや、CIAのペリー大佐の指揮のもと、横須賀鎮守府に潜入し、諸々のスパイ行為を行った。主には酸素魚雷の現品・あるいは設計図の入手。君のタブレットを調べたから証拠はすでに挙がっている。次に島風を哨戒区域外におびき出して暗殺しようとした。この船の通信記録と尋問結果からこれも確定している。そして、潜水艦の領海侵犯の手引きをして、酸素魚雷を横領、ここで引き渡して帰国する。違うか?」
山岸は言った。リッチは黙ったままだ。
「おい!何とかいえよ!お前らのせいで何人死んだと思ってる?」
天龍が我慢できずに怒鳴る。今日の戦いでは幸い民間人の死傷者は出なかったが、浮遊要塞と砲撃戦となった陸軍に少なからぬ損害が出た。
「だからなんなの・・・」
「なっ・・・」
リッチが突然口火を切る。
「僕は僕の目的のために行動しただけだ。エディの、姉さんの夢を守るために。僕は任務もお前らもどうなったって構わない。僕は姉さんのために闘ってきたんだ・・・」
リッチは自棄になって語り続ける。
「艦娘は船の記憶と素体の性格が融合して人格を作る。だけどこの素体の中には何もなかった。余計な癖がついてないおかげで初期訓練はうまくいったよ。CIAからも声がかかった。でも、誰も相手にしてくれなかった。戦場の冷たい錆びついた記憶はあっても、人の心のない僕を愛してくれる人なんていなかった。命令で汚い仕事をやらされた。けれど僕には達成する喜びも、後ろめたさすらも感じることができなかった。無感動な僕は、次第に熱意と努力を知っている他の艦娘たちに追い抜かれていった。そんな時に出会ったのが姉さんだった。僕にはない綺麗な髪と瞳、優しい声、何もなかった僕を包み込んで、満たしてくれた。僕の心を作ってくれた。僕の女神様。決して汚せない。純白の・・・」
リッチはエディの賛美を滔々と語った。木曽が耐えられずに叫ぶ。
「お前はその考えを、今してることをエドワーズに言えるのか、そんなことをエドワーズが拒まないとでも思っているのか?」
「姉さんはそんなことしない!僕を拒絶するようなことなんて絶対言わない!!・・・だから、姉さんには明かせない。姉さんは僕をきっと受け入れるんだ、受け入れてしまう。僕の綺麗な姉さんが汚れてしまう。姉さんが僕より深い闇の向こうに連れてかれてしまう。だから一人でやると決めたんだ。姉さんを守るために・・・」
エディをひたすら強く抱きしめる。まるでお気に入りのぼろ人形を捨てようとしない子供のようであった。
「僕だってこんなことしたくない・・・でも、派遣自体がスパイ目的だったから、姉さんの夢を壊さないためには、こうするしかなかったんだ。今日の任務が終われば、CIAも二度と僕に関わらないって約束させたんだ!なのに、なんで僕は幸せになっちゃいけないんだ。国だとか任務だとか、深海棲艦とか人類とか敵とか味方とか、僕にはどうだっていいんだよ。僕はただ、冷たい鉄の塊でしかなかった僕に、温かい命をくれたエディがいれば、それで・・・」
リッチはエディを抱えたまま、足の力を抜いて膝を地に折る。そして砲塔を操作して、自分とエディに向けた。
「馬鹿な真似はよせ!」
山岸が叫ぶ。軽巡たちが抑えようと駆け出す。
「ずっと一緒にいよう。エディ」
リッチは引き金に指を掛けた。
「くそぉ!」
木曽と天龍と神通はエディに向けられた背面砲塔を狙い、間一髪で砲塔を壊した。だが、リッチは自分の頭に突き付けた3番砲塔の引き金を引いた。
パァン!
乾いた銃声が響き、リチャードが崩れ落ちると同時に甲板に薬莢が落ちた。