僕は人間だった頃の記憶が無い。この体になって初めて見たものは、母親の慈愛に満ちた目ではなく、手術室の眩しいライトと機械的に見下ろす研究者たちの視線だった。その次にあるのは命令のままに人殺しをさせられた記憶だ。
自我も感情も持たない『人の形をした兵器』だった僕が人間になれたのは、エディと出会ったからだ。驚きも、喜びも、温もりも、彼女が与えてくれた。彼女は僕にとって、姉で、母親で、恋人なのだ。他は何もいらない。当初の計画から大きく外れることにはなったものの、僕は姉さんと一つになることに成功した。信用出来ない司令官や手の掛かる生徒のせいで大変な目にあっているが、おかげでエディと2人で過ごす時間が多く取れてエディとの関係も深まってきている。
「・・・そのはずだったのに」
僕は一人鎮守府のキッチンで珈琲を飲みながら愚痴る。今日は装備の一斉メンテナンスで、姉さんとハミルトンは見学に、その他は皆遊びに行ってしまった。僕も姉さんについて行くつもりだったが、「リッチは働きっぱなしだからたまには休んで」と言われてしまった。
「僕は姉さんと一緒にいるのが楽しいのに・・・どうしてあんな男なんかと」
つい最近まで姉さんと司令官の仲は悪かった。味方の居ない状況で監視を逃れるため、僕達は弾薬庫で隠れて仕事をするようにしていた。ところが深雪の脱走事件以降、司令官を見直したのか姉さんと司令官の関係が親密になってしまった。浦風を警戒する意味もあるが、姉さんは司令官にひっつくようになり、二人きりになる時間が10分も減ってしまった!
「・・・暇だな」
記憶もなく、姉さんに出会うまで無機質な兵器として扱われていた僕は、女の子らしい趣味とは無縁だ。そういったものは全て姉さんが与えてくれたし、それさえあれば僕は満足なのだ。とはいえこの退屈は耐え難い。僕は新聞を開き、映画館の上映情報を確認した。
「『弩ジラvsり陸奥たか』?・・・なにか引っかかるな。行ってみるか」
僕は戸締まりをして鎮守府の門を出た。青空の広がる市街地を一人歩く。学校に居た頃は歴史の勉強がてらよく映画を見せられた。休日は『原隊の』56水雷戦隊のメンバーで一緒に映画館に行くこともあった。
「ニューコムとグラントは元気にしてるだろうか?」
アメリカに残した姉妹たちを思い出しつつ、赤信号を待っていると、反対車線に見慣れた白い少女が歩いてくるのを見つけた。
「Верныйか・・・こんな時に」
Верный、僕にとってのもう一つの悩みの種である。ロシア被れのこの女は、僕と姉さんを嗅ぎまわっているらしく、僕達の秘密の部屋を突き止めて張りこんだ挙句、深雪の事件の後は当然のごとく居座るようになった。経験豊富で協力的な姿勢を示しているが所詮はコミュニストだ。何か見返りを求められるに違いないし、何より姉さんとの2人きりの時間を邪魔されるのが気に食わない。
(まだ帰る様子もなさそうだし、少し後をつけてみよう・・・)
何か弱点が見つかるかもしれない。そう思い、車道を挟んで彼女を観察する。道路は人通りがまばらで、時折車が通るだけだ。つなぎを着た男たちがВерныйの向かいの路地から現れ、大型のトレーラーが通り過ぎる。トレーラーが通りすぎた後、つなぎを着た男達とВерныйの姿が消えていた。いや、建物の間の路地へ彼女を連れ込もうとしている。
「くそっ・・・」
艦娘と知っての誘拐か、はたまたただの暴行目的か・・・男たちの確保を考えなければ自分一人でも助けられるだろう。人を呼ぶ事も考えたが、彼女が暴行される姿が頭によぎる。
(だめだ!助けよう)
考えるより先に体が動く。大急ぎで車道を横切ると、路地裏に飛び込んだ。
「!?〇〇✕!」
僕に気づいた男の一人が中国語でなにか叫ぶ。それに応じた別の男が僕を捕まえようと襲いかかった。男の振り下ろした腕を避けると、勢い余ったそいつの急所を蹴飛ばしてやる。
只者ではないと気づいたのか、さらに別の男が道具箱から何かを取り出そうとした。サイレンサーのついた小型の機関拳銃だ。
「遅い!」
僕は機関拳銃を取り出そうともたついている男の腕を掴み、体を捻って男の頭に回し蹴りを入れて吹き飛ばす。これを見て驚いたのか、Верныйを拘束していた男が何か喚きながら拳銃を向けてきた。すぐに拳銃を掴んで、安全装置をかけてやる。引き金を引いても弾が出ないことに動揺した男から拳銃を奪い、ストックで殴り付けて気絶させた。
「走って!」
Верныйの手をとって走る。短機関銃を持った男がロシア語でなにか叫んで立ち上がろうとしたのを拳銃で牽制し、裏路地から出て一気に走りだす。
「どうしてここに?」
「それはこっちの台詞だ。大通りに行く。映画の上映時間が近いんだ!」
直線を避けて人の多い道と少ない道を交互に通り抜け、方角もわからないままひたすら走った。
「あと少しだ!」
映画館のある街の中心部の明かりが見え、僕たちはそこへ飛び出した。
「ハァハァ・・・助かったよ。だがどうやら、映画はもう始まっているみたいだね」
「Dam it・・・お前のせいだぞロシア人・・・」
「何やってんだお前ら?」
Верныйの皮肉に恨み言を行っていると背後から聞き覚えのある声がしてハッと振り返る。大柄のガッシリした男を従えた、僕と同じ金混じりの黒髪ロングヘア。僕が一番会いたくない女がそこに居た。
「よぉ、会いたかったぜ」
「僕は会いたくなかったよ・・・アルバコア」