私はBерныйが引き渡しになった経緯を調査している間に、ロシア情勢の変化に気づいた。具体的には、ここ数ヶ月以内にロシア国内で何らかの政変が起こった可能性が高いということだ。日本ではまだ発表されていないが、海外のニュースサイトで反革命分子として国外に亡命していたロシア革新党のニカノールが本国の求めで帰国する事が決まったというニュースを見かけた。他にも旧政府派の亡命軍人が次々帰国しているという噂が流れており、鎖国でまだ詳しい状況がわからないものの、反対者を徹底的に弾圧していた新ロシア政府から、大きく方向転換を図っている様子が伺えた。
徹夜でそこまで調べたところで、Bерныйが消えたという話を聞き、胸騒ぎを覚えた私は、おやじさんのことを思い出した。彼は以前Bерныйの危機を示唆するような事を言っていたし、昨日の接触でも彼はロシア語で警告を飛ばした。名前からしてロシア人であろうズボフと出身が同じでもあり、何か重要な事を知っているかもしれない。私は『わかさ』に飛び込んでいった。
「やぁ、おはよう。朝の紅茶はいかがかね?」
彼はいつもの陽気な表情で私を出迎えた。
「おやじさん、あなたは一体何者なんですか?あなたがズボフさんから預かった情報は、一体何なんですか?」
おやじさんは私を椅子に座らせると、自身はヘリの搭乗口に腰掛けた。
「ロシアで政変が起きていることは知っているかね?」
「はい、亡命していた旧政府関係者が次々帰国していると」
「そうだ、これはロシア側の新聞のコピーだ」
私がまさに欲していた情報がそこにあった。インターネットすら禁止され、厳しい言論統制下のロシアから新聞が流出することは滅多にない。内部統制があるとはいえ、ロシア本国からの資料は一級品の情報源だ。
「『闇の時代の終焉』。大した喜びようだね。今ロシアの中央は議会保守党のワルシャワフスキーが握っている」
「旧指導者が倒れたということでしょうか?」
「あぁ、間違いない。憲法委員会が組織され、目下政治犯の開放と残党狩りが行われているとも書いてあるから、指導部全体を追求する大規模なものに違いない。最高指導者には逃げられたようだがね」
真実だとすれば、ソ連崩壊以来の大事件となる。
「そういえば、最高指導者って誰なんですか?超国家主義政権はヴィクトル・ザカエフ以来大統領はずっと永久欠番で、指導者像が見えなかった事で知られています」
ロシアが長年鎖国を続けてきた理由の一つだ。超国家主義者達は、『ロシア人のためだけのロシアとを称して、国家元首である大統領は永久欠番、外務省も廃止されて、『外』に対する政治は軍のみ(戦争のみ)という異常な国家形態を取ってきた。これでは対外的な指導部の存在が曖昧になり、案件が起きても誰と交渉すればいいかわからなくなる。周辺国にロシアに対抗できる国はなく、対抗できる力を持つ列強は深海棲艦との戦いで圧力をかける余力がない。人権弾圧国家が今日まで放置されていた原因だ。
「これを話すと長くなる。良いかね?」
「はい」
おやじさんは深く息を吸うと、血塗られた狂気の歴史を話し始めた。
「2019年、世界は深海棲艦との戦争のまっただ中だった。ロシアも例外ではない。艦娘もまだ誕生しない中、本土を侵略された祖国は、軍民、国境を超えて団結して未知の脅威と戦っていた。そんな中、奴等は時代に逆行した卑劣なやり方で力を蓄えていた」
「第二次朝鮮戦争と第二次文化大革命ですか?」
「察しが良いね。革命の祖、そう言われているイムラン・ザカエフは、祖国ロシアが深海棲艦との戦いに備えて準備していた兵器を強奪して北朝鮮や中国軍部に売りつけ、騒乱を迫った。両国指導部が実行を渋ると、ザカエフは事故に見せかけて、両国国境にあった原子力発電所を破壊した。国際的な醜聞となる致命的な汚染を秘匿し、生存権を確保するため、両国は狂気の戦争を始めた」
満州地域の核汚染が未だに深刻なのはそれが理由か・・・北朝鮮軍の南下は極めて突発的で、軍隊に平行して民衆も同時に南下した大規模なものだったという。北朝鮮の戦争は、まさに生存をかけた総力戦だったのだ。
「戦争の利益が、革命の資金源だったと?」
「そうだ。ところが、西側の行動は思ったより早かった。当初有利だった紅衛兵や北朝鮮軍は西側の工作によって分断され、力を盛り返した韓国軍や中国政府の統制派は、敵の立てこもる北京や平壌を包囲した」
「そこで、核爆発が起きたと」
「あぁ、ザカエフからすれば、真実を知る北朝鮮指導部や紅衛兵の口を封じたかったんだろう。とはいえ、『狂気の核自爆』によって超国家主義者の介入の証拠は消え、そもそもの汚染の原因たる原発事故も隠蔽された。あとに残ったのは渤海周辺を覆う草木の生えない大地だけだった。無人地帯に深海棲艦が住み着くことまで想定していたかはわからないがね」
2024年、汚染で放棄された旅順で深海棲艦の拠点が発見され、日本海事変が発生する。この戦いで、初期の艦娘が投入され、その後の列強諸国のドクトリンを大きく塗り替えることとなる。
「ザカエフは二国から押収した核兵器や、原発の核燃料をまるごと手に入れた。何らかの方法でそれらは売却され、天文学的な資金を手に入れたザカエフは、深海棲艦戦争で大きな打撃を受けた祖国に悠々と帰還した。一部の敏い人々は、戦時下に祖国に何も還元せず死の商売を行っていたこの男を疑ったが、多くの国民は奴の甘言に惑わされ、奴を救世主と呼ぶまでになっていた。軟弱な旧政府より、声のでかいザカエフとね」
民衆は社会が不安な時、たとえ品性や良識に欠けていても強い指導者を求めやすい。
「ザカエフら超国家主義のテログループと、政府から離反した軍人たちは手を結んで革命を起こした。イムラン・ザカエフは結局西側の特殊部隊によって暗殺された。しかし、一度火のついた革命を抑えることは出来ず、後を継いだ息子のヴィクトルが選挙で勝利して大統領になった」
「第3次ロシア革命ですか」
「あぁ、新ロシア連邦政府は表向きは革命の継承者であるヴィクトルの元で団結しているように見えた。しかし、スタグレイショフをはじめとする軍人たちと、インナーサークルを率いるマカロフなどの超国家主義者の深刻な権力争いが既に燻っていた。マカロフは革命が終わるとFBS長官の地位を手に入れたが、ヴィクトルは原発テロや2つの核の実行犯だったマカロフを恐れて軍に接近するようになった。身の危険を感じたマカロフは超国家主義者の会合でヴィクトルを暗殺すると、自らが大統領になると言って議会を解散させた。そこから大統領選挙までの120日は地獄だった。モスクワ市内では大統領候補が次々誘拐、暗殺され、市外では軍と超国家主義者の戦闘が民間人を巻き込んで行われた。結局、候補者は居なくなり、マカロフも出馬を取り下げた大統領選挙は有耶無耶になった。マカロフは大統領を永久欠番とし、自らはテログループのリーダーとして政府の外から恐怖で政治を行うようになった。政府内に影響力を持ちつつ、自らは中国の紛争ビジネスに専念できる体勢にね」
影の指導者であった巨悪マカロフも、ここに来てついに倒されたという事か。
「おやじさんは、何処まで関わっていたんですか?」
流石にこの質問にはおやじさんは答えるのを拒んだ。
「それは、私の身分保障に関わることだ・・・私の一存では答えられない」
「そうですか。私がここに来たのは、私の部下に、ロシア行きを控えていた子が居たからです」
「彼女か、彼女はまだ基地にいるか」
「いいえ、彼女は行ってしまいました・・・」
「なんだって!」
おやじさんの表情が変わった。普段の温厚な彼が、見たこともないぐらいに焦っているのが解った。
「どうしたんですか?」
「昨日ズボフから連絡があった。ウラジオストク近郊の収容所にマカロフが潜伏している。今こちらの傍受した通信記録と付きあわせていたところだ。奴は現地の基地司令とCIAとの裏取引に乗じて基地を奪回する手はずを整えていた。すぐに彼女を呼び戻すんだ!さもないと取り返しの付かないことになる」
想定しうる最悪の展開が、まさに起こりつつあった。