工作船トライデント号から飛び立った私達は、全速力で飛行しながらウラジオストクへ急行する。おやじさんはヘリを操縦しながら、副操縦席に座る私に彼の過去を語り始めた。
「地獄の120日が始まった時、私の部隊は同胞同士が殺し合う革命を嫌って中央から距離をおいていた。しかし軍の旗色が悪くなると、彼らは私を呼び出して、開発されたばかりの新型爆弾を旧政府派のいる市街地へ落とす命令を与えた。私は命令を拒み、その情報を旧政府派にリークして軍から脱走した。結局新型爆弾は私の所属する基地に投下され、私も追撃部隊に落とされた。故郷も戦闘機乗りとしての名誉も失って日本海に墜落した私を、当時の『わかさ』艦長であった狭川海軍参謀長は匿ってくださった。閣下は私にわかさの通信傍受システムを使った祖国の監視を命じた。今日この日、祖国に巣食う癌細胞が世界へ転移するのを止めるために」
おやじさんの操縦桿を握る手の力が強くなる。諸悪の根源たる超国家主義はロシアから排斥されようとしているが、彼らはなお祖国と世界に報復するため私達の仲間を利用しようとしている。
「連中が隠し持っていた核燃料の保管場所、それをようやく掴んだ。ウラジオストク近郊の強制収容所の地下に密かに保管している。マカロフはそれをウラジオストクに運び込むつもりだ。あそこにある潜水艦を使って、核兵器を世界に持ち出すためにな」
「一体奴等は何処に核兵器を売る気なのでしょうか?」
「解らない。今の混乱に乗じて世界の軍事バランスを変えたい国などいくらでもある。ましてテロリストに渡ろうものなら、最悪世界中で核テロが勃発することになる。そうなれば、世界は終わる。あるいは・・・」
おやじさんがさらなる懸念を言おうとしているとき、『わかさ』から通信が入った。
《こちら第3護衛艦群旗艦『わかさ』。すまない、支援は回せない》
「どういうことだ?」
《奥尻島付近を通過する深海棲艦の大艦隊を捉えた。大湊の部隊が対処しているが、支援が必要とのことだ》
「了解した。可能な限りの電子支援はしてくれ」
《善処する》
タイミングの悪い深海棲艦の到来に、おやじさんの表情が厳しくなる。確実に作戦を遂行するためにはウラジオストク周辺海域を封鎖する艦隊が不可欠であったが、このままではマカロフに逃げられる可能性がある。それ以前に、日本海に敵艦隊が現れたことに、日本艦達の動揺が大きかった。
「ちょっと待って、天皇の浴槽になんで敵艦隊がおんねん?昔ならともかく、ミサイル防衛システムがあるけえ、侵入できる筈ない」
浦風が言う。アルバコアも同意した。
「潜水艦なら可能だが、それ以外には無理だ。少なくとも日本側は」
ならどうやって?ロシア軍だって見逃さないはずだ・・・いや待て・・・
「ん?何だあれ?鳥か?」
深雪が窓の外を指差して言った。黒い点が群れをなして空中を飛んでいた。
「あれは・・・深海棲艦の艦載機部隊だ!」
深海棲艦の艦載機部隊編隊が私達に並走していた!ヘリのガンナーが機関砲を発射し、エディ達も艤装の対空火器を使って砲撃する。敵艦載機は砲撃を回避すること無く、そのまま私達を追い抜いていった。
「今の深海棲艦が来た方角って・・・まさか」
私達が向かっていた方角。それはつまりウラジオストクだ。
「間違いない、私達の目的地と同じ。どうやらマカロフは、人類すらも売り渡したようだ。先を急ごう」
おやじさんの操縦桿を握る手が軋んで、ヘリがさらに速度を上げて行く。帰りの燃料も考えないほど速く。
エディ達が深海棲艦に遭遇したのとほぼ同じ頃、諸悪の根源たるコードネーム『キングフィッシュ』ことマカロフは、司令塔の地下にある封印された部屋に側近たちと押し入っていた。機密と書かれた重い鉄の扉の向こうからは滑車の駆動音が聞こえ、それがエレベーターであることが解る。やがて駆動音が止まると、中から少将の階級章をつけた壮年の軍人が現れて手招きをした。彼こそが今回の襲撃の立役者である、太平洋艦隊司令官レオノフ少将だ。
「積み込み作業は既に終了しております。随伴艦の準備も順調で、1時間で全艦出撃可能となります」
マカロフは地下ドックへと通じる長いエレベーターの中で、レオノフ少将の説明を聞く。艦娘を重視し、新政府に帰順する姿勢を見せていたコルチャークと対立していた彼は、コルチャークを亡き者とするためにマカロフに手を貸したのである。
「安全なのだろうな?」
「もちろんです。シンファクシの装甲は核攻撃にも耐えます。たとえ発見されようとも、通常兵器の如何なる攻撃も我々を止める事はできません。誇り高いシンファクシの初航海が核『燃料』の輸送なのは残念ですが、完成の暁には、祖国奪還も容易いですな」
前基地司令、コルチャークによって閉鎖された海中ドックには、超大型ステルス潜水空母『シンファクシ』が封印されていた。シンファクシは国父ザカエフの下、多数のミサイルサイロと艦載機運用能力を備えた新世代の超兵器としてレオノフら推進派によって計画されたが、超国家主義者ですら躊躇う膨大な予算で建造が遅れ、艦娘推進派のコルチャークが基地に着任したことで凍結された幻の兵器である。しかし、そのペイロードとステルス性に目をつけたマカロフによって密かに建造は続けられ、ミサイルサイロや艦載機収容スペースであった部分を核燃料貯蔵庫に変更した巨大潜水輸送艦と化していた。
「どこへ向かいますか?中東か南アメリカの反米勢力、それとも中国やアフリカの武装勢力ですかな?」
レオノフは楽しみといった様子でマカロフに問う。それは彼がマカロフに忠誠を誓っているからというよりは、単に手塩にかけて建造したシンファクシを動かせるという喜びからであった。そんな彼をマカロフは全く意を介さず、秘匿していた目的地を告げた。
「この船は北極に向かう」
マカロフの発言に艦長は動揺する。北極は言うまでもなく無人の地だ。いや、居住者はいることにはいる。しかし、それを理解するのは彼には困難であった。
「ま、まさか・・・深海棲艦に」
「そうだ。私は超国家主義に変わる新たなビジネスパートナーとして深海棲艦と与する」
マカロフは悪魔じみた構想を何の躊躇もなく語り、それにレオノフは嫌悪感を覚えた。レオノフはあくまで超国家主義者でマカロフの信奉者でない。マカロフに与したのもそれが愛娘シンファクシの完成、ひいては強いロシアへ繋がると考えたからだ。レオノフは良心の呵責を覚えて拳銃のホルスターに手をのばそうとした。しかし、マカロフはまるで背中に目があるかのように素早く反応して、レオノフの腕を抑えた。
「世界はすでに個人の意志で変える時代になった。国家などという帰属や忠誠などもはや時代遅れの概念だ。これからの世界は暴力が支配し、金と欲望のみで動く」
マカロフの兵士がレオノフを取り押さえる。マカロフはこの男をすぐには処刑せず、その嗜虐的な嗜好を最も満足させる奸計を伝えた。
「君をこの基地の司令官に任命する。じきに深海棲艦が供物を取りにやって来るだろう。CIAやロイヤリスト(旧政府主義者)も報復の為に迫っているはずだ。せいぜい頑張ってくれたまえ」
「待て!貴様・・・」
喚き散らすレオノフを置き去りにして、マカロフはエレベーターを降りてシンファクシに乗り込む。レオノフの不在を訝しむクルーたちを前に、マカロフは艦長席を占拠して命令した。
「今から私が艦長だ。状況を報告しろ」
クルーたちは突然のことに動揺したが、次々乗り込んでくるマカロフの兵士の銃口が見え、一人また一人とマカロフに忠誠を誓う。数分後、一等航海士の男が声を発した。
「シンファクシはすぐに発進できます。他の艦はまだ時間が・・・」
「構わん。動けるようになった艦から脱出しろ。目標は北極海だ」
「り、了解しました・・・それと、先ほど通信が入りました。強制収容所で反乱が起きたそうです」
強制収容所は核燃料の貯蔵場所であると同時に文字通り反超国家分子や逮捕された西側工作員を収容していた。輸送で警備が薄くなった隙を付かれたのだろう。しかし、マカロフは人類を裏切るにあたって自分がいた証拠を完全に消す心づもりで、深海棲艦にウラジオストクだけでなく収容所の爆撃もするように示し合わせていたので、そんなことはもはや関心の外であった。一応数個小隊を鎮圧に向かわせるようにと命じる。無論、その兵士たちも基地や周辺住民もろとも深海棲艦に始末されるであろう。
「・・・シンファクシをすぐに発進させろ。反乱者達(新政府軍)の部隊が迫っている」
「了解。地下ドック注水弁開放します」
シンファクシの機関が駆動音を上げて、艦が大きく揺れる。マカロフは給仕からワイングラスを受け取り、椅子にふんぞり返って呟く。
「長年に渡り、西側の偽善によって世界は戦場と化して来た。今日、すべてが変わる。これからの歴史を動かすのはこの私、私一人の意思だ」
思想も信念もない、ただ私欲を満たさんがために悪を吐き続ける邪悪な男の野望が、動き出そうとしていた。
爆撃の音が外から聞こえる。土煙が牢の高い格子窓から吹き込み、目の前にいた私は手で視界を塞いだ。
「お~、派手なのが来たね。およそ100mってところか?」
私を肩車しているムルマンスクが言う。私はこの非常時に妙に悠長な同居人に呆れつつ80mだと修正した。爆発が起きて、味方の救援を期待したが、現れたのはよりにもよって深海棲艦であった。看守の男はとうの昔に何処かへ逃げ、私達は必死に脱出しようと天窓の鉄格子を外そうとするが、しっかりと嵌めこまれて動かない。
「この状況を何とかできるのは私達ぐらいなのに、こんな時に逃げやがって・・・」
外では一方的な蹂躙が繰り広げられている。目立った艦船は次々爆撃を受けて沈没。組織的な抵抗もままならないまま虚しく手持ちの銃を空に向ける兵士たちを、艦載機の爆弾と機関砲が血煙に変えていく。
「もうダメだ・・・」
私は自分の弱さ故の行動に後悔し、また運命に絶望した。結局、私は誰かを思っていたのでなく、温もりを失うのが怖くて、自分からそれを遠ざけただけだった。暁も司令官も、リチャードも、56水雷戦隊の皆も、私に手を差し伸べてくれた。でも、私はリチャードのようにその対価を支払う事も、エドワーズのように仲間を信頼することも出来なかった。その結果がこのザマだ。
「おい同志。泣くのは勝手だが鼻水は落とさないでくれ」
「・・・仕方ないじゃないか。私は・・・覚えているから」
まだ諦めていないムルマンスクは私を床に降ろすと、軽くジャンプして窓に手をかけて覗き込んだ。
「ヒュー、どんどん爆撃が迫ってきやがる。砲撃も近い・・・運良く壁だけ吹き飛んで脱出できればいいが」
「そんな幸運、私には残ってないよ・・・むしろ私にはここで建物の下敷きになるほうがいい」
もう苦しむのは嫌だ。今すぐにでもこの惨めな人生を終わらせたい。私は自暴自棄になって内心を吐露した。深海棲艦であった春雨もこんな思いだったのだろう。だが、ここに救世主はいない。救いようのない寒さと不毛な大地、人知れず朽ち果てていく運命・・・救いを拒んだ私に与えられた末路はあまりに暗い。
ムルマンスクは暫く窓の外を見続けていたが、それをやめると、着ていた上着を私にかけて、背中合わせに座った。
「ムルマンスク?」
「あぁ、まだ諦めたわけじゃないよ。壁がふっとんだ時に張り付いてたら危ないだろう?」
彼女なりの強がりなのだろうが、声が震えていた。爆音が迫る中、お互いの背中をあたためあう。そして春雨の件を思い出した。あの時、人肌が恋しかったのは自分の方だったのだ。そんなことを考えていると、肩に冷たい感触があたった。
「最後の一口だ。アンタにやるよ」
ムルマンスクは残り少ないボトルを私に渡した。それはコルチャークが私に送った物と同じ銘柄であった。リチャードと一緒に飲んだ物と同じ・・・苦くて、心にしみた。
「ありがとな。同志・・・短い付き合いだった」
ムルマンスクもまた辛さを取り繕っていたのかもしれない。飲み切ると、いくらか気分が落ち着いた。
爆発音が次第に近くなってくる。近くで鈍い音が聞こえた。おそらく砲撃も始まったのだろう。暫くそれを聞いていたがムルマンスクはふと思い出したかのように口を開いた。
「そういや、まだあんたが誰か聞いてなかったな」
「?」
「お袋につけてもらった名前の方だよ。忘れたわけじゃないだろう?」
何処の軍隊でも艦娘が自分の本名を言うことは禁止されている。艤装とのシンクロを高め、また自身を兵器として認識させるためだ。しかし、それ以前に私は本名を思い出すことが出来なかった。
「・・・私は孤児だから、親はいないし、覚えてもいない」
いや、艦としての、そして艦娘としての記憶があまりに大きくて、人間としての記憶があまりに遠いものに感じられたのだ。特にこの数ヶ月・・・皮肉にも、家族の代わりだったリチャードとの日々ばかりが、私の頭を埋め尽くしていた。
「だけど、実はもう1つ名前があるんだ」
これは、リチャードにも秘密にしていたことだ。つい最近、彼女達のしていたように、自分も人を教えていた気がするようになった。それと同時に思い浮かんできた、この世界ではもう使わないであろう最期の名前・・・
「なんて言うんだ?」
「私の名前は・・・・」
その時、爆炎が部屋を包んだ。