涼しげな乾いた風が紅葉を揺らす10月。トレセン学園の食堂は繁忙期を迎える。食欲の秋とはよく言ったもので、季節を通しての利用率は新入生が入学してくる春よりも、秋の方が実は高い。中には季節関係なく、いったいその体のどこに入っているんだ? と疑問を抱くような量を食べるウマ娘もいるが……。
食欲のなくなる夏の反動か、はたまた魅力的な秋の食材のせいか。どちらにしろ、秋に食べ過ぎて太り気味になるウマ娘は多い傾向にある。そのため、「食べすぎ注意!」という標語が秋のスローガンとして毎年あげられている。
そんなトレセン学園にあるウマ娘チーム「シリウス」のトレーナー室にて、ウマ娘の名門メジロ家のご令嬢メジロマックイーンは一週間後に行われる京都大賞典に向けて勝負服の着あわせをしていた。4ヶ月前の宝塚記念以来の勝負服に、マックイーンは違和感を感じた。スカートのファスナーが上がらない。グッ、グッと力をいれて何度も上げようとするが、そのたびに腹の肉を挟みそうになる。フッ、とマックイーンは笑みをこぼし、勝負服からトレーニング用のジャージに着替えた。そしてまるでなにもなかったかのように椅子に腰かけ、紅茶を一口飲み喉の渇きを潤すと、頭を抱え机に突っ伏した。
―――やってしまいましたわっ!
「うぐぁああああああっ!」とメジロ家の威厳をどこかへ放り投げたうめき声と共に、額をぐりぐりと机に押し付ける。太りやすい自分の体質をちゃんとわかっていたはずなのに、それでも食が進んで仕方がなかった。いや、違う。私は悪くありませんわっ!
だって食べ物が言ってたんです……そうです、秋の味覚たちが「おいしいよ。私を食べて」って! こんなことになるなって知りませんでしたわ! 誰も教えてくれなかったじゃないですかっ! 私は悪くありませんっ! 私は悪くありませんわっ!!
そんな現実逃避を脳内で繰り返すこと十数分。落ち着きを取り戻したマックイーンはストレッチを始める。今さら後悔したところで、自分が食の誘惑に負けたことと、太ってしまった事実は変わらない。増えてしまったカロリーは運動で減らすしかない。残り一週間、食事制限と有酸素運動を中心としたトレーニングメニューを組み立てれば、なんとか間に合うはずだ!
「必ず、成し遂げてみせます。メジロ家の名に懸けて―――」
―――そう決意してから5日が経過した。
げっそりと頬がこけ、髪はぼさぼさ。目の下には大きくクマをつくり、右手の親指の爪が噛みすぎてボロボロになっていた。有言実行、マックイーンはこの5日間、野菜と水しか口にしていない。3日目の朝に「私は虫ですか!?」と一人でツッコミを入れるほど精神的にだいぶキてはいたものの、レースの勝利を思えばなんとか耐えられた。
(残り2日……この調子でいけばなんとか―――)
「おいーっす! おっ、マックイーンじゃねぇかっ! ちょうどよかった。さっきそこで安納芋を焼き芋にしたんだけどさぁ、よかったらお前も食べ―――!?」
芳ばしい香りを漂わせながら入室してきたゴールドシップ。マックイーンの動きは早かった。ひらりと蝶のように舞った彼女の両足が蜂の毒針の如く飛び出し、ゴルシの首を両足で挟み込む。そのまま飛び上がってひねりを効かせ、ゴルシの頭を床にたたきつけた。床にひびが入るほどの衝撃に、さすがのゴルシも白目を剥いて気絶する。首が変な方向に曲がっている気がするが、まぁゴルシだし大丈夫だろう。今は食の誘惑を一切断たなければならない。そのためならば、実力行使も厭わない覚悟だった。
完全に冷静さを失い、破壊神・滅死露(メジロ)と化したマックイーン。ゴルシには目もくれず、焼き芋の誘惑を血が出るほど拳を握りしめて耐え抜き、トレーニングルームへと駆けだして行った。
******
夕日を背に、マックイーンは芝の練習場に腰を下ろした。少し離れたところでトレーナーが間食のあんぱんを片手に顔面を地面に埋めて気を失っている。その距離はざっと100mはあるはずなのに、自分のところにまであんこの香りが届いてくるような気がした。あともう少しなのに、
(こうなったら、メジロ家にある秘密の地下室に閉じこもって―――)
「あ、いたいた。マックイーンさーん!」
マックイーンのもとに、チームメイトであるライスシャワーがとてとてと駆け寄ってきた。その手に抱えているものを見て、戦慄が走る。ハンカチを巻かれた小包が一つ。こと甘味に対して敏感になっているマックイーンの鼻腔が、その小包から微かに香る甘いにおいをとらえた。再びマックイーンの闘志に火がつく。残念ですわライスさん。あなたのことまで手に掛けることになるとは……。もはやただの荒くれ者に成り果ててしまったメジロマックイーン。鬼の形相でライスに迫る。
「練習お疲れ様っ! あのね、マックイーンさんいつもレース前は減量で大変そうにしてたから、なにか力になれないかと思って……おからでクッキーを作ってみたのっ! これなら、低カロリーだし食べても大丈夫だと思うからっ!」
ライスの細い首を両足で絞めるべく跳躍しようとしていたマックイーンの足が寸前で止まった。 照れたようにはにかみながら、ライスが差し出す小包をぽかんとした顔で見つめる。震える手で受け取り封を解くと、透明なタッパーの中にチームシリウスのメンバーの顔を模したクッキー達が、くりっとした瞳でマックイーンを見つめていた。
「ライスさんっ……!」
感謝の言葉が出るよりも早く、マックイーンはライスの華奢な身体を抱きしめた。こんなにも自分のことを考えてくれていたライスに、なんてことをしようとしていたのだろう。自分の愚かさにようやく気付いた。目元にあふれる涙をぬぐってから嬉しそうに尻尾を振るライスを離すと、タッパーの蓋を開ける。ふわっと焼き立ての芳ばしい香りに思わず口元が緩む。
「……これ、今食べてもよろしいですか?」
「うんっ!」
ぱぁっと笑顔を見せるライス。マックイーンの役に立てたことがきっとうれしいのだろう。数あるクッキーの中から、ゴルシが舌を出している顔のクッキーを取り出す。妙に表情の完成度が高いが、このクッキーならなんの躊躇もなく食べられそうだった。一口サイズのそれを口に放り込み、サクサクと咀嚼する。
(少し固めで甘さ控えめですが、ほんのりと蜂蜜の香りがします。噛むたびにじゃりじゃりとした食感と一緒に塩気が口の中に広がり、しょっぱさと塩辛さが絶妙なしょっぺぇですわっ!!!???」
言葉遣いがバグるほどのしょっぱさに思わず口から芝にクッキーをぶちまける名門メジロ家のご令嬢様。はしたないと分かっていながらも身の危険を感じるほどの刺激に耐えられなかった。予想外のリアクションにライスは驚愕し、クッキーを一つかじる。途端にライスの顔がみるみる青くなった。
「あっ……こ、これ、おからと間違えて塩をいれちゃったやつだった……!」
どんな間違いだよ! そうツッコミたくても口の中が塩まみれでしゃべることもできない。期待していた分そのショックも大きく、マックイーンの精神は限界突破した。某ボクサーの如く真っ白な灰のようにその場で燃え尽きたように気を失った。
「ま、マックイーンさん……?」
―――マックイーンさぁ~~ん!!
ライスの悲鳴が秋の夕暮にこだまする。こうして、秋の味覚によって生まれたモンスターの悲劇は幕を閉じたのだった。
因みに2日後の京都大賞典。減量に成功したマックイーンは見事一着でゴールした。しかしその祝賀会でトレーナーの一ヶ月分の給料が吹き飛ぶほど暴食した結果、無事リバウンドしてさらに太ってしまったのであった。
―――何事も限度って大事だよね。