01. ドキドキ
毎年、晴天となる日がある。その日はどういうわけか、トレセン学園の入寮日だった。
未だ木肌が見えるようだが、それはそれで私たちを迎えるにはちょうどよい風情だ、と新入生であるムーンアプローズは思った。
着替えはすでに配送してもらっていることもあり、メッセンジャーバッグ一つでやってきたムーンアプローズは指定された寮のチャイムを鳴らす。
するとすぐに美浦寮の寮長らしいウマ娘がやってきた。
「あんたがムーンアプローズかい? 私は美浦寮の寮長をやっているヒシアマゾンだ。これからよろしくな」
ニカッという擬音が聞こえてきそうな気持ちのよい笑顔に、ムーンアプローズも元気よく挨拶をする。
「ムーンアプローズです! 今日からよろしくお願いいたします!」
その元気のよさにヒシアマゾンはうなずきながら、「ついてきな」と踵を返す。その後ろをムーンアプローズはついていく。
そして、案内された先はどうやらムーンアプローズの自室らしかった。
「本来なら二人部屋なんだが、今年の入寮者は奇数でね。運のよいことにしばらくは一人部屋だよ」
「ありがとうございます!」
「それじゃ、あとは荷物を整理するなり、自由に過ごしな。もし何かあればあたしに言いな」
そんな言葉を残して、ヒシアマゾンは部屋を出ていく。
「よし。がんばるぞ。おー」
一人になったムーンアプローズは、二つあるベッドのうち配送してもらった段ボールの置かれた右のベッドに近づく。段ボールからガムテープを剥がし、まずはベッドに並べた。
衣服はもちろん、ルーズリーフがまとめられたファイル、お気に入りの文庫本が広がり、ついにはベッドを埋め尽くした。
衣服は用意されている箪笥へ、ファイルや文庫本は机に備え付けられた本棚へ収めていく。
空いた段ボールを畳み、片付けを終えたムーンアプローズはジャージに着替えて、ヒシアマゾンを訪ねた。
「ランニングにでも行くのかい?」
「はい! 散策ついでなので無理はしない程度に。門限には帰ってきます!」
そう言い残して、ムーンアプローズは寮を出ていく。その張り切りように、ヒシアマゾンは苦笑した。しかし、すぐに真顔に戻る。
「今のところは歳の割には純粋って感じだな。
少し考えこんでいるようだったが、ヒシアマゾンは元の業務に戻った。
*
寮を出ると、ムーンアプローズはようやく肌寒さを感じた。春風とは言えない冷たさの風がジャージを撫でる。
それでも、顔を紅潮させているムーンアプローズは目を輝かせていた。両親がいない初めての生活や新しい土地の空気だけではなく、これからはもっと自分で考えていかないといけないという焦燥と似て非なる高揚が、ムーンアプローズの胸を締め付けながらも滾らせていた。
少し息が上がるくらいになってきた頃、ちょうど差し掛かっていた土手でムーンアプローズは足を止めた。
川の向こう側では、いつの間にか太陽が沈みかけている。橙色の空に音が奪われてしまったように静かだった。
あまり膨らみがない胸に手を当てて、ムーンアプローズは目をつぶる。小さな口から息を吐き出して、止める。目を開けると、その表情は覚悟が決まったようなものに変わっていた。
「お父さんの話だと、選抜レースでトレーナーさんにスカウトしてもらわないといけないんだよね。大丈夫。うん。大丈夫だよ。きっと結果を残せる」
自分に言い聞かせるようにつぶやき、ムーンアプローズはもう一度、走り始めた。
*
それから三週間がすぎた。ムーンアプローズは毎日、ランニングを行い、体の調子はよさそうだった。
そして、今日からトレセン学園の生徒として、学園に通うことになる。
学園の正門の脇で桜が満開だった。汚れのない硬そうな制服をまとったウマ娘たちが笑顔で学舎へ足を踏み入れていく。
ムーンアプローズもその流れの一人だった。どんなにイメージトレーニングをしていても、抑えきれない心臓の脈動が聞こえてくる。その音と一緒に、体の隅々に熱い血が流れこむ感じがした。
その状態は放課後を迎えても続いた。入学式で最高潮に至ったかと思えば、教室で同期となる面々と相対した時にも滾った。
学園を出て、ここ三週間で日課となったランニングで土手に差し掛かった頃にようやく落ち着きを取り戻す。
汗を拭い来た道を見てみると、男と幼いウマ娘が一緒に走っていた。その様子を見ていると、ムーンアプローズは小学生の時を思い出す。
「そういえば、お父さんはあまり嬉しそうじゃなかったな」
理由を聞いた今となっては理解できるものだったが、当時は疑問に思ったものだった。
キャンプや観光に行けば伝統技術の体験もさせてくれた父親だったが、レース場にはなかなか連れて行ってくれなかった。初めてレースを見たのは、母親がこっそり連れてきてくれた有マ記念だ。
レース中の大歓声と応援していたウマ娘が負けても声援を送るファンの人たちがとても温かくて、じんわりと涙がにじんでいた。その顔を見た母親はにっこりと笑って、「これがレースなんだよ」と教えてくれた。
「お母さんも昔、レースを走ったことがあるんだよ」
「こんないっぱいの声援の中、走れるなんてすごいね!」
「……そうだね。これもお父さんがトレーナーをしてくれたからなんだよ」
それから母は父と二人三脚で走り抜けたトゥインクルシリーズの話をしてくれた。ライバルであったミホノブルボンの無敗三冠を阻止してブーイングを受けた話も、スランプになった時の話も、最後のレースとなった宝塚記念の話も全部を話してくれた。
その上で、母は後悔していないと付け足す。
「だって、夢を叶えることができたんだから」
「私もお母さんみたいなウマ娘になれるかな?」
その言葉に、母は優しく微笑んでくれた。
それからは父にトレーニングをつけてもらえるように頼んだ。最初は苦い顔をしていたが、最後は一つだけ約束をして、トレーニングをつけてもらえるようになった。
「きっと他のウマ娘たちよりも苦しいこれからが待っているだろう。トレーナーが見つからないかもしれない。見つかっても、レースに勝てるかはわからない。だから、常に考えるんだ。自分の心を大切にするためにどうすればいいのか」
約束をした時はよくわからなかったが、課されたメニューをこなし大きくなるにつれて知識が増えていって、ようやく理由がわかった。
だから、今でも常に考える。どうすれば、誰かを笑顔にできるか。笑顔になれる人の数を増やすことができるか。もはや、誰かを笑顔にすることこそが生きる理由だと言っても間違いではないと自負している。
走っていた男とウマ娘の姿が見えなくなっていた。ムーンアプローズは何度か屈伸をして、ランニングを再開する。
「うぉおおおおおおお! 全、力、だぁああああああああ!」
その声に振り向くと、一陣の風が過ぎ去っていった。目を丸くして、過ぎていった影に目を向けると、芝色の耳飾りをつけた黒い髪の姿が大声をあげて走っていた。
「ダービィィィイイイイイ!」
トレセン学園のジャージを着たそのウマ娘に、ムーンアプローズは目を奪われる。そして、どうしてかわからない直感が脳裏をよぎった。
きっと、あの娘はとても大切な存在になる、と。
お待たせして、ごめんなさい! そして、今回もお読みいただきありがとうございます!
ようやく同期を少しだけ出すことができました。
そう! ムーンアプローズちゃんはBNWと同期です!
最初は98世代にしようとしていたのですが、前作から続く設定の関係で断念しました。でも、どっかで関係を持たせたいなとは思っています。
ゲームの方で因子を厳選する際にライスシャワーとの相性からビワハヤヒデを育成し(現時点で39回)、メインストーリーでウイニングチケットが好きになり、またまた育成している時のストーリーでナリタタイシンが好きになったということから、今回の作品ではBNWと同じ世代として書かせていただきます(どうでもいいですが、現時点で352回育成しているらしいのですが、ライスシャワーが171回らしいですわよ)
さて、次の話から本格的に物語を動かしていきたいと思いますので、楽しみにしていただけますと幸いです。
それでは!