あれから、爺やに連絡を取った。
爺やは俺の突然の連絡に驚いた様で、俺だと伝えるとしばらく沈黙が続いた。
まぁ逃げ出した俺が今更連絡をしたのだ、腸煮えくりかえっているのだろうと思っていた。
しかし聞こえてきたのは嗚咽だった。
俺が困惑していると、嬉しさで泣いてしまったと言う。
こんな俺にそう言ってくれるとは……昔も今も、爺やには本当に世話を掛ける。
マックイーン達の予定を聞き、メジロ家に集まる日取りを聞いた。
中々、彼女達一同に会する事は少ないらしいが丁度、集まる機会があるらしい。
その時にメジロ家にお邪魔する事にする。
爺やは彼女達に伝えようとするが、それは俺から止めておいた。
彼女達が珍しく集まる機会なので、俺が行くと事を伝えたら集まらないかもしれない。
折角のお茶会なのに、それは流石に可哀想だ。
まぁ憎い相手が、その場に来るのだからどの道、台無しになってしまうのだが。
爺やは何かを言いたげだったが、最終的に了承してくれた。
集まる日時は奇しくも、俺の誕生日だった。
さてメジロ家に行くまでに、大学は春休みなので時間もある。
完成した人参の件もあるので、田所家の農園を手伝っている。
バイトは、しばらくの間は、休みにさせてもらった。
ただ問題が発生した。
豊さんが、人参をかなり安価で卸そうとしていた……
値段設定がちょっと……いや、だいぶおかしい。
何、軽い市場破壊しようとしとんねんッ!
急遽、経営学的視点が必要になった為、荒谷を招喚。
豊さん、俺、荒谷の三人で、あーでもないこーでもないと話し合い妥当な値段で落ち着いた。
完成前の人参の大口契約を持ち掛けて来た所に、営業を掛けようとなった。
……のだが、まさかの連絡先を捨てたと言う。
半ギレで理由を聞くと“いいものを作れば、その内また来るからいいかなぁって”と宣う。
……なにしとんねんッ! いいものなら売れる驕った考え捨てろ!
当然、捨てられた連絡先にはトレセン学園も含まれている。
……よりによってそれを一番捨てんじゃねぇよ!
トレセン学園の、ウマ娘の在籍人数と食欲を考えろや!
マジでこの人、大丈夫か……?
いや尊敬はしてるよ? でもさ経営能力が皆無でどんぶり勘定が過ぎる……
マジで一回、色々見直さないとヤバいんじゃ……
ともあれ、何としてでもトレセン学園との契約が欲しい所。
別に無くても他の所で契約は取れるだろうが、あればかなりデカい。
……使いたくはなかったが尊敬する恩人の為だ、仕方あるまい。
俺は中央でトレーナーをしている親父に電話を掛ける。
たづなさんも候補に挙がったが、少し前に相談して今回もとなると流石に甘え過ぎだ。
事情を知った親父は”相変わらずバ鹿過ぎるだろ……待ってろ今聞いてみる”と言ってくれた。
本当に忙しくブラック業務しているのにスマン親父殿……
結局、トレセン学園側も契約に前向きで、搬入して大丈夫との事だった。
そのまま契約をするので代表者が来いとの事で、親父に礼を言って電話を切りその事を伝える。
しかし、豊さんは隆の誕生日があるので俺に行けと言う。
家族を大切にする事はとても大事な事だ。うんうん、めっちゃ大事大事! アハハハ!
……キレそう! 商売なめてんじゃねーぞ!
だが、我が親愛なる弟分の隆のハレの日、ここは兄貴分として俺が一肌脱ごう。
指定された日時は、俺の誕生日の一週間前の日曜日。
隆の誕生日プレゼント用意しなきゃ!
私達は、一週間後のお茶会の為、デパートメントストアに買い物に来ていた。
休日という事も有り、多くの買い物客が溢れている。
「アルダンさん、マックイーン大丈夫?」
「ええ、大丈夫よ。心配してくれて、ありがとうライアン」
「私も大丈夫です。もう、ライアンは心配し過ぎですわ」
ライアンの心配そうな表情にアルダンお姉様は安心させる様に笑いながら答える。
パーマーとドーベルは買い物している間に、私たちはベンチで休憩をしている。
別行動していた私達も、付き合おうとした。
だけど、ライアンに大事を取って休めと無理矢理ベンチに座らされてしまった。
アルダンお姉様は屈腱炎を発症し引退しているが、日常生活に支障は無い。
私は繫靭帯炎を乗り越え、テイオーとの併走をするまでに回復したというのに……
ライアンは自分には無頓着なくせに心配性が過ぎる。
ただ、その優しさを嬉しく思う。
「おーい、おまたせぇ! 選ぶのに時間が掛かっちゃった」
「今、戻ったわ。ごめんなさい、アタシも悩んじゃって」
買い物を終えたパーマーとドーベルが紙袋に入った商品を大事に抱え戻ってくる。
かなり時間が掛かっていたが、それは私も同じなので気にしていない。
ふと、パーマーから嗅ぎなれない香りがする。
「パーマー、貴女は香水にしたのですね」
「うん、ムエット貰って来たから嗅いでみる?」
「ええ、そうさせて頂きますわ」
ライアンやアルダンお姉様と一緒に香水が付いたムエットの匂いを確かめる。
爽やかで優しく、それでいて何処か儚さを感じさせる月の様な香り。
キュっと胸が切なくなる、そんな香り……
「……うん、きっと似合いますわ」
「でしょ? 色々迷ったけど、この匂いを嗅いだらコレだ! ってビビッて来た」
「ドーベルは何にしたの?」
「アタシはこの腕時計にしたよ。アルダンお姉ちゃん」
パンフレットを貰って来たドーベルが、買った商品の写真を指差し見せて来た。
少し厳つい印象を受ける、黒い文字盤の自動巻きのシックな大きめの腕時計。
文字盤側に見えている内部構造が印象的できっと似合うだろう。
「ドーベルはセンスいいね。あたしだと、どうしてもスポーツモデル選んじゃうよ」
「フフ、ライアンは相変わらずだね」
「そういえば、マックイーン達はなんにしたの?」
パーマーが私達の買った物に興味を示し、図らずもプレゼントの見せ合いが始まった。
ライアンは濃灰色のビーバーファーフェルトの中折れ帽。
私は花紺青色に染めたブライドルレザーの長財布。
アルダンお姉様は濡羽色のロング丈のトレンチコート。
「おー全部、似合いそうじゃん。でもアルダン姉さんのは渋すぎじゃない?」
「あら? 兄様はお爺様の影響でハードボイルドに憧れていたのですよ?」
「えー、お兄ちゃんが? 全然ハードボイルドなんて似合わないのに……」
「アハハ、お兄さんいつも優しかったもんね」
……毎年開催していたお兄様の誕生会。
お兄様が出て行ってしまってからも続いている。
主役のいない誕生日にプレゼントを持っていくのが、いつの間にか恒例になっていた。
受け取り手のない贈り物は、ほぼお兄様専用となっている客間に飾る。
それでも毎年お兄様にプレゼントを買っていき、来ない主役を待つお茶会。
いつかその日に、お兄様が帰って来てくれる事を夢想して……
少しだけ視界が涙で歪む。
「……すみません。お花を摘みに行って参りますわ」
「……ええ、私達は先に、いつもの喫茶店で待っていますね」
「かしこまりました」
化粧室でメイクが崩れていないか確認する。
幸い、軽い化粧直しで済んだ。
思い返すのは今までの事。
お兄様がメジロ家を出て行き、私は天皇賞を制覇する事しか眼中に無かった。
ただそれだけでいい、と思っていた。
それが私の最後の
でもテイオーと出会い、競い合い、チームに誘われて、スピカでの騒がしい日々。
私の静かな深海の様な灰色の世界に、音と色彩が少しずつ戻っていった。
……本当にスピカの面々とテイオーには感謝しかない。
いつの間にか、心は治り始め、
そう……思い込んでいた。
いや……思い込もうとしていた。
でも、繫靭帯炎の時に、本当は誰よりもお兄様に居て欲しかった。
頭を撫でて、褒めてもらって、抱きしめて貰いたかった。
私はお兄様……未だに貴方を想っています。
貴方に会いたい。貴方に謝りたい。貴方に一緒に居て欲しい。
でも……それでも私は前に進もうと思います。
あのメジロ家の療養所での、テイオーの雨の中の誓い。
あの有マ記念での、テイオーの奇跡の走り。
あのウイニングライブでの、テイオーのとびっきりの笑顔。
それらが私の心に
燃え尽きた火のない灰に熱が灯る様に……
他のメジロ家の彼女達もそう……
アルダンお姉様は、ヤエノムテキさんや、サクラチヨノオーさん達。
パーマーは、ダイタクヘリオスさんや、マチカネフクキタルさん達。
ライアンは、アイネスフウジンさんや、スマートファルコンさん達。
ドーベルは、エアグルーヴさんや、カワカミプリンセスさん達
それぞれ、いい御友人に囲まれている。
きっと彼女達の心にも
いくら注ごうとも、満たされない心。
でも誰も彼も、本当に満たされている者など少ないでしょう。
この満たされない心を抱えて、私は生きていきます。
だから今年のお兄様の誕生日で、私は待つのを止めようと思います。
貴方に“さようなら”を、直接言えないのが本当に心残りです。
ですが、きっと貴方は貴方の心を傷つけた私達に会いたくないでしょう。
でも、どうか私に貴方の行く末に幸あれと、願わせてください……
あぁ、思い出しました。
……貴方の優しく温かな笑顔を。
最後に見た、不吉を孕んだ、泣いている様で、全てを黒く燃やし尽くす様な、儚く、美しい姿。
その姿が焼き付き、本来の貴方の愛おしい笑顔を忘れていました。
あぁ、ありがとうございます……最後に思い出させてくださって……
心が軽い。黄昏に瞬く星の如く。
心が痛い。貴方を傷つけてしまった事への後悔で。
それでも、貴方の笑顔を思い出せた事を嬉しく感じる私は、本当にどうしようもない愚者です。
お兄様……私は貴方を心から愛しておりました。
“さようなら”は……もう少しだけ……せめて貴方の誕生日までは、待っていて下さい。
「よぉマックちゃん。随分とポエミーな顔してるじゃん」
「ひゃああぁぁぁっ!? ゴールドシップ!? どうしてここに!?」
「今すぐメジロ家の皆を連れてトレセンに向かえ」
「いきなり何を……」
「いいから早く。後悔するぞ」
いつもはふざけた顔して場を引っ掻き回すゴールドシップが、真剣な表情を見せる。
悲しんでいる様な、覚悟を決めた様な、使命を果たした様な……そんな顔。
「……分かりましたわ。貴女のそんな真剣な顔は初めて見ました」
「ああ、お幸せにな。おさらばです、マックイーン■■■■■」
「なんですの? その言い回し…それに今なんておっしゃいました? 聞き取れませんでしたが」
「……気にすんなよ! ほら行った行った!」
「そんなに押さないでくださいまし!」
結局、ゴールドシップの助言に従い、ウマホで皆を呼び出し学園に戻ることにした。
ゴールドシップの表情は気になるが、予感がした。
燃え尽きた火のない灰の様な悲しみの日々が裏返る。そんな予感が。
厚い雲が切れ始め、日が出てきました。
ええ、これはバ場状態の回復に期待できますね。
このバ場状態の変化が、どうレースに影響するか注目です。