Special Weekを貴方と   作:烏丸百九

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―木曜日―

 遅い。

 

 札幌大通駅の地下、街頭ビジョンの前でキャシィを待ち始めて、そろそろ30分になる。約束の時間は、とっくに過ぎてしまっていた。

 やっぱり、昨日の電話で言いすぎてしまったのが原因だろうか。答えのない自問を繰り返しつつ、ケータイの画面をつらつらと眺める。返事はない。

 柱にもたれ掛りながら、ぼんやりとした眼で前方を見た。ビジョンには、今年のGⅠを勝ったウマ娘達が、着飾った姿でモードを宣伝している。トキノミノル、ノーザンテースト、トウショウボウイ……彼女たちは皆それぞれに強く、そして美しい。もし私が彼女たちと同じウマ娘だったら、一体何をしていただろう。やはりアスリートの道を目指しただろうか。それとも案外、同じように歴史や文化史の研究に熱中していただろうか。

 

 思考を切断するように、掌から着信音が鳴り響いた。

 

「もしもし?」

 

 それだけ言って、少し待つ。言いたいことは腐るほどあったが、とりあえず会ってからでも遅くはない。何より、彼女の安否が知りたかった。単なる遅刻か、バックれたのか、それとも―

 

『……』

「キャシィ?」

 

 微かな音が聞こえる。荒い息。泣いていた。

 背筋に冷たいものが走る。確か、今日の午前中は病院に行くと行っていた。定期的な検診だと。だから、妊娠云々の話が出たのだ。

 

「キャシィ? ちょっと、大丈夫?」

『捨てられた。彼に』

 

 早足で地下を出て、より電波状況の良い地上へ移動する。

 古くて急な階段。近づく光の柱。ヤコブの梯子。二者択一。地獄とは神の不在なり。クソ食らえだ。私は生まれてこの方、神も悪魔も信じてない。女も同性愛も汚らわしいと宣うような、つまらない男の事は特に。

 

「キャシィ、ごめん、全く事情が見えない。お願い、今どこに居るか教えて。すぐに行く」

『嫌。顔ぐちゃぐちゃだし。見せたくない』

 

 泣きじゃくりつつ言うキャシィ。なるほど、自宅か。急いでタクシーを捕まえる。ここが札幌のド真ん中で助かった。彼女のアパートまでは、そう遠くはない。

 

『ちょっと、来る気? よして。お願いだから』

「電話しながらですみません、急ぎでして。あー、悪いけど、よく聞こえない。別に電話でもいいから。話せるだけ話して」

『だから無理。何も』

「わかった。じゃあ、私一人でしゃべるから、そのまま繋いでて」

 

 そこからは、本当に適当なことを話した。彼女の地雷を踏まぬよう、それらしい話題を極力回避しながら。キャシィは聞いているのかいないのか、ぐすぐすと泣いているだけ。年配のタクシー運転手は、事情を察したか、黙ってくれている。いい男。二度と無いとは思うけど、もし男性と付き合うなら年上がいいな。キャシィにはそんな話、口が裂けても言えないが。

 

 15分ほどで、彼女の住むアパートに到着する。運転手に一礼し、釣りは受け取らずに外へ飛び出した。後は開けて貰えるかどうかだが。慌てて階段を上り、インターホンを二回鳴らす。電話口と室内から、同時に声がした。

 

『ちょっと、本当に来たの? 来ないでって言ったべさ』

「今更? タクシー乗ったの気付いてたじゃない。いいから、大人しく開けなさい。交通費は請求させてもらうから」

 

 無限にも思える沈黙があった。時間にすればせいぜい1分ほどか。

 

 ガチャ、と鍵が開く音。扉は開かない。電話を切り、ノブを回して、勝手に押し入る。まるで元カノの扱いだな。半ば自嘲気味の含み笑いを浮かべながら、靴を脱いでフローリングに上がる。部屋のカーテンは閉め切ってあり、電気は一つも点いていない。奥の寝室から、何とも言えない湿った気配がした。

 

「随分暗いね。まだ18時なんだけど?」

「……」

 

 キャシィは、膝を抱えてベッドの上に丸まっている。太股に埋まった頭のせいで、表情は窺い知れない。昨日までとのあまりのギャップに戸惑いつつも、私は棒立ちのままで言葉を探した。

 

「とりあえず、私が着くまで待ってくれてありがとう。気が気じゃなかったよ。変な気を起こしやしないかと」

「……どうかな。半分くらい、死にたい気持ちだったから」

「何?」

「堕ろせって言われた」

 

 全身の毛が逆立つ感触がした。二の腕を押さえて、感情を胸の内側へ格納する。平常心。頭の中で三回唱える。今の彼女の前で、この気持ちを見せるのは駄目だ。

 にしても、あの男がこの場に居なくて良かった。顔を見たら、そのまま衝動的に殴り殺していたかもしれない。

 再び、時間が無限に延長される錯覚が始まる。それでも、私は言葉を紡がねばならない。彼女一人を、地獄に送るわけにはいかないから。

 

「……何故か、聞いても大丈夫?」

「午前中の検査、でね。……」

「ごめん。聞いた私が悪かった。言わなくて良い」

「ううん、聞いて。お願い。体質的に……先天性のもので……ウマ娘には、時々居るらしいの。リスクが高すぎるって……このまま無理に産もうとすれば、私も子供も死ぬかもしれない、って」

 

 思わず、一歩後ずさる。やはり、この世に神など居ないのだろう。それとも、地上には悪魔しか居ないというのだろうか?

 他人の私が聞いてこれだけショッキングなのに、おそらくあの男と並んで聞いた彼女の絶望は、如何程だろうか。そして、追い打ちをかけるように言われただろう、残酷な言葉は。

 

「食い下がったの。そんなこと言わないでって。でも……お金はすぐに振り込んでおくって。だから、もう会わないでほしいって。私……私は」

「もういいよ。キャシィ、もういい。全て忘れましょう。そんな男も、他の全てのことも、無かったの。いい? 無かったんだよ」

「嫌! 私は……私は無かったことになんか出来ない。この子は、絶対に産む。私の命を賭けてでも」

 

 抱きしめるようにして、自分のお腹の前で手を合わせるキャシィ。涙に濡れた瞳には、決意の光が宿っている。ああ、そうだった。この子は、一度こうと決めたらテコでも動かないところがあるのだ。昔から。落ち着くよう努めつつ、言葉を探す。

 

「キャシィ。まだ、9週目くらいでしょう? 考える時間は十分にある。本来は、あの男が責任もって考えるべきことだけど。落ち着いてから二人で相談しましょう。私も私なりに、色々調べてみるから」

「ティナ。気持ちは嬉しいけど、私の決意が変わると期待しないで。お医者様も、決めるのは君だからと言ってくれたけど。最初から決めていたの。この子のことを、知ったその日から」

 

 訥々と語る彼女の顔からは、既に母親の心が感じられた。

 思わず、額に手を当てる。キャシィの悔しさは痛いほど分かる。分かるけど、私ならきっと堕ろす道を選ぶだろう。あんな男、未練などあるはずもない。何より、産むかどうか選ぶのは女の権利だ。この平成の時代、どの大学でもそう教えられている。

 ―ああ、そんな理屈で全てが片付くなら。

 

「分かった。分かったよ、キャシィ。貴方の言いたいことは」

「分かってないでしょ、ティナ。顔に書いてあるよ。ごめんね、半可臭い事言って。ティナぐらい賢かったら、きっとこんな事にはならなかったのに」

 

 そう言って、再び泣き出してしまう。

 お願いだから、そんな顔しないで。バカさ加減は、私も大して変わらないんだから。

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