『うう……』
「いつまでも泣いてるんじゃないよ。命は助かったんだ。良かったじゃないか」
『でも、スズカさんが……』
「きっとまた走れるようになるさ。あんなに凄いウマ娘だったんだから」
電話の向こうで、メソメソとまだ泣き続けている。最初にホームシックを起こして電話してきた時も、ここまで酷くはなかったんだけど。普段は元気が服着て歩いてるのに。
こういう浮き沈みの激しいところも、産みの母親によく似ていた。
『私ね、あの時……一瞬だけ、動けなかったの。頭の中が真っ白になって、脚が地面に押ささったみたいになっちゃって……もっと早く動けてたら、ここまで重傷には……』
「一瞬だけだべ? すぐに全力疾走出来たんだから、大したもんだべさ!」
おっと、と思わず片手を口元にやる。親から酪農業を継いで、年配の方とやり取りする機会が増えた為か、それともキャシィの訛りが感染ったのか。娘に向かって強く言うと、いつもインチキ方言が出る。スペの北海道弁が不自然なのは、絶対に私のせいだ。
『うん……ごめんね、おかあちゃん。ちょっと落ち着いてきた』
「まあ、無理もないよ。私もテレビで見ててびっくりしたもの」
自慢の我が娘―今やトレセン学園のホープ・スペシャルウィークとして知られるウマ娘は、チームメイトのサイレンススズカが突如負傷、競走中止へ追い込まれたことに、大変なショックを受けているようだった。
無理もない。ルームメイトで親友でライバル。毎週送られてくる手紙にも、彼女の名前が載らないことはない。彼女はスペにとって、憧れであり、目標であり、今や走る目的のひとつでもあるのだ。
「しっかりしなさい、スペ。スズカちゃんが目覚めたときに、情けない顔じゃダメだべさ」
『でも、私……スズカさんに、なんて声をかければいいのか解らないよ』
「あんたねえ、自分で何度も言ってたじゃない。『私と一緒にレースを走る、それが二人の約束なの』って」
『約束……』
「そうさ。いいかい、スズカちゃんが目覚めたら、こう言ってやるんだよ。『また100%の力で走れるように、私と一緒に頑張りましょう』って」
『……そう、そうだよ。私、スズカさんと約束したもの。絶対一緒に走るんだ』
「その意気だよ、スペ。スズカちゃんのために、リハビリに付き合ってあげなさい。きっと過酷なものになるだろうから」
『うん、そうする! ありがとう、おかあちゃん!』
元気な言葉を発して、スペは電話を切る。スズカは、きっと大丈夫だろう。発展したウマ娘医学の後押しもあるが、何しろ、スペは間に合ったのだ。あの時の私と違って。
ふう、とスマホを置いて一息つき、仏壇の方を見やると、キャシィの前に積まれた、スペの手紙が眼に入った。
仏壇のキャシィを一瞥して、手紙を一枚手に取る。丁寧な字で書かれた、スズカへの特別な思い。天皇賞の走り、間近で見ることを心待ちにしていたようだ。
「スズカ、スズカ、スズカ……最近そればっかりだな」
テーブルにある、ウマ娘の専門誌に目をやった。表紙を飾るは、栗毛の美しいウマ娘。エメラルドグリーンの瞳と勝負服、西洋風の顔立ち。スペの対極にある、洗練されたスタイル。確かに眉目秀麗なのだが、正直言って女子としては好みじゃないし、この目つきがどうにも―
バカか。娘の親友に嫉妬してどうする。
キャシィに『ごめん』のポーズを取って、自分の頭を小突く。15年育てて、嫌というほど知っている。スペは、私の『同類』ではない。スズカに向けているのは、純粋な友情の気持ちだ。邪なのは私の方に決まっている。
ただ、若干不安もある。母親としてああは言ったが、スペの性格だ。頭の中から『スズカ』の3文字以外が消去されてしまう可能性がある。せっかく作り始めたあの子専用の蹄鉄も、モチベ低下で使われなくては元も子もない。
「お友達も良いけど、たまには私らのことも思い出して欲しいね。あんたもそう思うでしょ? キャシィ」
仏壇で微笑むキャシィに、そう呼びかける。死者である彼女は変わらない。あの頃のように美しいままで、私とスペを見守っている。
スペに託したのは、キャシィと私の夢だ。サイレンススズカは、スペの夢なのだろう。自分の夢が両親のそれを越えていくのは、子供の成長の証だ。親としては、なんとも寂しい気持ちになるけれど。そう思いながら、天井を見上げた。
来年は、スペも天皇賞を走る気だ。
ウマ娘の、アスリートとしてのピークは短い。一般に最高峰とされるトゥインクル・シリーズは、肉体の絶頂期、十代後半を費やして走り抜く。その後はシニアとしてドリーム・シリーズを走るか、引退後を見越してコーチや教職の資格を取る者が殆ど。中には人気を利用して、タレントやモデルに転身する者もいるが、スペの性格上、そちらの道は土台無理だろう。踊りは大分マシになったけどね。
時に30歳を越えても現役続行する人間とは、決定的に異なる儚さと、一瞬の煌めき。その輝きに魅せられて、あるいは種としての本能のため、彼女たちは今日も走り続けている。
初めから『日本一』を目指したスペの夢は、どこにたどり着くのだろう。他のウマ娘と同じか、それとも。
再び、彼女の顔を見る。
あの子がどんな道を行こうと、支えていける。今の私には自信があった。なんたって私には、キャシィの魂がついているのだから。