少し離れた駅前まで買い物に出かけた、西日のきついある日のこと。学園まで戻る道の途中で、とあるウマ娘を見かけた。
学園指定のジャージを着た少しクセのある黒い髪のウマ娘だ。青い薔薇のついた特徴的な帽子をかぶっている。
ジョギングの途中なのだろうか、膝に手をついて、休憩中らしい。
ジャージで細かくはわからないが、少し心配になってしまう程、小柄で、華奢な体。
師匠の教えから、癖になりつつある分析をさっと行う。
得意距離は、なんだろう? ステイヤーだろうか? 軽い体はステイヤーに向いていると言えるかもしれないが、小柄さは、ストライドの広さにおいて不利に働く。その上ポジション争いに使わなければならないスタミナも増える。故に、歩数の増える長距離に適性があるとも一概には言い切れない。
また、スプリンターの中にもニシノフラワーのように小柄な子もいるため、こちらも才能がないとは限らない。
だめだ。やっぱり少し見ただけじゃ、情報があまりにも足りない。
師匠や、東条さんとかなら別として、少なくとも、僕程度ではすぐに距離適性を見極めることはできない。こうして、初めて見る子は積極的に観察して、目を養おうとはしているのだが、これがなかなか難しい。
……やっぱり才能がないのかなぁ。
「ふぅ……休憩おしまいっ。早く戻って……そしたら、次のメニューをやらなくちゃ。」
思考がネガティブな方に振れている間に、彼女は、もう息を整えおえたようだ。
早いな……。心肺機能はかなり強そうだ。その上、ここから帰ったあとさらにトレーニングを積むらしい。やはりステイヤー、それもかなりの実力者なのかもしれない。
すごいなぁ。どうしたら、あんなにもすごいウマ娘を育てることができるのか。きっと、師匠のような優秀なトレーナーさんがついているのだろう。
あんなふうに、ウマ娘のことを支えることができたなら……。
「がんばれライス、がんばれー……おー!」
そうして自分を鼓舞し、また走り出した彼女のフォームは、とても綺麗だった。強いバネを感じさせる走りだ。小柄な体躯ながら、纏う覇気にはどこか目を引かれるものがあった。
「僕も……頑張らないとな。」
小柄で頑張り屋なその女の子に、少しだけ勇気をもらった。そんなある日の夕方だった。さっきまでキツく感じた夕日が、少し優しくなった気がした。
そんなことを思いながら彼女と同じく学園方向へと続く道を追っていると……。
「……………………」
……彼女は走り出してすぐに赤信号に捕まってしまった。なんとも幸先の悪いスタートである。
その後も……。
「…………はぅ。」
またも赤信号に捕まった……。どうにも、今日はこの道との巡り合わせが悪い気がする。
少し遠回りにはなるが、脇道に逸れよう。そう考えていると、前を走る黒髪の彼女も、商店街を通る脇道へと逸れていった。
考えることは同じらしい。
しかし……。
「あぅぅぅ……!!」
しかし、まわりこまれてしまった!
とでもいうかのように、こちらの道でもしっかりと信号に捕まる……。恐るべき頻度だ。たずなさんのパワー不足の指摘だってここまで多くはない。
なかなかに、ついていない日だ。
目の前の彼女も、これには耳が垂れ下がってしまっている。無理もない、これではろくにトレーニングにならないどころか、後に控えている他のトレーニングにも差し障りかねない。
「……………………っ!」
おや? こちらを不安げな目で見ている。
あれは……まさかストーカーを見る目!? いや待て誤解だ。
僕は、個性派な人たちと違って、ただのスーツ姿だから、一般人と見分けがつかないかもしれないけれど、仮にもトレセン学園のトレーナーだ。ちゃんとトレーナー用のバッチもつけている。
……実績的に本当にトレーナーを名乗っていいのか最近不安になってきたけれど、それでもトレーナーなんだ! 行き先が同じなのだから、道がかぶるのは許して欲しい……。
僕は断じて、いいウマ娘の足を見ると撫で回したくなったり、仕事帰りにたまたま見つけた少女をつけ回したりするような変質者ではない!
そんな僕の心の叫びとは裏腹に少女は走るペースを上げた。
終わりだ……。人ではウマ娘に追いつくことはできない。今から走って追いかけてもまず間に合わないだろう。よしんば追いつけてもこちらの息が整う前にさらにペースを上げられるのがオチだ。
その上、ここは郊外。僕の行動のせいで彼女が事故でも起こしてしまったらと考えれば、下手に刺激するわけにもいかない。
後で、あの子の担当さんを調べて謝りに行こう……。
そう思っていたのだが、その後も信号という信号に捕まり続け、結局彼女は僕を引き剥がすことができないままトレセン学園に帰ることになった。
終始、涙目でこちらを気にして走り、時には、信号が青になった途端に全力に近い勢いで飛び出すこともあったが、ついぞ引き離すここのできなかった彼女。
その上、日も既にとっぷりと暮れてしまっており、夕飯などのことを考えれば、当初のプラン通りにトレーニングが進まないことは明らかだ。
なんというか、いっそ不憫である。
ともあれ、ここまで距離を取られずに来られたことは、僕にとって好都合だ。なんとか誤解を解こう。
「あのっ……すみません……!」
そんなことを考えていたら、いつの間にか、件の少女が目の前まで来ていた。
……まさかあちらから話しかけてくるとは思わなんだ。
学園に迷惑をかけないようにという配慮だろうか? 目に涙を溜めながら、ストーカーの対処を自らしようとしている様は、なるほど勇気のあるものだが、あまり褒められたことではない。
いくら彼女の方が膂力が上とはいえ、こういう時は、自分で対処しようとはせず、大人に任せるべきだ。彼女は未来ある競技者の卵。その勇気は他の場所に取っておくのが吉だろう。彼女自身が危ない目に遭わないよう、指導をしなければなるまい。
……いや、そもそも僕はストーカーじゃないし、危険性なぞあるはずもないけれど。
「あの、あの……ごめんなさい……!」
何から語ろうか、考えている間にも彼女は言葉を紡いでゆく。
ふむ。初めから相手に対して、はっきりと拒絶の意を述べるのは見事だ。しかし、どうにも不安げで、声は震え、目に溜まった涙は決壊寸前。耳もへにゃりと折れ曲がってしまっている。その様子は、まるで、叱られる寸前の子供のように見えた。
まずは、誤解を解くことが先決だ。
「待って待って、君は何か勘違いをしてる。」
「で、でもでも、ライスのせいで……!」
「この件に関して君に落ち度はないよ。そもそも、今回の件は、君が思っているようなものではないし。」
なかなか話を聞いてもらえそうにないので、強引に被せるように声を発した。
「だって、ライスがそばを走っていたばっかりに学園まで戻るのに、こんなに遅くなっちゃって……」
「だって、僕は君のストーカーじゃなくて、学園に戻ろうとしていただけのトレーナーだからね」
僕と少女が言葉を発したのはほぼ同時だった。
しかしながら、内容が驚くほど食い違っている。
「「ん……?」」
お互いが、違和感に気づき動きを止める。沈黙の中、なんとも言えない空気感が二人の間を通り抜けた。
「ごめん。今なんて?」
「そ、その……ライスのせいで、戻るのが遅くなっちゃったって……」
「僕のこと、ストーカーだと勘違いしてたわけじゃないの?」
「そっ、そんなこと思ってないですよ!?」
首が取れそうなくらいブンブンと頭を振って否定している。
どうやら、僕の自意識過剰だったらしい。
は、恥ずかしい! この歳になって自意識過剰とかすんごい恥ずかしいよ!? 一人きりなら、わけわからんことを口走りながら、床を転げ回るレベルで恥ずかしい!
いや、今はいい。とりあえず、ストーカー疑惑をかけられていなかったことを素直に喜ぼう。
……ん? それにしても『ライスのせいで、戻るのが遅くなっちゃった』とはどういうことだろう。
そのことについて聞いてみると、先ほどまで激しく揺すっていた頭の動きがぴたりと止まり、彼女は俯いてポツポツと話し始めた。
「ライスのせいなんです。ライスは、すぐみんなを不幸にしちゃうダメな子だから……。」
そう語る彼女の視線は、懺悔でもするかのように、どんどん下がっていってしまっている。
そんな、いるだけで人を不幸にする存在など、いるはずがないと思うんだけど……。
どうすれば、そんなことはないとわかってくれるだろうか。少し答えに困っていると、その様子を見た彼女はさらに縮こまってしまった。
「ごめんなさい……。で、でもライスがいなくなれば大丈夫ですから!それではっ……!!」
言い切ると、こちらが止める間も無く彼女は駆け去ってしまった……。
あれほど気にさせたまま放っておくのも可哀想だ。
考えすぎだと、伝えに行くことにしよう。
僕は、彼女の後を追いかけることにした。