ライスと名乗っていたウマ娘の選抜レースの当日。
会場はトレーナーからのスカウトを狙うウマ娘で溢れていた。
あのあと調べたところ、彼女のフルネームはライスシャワー。データによればステイヤー気質の選手だが、この年齢であることを考えれば、驚くほどに能力がまとまっており、短距離でも十分に戦えるタイムを安定して出しているようだ。
加えて、彼女の言葉通り、所属なし、つまりフリーのウマ娘だった。俄には信じ難いことだが、独学でより早く走るための修練をたくさん積んできたのだろう。素晴らしいとしかいえない向上心と技術、そしてセンスを持っている。今日のレースではその成果を存分に見せてくれるはずだ。
そして、きっと相応しいトレーナーの下に……
「はぁ……」
彼女は間違いなく素晴らしいウマ娘だ。それこそ僕にでもわかるほどに。
おそらく、トレーナーを続けることを考えるのなら、彼女の才能で、レースに勝ってもらうべく、彼女に選抜レースの前からアピールをして、選抜レース前にほとんどの手続きを済ませてしまった方がいいのだろう。
けれど、それは僕自身のトレーナーとしての矜持が許さなかった。正面から戦って、ウマ娘自身に最良の選択をしてほしい。それは、僕の夢であり、目指すべき姿だと思うから。
まぁ、そんなかっこいいことを言っておいて、本当はまた一つの才能を自分の手で叩き潰すのが怖いだけなのかもしれないけれど。
それにしても、なかなか姿が見えないな。そろそろ彼女の出走するレースが始まる頃合いだけど……。
「ライスさーん! ライスさんライスさんライスさんッ!? どちらにいらしゃるのですか、ライスさぁぁーーんッ!!」
よく通る声の生徒が、観客席に走り込んできた。広いおでこに快活な様子がチャームポイントであるそのウマ娘の名前は「サクラバクシンオー」。
やや行動が空回りがちで、よく問題を起こしてしまうものの、トレーナーの間では卓越したスプリント能力が噂される注目のウマ娘だ。
彼女も今日の選抜レースに出走すると聞いていたが、どうやら、ライスシャワーのことを探しにきたらしい。
「学級委員長たるこの私が、貴方の出走が近いことをダッシュでお知らせしに参りましたよーッ!?」
「そう言うサクラバクシンオーさんこそ、次のグループですよね? 出走準備、お早くお願いします!」
「ちょわっ!?」
だが、きたところをすぐに係員さんに捕まって、連行されていってしまった。
レース前に、体を温めるレベルを超えて走ることは基本的には推奨されていない。わざわざ、ライバルであるライスシャワーを探すために体力を使うなんて……。
根本的にズレてるだけで、良い娘なのかもしれないな……。彼女の武勇伝?を聞いている限りでは、もっと突飛な娘だと思っていた。
その後も姿を表さないライスシャワーを、係員さんが探していたが、結局見つかることはなく、ついにレースが始まってしまった。
「……ライスシャワー、とうとう選抜レースまでボイコットか。資質としてはいいものを持っている娘なんだがなぁ。」
「そもそもレースに出たがらないのでは……資質以前の問題ですね。」
「……まぁ、来ないものを気にしていても仕方ないさ。デビュー前の娘の実際の走りを見る機会は少ない。お互い、チームのためにも頑張るとしよう。」
「……そうですね。今は集中しましょう。」
先輩のトレーナーたちも眉間に皺を寄せ、話を進めている。
資質以前の話。心構えを指す言葉なのだろうが、あの日、ライスシャワーを見た身としては、どうにも彼女の持つ思いがそう軽いものとは思えない。
あの日彼女に抱いた印象は「孵化する直前のひよこ」だ。自分自身を変えるために、弛まぬ努力を重ね、もがいていた彼女とボイコットという行為はどうしても結び付かなかった。
そんなもやもやとした気持ちを抱えていると、気づけば選抜レースが終わっていた。ライスシャワーのことが頭をチラついて、どうにも集中しきれていなかったのだ。
ライスシャワー以外にも目をつけていた娘はいたのだが、どうやら皆、契約を済ませた後らしい。
この業界に入って、短くない時が経とうとしていると言うのに我ながら情けない。何をしてるんだろうな、僕は。
結局、その日、ライスシャワーは現れず、僕自身もなんの収穫も得られないまま選抜レースは終わってしまった。