マッチ売りの少女が元ネタになりますが、頭の中に浮かんで書きたくなってみたことを書いてみました。割と考えてみたことある人は多いかも?
・かなり残酷描写があります。人によっては文章を読んで不快感、嫌悪感を抱かれるかもしれません。NGの人はブラウザバックです!
※ノベルアッププラスに置いていたものを、ハーメルンへ移動させたものになります。
身を震わせる冬の風が、白い雪の積もった街を吹き渡っている。石畳の大通りでは誰もが外套の襟を立て、出来るだけ風に当たらないようにと、マフラーに顔を埋めて、足早に家路を急いでいる。暖かそうな分厚い毛糸の手袋をしていても芯から冷えるのか、手に何か持っている人以外は皆ポケットに手を突っ込んでいた。
陽も落ちて暗くなってきた空には灰色の分厚い雲がすっかり立ち込めていて、そう時の経たないうちに雪が降りだしてきそうだった。人通りが途絶えた後の夜に眠る街へ降り積もり、その足跡を消してしまうのだろう。
そんな冬の街に、一人の少女が籠を抱えて立っていた。ほうと小さくため息をつく姿は可憐と言う他なかった。しかし、誰も触れていない新雪のように滑らかで白い肌は、今は煤すすけたようにくすんでいた。ぼろの当たった赤い布を被って後ろで無造作に結われた長い金色の髪は、本当なら輝くばかりだろうに、手入れがされていないのかあちこちに痛みが見て取れる。おまけに長いこと櫛を通していないためかあちこちが跳ねていて、お世辞にも綺麗な髪だとは言い難かった。可愛らしい、形の良い唇は微かに震えて、手袋の無い両手に、はーっと息を吹きかけて仮初の温もりを与えようとしていた。
「マッチ、マッチはいかがですか?」
通りを行き交う人々に寒さで震えそうになるのを必死に抑えて声を掛ける。しかし、足を止めてマッチを手に取ってくれる人は誰もいない。声を掛けてきたものなど初めから存在しなかったように何の反応も示さずに無視を決め込むか、良くてその少女に向かって冷たい視線を一瞥いちべつくれるくらいがせいぜいだった。
少女の名はシャーロットといったが、この街に暮らす人でその名を知っている人は誰一人としていなかった。少女はこの街の住民ではない。いわばよそ者だった。この街から歩いて二時間ほどもかかる、深い森の奥に父親と二人で暮らしていた。家で作ったマッチを売るために、シャーロットはこの街を訪れていた。
もうずっと昔、父親は手製のマッチを持って冬の街に売りに出かけたところ、随分と儲けて金貨を何枚も手に入れたことがあるらしい。といっても、うまく行ったのはそのたった一度きりなのだが。その時の成功があまりにも強烈に残ってしまったのか、父親はそれからマッチづくりに取り憑かれたようになってしまったのだった。
頭薬とうやくの調合から軸木じくきの選定、さらには原料となる鉱石の採掘まで、執念といってもいいくらいの情熱をマッチづくりに傾け、シャーロットの父親はついにはそれまで住んでいた農村を離れ、深い森の奥、燐りんやらなんやらの鉱石を採掘することが出来る洞窟どうくつのすぐ傍に小屋を建ててそこに移り住むまでになってしまったのだ。森に移り住んだのはシャーロットがまだ物心つくよりもずっと前のこと。シャーロットはずっと森の中で暮らしてきたのだった。
母が病に倒れて帰らぬ人となってからは、マッチを売りに行くのはシャーロットの役目となった。この数日も父親の言いつけに従って、マッチを売りに来たのだ。
しかし、朝から晩までこうして冬空の下、凍えるような風に吹かれながら声を掛けているのだが、未だ、ただの一つも売れてはいなかった。
「あの、マッチを……」
「どけっ! 邪魔だ!」
大きな箱を左手で抱えて大股で歩く、黒いハットを被った初老の男に近づいて声を掛けてみるが、帰ってきたのは怒号どごうだけだった。ステッキを持った右手で勢いよく突き飛ばされ、シャーロットは石畳の通りに倒れてしまった。積もっていた雪が跳ね、抱えていた籠からマッチの箱が散らばる。
「あうっ!」
「全く、薄汚れた浮浪者のような格好でこの私に近づきおって! あの子へのプレゼントが汚れたらどうしてくれるつもりだ……」
初老の男は咥くわえていた火のついたままの葉巻を道端にぷっと吐き捨て、灰色交じりの口ひげを撫でつけると、不愉快な気分を隠そうともせずにぶつぶつと文句を呟いて、シャーロットの身体が触れた外套の袖を拭いながら立ち去っていく。
しばらくの間、シャーロットは雪の中に倒れ込んだままでいたが、誰も彼女に手を差し伸べようとする者はいなかった。シャーロットは深いため息を吐き、冷たい雪が積もった石畳に手をついてゆっくりと体を起こした。手のひらを押し付けられて溶けた雪がその肌を濡らす。
「プレゼント……そっか、今日はクリスマス・イブだったわね……そんなこと、すっかり忘れちゃってたわ……」
シャーロットは俯いて雪水ゆきみずに濡れる手のひらを見つめ、ぼんやりとした口調でぽつりと独り言ちた。
雪の中に座り込んだまま、顔を上げて周りを眺めてみれば、忙しなく行き交う人々は華やかな飾りのついた色とりどりの包み紙で包装され、リボンのついた箱を抱えていた。どれも家族へのクリスマスプレゼントなのだろう。
さっきの初老の男も、火の入った、薪たきぎの時折爆はぜる暖炉と笑顔で迎えてくれる家族や大切な恋人の待つ暖かな家へ帰るのだろう。
自分には何もない。森の家には暖炉なんてものはないし、机の上はマッチの軸木じくきや頭薬とうやくの削り滓かすが散らばってばかりだ。チキンの匂いなんて漂ってきたことはない。部屋の中で漂っているのは火薬と鼻を突く妙な薬品の臭いばかり。綺麗なリボンに包まれたプレゼントなんて、一度だって貰ったことはなかった。
ふと、目の前を白い何かがふわりと過ぎ去って行った。冬空ふゆぞらを仰ぎ見ると、白い雪がしんしんと舞い落ちてきていた。とうとう雪が降り始めたのだ。深いため息をもう一度吐き、足にぐっと力を入れて立ち上がる。スカートに付いたままの雪を手でぱっと払った。どうせすぐに降ってきた雪に濡れることは分かっていたが。
すう、と息を吸い、再び道行く人へ声を掛ける。立ち尽くしてただ震えているだけではマッチは売れない。たとえ望みは薄くても、それでも声を掛け続けるしかなかった。
「マッチ、マッチはいかがですか? どんな物でも火がつく便利なマッチです。いかがですか……」
それから、雪の降り続ける中、声を掛け続けてしばらくのこと。シャーロットがどれだけ声を掛けようとも、マッチが売れることはなかった。
明かりは家々の窓から洩れてくる暖かそうな光と、まばらにしかない、街灯として灯された蝋燭ろうそくの頼りない光だけだ。
通りもさっきまでは溢れるばかりの人波であったのに、歩いている人はもうちらほらとしか見られなくなっていた。
絶え間なく吹き続ける雪風は容赦なくシャーロットを凍えさせた。今、シャーロットは少しでも風を避けようと、路地裏に入り込んで蹲うずくまっていた。歯の根が合わないほどに身を震わせ、かじかみ赤くなった指先に潤うるんだ瞳で息を吹きかける。
「ああ……寒い……寒いわ……もう凍ってしまいそう……」
涙さえ凍りついてしまいそうに思えてくる。息を吸い込む度に身体が内側から冷えていってしまうようだ。
一際風が強く吹きつけた。肌に突き刺さるような凍てつく風に、思わず腕で顔を覆う。
──もういっそ、このまま凍ってしまおうかしら。そんな考えがつい浮かんでくる。このまま降り積もっていく雪に埋もれて、凍てついた氷の像になってしまえば、もう寒さなんて感じなくなれるのかもしれない。
はあ、と深く息を吐き、瞼まぶた瞼を静かに閉じた。
ああ、段々と身体から感覚が遠くなっていくように感じる。吹きつける風の音も、震える指先の痛みも、積もり続けている雪の冷たさも、何もかもが遠くなっていく──。
「きゅうん」
その時、耳に届いたのは高い、甘い鳴き声だった。
閉じていた目を開け、霞かす霞む視界の中で声の主を探す。
「……だあれ?」
「きゅうん。きゅん」
問いかけの言葉に応えるように、再びその声が聞こえた。そして、目の前に赤みを帯びた茶色の塊がやってきて、シャーロットの頬にすり寄るように触れてきた。それは、もこもことしていて、とても柔らかかった。
感覚の遠くなってしまった肉体へ鞭打つように、腕に力を入れて身体を起こしてよく見てみると、それは子狐だった。茶色の塊に見えたのは毛を纏まとった狐の体だったのだ。こんな街中にどこから迷い込んできたものかわからないが、その子狐はつぶらな瞳で心配しているようにシャーロットの顔を見上げていた。
子狐もまた凍えていた。背中や尻尾には降ってきた白い雪が点いていて、身体は小刻みに震えている。しかし、子狐は自分もまた寒さに震えているのに、シャーロットの冷え切った、子狐の毛に覆われたその身体よりもずっと冷たい指先を暖めようと、その身をすり寄せていた。久しく感じていなかった温もりに、シャーロットは頬が緩む。どんな暖炉にあったりするよりも暖かく思えてしまう。胸にぼんやりとした、しかし、優しく包んでくれる暖かなランプの明かりが灯ったように思えた。
「あなたは暖かいのね……。触れさせてくれてありがとう……。氷みたいでしょう? 私の手……。陽が落ちるまで風に吹かれているとこんなふうになってしまうのよ」
「きゅんっ」
「ふふっ」
シャーロットがゆっくりとその背中を撫でると、子狐は嬉しいのか、一際高い声で鳴き、ますますその身体をシャーロットに預けるようにした。
シャーロットも笑みをこぼし、子狐を両腕で抱えあげて胸に抱く。胸に温もりが広がり、しばらくの間、シャーロットは言葉もなく子狐を撫で続けた。
「くしゃん!」
どれくらいそうしていただろうか。凍てつく風が再び強く吹き込んできた時に、子狐は身を震わせ、小さなくしゃみをした。
「まあ……大丈夫かしら、狐さん? そうよね、こうしていても、やっぱり寒いわよね……」
シャーロットは子狐の背中をさすってやるが、子狐は再びくしゃみをする。こうしてふたりで寄り添っていても、遠からず凍えてしまうのは明白だった。なんとかしてあげたい。
はあ、とため息をこぼして、子狐の背を撫でて考え込んでいたシャーロットだが、脳裏に閃いた名案にはっと息を呑み、目を見開いて勢いよく立ち上がった。
「そうだわ! そのあたりのよく燃えそうな家にマッチで火をつけて暖まれば良かったじゃない! ああ、どうしてこんな簡単なことにも気が付かなかったのかしら!」
子狐を抱えた胸の前で小さく手をぱんと打ちあわせ、シャーロットは感嘆の声を上げた。子狐にはシャーロットの言葉は分からなかった。だが、目の前の少女が何の穢けがれもない、清らかな微笑みを浮かべていることに、安心感と嬉しさを覚え、きゅうんと短く鳴いてその顔をシャーロットの胸へとすり寄せた。シャーロットは浮かべていた微笑みを深くして子狐の頭を優しく撫でてやる。
「そうとなれば、良く火のつきそうな良い家を早く見つけなくっちゃね! さあ、行きましょう! 狐さん!」
希望が出てくれば沈んでいた気持ちも浮かび上がり、足取りも軽くなるというもの。天使のように清らかで可憐な微笑みを浮かべ、シャーロットは狐を抱きしめたままに歩き出した。
「あら、この家なんて良く燃えそうじゃない!」
しばらく歩いた先でシャーロットが見つけた……もとい、シャーロットに見つかってしまったその家は、深い茶色の樫材で作られていた。
窓からはランプの暖かな光が漏れ、どこからか香ばしい焼けたチキンの匂いとシチューの甘い香りが漂ってくるのと一緒に、楽しそうな家族の談笑が漏れ聞こえてくる。
三階建ての立派な邸宅ていたくといっていいつくりのそれには、屋根付きの玄関が拵こしらえられていた。そこには、扉にも柱にも紋章と一緒に、豪奢ごうしゃで繊細せんさいな装飾がいくつも施されていて、いかにも金持ちの住まいといった佇たたずまいをしている。
吊り下げられたランプは扉に飾り付けられているクリスマスリースに光を投げかけ、きらびやかに輝かせていた。
通りを歩いている人はまばらで、もう一人か二人くらいが遠くに見えるかどうかといったくらいだった。もうすっかり夜となって雪も降っているのだ。この家の住人のように、ほとんどの人はもう暖かい家に帰ってクリスマス・イブを楽しんでいるのだろう。
隣家と接している、通りから数歩入った、家の側面へと回り、シャーロットはいったん胸に抱いていた狐を下ろして籠の中のマッチへ手をやる。雪は相変わらず振り続けていたが、今は風も少し和らいだようで、ただ静かに、しんしんと降り積もるばかりだった。
「お父さんには、開発の方向性が間違っている、って何度も言っているのだけれど、聞いてもらえないのよね。もっと使い勝手のいいものを作らないと買ってもらえない、って私は思っているのだけど……火力だけをひたすら求めても高くなっちゃうだけなのに。でも、お父さんは火力があればいい、売れないのはお前の売り方が悪いせいだ、の一点張りなの……ほら見て、狐さん! 中々すごいでしょう?」
狐に向かって半ば愚痴のように語り掛けながら、シャーロットは携えていた籠の中からマッチの箱を一つ取り出した。箱、と言っても中に入っているマッチは一本だけだ。華奢きゃしゃなシャーロットの手では何とか指が届こうかというくらいに太い、薪まきか何かのように太い軸木じくきで出来ていて、半ば小さな松明のようにさえ見える。頭薬には燐の他に特殊な鉱石や金属粉、発火薬が調合されて塗りつけられ、擦りつけて発火させるための一部以外には非常に燃焼性の高い樹脂が塗られて固められていた。シャーロットの父親がマッチに求める機能として、ただひたすらに激しい火力と燃焼性を追い求め続けた執念の結果として出来上がった代物だった。多少荒さのあるざらついた面、それこそ木材や石畳などの表面で擦れば、簡単に燃え盛る炎を得ることが出来る、シャーロットの父親からすれば欠点の無い完璧なマッチであった。
その時、明かりの洩れる窓から中の様子を覗き見ることが出来た。賑やかな談笑の声にふと気を引かれて眺めてみると、閉め切られていない扉の隙間から覗く奥の部屋で、灰色交じりの口ひげを撫でつけた男が顔の皺を歪ませ、笑い声を上げていた。見覚えがあったので思い出してみれば、思い切り腕をぶつけて突き飛ばしてきたあの男だった。
ご馳走の並ぶ机の向こうには妻子なのだろうか、男よりもずっと若い女とまだ幼い小さな男の子が同じように楽しそうな笑い声を上げていた。男の子の傍らには派手に破いた包装紙と開いた箱があった。きっと男が抱えていたプレゼントの箱だろう。
「あら、さっきの乱暴なおじ様……あの人がこの家の住人だったのね。まあそんなことはどうでもいいわ」
窓の向こうの景色から視線を戻したシャーロットは、傍らの狐に対して可憐で清楚な微笑みを向ける。
「大事なのはこの雪の降る夜空の下で凍えている、私と狐さんが暖まれるかどうかだもの、ね?」
「なあなあ、お嬢ちゃん! そこで何をしてるのかなぁ~!?」
さて、それではいよいよマッチを擦って火を点けようかというところで、背後から突然声がかけられた。
シャーロットが振り返ると、よれよれの外套を羽織った小汚い格好の若い男が下卑げびた笑みを顔に貼り付けて立っていた。一目で見て取れる程に、その男は太っていた。肥えている、と言った方が、より男の様態ようたいを正確に表現できているかもしれない。でっぷりと丸い腹は樽たるのように膨らみ、突き出ていて、男が身体を揺らすたびに付随して波打っている。
肌は脂でぎらついて見え、髪は何で撫でつけたものかわからないが、鯨油のようにも見える、脂っぽい照りがあった。薄汚れた顔には無精髭が無造作に生えていて、清潔さの欠片も感じられなかった。
小柄なシャーロットに比べて頭二つ分は優に身長の高いその男は、覆いかぶさるように通りへの道を塞いでシャーロットの傍に近づいてきた。嫌悪感を抱かせる、馴れ馴れしい調子で男はシャーロットに話しかけてきた。
「なあに、何もお嬢ちゃんの邪魔をしようってんじゃないんだがよお、ことと次第によっちゃあ、自警団の連中を呼ばなきゃならねえかもしれねえ。良き市民の義務ってやつさ! だけどな、俺としては、お嬢ちゃんが凍えている俺のことを暖めてくれるかどうか、そっちの方に興味があるのよ!」
ぐふぐふ、と荒い鼻息を漏らし、野卑やひな言葉を吐いて、男はシャーロットの身体へと無遠慮に、爪の間に垢のたまった汚い手を伸ばしてきた。
「なに、ちょっとの間、俺の言うことを聞いてくれりゃあ、それでいいのよ! なにも悪いようには……」
男がそう言って、シャーロットの胸の膨らみに、薄汚れたその指先が触れようかというところで、男の腹部にどんっ、と軽い衝撃が走った。
「はっ?」
男が最初に感じたのは違和感だった。目線を下に向けると、薄手の外套を突き抜け、自分の腹部にどす黒く変色した血糊と滲んだ脂とが残る、片刃の短剣が突き刺さっていた。ちょうどシャーロットの肘から先の腕の長さと同じくらいのもので、彼女が携えていた籠の底にちょうど収まるようにして入れていたものだ。刃に元々巻いていた、血と油でどす黒く変色している布は既に後ろへ投げ捨てている。
シャーロットが短剣を勢いよく引き抜くと、生暖かい液体──決して自分の体外に流れ出すことなど無いはずのもの──が、どろりと溢れ出すようにこぼれ出していった。剣が突き抜けたその周りがじわじわとどす黒さを帯びた赤に染まっていく。
「は? はっ? なに? なんで?」
それは無意味な問だった。しかし、勝手に口から言葉があふれ出すのは止められなかった。頭が働かない。自分が置かれた状況の理解を拒否しているかのようだった。
行商に来ていた余所者のマッチ売りの少女。ここ数日の間、それとなく様子を眺めてみれば一人きりのようだった。男が獲物にしているのはこうした可哀そうな少女たちだった。生活に困り、一人で街を訪れている、普段は農村で暮らしているような少女。一緒に連れ歩く者もなく、人通りも絶えて寂しくなった夜道を歩く少女の後をつけ回し、路地裏へと引きずり込む。それが男の手口だった。
いつもの酒場で安酒をひっかけ、夜も深くなるのを待って戻れば、目をつけていたマッチ売りの少女がちょうどどこかへと歩いていくところだった。暗がりに近づいたところで脅して手籠めにしてやろうと、下卑げびたよこしまな思惑を抱いて後をつけてみれば、何とも怪しいことをしているではないか。これは逃す手立てはない、と出てみれば、自分の腹に剣が突き刺さって血が溢れ出している。なぜ。なぜ。なぜ。
「人を刺すのはあんまり慣れていないのよね。しかも、熊や狼と違って毛皮もないから利用できるところも少ないし。皮を剥ぐのが大変なのに、固くって別にそんなに美味しいわけでもない。腸はらわただってひどい臭いがするしで、後始末が大変なばっかりなのよ」
シャーロットは小さなため息を吐いて、面倒そうに眉を下げてそう言った。
自身の理解を超えたものに対する、原始的な恐怖に駆られた男は上擦った声で叫ぶが、それは最後の言葉まで続くことはなかった。
「な、なに言ってやがる! ふざけやがっ……!」
「いけない、喉笛を斬るのを忘れちゃってた」
スープに仕上げの塩を入れるのを忘れていたかのような気軽な調子でそう言うと、シャーロットは刃を男の首元目がけて振った。ひゅん、と軽い音が耳に届いたと思った瞬間、男の喉笛は一直線に斬り裂かれた。噴き出した血に塗れた傷口からてらてらとした肉の色が覗く。
「ごぶっ! かひゅっ……! ひゅごっ……! ヒュー……ヒュー……」
男は血まみれの両手を自分の首元へやって、握り締めるように傷口を締め付ける。狂ったようにぱくぱくと口を動かすが、もはや声がそこから出てくることはない。閉まりの悪いドアから吹き込んでくる隙間風のような、か細い音しか洩れてくることはなかった。
「叫ばれて数が増えるのも面倒なのよね。狼なんて鳴き声が遠くまで通るからもう大変。私の力じゃ首を斬り落とすなんて出来ないから、とどめを刺すまでに何度も刺さなくちゃいけないもの」
何の感慨もこもっていない、本当にただ面倒な芋の皮むきでもやっているかのような口調でそう言ってから、シャーロットは小さなため息をついて再び短剣を男の腹部に突き刺す。
何度も、何度も、何度も、突き刺し、刃を引き抜く度に捩じ切るようにぐりぐりと動かし、肉を抉る。ぐじゃり、ぐちゃり、と不快な音がその度に聞こえてくる。
あまりの激痛に男は叫ぶが、それはもう声になることはない。ただ咽むせこんだようなヒュゴッ……カフッ……という音が時折漏れてくるばかりだ。開いたままの口からはだらだらと涎と共に咽こんだ拍子に溢れてきた鮮血が流れ出る。
「たまにね、あなたのような人が家にやって来ることがあるのよ。汚らしい格好をした人たち。盗賊でもしていて、森を彷徨さまよっていた人なのかもね。どうでもいいけれど。それでね、お父さんは洞窟の方の工房に籠ってばっかりだから、私が戸口に出るのだけれど。最初は紳士っぽい態度を取るのよ。だけどね、私一人しか家にいないとわかると、途端に態度が変わって家の中に押し入ってくるの」
肉を抉り、斬り裂く刃を休めずに、シャーロットは口を開く。
「でも、やることはみんな同じね。すぐに私の身体に触ろうとしてくるの。いやらしい目つきをして、両腕をそうやってまっすぐに伸ばしてくるでしょ? だからね、腹にこうやって突き刺しやすいのよ」
こうやって、と言ったところでシャーロットはまた再び短剣を深々と男の腹に突き立てる。男の体はもうびくんびくんと不規則に痙攣けいれんするばかりだった。
「一度真っ正面から腹に突き刺して、それからすぐに喉笛を斬り裂くでしょ? そしたら声ももう出せないし、逃げたり反撃したりするよりも、まず自分のお腹から溢れた血にびっくりしちゃうの。だから、その後に腹から胸に向かって突き上げるように何度も何度も突き刺すの。引き抜くときにはぐりぐり抉るように動かすのも忘れずにね。こうすれば骨に邪魔されずに肺も、心臓も、大きい血管もぜーんぶ斬れるから簡単に殺せるの」
そう言ってシャーロットは短剣を持ち変え、両手で柄を握り込むと、今度は刃を横向きにして脇腹から骨の隙間を狙い、思い切り突き入れる。刃を引き抜く度に、今度は少しずつ上にずらしていき、また思い切り突き刺す。
「あとは肋骨の隙間からもこうやって何度か突き刺せば完璧ね。やっぱり下からやるだけだと完全にやるのは難しいから。でも、狼よりも肋骨の隙間は広いからやりやすくていいわね。ここは人の方が楽かも」
刃を突き立てる手を決して休めず、むしろより激しくして、シャーロットは今日の天気の話でもするように、何でもない様子で悍おぞましい話をし続ける。男の眼球はぐるりと回転して血走った白目の部分だけが眼窩から覗いていた。
「森を歩いている時に襲ってきた狼や熊を殺す時はね、もうちょっと注意がいるの。大体は飛びかかってきてくれるんだけど、そうじゃないと人に比べてあの子たちって体が結構低い位置にあるでしょ、ちょうどいい位置に突き刺すのに姿勢を変えなきゃいけないのよね。それに、一度突き刺されてからの反応も早いのよ。身体を捩じって、逃れようとするの。気を付けないと距離を取られちゃうから、すぐに仕留めなくちゃいけなくて中々大変なの」
そこまで言ったところでシャーロットはおかしそうに噴き出した。その笑顔はとても可憐だ。その手が休まずに刃を突き立て続け、ずたずたに血肉を斬り裂く、ずちゃ、ぐちゃ、という不快な音が絶え間なく続いている、悍ましい光景にはとても似つかわしくないほどに。
「ふっ、ふふふっ! あははっ! すごい! なんだかとっても面白いわ! 女の子を襲う悪い男の人を『狼』って呼ぶらしいけれど、そう思ったらあなたたちってそれ以下なのね! 間抜けに刺されるばっかりで! なんて鈍いのかしら!」
胸と腹の内側に納まっていた臓腑ぞうふを千々に引き裂かれた男はシャーロットの言葉を最後まで聞くことなど到底出来るはずもなく、とうに息絶えていた。
笑い声を上げるシャーロットが短剣を引き抜いた反動で後ろ向きに倒れた男の死体の周りは、どす黒い血だまりと傷口から飛び散った、裂かれた臓物の欠片が散らばっていた。鉄臭さと腸はらわたから漏れ出した汚物の臭いが強烈に鼻を突いてくる。健常な精神を持つものならば一目見ただけで吐き気を催もよおし、何日も悪夢として苛さいなんでくることになるだろう凄惨せいさんな光景だったが、それに対してシャーロットは何も思うことはなかった。自分に害をなそうとし、触れようとして襲ってきた獣けだものを駆除した。ただ、そのくらいのことに過ぎない。
「あらやだ、ちょっと指に付いちゃった」
洗うのが面倒じゃないの、とシャーロットは人差し指についた男の血に眉を曲げて、数歩離れた位置に積もっていた純白の雪に手を埋めて何度か擦り合わせるように手を動かす。少しして雪が赤く染まり、代わりに手に付着してしまった血糊が落ちたことを確かめて、シャーロットはふん、と小さく息をついた。
シャーロットの服にも、身体にも、ついていた返り血はその一点のみだった。あとは短剣にべっとりとどす黒い血とぬらつく脂が付着しているばかりだ。
返り血を全く浴びずに相手を仕留めるのは、数えることすらもうとっくにやめているほどに、これまで何度なく繰り返すうちにシャーロットがいつの間にか身に着けていたある種の技術の一つだった。
「引きずってどこかに持っていくのも面倒ね……これも燃やしておきましょうか。ああ、そうだ、お金だけもらっておきましょう。どうせもう必要ないでしょうし」
目についた、死体の腰元のベルトに結わえられていた革袋を取り外す。揺すってみればちゃりちゃりと金属同士のぶつかる音がする。いくらも入っていないが、そのままポケットへ収める。置いていったところで灰の中に埋もれてしまうだけなのだ。
「お金や食料を持っていることがある。これはもしかしたら狼よりも人の良い所かもしれないわね。毛皮の代わりかしら?」
感心したように小声でそう言って、シャーロットは男の死体に火をつけたマッチを投げる。激しい炎が服に燃え移り、やがて男の身体を焼いていくが、死体自体はぶすぶすと肉の焼き焦げる臭いが漂うばかりで炎が上がっては来ない。シャーロットは不満げに小さく息を吐いた。
「やっぱり人って燃えにくいのよね。血抜きをちゃんとやらないと……お父さんも、火力を追い求めるっていうなら、人の身体くらいマッチ一本で燃やし尽くしてほしいものだわ」
まだまだ足りないわよね、と呟きながら、シャーロットはマッチをさらに擦って死体の上でまだ燃えている、一本目のそれに向かって投げ入れていく。二本目、三本目、と投げ入れ続け、合計で四本目となるマッチを投げ入れたところで、腹にたまっていた脂に火が移ったのか、ようやく炎が死体の全身を包み、赤い光と熱を放つようになった。
「これで良しっと……家の方の火をもっと強くするのに、反対側からも火をつけましょうか。邪魔が入ってしまったけれど、ようやく暖をとれるわね、狐さん」
満足そうに頷いたシャーロットは傍らで寄り添っていた子狐に向かって微笑む。
「知っているかしら、狐さん? 火を失敗なく点けるコツはね、よく乾燥した薪を使うことと、複数のマッチを使って最初の種火を強くすることなのよ!」
ふふん、と得意げに、可愛らしい笑顔を浮かべてそういったシャーロットは楽しそうに歌を口ずさみながらマッチを取り出し、家の反対側へと歩いていった。
「あれ、お父さん、なんだか向こうの部屋が明るいよ?」
シャーロットが反対側の壁へと回っていってしばらく後、閉め切られていない扉の隙間から覗く向こうの部屋がやけに明るくなっていることに、男の子は気が付いた。たくさんのランプが灯されたように強い橙色の光が映っていて、それはなぜか時折揺らいでいるように見えた。
「なに? ベン、何を言っているんだ。そんなことあるはずないだろう」
「あ、わかったわ! ベン! あなた、シチューの野菜が苦手だから、私たちの気を逸らしてその間にお皿から移そうとしてたんでしょ! 騙されないわよ!」
今は扉に対して背を向けて座っている両親は、少年が嫌いなものを食べたくない一心で嘘を言っているのだろうと、彼の言葉を信じなかった。クリスマス・イブとはいっても、好き嫌いは見過ごせない。
「違うって! 本当に明るいんだよ! それに何だか音もするよ?」
「暖炉の音だろう。たまに薪たきぎは爆はぜるものさ」
「もうっ!」
「あっ、こら! ベン!」
ベンと呼ばれた少年は自分の言葉を信じてくれない両親にかちんときて、座っていた椅子から飛び降り、向こうの部屋へと続く扉の把手とってに手をかけた。実際に見れば二人もすぐに分かってくれるはずだ。
ベンは思い切りその扉を開け放った。その先に広がっていたのは、地獄のような光景だった。扉を開けた瞬間、飛び込んできたのは熱と光だった。その部屋の壁は燃え盛る橙色の炎に包まれていて、もう天井まで届こうとしている。ばちばちというmベンが感じ取っていた音は、樫の壁面が炎に包まれ、爆はぜる音だったのだ。壁の近くに置いていた家具や窓に取り付けられていた絹のカーテンは暖炉に放り込まれた薪のように、ただ燃料と化して激しく燃えていた。敷いていた毛足の長い絨毯は一気に燃え上がり、こちら側を飲み込もうとするように炎が迫ってきていた。
「うわあぁぁ! 燃えてる! 燃えてるよ!」
「ひぃぃぃ!」
ベンは飛び込んできた光景に絶叫を上げる。母親は金切り声を上げてただ口を押えた。父である初老の男は、持っていたナイフとフォークを取り落とし、絶句した。一瞬、放心して我を忘れたように止まってしまった三人だったが、絨毯から燃え広がった炎が扉を飲み込み、こちらの部屋へ溢れ出してきたのを見て慌てふためいた
「に、逃げろ! ベン! テレサ! 逃げるんだ!」
我に返った男が叫び、ベンとテレサは弾かれたように飛び上がった。
「うあぁあ、逃げ、逃げ、どうしようお父さん!」
「ききき、き、金庫! 金庫からあれ、あれを出さないと!」
恐慌状態で蒼白になり叫ぶベンと、食事をしていたこの部屋に置かれていた金庫に飛びつき、狂乱して痙攣けいれんする手でダイヤルを必死で回すテレサ。
「いいから逃げるんだ! テレサ! そんなものいいから来い!」
男は泣き叫ぶベンを脇に抱え、テレサに向かって叫んだ。テレサは何とか金庫の扉を開き、中に収めていた金貨や宝石を引っ掴む。到底片手で取り去ることなど出来ない量であった上に、あまりに慌てていたため、ばらばらと派手な音を立てて床にそれらは散らばる。しかし、それ以上の猶予はなかった。
炎はますます勢いを強くし、燃え盛っている。消火など望むべくもなかった。蹴破るように扉を開け、血相を変えてベンを抱えた男とテレサは靴も履かず、裸足のままで飛び出していった。少しでも離れようと、そして周りの住人に知らせようと叫びながら。
雪混じりの強い風に煽られた炎は、すぐに周りの家々にも燃え広がっていく。もはや炎は止まることはない。全てを呑み込み、焼き尽くすまで、決して収まることはないのだ。
男の声と、燃え広がっていく炎に気付いた近隣の住民たちも、誰もが着の身着のまま、裸足で飛び出していく。周囲のことに気をかける余裕などこれっぽっちもありはしなかった。考えられるのは燃え盛る炎が自分の身体に迫って焼き尽くしてこないか。ただその一点だけだ。
叫び声を上げ、この近くから一刻も早く離れようと逃げ惑う住民たちによる混乱と狂騒の中、ただ一人落ち着いていた少女がいた。反対側にもマッチをつけ終わり、元の場所へと戻ってきたシャーロットだった。誰も、シャーロットがこの場にいることを気にするものはいない。そして、恐らく誰一人として覚えている者もいないだろう。炎に追い立てられる狂乱の背景の一部としてしかシャーロットは認識されていなかった。
ベンを抱えた男がテレサと一緒に飛び出していったのを見て、シャーロットは開け放たれたままの玄関から、炎に呑み込まれつつある邸宅の中へ入っていた。
「あら……あの人たち裸足でどこかに走って行ってしまったわ……。もうこの家なんていらないってことかしら」
もはや主が逃げ出し、いなくなってしまった家でシャーロットは辺りを見渡す。炎が回りつつあるが、年中マッチの開発をし続けて火の手を上げている父親と暮らしているシャーロットからしてみれば別に怖いものでも何でもなかった。
抱きしめている子狐は、最初は炎に怯えていたが、シャーロットが宥めるように撫でてやると安心したのか、その震えは止まり、シャーロットの胸の中で大人しくしていた。
シャーロットは打ち捨てられた家の中の様子を見て、誰に言う訳でもなく呟く。それは、彼女にしてみれば、至極当然の、当たり前のこと。
「いなくなっちゃったならもう誰のものでもないわね。燃えて灰になるのももったいないことだし、貰っていきましょう」
そう言って、炎が広がっていく最中、シャーロットは机の上に残されたままのご馳走へ手を伸ばす。適当なフォークでよく焼けたチキンを突き刺し、口へと運ぶ。
「おいしい……! ね、狐さん! あなたも食べてみて! ね、おいしいでしょう? こんなにおいしいのにほったらかしにしてどこかに行っちゃうなんてね。火だって本当に危なくなるのはまだまだ先じゃないの」
半ば呆れたような口調になって、シャーロットは軽くため息をついた。それから、床に散らばった金貨を摘み上げた。
「金貨もこんなに、綺麗な宝石だってたくさんあるのにいらないのね……。私とお父さんで使ってあげることにしましょう」
テレサが慌てて引っ掴んで逃げたために床に散らばった、元の持ち主を失った財産を、シャーロットは服のポケットに仕舞っていく。ここに置いて行ってもどうせ灰になるだけ。ならば持って行って使ってあげよう。それは何でもない、至極当然の帰結であった。
それから、シャーロットは、同様に住民が逃げ出した、火の回りつつある他の家も回ってみる。どの家もクリスマスツリーが飾られていて、プレゼントの空き箱と破かれた包み紙、年に一度のお祝いに相ご御馳走が並んでいた。そして、どこも同じように逃げる際に落としたものか、金貨や宝石といった財産が床に散乱していた。それらをまたポケットの中へ仕舞い込んでいく。
「思ってもみなかったけれど、これだけあればお父さんも喜んでくれるかしら」
いくつかの家を周り、ポケットが随分と重くなったところで、シャーロットは、はっと息を呑んだ。そして、はた、と動きを止めてしまう。彼女は眉をひそめて考え込む。
「そういえば、マッチを全部売ってくるまで家には帰ってくるなとお父さんに言われていたんだったわ……どうしましょう、マッチをこのまま持って家に帰るわけには行かないわ……」
そうして少しの間うーん、と唸って考え込んでいたシャーロットだったが、ぱん、と小さく手を打ち鳴らした。本日の名案、その二つ目だ。
「ああ! 別に売らなくたっていいのよね! みんな燃やしていってしまえばいいんだわ! だって代金はここにあってもう貰っているようなものだもの! マッチを売ったのと同じことよね」
金貨や宝石で重くなったポケットに手をやり、シャーロットは微笑む。それから、籠からマッチを取り出し、にこっと笑った。
「ちゃんと代金を貰ったところにマッチを渡さないとね」
そう言って、シャーロットは回っていった家々、その一つ一つに、壁で擦って火を点けたマッチを玄関口から投げ込んでいく。マッチの火はすぐに絨毯や床に燃え移り、猛火となってそれらの家を包んでいった。
風は火の粉を巻き上げ、炎はさらにその勢いを増していく。あたりはもう燃え上がる炎で昼間のように明るく、放たれる熱で、とても暖かった。肺を刺してくるような冷気も、今は感じない。雪の降り積もる冬であることなど忘れてしまうくらいだった。
「ああ、暖かいわね、狐さん……もっと早く気付いていれば良かったわ」
えへへ、と可愛らしく笑うシャーロットは天使のようだった。暖まって血の巡りが良くなったためか、ほのかにその頬には紅が差し、形の良い可愛らしい唇も桃色になって、可憐な美少女そのものの美しさが戻っている。彼女の笑顔を照らすのが、燭台から投げかけられる柔らかな蝋燭の光であったなら誰もそのことに異論はなかっただろう。だが、シャーロットの可憐な笑顔を彩っているのは、クリスマス・イブの夜を過ごす家族の談笑に満ち溢れていたはずの家屋を焼き尽くす紅蓮の炎だった。
あたりからは悲鳴と怒号、加えて混乱の叫びが響いている。しかし、そんなものはシャーロットにはどうでもよかった。今のシャーロットに重要なのは、冬空の下に立ち尽くし続け、凍てついた氷像になり果てるところだった自分と、自身も凍えているのにシャーロットのことを慰め、暖めようとしてくれたこの狐がともに暖を取り、温もりを得ること。それだけだった。
それは、雪の降る中で倒れたシャーロットのことを気にも留めなかった、余所者に無関心なこの街の住人とある意味同じ感覚だったかもしれない。
彼らにとって、雪の中に倒れている薄汚い格好をした少女などよりも、自分の帰りを今か今かと家で待っている家族の方が大事だった。それだけに過ぎないのだ。何の縁もゆかりもありはしない他人の少女が凍えているからといってわざわざ手を差し伸べるような時間があれば、一秒でも早く家路を急ぐ。それと同じだった。
「……さて、十分に暖まったことだし、マッチの代金も手に入ったし……そろそろ家へ帰ろうかしら。ねえ、狐さん? 良かったら私ともっと一緒に居れないかしら? 私、あなたと、もっと仲良くなりたいの……ダメかしら?」
「きゅうんっ!」
「まあ、嬉しい! それじゃあこれからもよろしくね、狐さん!」
高い鳴き声を返して顔をすり寄せる子狐に、嬉しさの溢れる、花の咲いたような笑顔を浮かべたシャーロットは、もう一度ぎゅうっと抱きしめる力を強くし、それから森の家へと足を向けた。燃え盛る炎に呑み込まれていくこの住宅街を、逃げ惑う人々と共に後にして、さらに遠巻きでただ火の手を見つめるだけの野次馬の間をすり抜け、シャーロットはこの街を後にしたのだった。
炎がようやく収まったのはそれから二日後のことだった。折からの強風に煽られ続け、火勢を増し続けたそれは、最終的には実に三十六軒もの家屋を呑み込み、灰に変えた。消火することなどとても出来ず、街を守る自警団たちが出来たのは、それ以上の延焼を抑えるために、さらに周囲の家々を破壊し尽くすことだけだった。
炎はあまりにも激しく、灰となった家からは何も見つからなかった。ただ一つ、一番最初に火の手が上がった家のすぐ近くから、身元不明の人骨が見つかった。この人骨は寒さから逃れようと路地に入り込んだ浮浪者が逃げ遅れて焼け死んだものと解釈された。
火元となった邸宅の主、シャーロットを突き飛ばしたあの初老の男は、偶然にもこの街を治める町長だった。町長は、多数の家を灰にし、破壊することとなった大火事を引き起こし、人々の財産を失わせた罪、さらにはこれまで誰一人として言及したことはなかったのに、延焼を防ぐため、住宅ごとに空地を設ける規定を定めなかった罪を問われ、後に裁判にかけられた。
町長も、そしてその家族であるテレサとベンも、何も身の覚えはないと必死に潔白を主張した。しかし、町長がこれまで何度も火の点いたままの葉巻を道に吐き捨てているところを目撃していたといういくつもの証言と、誰かに責任を負わせねば決して溜飲を下げることの出来ない、正義を掲げた──実際にはただただ怒りという身勝手な感情に駆られただけの──住民たちの激しい声によって、町長は後日、ギロチンによって処刑されることとなった。
その後も、毎年クリスマスの時期になると、どこかの街で家々を焼き尽くす火事が起き続けた。火事が起きた街では、マッチ売りの見知らぬ少女の姿があったのだが、そんなことに気付く人は誰一人としていなかった。家路を急ぐ人々にとっては、クリスマスにマッチを売らなければならない、可哀そうな少女のことなど、とても気に留めることではなかったのだ。
ただ一つ、変わっていることがあった。その少女は、雪の降る寒空に立ち尽くしているのに、とても幸せそうな微笑みを浮かべていた。それはそれは幸せそうに、少女は微笑んでいた。
という訳で、マッチ売りの少女を元ネタにしたお話しでした。発想というか、ストーリーは考えたことある人が多いんじゃないかなー、と思っています。
サイコパスもいいところだと思いますが、もう自分の書きたいように書きました。まあでも森の中を一人で歩ける少女なら、野獣とだって戦えるよね。自分の身は自分で守れることでしょう。
どれだけ凄惨に、悍ましい光景を書けるかという、ある種自分の挑戦(趣味?)でもありました。刺しまくったりしてる残酷描写の部分の方が筆の進む不思議。
文章読んでいて不快な気持ちになった方がいらっしゃったらごめんなさい。。
財産を灰にされ、不幸が訪れた人はいるかもしれないです。でも、シャーロットは暖まって、幸せになることができました。女の子が幸せになれたのなら、それ以上に素晴らしいことはありません。だから良いのです。
※ノベルアッププラスに投稿していたもので、ハーメルンへ移動させました。また、原作:マッチ売りの少女の設定を移動の際にしました。元ネタは明らかなのと、他作品でも昔話等で原作設定されているようでしたので……よろしくお願いします。