コテージが見えてきた。
アムロはエレカを停め、玄関口の軒下で一息をつく。
建物の角を曲がるとそこにはテラスがあり、ララァが湖を眺めている筈だ。
アムロはゆっくりと歩を進めた。
デッキチェアに腰かけたララァがいた。
インド系の浅黒い肌に、貫頭衣のようなワンピースドレス。
額の装飾がビンディーと呼ばれるものであることを、アムロは後に知った。
エメラルドグリーンの瞳は、アムロを見ることなく静かに湖畔を見つめている。
アムロはその視線の先を見なかった。
ララァを殺めてから、アムロは白鳥が嫌いだ。
「…あなたは美しいものが嫌いなの?」
力尽きて湖に落ちる白鳥を見つめながら、ララァはアムロに視線を向けることなく呟くように問うた。
「君は好きなのかい」
「美しいものが嫌いな人がいて?」
ララァは初めて、静かにアムロに目を向けた。
吸い込まれそうな、またすべてを見透かしているかのような静かなまなざしに、アムロの中でいくつもの感情が激しく滾る。
そして、そのことにアムロは激しく動揺した。
共にニュータイプとして覚醒し、共感しあうことのできたララァが生きて目の前にいることは、アムロにとってこの上なく幸せなことと言ってよかった。
自らの手で殺め失った大切な人と、再び出会うことができたのだ。こんなに嬉しいことはない。
しかし一方で、魂となって永遠に成長することのなくなったこの少女は、長くアムロを苦しめても来た。
自分とシャアの間を漂っていたいだけ…と夢の中で笑うララァに、いつしかアムロは苛立ち、激しく否定し、強い怒りと憤りの感情をぶつけるようになっていた。
そしてアムロは今、致命的なミスを犯した。
目の前にいるララァに対しても、その複雑な思いを強く抱いてしまったのだ。
期せずして、アムロの強烈な喜びと苛立ちと怒りの感情に触れてしまったララァの顔に、疑念と、不安と、怖れが色濃い影を差した。
「…あなたは、誰なの?」
怯えた硬い声でララァはアムロに尋ねた。アムロは動揺する。
「待ってララァ、落ち着いて…俺だ、アムロ・レイだ…」
「誰…誰なの、あなたは…」
ララァはデッキチェアから立ち上がり、後ずさりながら、図らずも、動揺しているアムロの心の中を覗いてしまった。
それは、自分が死にゆく瞬間のビジョンだ。
ララァは絶叫した。
「来ないで! …あなたは私を殺す怖い人…そして、シャアをいじめる…いえ、殺そうとする悪い人だわ」
「違うんだララァ! 俺は、ただ君と…」
「――大佐! 助けてください、大佐!」
ララァは飛び立つ鳥のように、湖へ続く緑の芝の上を駆けていった。アムロは茫然とその後姿を見送るしかなかった。
* * *
雨は上がっている。
コテージから少し離れた湖畔の畦道に停めたエレカのボンネットに腰を預けて、アムロはぼんやりと…しかし必死に心を落ち着けていた。
この後、もう一度ララァと会う。
しかも、シャアに伴われたララァとだ。
記憶ではアムロは、ララァと出会った後ジャンク屋の2階に住む父に別れを告げて、その帰り道にこの畦道でエレカをスタックさせてしまった。
困っているところに別のエレカが通りかかり、助けを求めたアムロに応じて降りてきたのが、シャアだったのだ。
シャアは乗ってきたエレカとアムロのそれにロープを結び、同乗の女性にけん引させた。それが、ララァだ。
この際、シャアはどうでもよかった。
この3か月考え続けた、シャアをスペースノイドのリーダーとして正しく導く方法。
それは案外、簡単な結論に行き着いた。
『ララァ・スンは私の母になってくれるかもしれなかった女性だ! そのララァを殺したお前に言えたことか!』
つまり、そういうことだ。
ララァが、シャアのお母さん役を務めてくれれば…いわゆる母性というやつでシャアを包み込んでくれていれば、シャアは歪むことはなかったのではないか。
アムロは正直、母性と言うものがわからない。
自分は父と宇宙に上がった時に母に捨てられていたのだ、ということがなんとなくわかったのは大人になってからだろうか。
母に絶望し訣別したのは、一年戦争に巻き込まれ、そして再会した時だが、思い返してみれば一人でハロを組み立てることに夢中になっていた頃には、すでにアムロは母親に何かを求めるということを諦めていたような気がする。また、軟禁生活時代の毎夜のように訪れる娼婦たちとの同衾も、女性が持つ筈の母性への失望に拍車をかけたと思う。
自分がプレイボーイだと思ったことはないが、傍から見たらそう見えるのかと思うことはある。
人それぞれだろうとは思うが、自分の場合は女性に母性を求めないから…様々な女性と出会い別れることができるのではないか、とアムロは思っている。
話がそれた。
アムロは女性に母性を求めていないが、シャアはそうではないということだ。
つまり、地球に魂を魅かれた人間たちにシャアが絶望しても、ララァがよちよちキャスバル坊や…と頭を撫でてその胸で抱っこの一つもしてやれば、シャアは性急な地球寒冷化作戦など企てることはなかったのではないか。アムロにはそう思えるのだ。
シャアは純粋で優しい人間ではあるのだが、一方で人を道具のように扱うことを悪しとしないところがある。
ララァが傍らにいても、愚行に走る可能性は高い。
だが、ララァだって自分の愛する男が人類史上最大の悪行に手を染めようとすれば、さすがに全力で止めるだろう。
もしかしたらシャアのしようとすることを全肯定してその背中を押しかねない気もするが、その時は飴と鞭だ。ララァが飴なら自分が鞭を振るって、シャアを正す。急がずに、力ではなしにすべての人類を宇宙に上げて地球を守り、そしてニュータイプへの革新を待たせるのだ。それでもシャアが性急な判断で愚行に走るなら…その時は前世のように、自分が刺し違えてもシャアを止めるまでだ。
シャアを正していくのに一番重要なのは、アムロの考えをララァに理解してもらうことである。
アムロの意図をララァに理解してもらい、二人三脚…いや、シャアを加えて三人四脚で、ニュータイプが生まれ出る時代と世界を創るのだ。
アムロとララァが触れ合った機会は意外に少ない。
サイド6で2回、テキサスコロニーで1回、連邦が陥落させたソロモン宙域で1回、そしてあとはララァを殺めた最期の時、だ。
おそらく、ララァと邂逅できる回数は今生でも変わらないだろう。その中で、ララァと交感し、同志になってもらわねばならない。
すでに、ファーストコンタクトは、最悪と言ってよい。
その失敗を挽回し、こういう言い方はどうかと思うが…ララァの自分に対する好感度をできるだけ上げておかねばならない。
遠くに、近づいてくるエレカが見えた。
アムロは意を決して畦道に立ち、エレカに向けて親指を立てた。
* * *
「あの少年、何か困っているようだったな。止まってくれないか、ララァ」
「急ぎましょう、大佐」
ハンドルを握り前を見つめたまま、ララァは生硬に答えた。
「いいのか?」
「あれは連邦軍の制服のようでした。大佐が赤い彗星だとわかったら何をするかわかりません」
「私が赤い彗星だと、わかるものかな?」
思わずララァはシャアの全身を一瞥し、すぐに視線を前方へ戻した。
二人の間に降りた沈黙に、シャアは拘泥しなかった。
「今、このコロニーにいるなら木馬の乗組員の可能性が高いな。先回りするにはちょうどいいというところか」
若さゆえの過ちに囚われ躊躇しない処が、シャアという若者の美徳だ。
ララァはアクセルを強く踏み込んで、エレカを加速させた。
* * *
「……」
シャアとララァの乗るエレカは走り去り、アムロは畦道に一人、取り残された。