「…………しくじったな。名の知れたと言っても、所詮は殺し屋風情か。ふん、役に立たん」
豪奢な屋敷内の、煌びやかに飾られた調度品が並ぶ部屋で肥えたカイゼル髭の初老の男性が椅子に座って手に持つ報告書を読み、炎で灰も残さず焼き尽くした。
ミドニック枢機卿は二重顎の余った肉を撫でて眉を顰める。
「隣国は蜂の巣を突いたように大騒ぎか。まあ、そうだろう。国お抱えの最強たり象徴たる勇者が瀕死の重症なのだからな」
突如、何者かに襲われた隣国の勇者。正体を隠し、密使で未だ紛争の傷が癒えない停戦状態国に視察中の事件。
辛くも撃退したものの、浅くは無い傷を受けた。
これには双方の国同士が再び一色即発の緊張に包まれ、今尚慌ただしい。
「さっさと死んでくれれば、加盟国として大量の魔導兵器を捌けたものを…………まあ、開戦も時間の問題ではあるか」
ぶふぅ〜と、豚のように鼻を鳴らして事務卓上に置いてある高級菓子の「チョコレート」を包みを解き頬張る。
う〜む。なんと甘美なる菓子か。魔導革命に於いて開発された副産物には、こうして食文化にも目新しいものが多々ある。
素晴らしい。やはり人は戦争により文明を発達、進化させるという偉人学者の言う通りなのかも知れない。
「ん? もう無くなってしまった」
あまりの旨さにペロリと平らげたドミニク枢機卿は、机の引き出しを開けて取り置き分を探す。
「…………ん? おかしいな。予備があった筈だが…………」
肥えて出張った腹を机につっかえながら、机中を漁る。
伸ばした手の影が、ぐにゃりと曲がり自身の身体に纏わり付く。
「なっ!?」
「動くな。ミドニック・ド・ベラング枢機卿。首が落ちる」
背後に黒い外套の何者かが佇む。
ミドニック枢機卿の身体に実態を伴った影が縄の如く拘束し、首にギラリと刃の鈍た光が反射する。
「き、貴様ッ! 『魔影の兇手』ッッッ!!! 生きていたのかッ!?」
髑髏の仮面が不気味なまでに生々しい。
「勇者相手は流石に骨が折れた。暗殺対象を謀られたと気付かなんだら、危うくトドメを差していたところだ」
男か女か判らないくぐもった声で淡々と話す暗殺者。報告書では、勇者に撃退されたとあったが、まさか生きていたとは。しかし、魔導結界により何人も侵入不可能な筈なのにどうやって侵入した?
「ま、待て……っ! 儂じゃ無いぞっ!? 貴様に依頼をしたのはっ!」
喉元に喰い込む寸前の刃が止まる。
「誰が仕組んだ?」
魔影の兇手と呼ばれる者の仮面の髑髏の目が仄かに光る。
「そ、それは…………実は………馬鹿がっ!! 教えるか賊めがッッッ!!!」
"
ミドニック枢機卿の身体がブワアアッと紅い焔に包まれる。
拘束していた影がボロボロと焼き尽くされ、豪奢な室内が真っ赤な熱波に包まれる。
「ヌハハハハアァッ! 戦場では、熟炎の魔術軍将と呼ばれた身よぉっ!! 木っ端暗殺者如き、塵も残さず焼き尽くしてくれるわぁッッッ!!!」
極炎の赤火の渦が黒衣の髑髏仮面を轟々と飲み込む。
だが、
荒ぶる渦巻く炎の波が、黒い暗影の中に誘いこまれように吸い込まれてしまうではないか。
やがて、暴れのたうつ炎は跡形も無く闇の懐へと掻き消え去った。
「ば、馬鹿なっ! 儂の、儂の最強魔法がァァァ…………っっっ!!?」
信じられないと驚愕するミドニック枢機卿。
「戯れは済んだか? 枢機卿」
ミドニック枢機卿の足元の影から無数の影が伸びやり、巨漢の肉体を雁字搦めに巻き取り、巨大なギロチンの処刑台が瞬く間に形作られる。
「ま、待てっ! 話す話す話すからぁぁぁ助けてくれぇえええッッッ!!!」
涙目で命乞いするミドニック枢機卿。
「わ、儂が知っているのは王宮元老院の誰かということだけだああああッッッ!!! それ以上は知らされておらんッ! 本当だぁぁぁぁぁぁ」
「そうか。元老院か」
魔影の兇手は短く呟くと、スッと手を無慈悲に下ろす。
巨大なギロチンの刃が同時に滑り降りた。
十十十十十十
月明かりが照らす夜。
厳重に警備が施された王宮の城上に夜風を受け、黒衣を靡かせる者。
髑髏の仮面を取る。
露わになる十代の黒髪少女の素顔。
美しさと妖しさに彩られた相貌。
傾国の寵姫。あるいは、死を司る冥府の女神。
昏い闇の瞳に夜の蒼き輝きを帯びて。
後日、王宮元老院の数人が謎の変死を遂げる。
恐怖と苦痛に踠き苦しんだ壮絶なる表情だった。
悪魔、もしくは死神に遭遇したと、真しやかに噂が囁かれた。