異世界暗殺者裏家業   作:真鳥

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夜闇、追うもの

 

 

 

 

 

 

 

 

 深い夜の闇中、男は走っていた。

 

 ほんの数メテル先すら見通せない、真っ暗な視界。

 

 方向感覚を狂わせる暗闇に覆われた街群。昼日の人々の往来が嘘のようにまるで無人の迷宮のごとく続く。

 

 走っても走っても同じ景色で、錆びついた魔光街灯のぼやけた並んだ明かりだけが自分の移動を証明している。

 

 クソっ! 自分は上手くやっていた。失敗(しくじ)る筈が無い。

 

 闇にまかれ、方向感覚は狂い、不自然なほど人の気配が無い街中をひたすら走る。

 

 肺が限界を訴えて悲鳴を上げ、男は魔光街灯の一つに手をついて、ぜぇ、ぜぇ、息を整えた。

 

 街灯の表面に刻まれた十字の傷。

 

 先ほど通り過ぎたはずのそれと、同じ傷痕。

 

 男はこれでも暗殺者だ。最近、名を少しばかり知られた新進気鋭の若手のホープ。鍛えられた感覚と死線を潜り抜けた勘が告げている。街灯の錆ぐあい、舗装された路道の石畳の配置。街並みの姿。全てが「自分が元の場所に戻ってきた」ことを証明していると。

 

 事の起こりは数日前に遡る。

 

 どこから漏れたのか、何が発覚したのか。情報の出所が明らかになる前に、男は逆に暗殺者組織から追われることとなった。

 

 何人かの追っ手を撃退し、捕えられることはなかったが、状況は最悪に近い。

 

 男は忌々しげに星明かりすら無い、暗い空を見やる。

 

 クズどもを殺した。殺しに殺しまくった。死んで当然の連中だ。

 

 男は依頼に忠実で、しかし柔軟で融通の利く、優秀な暗殺者だ。

 

 同職と比べてもとりわけ優秀。気が荒く自信家であるが、冷静冷徹であり、頭が回る。要領がよく抜け目ない。悪く言えばズル賢く、欲張りで意地汚かった。

 

 だから、ちょいとばかし報酬に色目を付けても許されるだろう? 死んだゴミカスどもの蓄えた金や女を頂いても何も問題ないだろう? 

 

 ぎり、と男は歯噛みした。

 

 これからはフリーでやるべきだな。やはり自分には組織など合わない。だが、今は状況がそれを許さない。

 

 そもそもの話、ここから抜け出す術が分からないのだ。

 

 追手から命からがら逃げ伸びて、隠れたはいいものの、この謎の空間に囚われたままだ。走った距離と広さから通常なら有り得ない街並みの構造。間違い無く敵の攻撃を受けている。

 

 魔法。それも何らかの幻惑系、空間に作用する高等魔術。

 

 毛の生えた同輩の下っ端程度ならどうにか切り抜ける自信があるが、高等魔術は専門外にもほどがある。自分に使えるは姿眩ましと、せいぜいが三階位止まりの魔法のみ。

 

 荒く吐いた息を抑えて整える。周囲への油断無く見廻し、警戒も怠らない。

 

 何処にいやがるのか。この空間を作り出したクソ術者が必ず自分を監視している筈だ。

 

 その時、張り詰めた神経が肌をゾワリと震わせる。

 

「浅はかな選択だ」

 

「っ、誰だッ!」

 

 とっさに振り返ってナイフを投げ付けた。

 

 しかし視界の先には疎らな街灯と暗闇のみ。人影らしきものは欠片もない。

 

 馬鹿な。警戒は怠っていなかった。周囲にこれ以上ないほど気を張っていたというのに、まったく気配が感じ取れなかった。

 

「ちっ! 凍える息吹の千針(アイシクルサウザンドニードル)ッッッ」

 

 男の周囲に白い氷雨が現出し鋭い氷の刃を形成され、全方位に一気に放射された。街灯、街壁、路道に無数に突き刺さる。真上にも繰り出される。何処に潜んでようが、これならばひとたまりもあるまい。先手必勝、自分が最も得意とする魔法だ。

 

「貴様はやりすぎた。自らの欲を優先した。ある程度なら組織も黙認しただろう。だが、貴様は一線を超えた。組織の品格を著しく貶めた。故に手が下された」

 

「…………なッ!?」

 

 街灯に照らされた足元の影がザワザワと揺らぎ、夥しい人の手となり男の身体を羽交い締めに捕らえる。

 

 影が実体化しているっ!? こんな魔法があったのかっ! 6階位、いや7階位、もっと上かもしれない。ヤバい、こんな高等魔術を使うヤツは上位クラスの限られた手練れだ。

 

 男は全力で身を捩り、振り払おうと藻搔いた。

 

 しかし、影から伸び上がる無数の手は大樹が生えたか動くこと敵わず、万力さながら凄まじい力で男の身体を軋ませ、押さえつける。

 

 カツ、カツ、石畳を踏む足音。

 

 暗闇から最初からそこにいたかのように、その者は現れた。

 

 全身黒尽くめの外套。その黒に浮かぶように白い髑髏の仮面。

 

「ここは我の固有領域。我は影の猟狗。虚無の狩人。名は魔影の兇手」

 

 不気味なシャレコウベの眼孔から深淵を覗いたかのように紅い輝きが揺らめく。

 

 魔影の兇手っ!? 存在自体が噂の域を出ない最高位の暗殺者。裏界隈に長らく伝説となって伝わっている凄腕の闇の住人。年齢、性別、すべて正体不明。殺した人間は数えきれない。史上最強最高峰のアサシン。

 

「な、何でそんな大物が出てくるっ!? 俺如きに…………っ!!」

 

 拘束された男の顔を値踏みするよう眺め、魔影の兇手は語りかける。

 

「…………貴様は今まで依頼対象以外にも手を掛けていたな? そして此度は依頼対象の娘を犯したな?」

 

「……はっ! それがどうした? 殺しの後のお楽しみだぜっ! 何だぁっ? まさか、んなことで俺をバラそうってのかよお? 娘はヤッたが、殺しちゃいねえ。まあ、たっぷりと遊んでやったがなあ。殺しの醍醐味だ。昂ぶった気分のまま犯す。最高だろ? たまたま現場にいやがった生娘に本物の男を教えてやったのさ。くっくっくっ」

 

 さも愉快そうに思い出してせせら嗤う男。

 

「…………殺しは最高だあ。アンタだってそうだろう? 同じ匂いを感じるぜええ? 殺しが楽しくって楽しくってしょうがねえってなあっ! だから長々と続けてんだろ? じゃなきゃ暗殺者なんて狂ってなけりゃやってらんねえよな」

 

 男は意気揚々と捲し立てながら、黒衣の暗殺者の間合いを測る。

 

 もうちょい、もうちょっと来やがれ。そうだ。近付いて来い。

 

 そう……ここだあっ!! 

 

 "永遠の極氷牢(アブソリュートコキュートス)"ッッッ

 

 暗闇の一点が一気に真っ白に凍り付き、一本の巨大な氷柱が造り上げられた。

 

 その冷たい柱、煌めく氷像の只中に髑髏仮面の暗殺者が閉じ込められていた。

 

「ヒャヒャヒャヒャアッッッ!!! やったぜええええッッッ!!! 最強の、伝説の殺し屋を殺ってやったぜええええええッッッ!!! 何が最強だああ? 俺が最強だっ! 俺が伝説だっ! クソ野郎っ! ザマァ見やがれええええええええッッッ!!! …………ハァッ! …………ハァッ! …………ハァッ!」

 

 1日に一度しか使えない大魔術。自分の生命を魔力に変えて行使する大技。おいそれとは使用できない危険だが、一撃必殺必中の魔法。自分が絶体絶命のピンチにしか使わない切り札だ。

 

 だが、すぐに異変に気付く。おかしい。極零度の氷だ。術者は死んだ。なのに暗闇の空間から解放されない。自分を縛める束縛が解けない。

 

 どういうことだ? まさかおとりか? まだ他に居たのか? 術者は別に居たのか? ハメられたのか? 

 

 バキ、バキンと目の前の氷像にヒビが走る。

 

 ギョッとする男。

 

 氷像は瞬く間にヒビ割れ、ガラスが砕けるように破壊された。

 

 何事も無かったように氷の牢から髑髏の仮面の暗殺者が姿を見せる。が、その仮面が割れ、外套が綻び崩れ去る。

 

 さらりと流れる艶やかな黒髪。麗しい長い睫毛。切れ長の凛とした眼差し。蒼黒の双瞳。僅かな膨らみを持つ胸、しなやかな肢体を滑らかに包む黒衣のインナー。

 

 曝された素顔。嫋やかな小柄な肉体。現れたのは少女。歳の頃は13、14。愛らしい子供。

 

 闇夜の輝きよりも昏く煌めく純黒の乙女。それは人外の美、魔性の美であり、冷徹な死神のごとき震えが走る程の美絶さ。

 

「今のが貴様の奥の手というわけか。実力を隠していたな。なるほど、中々の威力だ」

 

 可愛らしくも氷より冷たい音声。裏の世界で都市伝説のように囁かれていた暗殺者の正体。

 

 史上類を見ない最高の腕を持つ最強の殺し屋、魔影の兇手。

 

 闇の世界で生きる者は、知らぬ者はいないほどの知名度を持つその暗殺者は、しかし謎だらけの存在である。

 

 国さえ脅かす情報収集能力、洗練された武術、技術、魔術を有す。しかし、その背後関係、協力者、関与する者等は一切不明。過去幾度となくその正体を突き止めようした者が何人も挑んだが、誰も生きて帰ることは無かったという。

 

 それが、その正体が、こんなに幼い少女だったとは。

 

「……は、はははは。まさか最強の殺し屋の正体が、こんな餓鬼だったとはな…………俺が犯った小娘より子供じゃねえか…………はっ! とんだビックリ箱だ」

 

 男は呆れたように嘲笑う。

 

「その娘からの依頼だ。父親を殺し、自分を犯した暗殺者を暗殺してくれ、と」

 

 少女は年相応な可憐な声色で拘束されたままの男に告げる。

 

「はあ……? 殺し屋に依頼されて殺されるような悪徳貴族だぞ? 殺されて当然な野郎の元で、汚ない金でヌクヌク温室育ちの娘だぜ。俺が手を下さなくても必ず誰かがやったさ。寧ろ俺は善意で命を助けてやったぐらいだ。恨まれる筋合いはない、逆に感謝してほしいねえ」

 

 男には悔いる心など、はなから無い。そんなものはとうの昔に捨ててきた。奪われたモノは奪い返す。そうやって生きてきたのだから。

 

「そうか。それが貴様の生業の矜恃か。しかし、私にはそんなことはどうでもいいことだ。私は私の仕事を熟すまでだ」

 

 少女、魔影の兇手の影から小さなナイフが取り出される。

 

「ま、待てっ!何であんたみたいな最上ランクの暗殺者が、たかが小物貴族の娘の依頼なんかを受けるっ!?おかしいだろっ!!」

 

「………ふむ。元々は他の同業者が請け負う依頼だったが、()()()()私の目に留まったから、()()()()引き受けた。それだけだ」

 

 言葉は要らないとばかり、ナイフを握り鋭い切っ先を向ける。

 

「…………がっ!?」

 

 男は何か言う暇も無く、小ぶりのナイフが胸に突き刺さっていた。

 

 手術用のメスのような鋭さを持つナイフが、バターでも切り分けるようにするすると皮膚を切り開く。

 

「依頼は、より時間を掛けて、よりゆっくりと、より苦しめて、自ら死を懇願するまで切り刻む、という内容だ」

 

 骨から肉を削ぎ、臓物を腑分けし、皮下脂肪をくすぐる。

 

「ぎぃっ!? ぐひぃっ! ぎゃばあっ!?」

 

 男は奇声と苦悶が混じった間抜けな悲鳴を上げる。

 

「安心するがいい。私は人体を熟知している。臓器の配置。血管脈動の流れ。どうすればより長く、息絶えぬように生きながら解体する術を心得ている」

 

 手慣れた手付きで解剖する体内。教え子に教える講師のように至極丁寧に軽やかに、慎重に、かつ大胆に、次々と男の内部を露わにする。

 

「大丈夫だ。意識を失うことは決して無い。私の施術は完璧だ。痛感も感触もすべて味わうことが出来る。貴様は心ゆく迄、確かめ、堪能するがいい。最後の刻を逝く瞬間まで」

 

 仄かに燈る路面の石畳と錆びた街灯に囲まれた暗闇の世界の中、鮮やかな赤色飛沫が飛び交う。

 

 少女の瞳には、なんの感慨も映っていない。

 

 明けることない夜の下で男の悲痛な叫びが鳴り止むことは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 十十十十十十

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 街中は騒然だった。

 

 盛大に飛び散った血飛沫がべったりと石畳に張り付き、陽に照らされ、その惨状を鮮明にする。

 

 街灯に高々と磷付にされた四肢はピクリとも動かない。

 

 空っぽの血みどろの体内。その足元には、高度な人体知識に基づいて選り分けられ、丁寧に広げられた臓物の数々が綺麗に並べられていた。

 

 まだ新鮮で瑞々しく生々しく、湯気を上げ、心臓など未だに緩く鼓動を立てて脈打ち、動いている。

 

 鮮血でぐっしょりと濡れたの男の死体には肝心の首が無かった。

 

 殺人など珍しくもない世の中。死体など街の暗がり、スラム街などでは当たり前に転がっている。

 

 しかして、これほど露骨にアピールされることは殆ど無い。

 

 処刑。この男は一体何をしでかしたのか?

 

 首のない、臓器の展覧会に人々は戦慄する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 十十十十十十

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 領地剥奪、私財没収、取り潰しが決まったとある貴族屋敷。

 

 贅を模した調度品も、使用人もいない空虚な屋敷内に窶れ細った娘が部屋でひとり椅子に腰掛け、テーブルの一点を見つめている。

 

 テーブルの上には蠅が無数に飛び交う男の生首が置かれていた。

 

 白眼を剥き、悲壮な泣き顔で、ただただ赦しを乞う表情。

 

 痩せた娘は昏い笑みを浮かべ、ずっと生首を眺めていた。

 

 いつまでも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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