IS学園記   作:debac

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第十話 事は一刻を争うわ

 

 

 学食にて、外が見える窓際の座席に簪と橙子は並んで座る。目の前の窓ガラスを通して見える景色は暗いが見晴らしは良く、隣の棟の廊下まではっきりと見渡す事が出来た。そして、その間を埋めるように屋外電灯が煌々と地面を照らしている。

 二人は、普段より少し遅い夕食を取っていた。簪が注文したのはきつねうどんのみだが、橙子はカツ丼の大盛りだ。丼に山のように盛られたそれは、ちょうど橙子の顔がおさまって隠れてしまう程もある。「見た目の割に食べるね」と簪が言うと、橙子は満面の笑みを浮かべて「お腹がすいたからね!」と口の中にかきこみ始めた。

 今日は以前から連絡のあった学園設備のメンテナンスの日だった。損耗の激しいアリーナを中心として、セキリュティを含めた設備に異常が見られないか、消耗して部品交換等追加作業が必要な場所はないかの確認をする事になっている。今回はそれに加えて以前発生した無人機襲撃を受けて一部のセキリュティを更新したり、避難経路確保のために設備を変更する予定も入っている。

 その為、作業量が増え普段は放課後の時間を割いて行われるそれも授業と平行して行われる事となった。教師陣も立会の予定を入れられたらしく、朝から川村先生はせわしなさそうにしていた。結果、簪が代わりにクラスの取りまとめを行う場面もあり、一人でやるのは大変だと橙子とその友人のグループが率先して手助けに回っていたが慣れない事で対応しきれるはずもない。

 結局、放課後も雑務の手伝いをする事になってしまい、今になってようやく開放された。この時間に他に食堂を利用する生徒の姿は少なく、いつもの賑やかさが嘘のように静かだ。

 

「川村先生も心配性だからね。結局織斑先生と一緒になってあれこれ見て回ってたみたい」

 

「うん、橙子ちゃん達が手伝ってくれて助かったよ」

 

「まーこういう時ぐらい活躍しないとね」

 

 からから笑いながら、橙子はカツを頬張る。頬が膨れながらもそれでも目の前の山を崩すのを止めない。

 それを見ている簪の腹が鳴った。箸が自然と伸び、ゆらゆら揺れるつゆの中からうどんをすくい上げていく。薄味だが、今の自分の胃には、これぐらいが丁度良いと簪は思った。とは言え空腹なのは間違いなかった。二人はそのまま黙々と食事を続ける。

 

「ん? あれって雅美君じゃないかな」

 

 そして、二人の器が空になった頃、唐突に橙子が窓の外を指差した。簪も視線をそこへ向けると、遠くの渡り廊下を歩く一人の男子生徒の姿があった。後ろ姿だったが、その特徴ある背格好で雅美本人である事はすぐに分かった。

 ただ、こんな時間に一人で校内を歩いているという光景に違和感を覚えた二人は同時に首をかしげる。

 

「あの方向って確かアリーナだよね?」

 

 先に疑問の声を上げたのは橙子の方だった。彼が歩いている廊下の先は一つしかない。アリーナだ。それは間違いないのだが、簪も一度頷いた後で眉間に皺を寄せながら自分の疑問を彼女の言葉に続ける。

 

「でも、今日はこの時間アリーナは使えないはず」

 

 今の時間はアリーナのメンテナンス作業がちょうど始まる直前だ。その為、放課後以降のアリーナの使用は出来ないと今朝のHRで連絡があった。それこそ、以前橙子と雅美が川村先生に自主練の申請をした時も同じやり取りをしていた為に、橙子にとっては尚更印象に残っている。雅美にとっても同じはずだった。

 

「うーん、忘れ物でもしたのかな? もしかしたら今日はメンテナンスの日だって事忘れてるかも知れないね。追いかけてちょっと声かけてみようか」

 

「そう、だね」

 

 橙子の何気ない提案を簪も受ける。二人は空の器を返却口に置き、足早に学食を後にした。

 

 

 

 

 

※      ※      ※

 

 

 

 

 

「あら、二人共こんばんわ。今日は色々と手伝ってくれて助かったわ。本当にありがとう」

 

 二人が学食を後にしアリーナへと向かう途中、ファイルを抱えた川村先生と鉢合わせになった。彼女の顔色は優れない。この時間まであちこち歩き回っていたのだろう。時折つま先で床を叩いている。明らかに疲労の色が浮かんでいた。だが、二人の姿を見ると姿勢を正し、いつもどおりの穏やかな口調で感謝の言葉を告げる。

 

「いえ、クラス代表ですから。それにクラスの皆も、橙子ちゃんも手伝ってくれてましたし」

 

 簪は素直にそれを受け止めようとして急に照れてしまった。一呼吸おいて、結局出てきたのは謙遜の態度。橙子もまんざらではなさそうに頬を掻く。しかし、すぐに自分達の目的を思い出し橙子が彼女へと疑問を投げかける。

 

「そういえば川村先生。ウチらさっきまで学食にいたんですけど、そこでアリーナの方へ向かう雅美君の姿を見かけたんですよ」

 

「雅美君が?」

 

「はい。でも、今日って確かメンテナンスがあるからってアリーナは使えませんよね。だからなんだろうなあと思って。忘れ物でも取りに行ったのかなって」

 

 彼女は、ただ単純に自分の中に浮かんだそれを伝えるだけだった。

 しかし、それを聞いていた川村先生の様子がおかしい。最初はただ頷いて聞いているだけだったが、雅美の名が出た途端に目を見開いた。血の気が急速に引いて青ざめている。先程まで浮かんでいた疲労の色と混ざり、それは青紫色になりつつあった。更に目線はゆらぎ、口元は震えている。そして、そのまま慌てて上着のポケットから携帯を取り出すとアリーナに向かって走り出した。

 

「え? あ、ちょっと川村先生?!」

 

 突然の川村先生の行動に、思わず二人は後を追う。だが、彼女は自分達の事にまるで気にも留めていないようだった。誰かと会話をしているようだったが、まくしたてるような口調で綺麗に聞き取る事が出来ない。普段は常に『安全第一』を口にし周囲に気を使う彼女が、こんな狼狽えた様子を見せるのは初めての事だ。

 ようやく川村先生が目的地、つまり、アリーナの格納庫へと繋がる扉の前につく頃には、三人とも息が上がってしまっていた。特に橙子は前かがみになって大きく肩で呼吸をしている程に。

 そんな場所には、楯無の姿もあった。彼女は、予想していなかった二人の姿に驚きの声をあげる。

 

「どうして簪ちゃん達も?」

 

「だって……川村先生がいきなり……走りだして」

 

 息も絶え絶えに、簪が楯無の疑問に答えた。それを受け何かを悟ったのか、楯無は川村先生を睨みつける。

 簪にはそれが何故だか理解出来なかった。何か、川村先生に非があったというのか。ようやく呼吸が戻ってきて、今度は追求しようと思ったところで先に楯無の方が口を開く。

 

「川村先生。緊急事態なのは分かりますが、他の生徒を巻き込むのはいかがなものかと」

 

「巻き込むって……どういう事?」

 

 ますます簪は混乱する。自分はふとした疑問から始まり、慌てた様子で駆け出した川村先生の後を追ったらこうなっただけ。自分達を巻き込んだといのはあまりにも乱暴な言い方ではないか。気がつけば、自分も楯無を睨み、抗議の意味も込めた疑問を投げかけていた。

 

「事は一刻を争うわ」

 

「……そう、ですね。織斑先生もまもなく到着します。あくまで川村先生の指摘どおり、『雅美君が格納庫に入ったという事』を前提にしますが、中で雅美君がやろうとしている事を考慮すると先に入った方が良いと思います。最悪の場合、ミステリアス・レイディを使います」

 

「ええ、『その時は』お願いするわ」

 

 しかし、当の楯無も、そして川村先生も簪と橙子に目もくれず会話を続ける。疑問に答えるという様子もまるで無い。はじめから、簪達がここにいないかのような扱いですらあった。

 

「ちょ、ちょっと待ってください。そんなに血相変えなくても良いというか、ほら、もしかしたら雅美君はもう部屋に戻っているかなーって。もしかしたらウチ達の見間違えなのかも知れないですし」

 

 そして、聞こえてくる不穏な言葉の数々。いよいよ橙子が涙目を浮かべ、二人の間に強引に割って入る。彼女にとって、この事態は自分が引き起こしたものだという後悔の念があったのだろう。必死に、自分を責め立てるように二人を止めようとしているのが、簪にも痛い程に通じた。

 楯無は、そんな彼女の目線に合わせるように少し屈んで、彼女の肩に手をかける。橙子はその手に視線を一瞬やると、悪い事を咎められたかのように身体を震わせた。

 

「橙子ちゃん。気持ちは分かるわ。雅美君がいなければ、ああ良かった。気のせいだ、で終わりなの。でもね。もし、そうじゃなかったら大変な事になる」

 

「大変な事って」

 

「雅美君が何の為に格納庫に入ったかは分からない。けど、この中にあるものを考えると良い事は想像出来ないわね。特に今日、この時間なら彼は『意図的にアリーナに侵入した』事になる。それは、使用許可の申請忘れなんていう程度で済む話じゃないの」

 

 一方で、淡々と状況の説明をする楯無の視線は冷たい。橙子は、もっと追求しようとするが、その視線に射抜かれ言葉を失ってしまった。半歩後ずさりし、簪の方を見上げる。肩の震えは大きくなり、目元には何時決壊してもおかしくない涙が溜まっている。

 果たして楯無の言う通りだった。この先はISの格納庫。そこに入ったとなればやる事はそう多くない。しかし、簪には『彼がISで何をしようとしているか』、皆目見当が付かなかった。ただ、姉がISを使ってまで対処しなければならない異常事態が起きようとしている事だけは確かだ。

 息もつかせぬほどに立て続けに起こる突然の事態に、簪の意識は困惑に支配される。その脳裏には日々の雅美の言動が浮かんだ。自分が見ているものとは違う世界を見ているような、あの奇妙な言動を。彼がずっと見ていたのはこの恐ろしい景色なのだろうか。彼はこの時の事をずっと思い描いていたのだろうか。

 そして、『何か取り返しのつかない事』を実行に移そうとしているというのならば。

 そう思った瞬間には、簪は自身の意識すら何者かに引きずられるように格納庫への扉を開けていた。

 

 

 

 

 

 

 

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