IS学園記   作:debac

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第十一話 何を……しているの

「何を……しているの」

 

 整備室に飛び込んだ簪は、驚愕と共に言葉を発した。

 彼女の目の前にあったのは、ラファールを纏った雅美の姿だった。彼は、簪の呼びかけに気がついて一瞬視線を向けたものの、まったく気にした様子もなく無言のまま視線を手元に戻す。そして、それが当たり前のようにその場で屈伸をしたり腕を伸ばしたりとラファールの動作チェックを続けている。これから訓練でも始めるかのような手際の良さだ。

 

「転機って、どこに潜んでいるかわからないものね。その為に準備していたとしても、全てが整うまで待ってくれる訳もないし。それでいて、気がつけばものすごい速さで向こうからやってくる事もある。でも、何かのはずみですれ違いそうになってしまう。たった一瞬。その一瞬の為に成すべき事を成さなければならないなんて」

 

 簪の至極当然な疑問にも雅美は独り言を言うように応える。ふさわしくない時間にISを動かしている事。その事を問い詰められながらもまるで他に人がいないかのように振る舞っている事。簪は、彼がただただ不気味に見えた。そんな彼女を横目に、点検を終えたのか雅美はラファールを動かし始めた。アリーナへと繋がるシャッターへと進む。そして、脇に設置されている手動用の非常開閉レバーに手をかけた。

 その瞬間、簪は格納庫の床を強引に蹴り飛ばした。大きな反動で上体のバランスが崩れて、今にも前のめりに倒れてしまいそうになっても駆けるのを止めない。ラファールの手が、レバーを握りしめる。簪は無力な掌でそれを握りしめた。

 

「駄目。それを引いたら、もう戻れなくなる」

 

 そして、普段よりも殊更に身長差の広がった彼を見上げて、切なげに引き止める。手に、じんわりと冷たい感触が広がる。ISの無機質な冷たさが手を伝ってくる。自分の感情が飲み込まれるような気がして、それをはねのけるように更に力を込めた。

 

「簪さん。これは、アタシの問題。アタシ『だけ』の問題よ。ここのセキリュティは今、切断状態にある。新しいシステムに切り替わって有効になるまでの僅かなタイムラグ。シャッターが手動で開いても、誰も気が付かない。今なら、ここに来ていなかったし何も見なかった事に出来る。お願いよ。見なかった事に、して欲しいの」

 

 それでも、雅美はいつもどおりだった。何時も、朝の挨拶を交わす時のように穏やかに。何時も、授業を受けている時のように真面目に言葉を返す。簪の思考は過熱し、もはや単語を並べる事すら叶わない。

 簪の背後から、駆け足の音が幾つも聞こえてきた。先にその音に気がついた雅美が視線をそちらに向ける。そこには橙子、楯無、川村、そして日本刀に似た形状のIS用近接武器の刀を持った千冬が並んでいた。皆、その内にある感情は違えど一様にして雅美を睨みつけている。その中でも、特に千冬だけが明確に彼に向けての敵意を向けていた。

 周辺にいる皆を後ずさりさせる程の千冬の脅威。しかし、雅美はただ彼女に視線を合わせると、この場に不釣り合いな程の優しげな笑顔を浮かべる。

 

「皆さん、ありがとうございました。おかげで、こうしてISに乗って動く事ができるようになりました」

 

 千冬の額に、青筋が走った。挑発ではなく、純粋な感謝なのだと頭で分かっていても、この場に不相応な言動は彼女の感情を逆撫でするには十分すぎる程のものとなっていた。

 

「まだ、この学園に来てから一年も経っていないわ。教える事は、たくさんある」

 

 そんな千冬の側に、川村は並んだ。眼前の罪悪感に蝕まれて尚、彼女は己の意地に則り毅然し教師として雅美を諭そうとする。

 

「必要十分であれば良いんです。簪さんをさしおいて、クラス代表以上になれるなんて思ってもいません。それでも、これで事は足ります」

 

 しかし、雅美は明朗快活な口調を以て、彼女の小さな期待を裏切った。ブリュンヒルデである織斑千冬、そして学園最強のIS操縦者である更識楯無の二人を前にしても、それがさして重要でないとすら考えているのか、彼の姿勢は少しも揺らぐ事はない。

 そんな彼の態度がますます千冬の感情を刺激した。とうとう川村を押しのけ、手にしていた刀を彼に突きつける。

 

「後堂。お前は、そのISで何をするつもりだ」

 

 千冬の問いに、沈黙が挟まった。雅美は簪と橙子の表情を一瞬だけ覗く。そして、自嘲気味に薄ら笑いを浮かべた。

 

「安っぽい言い方ですが、復讐ですよ。アタシの人生を台無しにした両親への。

 アイツらに、『自分達の全てを投げ売って信仰していたもの』が神様でも何でも無く、ただ暴力を振るうものでしかないという下らない現実を突きつけた時、アタシの人生がやっと始まるんです」

 

 簪の肩が震えた。無理もない。彼の言葉の多くは不明瞭だが、そこには間違いなく両親への憎悪があった。クラスメートが、心の内にそんな感情を滾らせ続けていたなど考えも付かなっただろう。

 しかし、千冬のように事情を知ってしまった者にとっては別だ。脳裏には、彼の両親の手記が浮かぶ。湧き上がる怒りと共に奥歯を噛みしめた。最早、彼はIS学園の生徒でなくなった。IS学園に害為す者となってしまった。自身にそう言い聞かせる。

  

「更識。後堂から離れろ。そいつの腕をISごと叩き切ってやる」

 

 故に、千冬はただ一言、後悔と共に最後通牒を行う。

 それでも尚、簪は彼女の言葉を聞き入れながらも身体を動かせず、言葉も発せられずにいた。彼女の中では、今、雅美を止めているのは自分の掌だけのように思えた。もし、この掌を離せば、彼は何の躊躇いもなくアリーナへと飛び出てしまうだろう。そして、彼の言葉を信じるのならば、そのまま二度とここへは帰ってこないのだろう。

 だから、その場から動けずにいた。そして、千冬に答える代わりに、首を横に振ってみせる。途端に彼女の視線が鋭くなった。それは、自分に対する侮蔑でも落胆でもなく、哀れみのように簪には思えた。

 張り詰めていた糸がプツリと切れる。千冬の持つ刀の先が振れた。

 

「待ってください。織斑先生」

 

 その瞬間、川村が声を荒げた。

  

「あなたが両親に復讐をしたいのは分かった。とても同意出来るようなものではないけれども。そして、あなたの手でそれを成し遂げたい事も。でも、叶わない事もあるわ」

 

 そのまま、周囲の有無を言わさず彼女は言葉を繋げる。その瞳は真っ直ぐ雅美の表情を捉えている。千冬は彼女の覚悟を察し、口を開いた。だが、先に声を出したのは川村の方であった。

 

「あなたの両親は、もうこの世にいない。一昨日、揃って事故にあって亡くなっているの」

 

 それはただただ残酷な事実。この瞬間よりも早く川村の元へと届いていた凶報だった。

 川村はまたしても、最悪のタイミングで伝えなければならない自分の悪辣さを心底呪う。これだけが、彼を止めるただ一つの手段だと言い訳をしながら。

 

「……ありがとうございます川村先生。そんな嘘でアタシを止めようとして」

 

 しかし、雅美の表情は変わらない。

 

「アイツらは、私がISで殺すんです。アイツらは私にISを動かす事を願った。だから、アタシはISを動かせるようになった。そして、ここに来た。その結びつきは強い。

 だから、『アイツらは私が殺すまで死なない』んです」

 

 わずかに、彼の語気が強くなる。

 川村は、目の前の少年を哀れに思ってしまった。彼はIS学園で、自分が想像していたような充実した時間を過ごしていたのではない。そこにあったのは、ただ復讐だけだったのだと思った。それだけの為に、そこに向かう為だけに、授業も真面目に取り組んでいたに過ぎなかった。彼を理解してやれぬまま日々を過ごしていた自分の無力さが、自分の中に広がってしまう。

 

「どうして、そんな事を」

 

 ここに至って、ようやく簪は口を開いた。呼吸は不規則になり脂汗は浮かび、それでも何とか言葉を吐き出す。その言葉を受けて、雅美が視線を下ろした。簪の方へと。

 

「それが、アタシの中にただ一つ残っていた『夢』だからよ」

 

 ただ一言、そう応える雅美は簪が今まで見た事のない表情をしていた。簪に向けられている筈の瞳は虚ろになり、顔全体の筋肉が弛緩している。それは、表情と表現するよりも、感情そのものが消え去っていた、と言った方が正確なのかも知れない。彼女の目の前には、人間でありながら人間の顔をしていない何者かが立っていた。

 簪は、自分の中で積み上げていた日々がガラガラと崩れる音を聞いた。自分達の毎日のように語り合っていたものが、彼をこんなにも破壊しつくしていた。失望、絶望、憤怒、義憤。そのいずれにも表現しきれず、どす黒く混ざりあった感情が彼女を支配した。この時ばかりは、ISが自分達の心を食い尽くす恐ろしい化物に見えてしまった。ラファールの手を押さえていた両手は力なくだらりと床へと向けられる。降参したかのように身体のどこもからも自由が失われていた。

 雅美は、再びレバーを握りしめた。川村の叫びが聞こえた。千冬が、足元を強く踏み込んだ。

 だが、レバーは微動だにしない。本来ならこれを手前に引けば目の前の外へとつながるシャッターが上がるはずなのに、雅美を拒絶するかのように固まっている。雅美は首を傾げ、もう一度力を込めてレバーを引く。結果は同じだった。その表情に焦りは無かった。レバーが固く動きが悪いだけなのだろうと考えたのか、今度はラファールの重量もかけて、レバーを押し付ける。ドン、と鈍い音がして、それきりだった。刀を向けていた千冬も異常を察し、ゆっくりと刀の切っ先を下げる。

 

「ごめんなさい……そのレバー、壊れているんです。ウチが、壊したんです」

 

 そんな中、ずっと沈黙していた橙子がゆっくりと雅美の方へと歩み寄りながら震える声を上げた。壊した、という言葉に雅美は強く反応し、いつの間にか充血しきっていた真っ赤な目を彼女に向ける。

 

「少し前に、ウチが格納庫に打鉄を戻す時、打鉄に乗ったまま格納庫に戻そうとしたら転んじゃって。その時、ぶつけて根本の部分が折れてしまったんです。後でこっそり直そうとしたんですけど。うまく直せなくて、どうせばれないだろうと思って……それで、『見た目』だけはちゃんとしておけば、って。

 ごめんなさい。ウチが、ウチが全部台無しにしちゃった。ごめんなさい、ごめんなさい……」

 

 そして、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、橙子は言葉を絞り出した。簪が、あっと声を上げた。橙子がアリーナの入り口で躓いて転倒した日の事を思い出す。あの日の放課後、彼女は珍しく一人で居た。図書館で調べ物をしていた、と言っていた。だが、あれはただ自分の本当の失態を隠す為の嘘だった。一人でこっそり格納庫に戻って、自分の不注意で壊したレバーをハリボテにしていたのだ。

 小さな偶然の積み重ねでしかなかった。この日、点検と更新の為に一部のセキリュティが一時的に停止する事。そして、それに対処する為の別のセキリュティが有効になる間に僅かなタイムラグがあった事。そして、『オフライン状態でも作動する手動式の非常開閉レバーがほんの些細な事故で破損』し、『作動した時のみ警備に通知が入る仕様』で『動作しないまま破損はし、見た目だけは元通りになっていた事』がここに積み重なっていたのだ。恐らく、何事もなければ今日のメンテナンスでそれは発覚していたのだろう。だが、その直前にこの事件が起きてしまった。

 アリーナへと繋がるシャッターは堅牢で、今のラファールの装備だけでは到底破壊など不可能だ。つまり、雅美がただこの日の為に用意していた『夢』の全てが破綻してしまった事をあまりにもあっけなく伝えていた。

 

「こんな、こんな理由で? アタシの夢が終わるの?」

 

 雅美は目を丸くし、驚愕の表情を浮かべる。それを受け入れられず、今一度レバーを動かそうとした。しかし、返ってきたのはただ、不動のみ。ラファールの手が、ゆっくりとレバーから離れた。

 刹那、雅美の絶叫にも見た笑い声が格納庫の中に響き渡った。天井を見上げ、狂ったように何度も何度も、何度も笑い声を上げ続ける。顔は真っ赤に腫れ上がり、今にも破裂してしまいそうだ。その場にいた誰もが、金縛りにかかった。

 そして、雅美は橙子の方へ幽鬼の如く上体をフラフラとさせながら進み、ラファールの右腕を力任せに振り上げた。そして、それは真っ直ぐ橙子の方へと振り下ろされる。武器は何も持たないが、ISのその質量、その勢いで殴られれば生身ではひとたまりもないだろう。

 それでも、橙子の体は動かなかった。動く事ができなくなっていた。これは間抜けな自分への報いだと思った。遠くの方から自分の名を叫ぶ声が聞こえた。横目で、簪がこちらに向かって走ってくる姿が見えた、ような気がした。再び、ごめんなさい、と小さく呟いた。それは、誰の耳にも届かない。

 だが、今まさに殴りつけられようとしたその瞬間、視界がぼやけた。意識ははっきりしているというのに。何故か、自分の周りに水が吹き上がるのを感じる。そして、パンッと乾いた破裂音が一つ、聞こえた。雅美の表情が苦痛に歪み、彼の上体が仰け反ってそのまま仰向けになって全身から力が抜けて、だらりと腕が肩の根本からぶら下がるのが見えた。

 間に合った。楯無はため息を漏らす。ミステリアスレイディの放った一撃が、雅美の眉間に直撃したのを確かに見た。ナノマシンで生みだした水鉄砲と同じ仕組みの、しかし水鉄砲と呼ぶにはあまりにも強烈な水の弾丸の一撃は正確に彼の眉間に直撃し、彼の意識ごと後方へと飛ばした。ラファールは、そんな彼を支えるようにその場に留まり、わずかに上体が後ろにのけぞる。

 

「雅美君は気を失っているだけです。織斑先生、川村先生。今のうちに彼を医務室へ」

 

 ISを解除しながら、楯無ははっきりとした口調で指示を出す。幸い、二人の先生は冷静だった。手慣れた様子で雅美をラファールから降ろし、彼の両肩から担ぎ上げるように運び出すのが見えた。

 そんな中、視界の隅に、憎悪を感じ取った。

 頬に、鋭い痛みが走った。簪が、自分の右頬を平手打ちしていた。唇は震え、溢れる涙はそのままに。真っ赤に目を腫らせて自分を睨みつけている。

 

「どうして」

 

「怪我人を出さないで事態を収拾させるには、このタイミングしかなかったわ」

 

 震える簪の声とは対照的に、楯無の発した言葉はあまりにも冷淡で事務的であった。こんな声が出せるのかと自分でも驚愕する程に。それを聞いた簪の目が、大きく見開いた。そして、先程と同じ右頬に激痛が走った。今度は平手打ちではない。固く握りしめられた簪の拳が、頬を打ち抜いていた。それでも、上体のバランスをわずかに崩すに留まる。

 しかし、楯無は視線を戻す事が出来なかった。しばらくの沈黙の後、視界の隅で簪がその場にへたり込むのが見えた。それを見た橙子が駆け寄り、彼女の肩を支えてすんでのところで床へ倒れるのを防いだ。橙子の泣きじゃくる声と、簪の呪詛混じりの嗚咽が格納庫に重たく響く。

 狂喜は終わり、静寂が来る。その中で、楯無は彼女達を見下ろす事も出来ずその場に立ち尽くしていた。

 

 

 

 

 

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