結
『あらゆるものを奪われた人間に残されたたった一つのもの、それは与えられた運命に対して自分の態度を選ぶ自由、自分のあり方を決める自由である』
(ヴィクトール・フランクル)
後堂雅美の復讐が失敗に終わった日から一週間が経った。
彼の両親の急逝は、『本人たっての希望』で一年四組の生徒達に川村より伝えられた。そして、彼自身はと言うと忌引という事でしばらく休んだ後、何事もなかったかのようにクラスに顔を出した。クラスメートたちは皆、彼の不幸を悲しみ、そして、復帰した事を喜んでくれた。
少しだけ、彼の雰囲気は変わったと四組の皆は口を揃えて言う。ハッキリとそれが何かを指摘は出来なかったが、両親の死を引きずりながらもどこか吹っ切れたようだ、と。元々人当たりの良い性格だった事もあって、やがて、彼の微妙な変化についてすら忘れて四組は日常へと戻っていった。
変化は他にもあった。両親を亡くした雅美の後見人として川村が手を上げた事だ。それは、雅美がISの教師を目指すという目標を掲げた事が大きい。彼の夢をサポートする為にはIS学園という場が最も相応しいのだと川村は断言した。勿論、障害は多かった。彼を引き取ろうとした親族を名乗る者は少なくなかったし、IS学園卒業後の進路という意味も込めて、どこぞの企業や研究所も手を上げた。しかし、その何れも雅美本人が頑なに拒否し、時折、川村と共に『織斑千冬』の名をちらつかせる事で沈黙させた。尚、後者については勝手に名前を持ち出されたと本人からこっぴどく叱られたのは言うまでもないが。
そして、彼らの思惑などどこ吹く風とIS学園の時間は今日も進む。中止となっていたクラス代表戦は内容を一部変更し、二人一組で戦うツーマンセルトーナメントとなった。その日が近づいてきている。当然、簪も出場する。今度はきちんと専用機で参加するべく、凍結されたままだった自身の専用機のデータ及び未完成の機体、そしてその発端となった白式の実戦データの一部を倉持技研から『強引に』受け取り、お披露目を目指し開発を進めていた。
それは、姉である楯無がかつて歩んだ道と似ていたが後悔は全く無かった。あの姉が成し遂げた事を自分も目指したい。例えそれが少し違った道を進む事になったとしても。そんな願望が今の彼女にあった。
「そういえば簪ちゃん、例のエンブレムはどう?」
放課後、格納庫の片隅で端末に向かいISの調整を続けていた簪に、橙子が声をかける。
例のエンブレム、とは簪が専用機『打鉄弐式』の調整を進める中で橙子が提案したものだ。彼女が言うには、せっかくの専用機だから何か目立つ物があった方が良い、という事だった。その時、参考にと見せてきたのは色々な会社のロゴマークで、なんとなくズレているようで簪は思わず笑ってしまった。
しかし、そのアイディア自体は受け入れる事にした。そうだ、どうせ自分が完成させるのだから、他のISと違う何かを入れたい。そう思った。そして、しばし思案してから橙子を見上げる。
「うん、その事なんだけどね。背中の部分に言葉を入れたい。『希望』っていう言葉を」
「『希望』?」
「そう。この『打鉄弐式』は私が未来に進む為の『希望』で、四組の皆の『希望』を背負うもので、そして、正しい夢へと続く『希望』であって欲しい。だから、それを刻みたい」
簪は、拳を軽く握り込んで端末に映る自身の専用機を見つめる。エンブレムを入れる場所は目立ってよく見える場所が良い。打鉄弐式は腰より下及び背面に装甲が展開される。その中でも背面の部分なら文字通り背負う事になり、後ろからも見えてピッタリだと思った。何を入れるかについては不思議と全く迷いはなかった。橙子から提案された時、それが既に予期されていたかのように脳裏には『希望』という言葉が浮かんでいた。それ以外に考える余地など、全く無かった。
「『希望』か。それは、すごく良いと思う」
いつの間にか二人の後ろに、両手に大きめの袋を下げた雅美が立っていた。彼は、二人の肩越しに端末の画面を満足そうに見つめている。
「とりあえず、これ差し入れ。食堂とか購買とかで買ってきたから」
そう一言だけ告げ、彼は手にしていた袋を床に降ろす。中身はおにぎりやパンやジュースなどが詰め込まれていた。いくらかの空腹を覚えた簪と橙子が揃って袋の中身を吟味していると、急に格納庫の中がにぎやかになる。四組の生徒が、勢揃いしていた。
放課後は予定の許す限り、こうして皆が揃って簪の専用機の開発の手伝いをするのがここ最近の四組の日課となっていた。と言っても、簪が調整したプログラムのデバック作業が主なのだが。いずれにせよ、作業が遅くなる日もある。ならば、と集合する際に簡単な食事を用意するようにもなっていた。
そんな様子を、橙子が「楽しいね」と言う。簪はにこりと笑い、頷く。
「四組の皆、やる気になってる。まあ専用機に関われるチャンスなんてそうないからなんだろうけど。以前に声かけていた整備科の人達も来てるわ」
半ば呆れたように雅美は彼女達を一瞥する。簪はその中に見慣れぬ生徒がいる事を認めた。雅美の言うように確かに整備科の人間のようだ。「専用機を完成させる。伝手があるならどんどん声をかけて欲しい。とにかく手を貸して欲しい」と簪は確かに四組で協力を求めたが、まさかここまで根回しが早いとは考えてもなかった。しかし、それは彼女の背中を押すのに足らない理由にはならなかった。この日課は、少なくとも普段の授業の内容とかけ離れて困難であるのは間違いなかったが、切なさは無かった。日々加速するようにどんどん前に進む事が出来た。
「それで。今日は何か出来る事あるかしら」
「あ、それなら。今日の実機の動作テストにあわせて調整したプログラムがあるからそれをデータ上で動かしてみて欲しいの。動作中にバグが無いかとか、色々見なきゃいけないところはあるのだけど、数が多いから一人だとやっぱり大変で」
そう言いながら、簪は自分の端末経由でクラスメートの端末に作成したプログラムを送信する。容量的にも内容的にも、流石に打鉄弐式のデータをまるごととはいかない為、幾つかのファイルに分割するがクラスメート達の表情に驚きが浮かぶ程の量になった。
それでも、彼女達は幾つかのグループに別れ、それぞれが嬉しそうに渡されたプログラムを試行させ始める。中にはこういった作業に苦手意識を持っている者もいたが、お互いに助言を入れながら少しずつ進めているようだ。あっという間に格納庫の中が打鉄弐式の為の作業場になった。
橙子は、そのうちのあるグループの面々に呼ばれそちらに駆けていく。一方、簪はというと窮屈さを感じ、壁際に移動し腰を下ろした。その隣に雅美が座る。簪の端末の中では、無機質な記号が踊るように下から上へと流れていく。
「ねえ。アタシがこの学園に来た時、これもなにかの縁だから、って話をしたの覚えているかしら」
騒がしさすら感じる中、不意に雅美がそう尋ねた。簪の手が止まった。
「ええと、ごめんなさい。忘れてた。でも、言われて思い出した。そうだった。あの時は変った人だな、なんて。そう思ってた」
「それはちょっと残念。まあ、アタシもあの時はそこまで深く考えてなかったからしょうがないわね。『そんなつもり』もさらさらなかったし。でもね、今は全然違うの。この縁がずっと続きますように。心から、そう思っているわ。
二度、夢と思い出を忘れ去って。新しく作り始めるのはこれで三度目。それでも、少しも悲しくない」
雅美は微笑む。彼の言葉の裏に、どれだけの苦難と孤独があったのか。簪は遂にそれを垣間見る事しか出来なかったが、今の彼を見れば、それは余計な配慮でしか無いと極自然に気づく。
そして、プログラムの試走が続く中、彼女は視線を手元に落とした。
「その、本当に良かったの? ツーマンセルトーナメント、橙子ちゃんに譲って。今の雅美君の実力なら、決して私の足手まといにならないと思うけど」
「良いのよ。今はまだ自分の事で手一杯。それに、橙子さんのISの技術はぐんぐん伸びてる。川村先生のお墨付きだもの。遠慮しないでその専用機で存分に活躍してくれると、アタシも嬉しい」
雅美は視線を、少し遠くにいる橙子に向けた。それに簪も続く。彼女は積極的にクラスメート達に現在の進捗について話をしていたが、相変わらずクラスメートに代わる代わる頭を撫でられていた。嬉しそうに笑っていた。
秋葉橙子は、今やもう一人のクラス代表と言っても過言ではなかった。簪が不在になった日、そして、雅美の両親の急逝が伝えられて四組全体が暗く沈んでいた時、彼女はそれが当たり前であるかのように先頭に立っていた。背は誰よりも低かったが、誰よりも大きな存在になった。その御礼と言わんばかりに頭を撫でられ続け、とうとう「頭皮が!」と叫んでいたのはいつの事だったか。簪は、ああいう面ではきっと敵わないだろうと少しだけ悔しくなった。同時に、そんな彼女が自分の親友でいてくれる事をとても誇らしく思った。
データのチェックを終わらせたクラスメートがぽつぽつと手を上げ始めた。とりあえず今日のテスト内容であるISの起動及び移動動作に関する部分で問題は無いようだ。あとは、このデータをISに入れて、アリーナで展開させるだけ。この調子なら、ツーマンセルトーナメントまで間に合うだろう。ゴールが見えた。簪は皆にアリーナに移動するよう呼びかける。すると、橙子が先導してアリーナへと進み始めた。皆、自分たちの行動が実を結ぶのだと嬉しそうにしている。簪は、速歩きで橙子の隣に出て肩を並べて歩く。
そんな彼女達がアリーナに出ていくのを、雅美はじっと見届ける。そして、がらんとなった格納庫をゆっくりと見渡す。ずらりと並ぶ訓練用ISの中で、一機のラファールがこちらを見ているような気がした。頭部など無いのに、目線が合ったような気がした。ゆっくりと立ち上がり、そのラファールの正面に移動する。向かい合うが、当然反応はない。目を細めて、たった一度だけ頭を下げた。そして、アリーナへの入り口へと歩き出す。
「後堂、少し良いか」
しかし、何処かで聞いたことのある声が彼を呼び止めた。振り返ると、そこには千冬の姿があった。思わぬ人物から声をかけられて、雅美は少なくない戸惑いを覚える。彼女は相変わらず口は真一文字に結んで、両腕を前に組んでいる。普段ならば威圧感のある姿であったが、この時だけは何故か妙な弱々しさを感じた。何かに見られているのではないかと彼女の視線が泳いでいる。
その不自然さの出どころを雅美は皆目見当もつけられないまま、何でしょうか、と一言返す。すると、彼女の口から思わぬ言葉が飛び出た。
「お前は、白騎士事件をどう考えている」
首を傾げながらも、彼女の言葉、白騎士事件について雅美は思い出す。それは、両親から嫌というほど聞かされた話だ。今更間違えようもない。
「どう、と言われても。確か、ISが広く知られるようになった事件の事ですよね。ミサイルがハッキングされて、日本が狙われて。白騎士っていうISがそれを全部迎撃させたっていう」
「ああ、その。すまない、そういう事を聞きたいのでは無かった。私が聞きたいのは、だな。
つまり、白騎士事件が無ければ、ISは今ほど世界に認知されなかっただろう。すると、お前は復讐という夢を持つ事は無かっただろうか? お前の人生は、台無しにならなかっただろうか?」
急に質問が増えて複雑になった、と雅美は思った。しかし、それ以上に千冬の変化に困惑した。彼女の目線は自分を捉えていたが、何かを恐れているように見えた。先程と同じように視線は泳いでいたが、その時とは違う要因のような気がした。
雅美は考える。彼女が何を求めているのか分からない。しかし、彼女のその問には向き合ってやらねばならないと。
「その質問に完璧な答えを返せるとは思えませんが」
そして、一度前置きをする。千冬が身構えるのを見た。
「アタシの両親が変った事を自覚してしばらくは、ISなんてものがなければ、と憎んでいたのは間違いないと思います。そのうちに、ISが両親への復讐する手段に変わって、それがアタシの夢になりました。でも、今はIS学園の教師になりたいと考えています。きっと、思い出も、夢も、巡るものなのでしょう。
けれども、白騎士事件が無ければ、というのは。それは『存在しない思い出』なんです。『空っぽな夢』なんです。巡ってくる事は、決してありません。
アタシは、ありもしない思い出を抱いて眠り続けるんじゃなくて、正しい夢と共に進んでいきたい」
両親の輪郭がおぼろげに雅美の中に蘇る。しかし、動揺は無かった。それは、夢に溺れていた頃の自分と決別出来た事を示していた。ここには、IS学園からの日々を過ごす一人の少年が立っていたのだ。無意識の内に頬は緩んでいた。
そんな彼の答えを受けた千冬の顔が僅かに綻んだように雅美には見えた。だが、普段の厳しい顔つきとは違う、その隙間から見えた表情はどこか寂しげでもあり、悲しげでもあった。その事を問おうとした時、アリーナの方から橙子が雅美の名を呼んだ。雅美は千冬に対して一礼し、踵を返す。アリーナの入り口からは、太陽の光がすっと差し込み道を作っていた。その先には、既に打鉄弐式を展開させた簪が空へと飛び立つ光景があった。
※ ※ ※
打鉄弐式の動作テストは歩行から始まり、いよいよ空へと飛んだ。川村は、その様子をアリーナの観客席から眺めていた。彼女にはISの開発について簪達へ教えられる事はもう無かったが、それでも彼女達の活躍を見届けずにはいられなかった。
打鉄弐式は打鉄の後継機ではあったが、フォルムは全く異なる。鎧武者のような打鉄とは異なり、シャープな装甲を持ち幾つもの火器を搭載したその全身は大型の爆撃機のようだ。それが、ずっと昔から空と竹馬の友でもあるかのように軽快に飛んでいる。打鉄弐式の薄青のボディと、空の色が連なる。その操縦者、更識簪は満面の笑顔を浮かべていた。クラス代表に決まった時の内気な姿がまるで幻のように彼女は変った。その真下では、彼女に引き寄せられるように打鉄弐式に続いて歩く四組の生徒の姿があった。勿論、そこに雅美と橙子の姿もある。きっと、ラファールや打鉄の使用許可も出ていれば今頃は打鉄弐式の後に続いて飛行していただろう。
打鉄弐式の空を舞うその姿に、川村は人類史上初の飛行機の姿を重ねた。その飛行機の名は「ライトフライヤー号」。遥か昔に作られたある兄弟の作り上げた夢の形。しかし、今やその夢は別のものに取って代わられ、この古い飛行機は博物館でひっそりと展示されている。きっと、誰ももうそれで空を飛ぼうなどとは思わないだろう。川村も、その飛行機の事は資料で読んだ事がある程度だ。ただの歴史の一欠片だ。だが、川村はそれが正しい姿なのだと思った。夢は形を変えて続く。そして、古いものは取り残されて思い出の中に埋もれていく。最後にはただ、消えていくのだ。
雅美がISの教師になりたいという夢を教えてくれた時の事を思い起こす。今はまだ、彼の夢は小さくて弱い。それ故に、彼の夢が川村律という一人の教師との思い出を遥か過去に置き去りにして、やがて誰からも忘れ去らせてくれる事を願った。自分が、彼にとってのライトフライヤー号に成る事ができるのならば、それはとても光栄な事なのだと思った。
彼らの先にあるものが何なのかは誰も知らない。運命の中から這い上がってようやく進み始めたその道は、まだ全容を伺い知る事も出来ない程の雄大な未来の一片なのだろう。
川村は空を見上げた。空には、『希望』の後に続く一筋の真っ白な道があった。それは名残惜しそうに、いつまでも残って揺らめいている。
(了)
あとがきは活動報告にて