あの奇妙な自己紹介の後、一時はまるで腫れ物扱いするような雰囲気が教室内に満ちていたが、HR解散後の小休憩の頃には後堂の周りには何名かの女子生徒が集まっていた。
「そうなのよ、緊急検査なんて受けて、適正があるからってあれよあれよとそのまま転校手続きよ。このIS学園って寮生活でしょう? だから荷物なんかちっとも届いてなくて」
「でも最初の男性起動者の事も知らなかったんだ」
「まあアタシも、アタシの周りもISとは無縁の環境だったからねえ。それよりも、この分厚いガイドブックをなんとかしないと」
「ガイドブックというか、操作マニュアルなんだけどねー」
ため息交じりに、後堂は先程まで眺めていたISの操作マニュアルを開く。女子生徒たちはそれを覗き込んで、あっと声をあげた。
「すごいじゃない。あっちこっちにメモが」
「このあたりは初学部分だけど、随分読み込んだね。それにしても後堂君て字キレイ」
「ありがとう。後で見直した時に読みづらいの嫌だしね。川村先生からの事前の話もあまり時間取れなかったから、できるだけわかりやすくしないと」
後堂のマニュアルには、余白という余白に彼なりの解釈や、彼の言う通りならば川村先生からの補足も書き込まれている。
そして、突飛するべきは彼の自筆だ。止め、はね、はらい。どれも整っていて、中心にぶれがない。習字の手本のような文章がそこにはあった。
後堂はそれが当然のように自慢気にする事もなく、「それと、アタシの事は雅美って呼んで欲しいわ。せっかく同じクラスになれたんだもの。仲良くしたいの」と照れくさそうに付け加える。
簪は、身動きできないままそんな彼らのやり取りに耳を傾けている。
実のところ、彼女も後堂の事は気になっていた。異性の、という意味ではなく、純粋に人間としての、という意味でだが。
唯一の男性起動者である織斑一夏の存在が発覚した後、日本全国ではさらなる例外を見つける為の緊急検査が行われていた事は記憶に新しい。後堂は、そんなか細い糸に引っかかった一人だったようだ。
それまでの人生が一変してしまうような事態に、彼はさほど気にした様子もなく談笑に興じている。
第一印象は飛び抜けて異質だったが、いざ話してみれば気さくで、女言葉のおかげでかえって親しみやすさを与えてるようでもあった。
ふと、簪は居心地の悪さを感じ視線を他へ向ける。すでに教室内の生徒は皆、何人かの小グループを作っていた。
途端に自分の中で黒いものが吹き上がってくるのを感じた。こういう時、あの人はきっと難なしに輪に入っていくのだろう、と。そう思ってしまう自分に苛立ちを覚える。
隣の方から、自分に呼びかけるような声が聞こえた気がした。だが、それもチャイムの音によってどこかへかき消されていった。
※ ※ ※
結局、その日は施設内の見学や授業内容などについてのレクリエーションで一日が費やされた。無理もない、一つの島そのものをまるまる施設にしているこの学園について説明しようものなら、一日あっても足りないのだ。
その上で、後堂は放課後になってもある事情で開放されずにいた。寮生活についてだ。
このIS学園の生徒は皆、敷地内での寮生活をしている。急遽入学の決まった雅美も例外ではない。しかしながら、他の生徒のように入学前に説明を受ける時間などある筈もなく、こうして個別に案内を受けていた。
「ごめんなさい、急な話だったので物も揃ってなくて」
「いえ、良いんです。寝床があればなんとかありますから」
川村先生に案内されたのは、寮の一角にあった物置だった場所。予め送っておいた私物の一部に机と椅子、それとベッドのみという見る人が見れば独房といって差し支えないような環境だった。
入学までの時間がギリギリだった事から空き部屋がどうしても用意出来ず、こうして急造された部屋でしばらく過ごす事になると告げられる。
そんな部屋の一角の壁には真新しい扉があった。気になって開けてみると、簡素な作りの洗面台、その奥にはスライドドアで仕切られた浴室があった。真新しい、薬品の匂いが鼻をつく。
「突貫工事でもしかしたら水漏れがあるかも知れないから。気になったらすぐに教えて」
はい、と一言だけ答えて雅美はドアを締める。と同時に安心もした。とりあえず衣食住は揃っている。生活する上での不便は無さそうだ、と。
不意に、入り口のドアをノックする音が聞こえた。既に連絡が入っていたのか、雅美が反応するよりも一足早く川村先生が「どうぞ」と返事をする。
程なくして、女子生徒が一人、扉の向こうから姿を見せた。水色の、外側へ少しはねた髪。整った顔立ちに宝石のような輝く赤い目。
美人と形容するにふさわしい姿だ。ただ、「祝! 入学!」の文字の入った扇子を広げている点がいくらか不自然である事を除けば、だが。
「はじめまして、後堂君」
見方を変えればユーモアに溢れた人、と言えそうだがともかくその女子生徒、更識楯無はじっと雅美の表情を捉えたまま微笑む。
事前の準備が乏しかった雅美だったが、少なくとも彼女が何者かはすぐに分かった。入学式、生徒会長挨拶の時に見かけた顔だ。
「はい、はじめまして、更識生徒会長。何の御用でしょうか」
つとめて丁寧に雅美は返す。僅かな間があって、楯無はぱたんと扇子を閉じて彼を見つめる。それは、自分を伺っているように雅美には見えた。
「随分落ち着いているのね。こんな環境に突然放り込まれたのに。事前に聞いていた印象と、ちょっと違うかしら」
観念したように楯無が肩をすくめる。
隣にいた川村先生が何か言いたげに口を開けたその瞬間に雅美は手を上げ、彼女を制する。楯無の方へ顔を向けたまま。
「どういう意味ですか」
ここで、はじめて雅美の表情が崩れ彼の目つきが鋭くなる。目の前の女子生徒一人を、警戒しているのは明らかだった。
「二人目の例外だから、というとちょっと乱暴だけど。適性検査とは別に、事前にあなたの身の回りの事を学園の方で調査させてもらったのよ」
「身辺調査っていう事ですか」
「そういう事。あなたの御両親の事も含めて」
だが、気に留めるような素振りを見せず、楯無はハッキリとした口調で雅美の質問に答えた。少なくとも、そこに敵意は無かった。穏やかで、まるで悪い事をした相手を諌めるかのような態度だ。
「まあ、ほんの少し調べればすぐに分かる事ですからね。あ、でも今は保護プログラムっていうんでしたっけ? 詳しくは知りませんが、あの人達はそのプログラム下にいるとか」
雅美は上げていた手をおろす。楯無の言動に呆れて苦笑していたが、先程までの固い態度はいくらか和らいでいた。
一方の楯無は、あえて揺さぶりをかけたにも関わらず、そんな彼の感情をいまいち見定める事が出来ない事に、内心驚いていた。
「……ごめんなさい。この学園でも、あなたをどう見たら良いのかわからない人もいるの」
「生徒会長はどうなんですか」
「私はこの学園の味方よ。あなたもこの学園の生徒だから。当然、私はあなたの味方」
無論、そんな事は一切言葉にするつもりはない。その上で、雅美の追求にこんなぼかした返ししか出来ない。
楯無も、彼の質問に対して要求されている答えだとは思ってもいない。同時に、これが彼女の最大限の譲歩でもあった。『彼や、彼の周りについて調べた者』ならば、そして『この世界を取り巻く環境がどういったものなのかをよく知っている者』でもあるならば、これがより良い選択だという事は疑いようも無い事だから。
「ただ、勝手に人の身の回りを調べるのはあまりいい印象を持たれませんよ」
「その事についても謝るわ。ごめんなさい。こうして直接話しに来たのも、誠意の一つだと思ってほしいの」
「そう、ですか」
雅美は目を細め、ため息と共に言葉を漏らす。
「アタシはそこまで気にしていません。自分の身の上は自分が一番よくわかっています。それに、ここでISを学び、動かす。今のアタシができる事は、それだけですから」