IS学園記   作:debac

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第七話 なんだか安心した

 

「あのぅ、川村先生。放課後にアリーナでISの自主練やりたいんですけど」

 

 中庭で簪と思いの丈を晒し合った日の翌日、橙子は放課後の教務室で授業内容の整理を進めていた川村先生を尋ねていた。隣に、少しめんどくさそうに顔をしかめ、視線を外へと向けている雅美を連れて。

 

「これ、使用許可の申請書類です」

 

 川村先生が顔を上げたのを確認すると、続けて橙子は手提げかばんから一枚の書類をおずおずと差し出す。そして、川村先生はそれを受け取り、その内容に目を向ける。彼女の言う通り、それは放課後のアリーナでの自主訓練の申請書だった。

 どうやら橙子の筆圧は強いらしく、所々筆跡が残り汚れがある。何度か書き直しをしているのが見て取れた。ただ、申請者の欄の中で、後堂雅美という名前だけは相変わらず整った字体で書き込まれていた。

 

「記入事項は、うん。問題ないわね。利用するのは橙子さんと雅美君の二人で良いのかな」

 

「あ、はい。本当はアタシの名前を入れる予定は無かったんですが、橙子さんがその、あまりに書類の書き方が分かっていなくて。あれこれ教えている内にあれよあれよと。最初は手ぶらで川村先生のところへ行こうとしましたし」

 

「ちょっと! それは言わないでよ!」

 

 先程までの縮こまった態度はどこへ行ったのか。あっさりと自分の恥を晒された橙子は雅美に詰め寄る。一方の雅美はと言うと、してやったりと言わんばかりに笑みを浮かべながら上から橙子の頭を両手で押さえつけている。身長差もあって、まるでイタズラを咎められている子供とその親のようだ。

 

「まあまあ。流石に一人だと安全面で心配だったから。二人共最近のIS操作は順調だから大丈夫だと思うけど、それでも気をつけてね。安全第一よ」

 

 そんな二人のやり取りを見て、川村先生は安心したかのように笑顔を見せ彼らを諌める。そして、デスク脇のブックスタンドに挟まっていたファイルを一冊取り出して開くと、その中身と受け取った申請書と見比べ始めた。 

 

「あら、ごめんなさい。来週のこの日はセキリュティメンテナンスが入っているから使えないわ。明日のHRでクラスの皆にも伝えておかなくちゃ」

 

「え? 本当だ。見て見て雅美君。この日は放課後ずっと駄目だってさ」

 

「ん、そうね」

 

 しばらくの間があって、川村先生は視線を二人の方へ戻す。そして、それと入れ替わるように橙子が川村先生の手元で広げられたファイルを覗き込んだ。橙子の目線が、丁度川村先生の手元で広げられたファイルとほぼ同じ高さの為、ほんの少し視線を向けるだけでファイルの中身が見える。

 そんな橙子に促されるまま、今度は川村先生の頭上から雅美がスケジュール表を見下ろすように眺める。既に予約済みの時間帯が幾つもあったが、橙子の言った通り来週の希望していた日程の中で、ある時間帯だけが斜線で塗りつぶされている。

 そこには、手書きのメモが幾つも書き込まれていた。『セキリュティ更新に併せた施設内の電気設備の切り替え』や、『作業完了後の再点検の段取り』など、橙子にはその書かれている内容は把握しきれないでいたが、その日は川村先生を含めた職員が遅くまで作業をするという事はすぐに理解に至った。

 

「あら、覗き見は駄目よ二人とも。これは大切な資料なんだから」

 

「えへへ、ごめんなさいー」

 

「すみません、つい」

 

 そんな二人を川村先生が諭すように叱ると、二人共半歩後ずさりをする。橙子は更に、ばつが悪そうに半身を雅美の背部に隠してしまう。

 

「とりあえず、他の日は申請どおりに処理するわね。後は他の人の申請との調整もあるから明日まで待ってちょうだい」

 

「わかりました。よろしくおねがいします」

 

 咳払い一つとファイルをたたむ音、それが合図のように雅美と橙子は頭を下げる。

 川村は、二人の行動に内心喜んでいた。普段ならほぼ申請どおりに事が進むのだが、今は無人機襲撃事件によるアリーナ使用制限がようやく解除された事もあって、彼女達のように放課後のアリーナ使用許可申請を出す者は多い。その為、申請書を提出したとしてもすぐに予定を確保出来るという訳ではなく、他のクラスや学園からの申請状況を確認しなければならないという事情があった。

 それでも、身内藻屑かも知れないがどうにかしてこの二人がアリーナで練習出来る時間を作ってやりたいとも考えてしまう。彼らにその自覚があるかは分からなかったが、四組の活力の中心に彼らは間違いなくいる。簪がクラス代表になってから積極的に声をかけていたのは橙子を中心としたグループであったし、雅美はISの訓練で積極的に簪から多くの助言を引き出している。今や簪が四組を引っ張ってこそいるが、そんな彼女のすぐ後に彼らが率先してついてきている。簪の背中を後押ししているのは、きっと彼らなのだ。そんな二人が、今もなおISへの鍛錬を怠らない。その努力が報われて欲しいと川村は切に願っていた。

 上着の内ポケットの中に、意識を向ける。ああ、だからこそ。『これから自分が伝えようとしている事』が、『彼』に向けて無粋なものである事は疑う余地も無い。ごめんなさい、タイミングが悪かった。今日、『これ』が届いてしまった。後回しにしたところで、では『これ』をいつ渡すのが最適だというのか。川村は自身へ向けて、そんな贖罪の言葉を想った。

 

「……それと、雅美君の方にはまだ用事があったわ。少し、残ってもらえるかしら」

 

 二人が踵を返そうとしたその時、川村先生が雅美に声をかけた。当然のように二人はお互いの顔を見やる。

 

「なになに。雅美君何か怒られるような事やったの?」

 

「心当たりないわよ」

 

「ふぅん?」

 

 にやにやと笑う橙子に対し、雅美が鼻で笑い彼女のおでこを指先で弾く。橙子はわざとらしく両手で弾かれた場所を抑えると、そのまま足速に教務室から出ていってしまった。

 それを見届け振り返る。すると、川村先生が利用申請の時とはうってかわって沈んだ表情で自分を覗いていた。学園での生活が始まってまだそう長い訳ではないが、こんな表情を見せるのは彼女から寮を案内された時、更識生徒会長と出会った時以来だった。

 そして、そんな彼女のこの一言で、その事情のほぼ全てを察するに至った。

 

「手紙が届いているの。貴方の御両親から、貴方宛に」

 

 両親。この学園に来て以来、久しく聞いていなかった単語。『それ』が自分の中を飛び回る。そして、彼女は一通の茶封筒を差し出した。表には『後堂雅美様』と宛名だけ書かれた封筒を。

 

「当たり前だけど、こちらでは封は切っていない。そして、貴方の身の上は既に聞いている。だから、この手紙はここで処分してもいい」

 

 そういう彼女の口調は、冷たかった。まるで自分を突き放すように。

 彼女の言わんとする事を雅美はよく理解していた。この『悪疫』がもたらすものは決して穏やかではないという事を。 

 

「いえ、受け取ります。配慮までしてもらって、ありがとうございます」

 

 しかし、彼は拒否する事は無かった。ただ、一礼しその封筒を受取る。そして、そのままポケットにねじ込む。その瞬間に、封筒に無造作に皺がつく。

 

「雅美君。この学園にいる間は貴方の事はきちんと学園が保証する。人並な言い方になるけど、辛い時は相談にのるわ」

 

 その様子を黙って見ていた川村先生はこう応える。

 雅美は、全てを見透かされているような気がして少しばかり不愉快になる。だが、一つ訂正する点があった。今の自分は辛いという訳ではないという事だ。この封筒の中身に対する自分の予想が合致しているという、決して揺るがない奇妙な達成感だけが、自分の中にあるだけだ。

 

 

 

 

 

※      ※      ※

 

 

 

 

 

 一人になった生徒会室で、楯無は手持ち無沙汰気味に扇子を仰ぐ。

 この時間は普段なら他にも役員がいるのだが、今日は来客があると言って半ば無理やり生徒会の今日の仕事を解散させた。去り際、その役員の一人である布仏虚から睨まれていたような気がしたが今の彼女にとっては些細な事だった。

 乾いたノック音が生徒会室に響く。壁掛けの時計に視線を向ける。約束の時間よりも五分程早い。あの子らしい、と楯無は頷きながらどうぞと一言返す。幾ばくかの静寂の後、軋む音があり扉が開いた。

 

「久しぶり。お姉ちゃん」

 

 扉の向こうから、簪が姿を見せた。口調は穏やかだが、表情は固い。自分も似たような表情をしているかも知れない、と思い楯無は慌てて扇子を広げ口元を隠す。

 しかし、どうも彼女の様子がおかしい。両手を後にやってはためかせている。何か、背後に隠しているのだろうか。よく耳をすませば、何か小声で話をしている。もう少しはっきり聞き取りたくなり、一歩前に踏み出したところで彼女の後から小学生と見間違えるような小柄な女子生徒が姿を見せた。

 

「……確か、同じクラスの秋葉橙子ちゃん、だっけ?」

 

 来客は、簪一人だけだと思いこんでいた楯無は妹の隣で気まずそうに肩を縮めるその女子生徒について思考を巡らせる。そして出てきた名前を確かめるように、ゆっくりと告げた。

 

「は、はい。一年四組、秋葉橙子です。簪さんと同じクラスで、お友達やらさせてもらってます。えと、今日はその。遊びに来たって訳じゃなくて、付添いというか。勝手についてきちゃったと言いますか。あ、でもウチは悪い人じゃないから安心して欲しくてですね」

 

 一方、橙子はと言うと緊張のあまりしどろもどろになっていた。

 何故、自分は生徒会室に来ているのだろう。何故、生徒会長にこんな挨拶をしているのだろう。色々な思いが彼女の中で駆け巡る。そして、自身を落ち着ける為に、雅美と教務室で別れた後の事を順序よく思い出す事にした。

 

「これから生徒会室に行って、お姉ちゃんに会ってくる」

 

 それが、廊下で簪と鉢合わせした時、雑談もそこそこに彼女から言われた言葉だった。その時の彼女の眼差しは決意に満ちて真剣そのものだった事は印象に残っている。

 更に、そんな彼女から全く予想していなかった言葉が飛んできた。

 

「ねえ、橙子ちゃん。もし、橙子ちゃんが良ければなんだけど、ついてきてくれないかな」

 

「え、ウチが?」

 

 思わず、橙子の目が丸くなった。

 生徒会長の事は知ってこそいるが、直接の面識があるはずもない。生徒会の役員に対しても同じだった。接点が何もない自分に、何故白羽の矢が立ったのかまるで見当もつかない。

 

「うん。この間、相談に乗ってもらって『その気』にはなったんだけど、まだ少しだけ、今も怖くて。ついてきてくれると心強いというか」

 

 そう言う彼女の肩が、少し震えているように見えた。

 橙子は、中庭で彼女が心の内を見せた時のあの姿を思い出す。ふとした弾みで溢れた、彼女の心の姿を。そして、怖くなった。目の前の今の彼女はクラス代表に決まった直後の、自信が無く、そんな自分を守る為だけに壁を作ってしまっていた姿によく似ていたのだ。

 

「わかったー。簪ちゃんには色々助けてもらってるからね!」

 

 そう思った瞬間、『断る』という選択肢は頭から完全に消え去った。彼女を焚き付けたのは自分なのだという自覚もあったが、何より彼女に、そんな姿に戻って欲しくは無かった。あわよくば、学園最強と謳われる楯無生徒会長本人に会ってみたい、という野次馬根性も無かったといえば嘘になるが。

 しかし、いざ目の前にした生徒会長からは、部外者に対する警戒心のような威圧感が漏れているように感じられた。自分はこの場所にふさわしくないのではないか。思わず、簪の制服の裾を掴んでしまう。

 

「ごめんなさい、てっきり簪ちゃん一人で来るものだと思っていたからちょっとびっくりしちゃった。立ち話もなんだから、ほら、ここに座って」

 

 そんな橙子の様子を察したのか、楯無は手にしていた扇子を乾いた破裂音と共に広げる。その扇面には、「歓迎」の二文字があった。

 それを見たわずかに橙子の顔が綻んだ。すると、楯無がデスク下に潜り込んでいた椅子を引き出して彼女達の前に並べ座らせる。

 それから、茶棚からティーカップのセットを取り出し、彼女達が来る前に用意しておいたガラス製のティーポットから紅茶を注いでいく。角砂糖を入れた小瓶とあわせて彼女達の前に並べられたそれは、カップの中でゆらゆらと大きく波が立っていた。

 

「粗茶ですが、どうぞ」

 

 冗談交じりに、二人に茶を進める。簪は黙ってカップの波をじっと眺め、橙子はまだ緊張が解けていないのだろう、肩が張りっぱなしだ。そんな中で、先に口をつけたのは簪の方だった。一息ついて、カップを口に運ぶ。

 ところが、一度カップから口を離した彼女は怪訝そうな表情を浮かべた。そして、何度か頷いた後で再び紅茶を口に含む。そこでようやく納得したのか、カップをデスク上に置いて楯無に視線を向けた。

 

「茶葉の量、少ないかも」

 

 簪の口から発せられたのは紅茶の味でなく、そんな指摘だった。楯無は思わず手元にあった瓶を手に取り、そのラベルを見やる。程なくして、ああ、と息が漏れた。

 何とも単純な計量ミスだった。三人分の紅茶を淹れるというのに、一人分しか茶葉をポットに入れていなかった。自分の分の紅茶を飲む。確かに、味が薄い。舌の上で、本当に僅かに香りだけが広がってすぐに消えてしまった。

 

「ごめんなさい。よく見たら一人分の茶葉しかポットに入れていなかったわね。淹れ直す?」

 

「ううん、これが良い」

 

 簪は頭を振って再び紅茶を口に運ぶ。普段のよりずっと淡い味で白湯とそう変わらないのだが、彼女は満足そうに微笑む。隣ではやはり首をかしげた橙子が、角砂糖をティーカップの中に放り込んでいる。

 

「なんだか安心した。お姉ちゃんでもこういう事あるんだ、て」

 

 そして、簪はカップをデスクの上に戻し、小さく笑みを浮かべながらこんな感想を漏らした。

 

「普段は別の子がやってるからね。でも、今日は簪ちゃんが来るっていうから特別に人払いしておいたの。これは私のお手製」

 

 楯無の心が震えた。こんな凡ミスを、わざとしようと思っていた訳ではない。彼女の前では良き姉で居たかった。だから良いおもてなしをするはずだった。そんな見栄をあっけなく見透かされてしまった気がした。

 茶や、茶菓子はいつも布仏姉妹が用意していたのをほぼ勝手に拝借していたから、自分で淹れるという経験は殆ど無かった。ましてや、それを客人に出す、という事になると尚更に。だからと言って、こういう事が苦手という意識は無かった。だから、彼女の指摘は少し的外れかも知れない。それでも、心が震えた。彼女が、そんな自分を見て、こんなにも笑ってくれているのだから。

 

「あのぅ、それなのにウチもいて良いんでしょうか」

 

「大歓迎よ。簪ちゃんの親友だから、ね」

 

 気がつけば、橙子が首をすくめながら自分の様子を伺っていた。

 楯無は考える。きっと、この子が妹の変わるきっかけを運んできてくれたのだろう。そして、本当に信頼している一人なのだろう。『だから』、この場にこの子を連れてきたのだろう、と。常に一人で大抵の事が出来てしまった自分には、いよいよ得られなかったものだ。ならばこそ、もてなさない理由など無い。その心の思うがままに、言葉を発する。

 彼女のティーカップに視線を落とすと、空になっていた。紅茶のお代わりはいかがかしら、と尋ねると、空いたティーカップを差し出しながら彼女は頷いた。

 楯無はティーポッドの蓋を開け、今度はきちんとスプーン三杯分の茶葉で紅茶を淹れていく。なるほど先程より注がれる紅茶の色が濃く、香りがハッキリと鼻孔をくすぐった。貴重な発見だ。

 

「ええと、それで。そうよ、何か話したい事があったんでしょ」

 

 『長い長いトンネル』を抜けた。そして、ようやく楯無は簪に今日の目的を尋ねた。

 

「大した事じゃないの。ただ、最近お姉ちゃんとお喋りが出来なかったから」

 

 ところが、彼女の返答は実に意外なものだった。何の変哲もない雑談。それが彼女の目的だと言う。生徒会室の扉を開けた時の緊張気味な雰囲気からはとても思いもよらないものだ。橙子も驚きの表情を浮かべている。きっと紅茶を口に含んでいたのなら、今頃吹き出していただろう。

 そんな理由で、と楯無も椅子から体がずり落ちてしまいそうになった。

 

「なんだか気が抜けちゃった。事前に連絡もらって、生徒会室で話がしたいなんていうものだから、どれだけ大層な話かなんて考えていたのに」

 

「その、きっとお姉ちゃんなら人払いぐらいやると思っていたから。それに、こうしてゆっくりと話をする事、最近無かったし。だから、私にとってはこういう時間はとても大切なの。

 だから、ここに来た。お姉ちゃんは、どう?」

 

「勿論嬉しいわ」

 

 それでも、簪は真剣に語る。全てを聞き終えて逆に尋ね返された楯無から、にわかに笑顔が溢れた。自分が思っていた以上に、簪は抜け目なくここに来てくれた。それが、たまらなく嬉しかった。こんな穏やかな気持ちは、久しぶりだった。彼女の言う通りだった。

 それから、本当に些細で雑多な話をした。例えば、一年四組で起こった事を簪が話せば楯無は生徒会室であった事を話す。そこへ時々、橙子が相槌をうつ。まるで物々交換とそれを見届けるようなやり取りだ。自分がこれだけ話せば、相手はきっと同じぐらいの価値ある出来事を話してくれる。誰も口には出さなかったが、そんな当たり前の信頼がこの時間の中にあった。

 

「ねえ橙子ちゃん。私の妹はクラスではどんな感じかしら? 楽しくやっている?」

 

 やがて、楯無は自分達のやり取りをにこにこしながら見守っていた橙子に話題をふってみた。彼女からも、日常を聞かせて欲しくなった。彼女からみて、簪はどういう風に見えているのか、それを知りたくなった。

 

「はい、はい! 訓練の時は川村先生の補佐やっててさすが代表候補生だなって感心してます。あ、でもそれだけじゃなくて授業の予習も復習も忘れずにやってますし、たまにウチが質問しても嫌な顔せずにきちんと教えてくれて、何だったら川村先生よりも丁寧ですよ! すごいです!」

 

 待ってました、と言わんばかりに椅子から立ち上がって橙子は喋り始める。立っても隣で座っていた簪とほぼ変わらない背丈だったが、その分全身で日々を語る。それが、どれだけ『更識簪』という人間を見ていてくれているのか、語るまでも無い。

 

「橙子ちゃんは『たまに』じゃなくて『授業ごとに』でしょ」

 

「んもう! そういう事は言わないの!」

 

 くすくすと笑いながら、今度は簪が橙子の話に割って入る。まるで事前にそういう打ち合わせでもしたかのような息ピッタリのやり取りだ。

 

「楽しそうで何よりじゃない。ねえ、橙子ちゃん。一つお願い、しても良いかしら」

 

 そんな二人のやり取りを見て、楯無は何かを決意したかのように頷く。そして、両肘をデスクについて、橙子の方へ身を乗り出した。

 

「これからも簪ちゃんの親友でいて欲しいの」

 

 楯無の言葉、それは純粋なお願いだった。

 橙子はともかく、簪にとってそれは驚くべき光景だった。普段は飄々としている彼女が、様々な人を振り回している彼女が、まるでねだるような態度を取っている。普段ならこんな事をしなくても、彼女の頼み事なら誰でも聞くだろうに、今は橙子の返答を待ちわびている。

 

「ウチで良ければ喜んで!」

 

 そんなお願いに対して、橙子は即断だった。

 背筋をピンと伸ばし、ハッキリとした声で応える。楯無の気持ちを、どう汲み取ったのかは伺い知る事が出来ないが、彼女の視線は優しく、真っ直ぐに楯無の方へ向けられている。

 

「あ、その。ありがとう、橙子ちゃん」

 

 いつか感じた、じんわりと広がる暖かい熱が、簪の中に再び広がった。それにつられて、感謝の言葉が溢れる。橙子の頬が、赤く染まった。楯無は、ただ黙って頷くばかりだ。

 そして、赤く染まったのは橙子の頬だけではない。赤い光の筋が、窓から三人の前に伸びる。太陽が沈みかけて、夕日になっていた。随分と長い時間話し込んでいたようだ。

 

「お姉ちゃん。今日は時間を作ってくれてありがとう」

 

「紅茶、美味しかったです。生徒会長」

 

「こちらこそ。楽しかったわ、二人共。今度は生徒会の皆がいる時でも、遊びに来てね。その時はお茶菓子も用意するわ」

 

「うん、考えておく」

 

 別れ際のやり取りは、その始まりとは真逆に実に簡潔なものになった。それで十分なものだと言わんばかりに簪も橙子も、楯無へ頭を下げる。

 そして、二人は生徒会室から出ていく。名残惜しそうに、扉の軋む音、そして閉まる音が生徒会室に響いた。 

 

「なんだか姉として悔しいわねえ。あんなに簪ちゃんが楽しそうにしているのに、眺めているだけだなんて」

 

 再び一人になった生徒会室で、楯無は微笑んだ。ほんの少し、悔しさを滲ませながら。

 楯無は、簪が自分に憧れを抱くあまりコンプレックスとなって彼女自身を傷つけていた事を知っていた。そこに専用機開発の中止という現実が追い打ちをかけていた事も。それでも、妹を想う気持ちは変わらず助けたかった。しかし、それは彼女にとって刃こぼれを起こした刃物を向けているに過ぎない事に、ずっと無力感を抱いていた。

 だが、彼女は今日、生徒会室にやって来てただ雑談をして帰るという『日常』を運んできた。そこには、自分が見てきた少し内気な少女の姿はどこにも無かった。本当ならもっと何か、重要な話があっただろうにも関わらず。もし彼女から何かしらの助けを求められれば、更識家の全てを使ってでもそれに乗るぐらいの覚悟だったのに。

 

「『男子、三日会わざれば刮目して見よ』か。ああ、この場合は『女子、三日会わざれば刮目して見よ』かしら。何にしても、立派になったわね、簪ちゃん。

 次に会ったら、どんな話をしようかしら。学食の好きなメニューとか、最近の流行りものについても良いかも知れないし。そういえば、あの子はヒーロー物が好きだったわね。あまり興味は無かったけど、少し調べてみようかな」

 

 空いたティーカップを重ねながら、楯無は次の日常を想像し口角を上げる。錆びついて止まっていた時間が、ようやく音を立てて動き始めた事が嬉しくて堪らなかった。

 

 

 

 

※      ※      ※

 

 

 

 

 雅美はベッドの上で仰向けになり、川村先生から受け取った封筒をかざしていた。封はまだ切っていない。切らずとも、そこに何が書かれているか容易に想像がつく。

 それは両親からの手紙。こんなところにまで連絡をよこそうとする彼らの真面目さにはある意味感服させられる。いっそ、川村先生の言う通りそのまま捨ててしまうべきだろうか。いや、また同じような手紙が届くのだろう。雅美にはそんな確信があった。

 指先で、乱雑に封を切る。中には便箋が一枚だけ折りたたまれて入っていた。用を成さなくなった封筒を捨て、便箋を広げる。

 そこには、IS学園での生活の調子を尋ねる文があった。もう一人の男性起動者に比べて自分がほとんど目立っていない事を心配する事も。出来ることなら、一度会って様子を聞かせて欲しいともあった。そして、『あなたは、私達の自慢の息子なのだから、きっとやり遂げられる。私達はあなたを信じている』という一文が目に入った時、雅美は読むのを止め便箋を放り投げた。それはふわりと宙を舞って、ベッドの上に存在感を示すようにゆっくりと落ちてくる。

 雅美は毒づく。何が『自慢の息子』なものか。やり遂げられるなんて勝手な期待をするな。『最初からただの一度も自分を見てもいなかった』癖に。

 彼の中に家族の思い出は無かった。ISが登場して世界が変わったその時を境目に、全てを失った。ありふれた日常が地続きになるはずだった家族、両親は変わってしまった。その時の事や、それからの事を思い出すと無性に悲しくなった。だから、思い出を全て失う事にした。そして、その代わりに心に決めた『夢』を頼りに、彼は日々を過ごす事にした。

 『あの日』から時は経ち、ようやく彼はIS学園にたどり着いた。生徒会長や、彼女の言う一部の学園関係者は最初は自分を疑っていたらしいが彼女に会った時以来何があったわけでもない。当然だ、自分は『アイツら』とは違うのだから。だから、初の男性起動者について知らぬ存ぜぬを貫いた。『夢』の後ろに完全に隠してしまった。人間、気になる事があればその意図が無くても根堀葉掘り聞き出してしまうものだ。それは、『夢』に触れられる事を示していた。それは恐ろしかった。

 だから、隠した。自分が抱えたこの『夢』は自分だけのものなのだ。自分以外の誰かを巻き込むような事はしない。自分だけの、誰も侵してはならない領域なのだ。

 それが今脅かされている。雅美はそう考えた。この手紙は、その予兆なのだ、と。忘れ去ろうとしていた彼らの姿が、表情が、心が自分の中をグシャグシャにしようとしている。掻き乱そうとしている。雅美は、途端に焦りを覚えIS学園に来てからの僅かな思い出を振り返る。どこかに、この止まりかけている『夢』を叶えて前に進むヒントはないのだろうか。

 暫し思考した後、体を起こし便箋をもう一度眺める。そして、机の上のカレンダーに目をやった。刹那、体が震えた。自らを導く超常的な存在があると確信した。頭の中で思考が加速する。バラバラのままだった『思い出』が一つにまとまり、荒れた大地に道を作っていく。そして、その結末を想像し恍惚した。道が開けた、と雅美は笑みを浮かべる。

 しかし、その笑顔は邪悪そのものだった。

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