朝のHRの始まるまでの時間、川村は教務室でIS訓練のカリキュラムについて考えていた。数日前に簪より提案されたより高度なIS操作をどう組み込もうか、と。例えば空中機動と武器の展開、切り替えを同時に行うという内容も悪くない。それぞれで要求される操作が異なるが、ISを円滑に動かすにはそれだけの事が逆に要求されるからだ。また、高度な知覚能力を補完するハイパーセンサーを用いて視界不良の中を歩く移動訓練も一つの手だ。
こういった内容を考えられる程に、四組全体のIS操作技術が上がっているのは喜ばしい事だった。指導者冥利に尽きると言っても良い。川村自身、元々ISへの適性が高い訳ではない。操作技術も教師陣の中でも並より少し上になるかどうかぐらいだ。今なら恐らく簪に劣るだろう。学生の時分は国家代表など夢のまた夢だったが、こうして教師として教鞭を執る中で、教え子たちが自分を超えていってくれている事に充実感を感じていた。だからこそ、こうしてカリキュラムに対しても自然と熱が入る。四組の皆には、自分よりもずっと先に進んでほしいと心から願うが故に。
「川村先生、少し良いですか」
卓上の時計に視線をやる。HRまであと五分となり席を立とうとした川村を、千冬が呼び止めた。脇に、厚めのファイルを抱えている。何か急を要する連絡事項が入ってきたのだろうか。川村は、そのファイルと千冬の顔を一瞥する。
連絡事項の追加自体は珍しい事ではない。例えば館内設備の緊急メンテナンスの予定が入ったり、食材調達の関係で学食のメニューの一部が変更になったりで、このタイミングでそういった連絡が入る事があるからだ。
だが、今日の彼女の様子はおかしい。仏頂面と行ってもいい程、普段はほとんど表情を崩さない彼女のそれが青ざめている。そして、それを必死に隠そうとして体全体が強張っていた。そのせいで普段よりも威圧感を感じる。
「え、ええ構いませんが」
思わず気圧され、川村は彼女の言うがままに頷く。
当の千冬はと言うと、川村の顔色を伺うのもそこそこに、あたりを横目で見ている。そして、一歩前に踏み出すとただ一言「ついてきてください」と、声量を抑えて告げた。
どうやらこの教務室という場所ですら、話をするに都合が悪いらしい。しかし、その内容には一切触れないで彼女は踵を返した。一体何なのか、困惑したまま川村は後に続く。
案内されたのは教務室のすぐ隣の小会議室だった。長テーブルがロの字を作っており、それらに均等に椅子が収まっている。しばらく誰も立ち入っていないようで、テーブルの上には若干の薄く埃が乗っている。
千冬が後ろ手に部屋の鍵をかけた。ガチャン、と鈍い音が響く。
「織斑先生。その、もうすぐHRですが」
「それについては山田先生に代わりを頼みました」
川村はため息を漏らす。唐突に代役を頼まれた一組の副担任の事を哀れに思いながらも、急ぎ代理を立ててまで時間を作らねばならない程の用事とは何だろうかと考える。そして、その内容に見当もつかないまま、中々本題に入ろうとしない千冬の態度に川村は若干の苛立ちを覚え始めていた。
だが、そんな感情も、千冬の言葉であまりにもあっけなく抑え込まれる事になった。
「先程、後堂の両親が死亡したという連絡が入りました。昨晩の深夜に、事故で」
思わず、川村は呼吸を止めた。心臓の鼓動が聞こえてきそうな程早くなる。
雅美の両親は現在、二人目の男性IS起動者の肉親という事で国からその身を保護されている。少なくとも生きていく上では安全な環境だったはずだ。そんな二人が死亡した、という突拍子もない通達に頭の理解が追いつかなかった。更に、身体の奥底から熱がこみ上げてくる。冷や汗とも、脂汗ともつかぬものが、体中から吹き上がる。
「ええ。彼らが国から保護、いえ、この際ですから正直な話をしましょう。『監視付きの、事実上の軟禁生活を受けていた事』は既に知っていると思いますが、それに嫌気がさしたのでしょう。久しぶりに外出の許可が出たと思えばそのまま車で逃走。ある山道の急カーブを曲がりきれなくなり谷底へ落下し、その場で死亡が確認されました」
そんな川村を呼び戻すように、千冬は事故の概要を話す。
敢えて彼女は言葉を言い直した。それは、川村の中で背けて続けていた事、つまり雅美の両親の環境について突きつけるものでもあった。
一人目の例外である織斑一夏とは違い、雅美の両親は健在だ。しかし、一夏の姉である千冬のような、即ち世界最強と謳われるような『特別』が身近にいる訳ではない。何の前触れも無く現れた二人目の例外は、一人目とは違う意味で注目の的になった。何故、そこからISを動かせる人間が現れたのか。何か、そこには理由があるのではないか、と。そして、調査された。そこから見えてきたのは両親がISに傾倒していたという事実のみ。
故に、ISに関わる人間は皆、頭を抱えた。放っておけば何に巻き込まれるか分からない。しかし、そこにどれだけの意義があるのかも分からない。結局、ISが産声を上げた時をなぞる事となった。即ち、ISの開発者である篠ノ之束と、その血縁者である篠ノ之の家族のケースだ。
雅美自身は学生の身分であった為にIS学園への転入となったが、両親に対しては彼らの安全を保障する代わりに監視がつくことになった。無論、それは篠ノ之一家の場合に比べれは遥かに緩いものではあったが、今まで何気なく持っていたはずの時間、例えば移動一つとっても行き先は制限され日用品の買い物ですら不便さを感じるなど、言うなれば自由が失われるという意味では一致していた。
果たしてそれは、千冬の言う通り軟禁生活と言えた。同時に、この決断が最大限の配慮だったのは議論する余地もなかったが、重い負担になる事は想像するに難しい事ではない。そして、溜まりに溜まったそれがこのタイミングで爆発してしまった。悲惨な結果を招いてしまった。
「この事は雅美君には」
「川村先生に一報を入れるのが先です。彼にはまだ伏せています。正直、どのタイミングで伝えるべきか判断がつきません。」
千冬の回答に、川村はどこかほっとしていた。それは、自分が後回しにされたという事ではなく、雅美の事を彼女が少なからず考えてくれていたからであった。
ただ、その彼女の口調は淡々としていた。川村はそこに違和感を覚えた。ここに呼び出した時の彼女のあの青ざめた表情の原因は、それではないように思えたのだ。何か、もっと大きな懸念が待ち構えている、そんな予感すらあった。
そして、それを裏付けるかのように千冬の顔色が益々悪くなった。大きく息を吐き出すと、彼女は話を続ける。更に、悪い話を。
「いくつか懸念事項があります。一つ目ですが、彼は『変わり者の一家』として、親戚縁者からは距離を置かれていました。あるいは、両親達が望んでそうしたのかも知れませんが。
どちらにせよ、彼自身の今の境遇を鑑みれば今後彼を積極的に引き取ろうとする者はいないとみて間違いないでしょう。その代わり、待ってたと言わんばかりに外野が集まってきているようです。どこから嗅ぎつけたのやら。研究機関やら市民団体やらが。殊勝な事です。吐き気がする程に」
彼女の言うところはつまり、彼が孤立し、実験対象として薄ら暗い場所に放り込まれる瀬戸際だという事だ。そして、そこにきて川村は思い出す。雅美がこの学園に入学するに際し行われた臨時の職員会議の事を。
千冬が顔を上げる。直観で、二人は同じ事を考えている事を悟った。そして、それを確かめるように川村が先に口を開く。
「以前、雅美君をこの学園に転入させるにあたって出てきた懸念の通りになってしまった、という事ですか。雅美君の両親がISに傾倒していた一方で特別な後ろ盾が現時点で存在しない以上、雅美君自身が目立つ事で彼に、そして両親に接触しようとする人達が出てくるだろう、と」
「ええ。それともう一つ。このタイミングで分かった事があります。今、川村先生が言った懸念。つまり、彼の両親が何故ISに対して異常とも言えるほどに執着していたのか。一方で、世の中の風潮に乗らなかった理由が。彼らの乗っていた車から、こんな物が見つかりました」
そう言いながら千冬はファイルの中から何枚かに束ねられた資料を見せてきた。そこには泥水で汚損した文章の写真が載せられていた。所々判別が不可能になっているところもあるが、流し読みをしただけで川村は背筋が凍りついた。
そこには、やれ人類史の革命だとか、これまでの世界の常識を大きく覆しただとか。延々と、延々と『ISのみを称賛する言葉』が綴られていた。そして、それを動かす事が出来る人間も同じように、『新しい時代に選ばれた人』だ、と。そして、『自分達はその選ばれた人を誕生させる事が出来た』と。そこには何の合理性もなく、根拠もない。自分達を、そして自分達が称賛する偶像を一切疑いもしない、カルトそのものがそこにはあった。
川村は、そこに書かれていた雅美の両親の本性に愕然とした。雅美がIS学園へ転入する際、彼への身辺調査が行われていた事は覚えている。両親も対象になっていた事も。そこで見えてきたのは、後堂一家はISに執着していたという評価。
しかし、それはあくまで彼らを外から見た評価でしか無かったというのが川村の考えだった。ISの登場で価値観がまるっきり変ってしまい、怪しげな市民団体を組んだ人間も少なくない。それに、彼の両親にはそういったものに属していたという話は無かったし、彼らを知る者は「ISに関しては変わり者」という評価だったはずだ。まさか、その中身がここまで破綻していたとは。自分の認識が甘かった、と嘆かずにはいられなかった。
「これは、手記ですか。雅美君の両親の」
「ええ。今渡したのはごく一部ですが、それが何百冊ものファイルに収められて車に積まれていたとの事です。どうやら、ISが誕生してから事故の前日まで、ただの一日も欠かさずに書き続けていたようです。
彼らの価値観は、全てISに集約していました。いや、ISによって狂ってしまったと言っても良い。だからこそ、ISに傾倒しながら普通の生活が出来てしまっていたんだと思います。彼らにとって、『ISでないものは等しく価値が無い』と捉えても良いのでしょう。そして、雅美を『価値ある』人間にしようと目指した。
現場での調査では、ファイルの中には彼らが後堂に対して行っていた『教育』についても事細かに記載しているのもあったようです」
『教育』。それはとどのつまり、今の雅美を作り上げた過程だという事を川村はすぐに悟った。それが、千冬の手元まで届いていないのはあまりにも資料が多すぎたからなのか、或いは良心からなのか。後者だ、と川村は願わずにはいられない。これだけの手記を残してきた人達が自分の子供に施してきた『教育』など、想像するだけで胃の中のものを吐き出してしまいそうになる。
「いずれにせよ、要するに彼らの見解はこうです。『ISを動かす事が出来る人間こそ価値がある』。そして、『自慢の息子がISを動かせるようになったのは、自分達の教育の賜物だ。ISを動かしたくなりたければ、自分達と同じようにすれば良い』と。今の後堂が女言葉を使うようになったのも、彼らの『教育』の一環なのでしょう。
我々には到底信じがたい話ですが、それが科学者でも教育者でもない、ごく普通の家庭をもったはずの人達が狂った末にたどり着いた常識だったという事なのかもしれません。
どうやら彼らはこの手記をどうやって公表しようかと考えて、今回の脱走でどこかの出版社に持ち込むつもりだったようです」
そう語る千冬の表情は暗い。静寂が二人を覆い尽くす。
やがて、視線を落としていた千冬が顔を上げる。その表情は暗いままだったが、何かを決意したように目線は鋭い。それが、川村には『鬼』に見えて恐ろしくなった。その決意を聞きたくないと、耳を塞ぎたくなってしまった。しかし、彼女は止まらない。
「川村先生、正直に言います。私は今、人として最悪な事を考えてしまっています。
私の中には、『雅美の両親が事故死した事でこの手記が闇の中に葬られる事』を安心している自分がいるんです。こんなもの、真に受ける人間はいないとは言い切れません。過激な行動に出る者も出てくるかも知れません。そういう最悪が起こる事が未然に防がれて良かった、と思ってしまっています」
再び視線を落としながら、千冬は言葉を吐き出す。それが、川村には彼女が悪意を全て出し切る為に懺悔をしているようにも見えた。そんな彼女に、かける言葉が見つからない。それは川村自身もまた、心の何処かで考えていたものであったから。この手記が公開されるタイミングを失うという事はその前提がどれだけ悲惨なものであっても『不幸中の幸い』と表現する他にない、と。
「実は、何日か前に雅美君の両親から手紙が届いていたんです」
そして、彼女もまた千冬に続く。雅美の両親からの手紙はやはり最悪のタイミングでやってきた、と確信してしまったから。黒い感情が、どこまでも混ざっていく。やがて、それは罪悪感と名を変えて彼女の心に棲み着く。
「外部から何かしらの連絡が来る事自体は珍しくない事です。ですから、雅美くんには未開封のままこちらで処分するかどうかの確認をした上で渡しています。
しかし、彼にとってはいっそ爆弾の類の方が安全だと言えるぐらいに危険物だったかも知れません。恐らく、その手紙には手記を公にしようと考えていた事も書いてあったのでしょう。今にして思えば、彼には手紙が来た事すら告げない方が良かったとすら考えてしまいます」
千冬は俯いたまま、黙って彼女の言葉に耳を傾ける。
確かに雅美がこのまま成長を続ける事を嬉しく思うのは事実だ。しかし、自分達はあくまで成長のお膳立てをしているに過ぎない。それをどう解釈するかは本人次第だ。彼は少なくとも熱心に日々訓練や授業を受けていた。だが、彼が親からただだ祭り上げられていただけだったなら、その心の内には何を宿していたのだろうか。そこに、何が残っているのだろうか。
「織斑先生、私達は教師です。生徒の事を考えてやらなければなりません。もし生徒の安全が脅かされるというなら。それが、例え肉親からだったとしても、私達が守ってやらねば誰が守ってくれるというのですか」
そして、川村は自分の意地を語る。
しかし、それが誰に向けてのものなのか。雅美の明日を本当に願っているからなのか。あるいは、ただ自分が崩れ落ちてしまわない為の保身なのか。今の彼女には断言など出来ようもない。