IS学園記   作:debac

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第九話 焦らなくても良いんじゃないかな

 日が沈んだ後のアリーナから空を見上げると、そこには日中とは異なる空がある。雲は無く、満天の星空が広がる。重力の存在する宇宙空間だ。橙子は、自分の夢に近い場所で高度を保ったまま打鉄を静止させる。空中での姿勢制御、特に静止状態を保つというのは不安定な場所でバランスを取り続けるという事でもあり、その実、飛行を続けるよりも難しい。橙子もまた例外ではなく、頭からひっくり返ったり宙を転がったりもして恥ずかしさと共に苦手意識が根付いている。

 だが、今この時間は勘が冴えていた。普段見上げている場所よりもずっと高い場所で見る星空は、自分に希望を見せてくれているようだ。それを、少しでも長い時間感じたくて宙を踏ん張り続ける。

 

「一昨日よりもずっと姿勢が安定しているわ」

 

「ふふん、今日はウチの方が調子が良いね」

 

 隣に来た雅美のラファールが、やや前のめりで静止する。それを見て橙子はほくそ笑む。それから存分に空の空気を堪能したところで、橙子は降下を始める。宇宙が離れ、地面が急速に近づく。高度が下がったところで、加速しつつあった打鉄を翻しその反動をブレーキとして利用する。砂埃が舞った。打鉄の両足でアリーナを踏みつけると、ほんの少し腰を下ろして衝撃を吸収させる。じん、と足に痺れが来た。

 簪曰く、慣れてくるとこの痺れも無くなって、すぐに次の行動に移れるという。その日が待ち遠しくなり、橙子は名残惜しそうに先程より広くなった空を見た。

 そこには、ラファールで背面から後方へと大きく宙返りをする雅美の姿があった。背中を反ったままの姿勢は綺麗で、本人の顔にも余裕が見られる。きちんとISをコントロール出来ている証拠だ。宙返りを終えると、次は身体を捻って螺旋を描くように上昇した。そして、つい今しがた橙子がいた高度よりも下の方で両手を広げ、制動をかけて静止状態に移行する。十数秒の後、降下を始め橙子の隣に着地する。

 

「このぐらい出来るようになれば、次回の申請で拡張領域まで許可されそうよ」

 

「次の授業でバッチリなところ川村先生に見てもらわなきゃ」

 

「そうね。あまり気張らずにやれば、きっと大丈夫」

 

 二人は今日の自主練の成果に満足し笑い合う。

 放課後の自主練では、申請者の技量に応じて許可される内容が変わる。当然と言えば当然なのだが、まだ授業で扱っていない分野や、自主練でやるには時期尚早と判断された場合は制限がかけられる。特に川村先生は普段から安全第一と口にするだけあって自主練内容の許可については他の先生よりもずっと厳しい。一段上の内容の許可を得る為には、普段の授業や訓練で出来るところを見て合格をもらわなければならない程だ。

 とは言え、言い換えればそれは申請する側にとっては『やるべき事』が明確になるという事であり、特に橙子のやる気を強く刺激するものとなっていた。

 

「よし、じゃあもう一回飛んでみるよ。雅美君も一緒にどう?」

 

「勿論ついて行くわ」

 

 雅美が快諾するや否や、橙子は一足先に飛び上がる。身体から一瞬重力が抜けるような感覚が走る。この瞬間はバランスを崩しやすく、姿勢が正されていないと真っ直ぐ上昇しないのだが、橙子も後に続く雅美も問題なく飛行態勢に移った。橙子は自分の中に自信が満ちている事を感じた。今まではただ、漠然としていた自信が。相変わらず形は見えず掴めもしないが『側にある』という事だけはハッキリと感じられた。それは、一歩前に進む為に後押しをしてくれる。身体がぐんぐんと加速する。

 だが、先程よりも高い高度まで到達したタイミングで『ビー、ビー』と甲高いアラームが打鉄から鳴った。突然の警告音に若干の焦りを覚えるも、すぐにその正体に気づき落ち着きを取り戻す。それはアリーナの境界線を超えようとしている警告音だ。アリーナから飛び出さないといった不測の事態に備えて設けられているそれは、一定の高度以上になると警告音で知らせてくれるようになっている。要するに、橙子は高く飛びすぎたという訳だ。

 

「急に飛びすぎよ。驚いたじゃない」

 

 少し下の方から雅美の声が聞こえた。彼の居る高度付近が、警告音の発生するギリギリのラインらしい。耳鳴りがする前に、と橙子は彼のいる位置まで降下する。

 

「大丈夫大丈夫。このぐらいの警告音ならね。本当にギリギリなら『ビビビビビビ!』みたいにもっと焦らせるような感じになるし。まあ流石に超えちゃったら先生はともかく、警備の方にも連絡がいくみたいだから怒られるなんてレベルじゃないらしいけけど」

 

「そんな事言ってると川村先生に怒られちゃうわよ」 

 

「えへへ、次は気をつけるから」

 

 橙子の悪びれない様子に、雅美は肩をすくめる。確かにこの場に川村先生が居合わせていたのならいつものようにすっ飛んできていた事だろう。軽く咎めてきた雅美に頭を下げるが、普段の授業よりも彼の態度は軽い。悠々と自主練に励む楽しさは雅美もまた同じのようだ。ほんの少し、先生に言えぬ悪い事をしているようで背中がゾクリとする。むず痒くも、気持ちの良さがあった。

 そんな雅美の視線は、いつの間にか空から見える普段とは異なる景色に移っていた。その視線の先を橙子が追う。学園の敷地のずっと向こう側、海と空と陸が境目もなく一つに繋がっている。橙子は、その方角の星空を見る。指先で何かを数えると、口を開いた。

 

「そっちの方角は北かな。北斗七星見えているし」

 

「あら、そういうの分かるの?」

 

「うん。空を見て、星座を見つけて方角を判断するの。宇宙について調べてる内に覚えて。それで、そういうの得意になっちゃった」

 

 そう言いながら、橙子は指先で星空を示す。雅美は背中を反らせてその先を見上げる。すると、ひときわ明るく輝く七つの星々が目に止まり、ため息を漏らした。

 

「羨ましいわね。外で迷子にならなさそう。ええと、それじゃあこっちが西で、あっちが東、と」

 

 橙子の指し示した方角を見ながら、雅美は両手で方向を確認する。その間、橙子は空を眺めてはおおぐま座、おとめ座、しし座と星座の名前を上げる。

 

「星座が好きなの?」

 

「星座というよりかは宇宙かな。小さい頃からのウチの夢だし」

 

「アタシはそういうの、まだ良くわからないわ。元々普通の学校に行く予定だったから」

 

 雅美は独り言のように返す。笑顔を浮かべていたが、淋しげに目を伏せている。そうだった。と橙子は頷いた。元々彼はISとは無関係な日々を過ごしていた、と。普段同じクラスで顔を合わせているから、彼が二人目の例外だという事を忘れかけていた。突然、自分を取り巻く環境が一変してしまったのだ。彼の言う通り何事もなく普通の学校に行く事になっていたのなら、彼は今頃どんな夢を持っていたのだろうか。

 

「焦らなくても良いんじゃないかな。ウチだって宇宙に行きたいってのが根っこにあるだけで、IS適性があるのが分かったのもその夢を本気で叶えようと思ったのものつい最近だし」

 

 橙子は、突然湧いたその疑問を心の内に押し留めた。

 そう、彼は言っていたじゃないか。「自由に空を飛んでみたい」と。そんな彼の今の小さな夢を、無粋な詮索で邪魔したくはなかった。

 

「そういうものかしら」

 

「そういうもんだと思うよ。ほらほら、自主練時間ももうすぐ終わり。ISを戻さなきゃ」

 

 対して、雅美はあまり要領を得ないらしくぼんやりとしている。

 橙子はそんな彼を見て、背中にむずがゆさを覚え視線を外す。ふとアリーナ外周に設置されている時計に目をやると、申請していた時間の終わりが来ようとしていた。ここで雑談に興じても良いが、そうすると川村先生に咎められた挙げ句、せっかくの自主練時間に制限がかけられてしまいかねない。

 いまだ思案にふける雅美の背中をラファールごと押して、橙子は格納庫へのシャッター前まで一直線に飛ぶ。アリーナとの境目が近づくにつれ、数日前の嫌な思い出がよぎる。着地する直前、一度深呼吸をした。自分の足の動きと、打鉄の足の動きと繋がっている事を意識する。着地は今日の自主練と同じように難なく成功。歩行も同様だ。後を歩く雅美に悟られぬように拳を握りしめる。手痛い失敗をした時から、これが橙子の中では願掛けのようになっていた。

 その効果の程はさておき、格納庫に戻ってきたところで橙子は打鉄を元あったハンガーの場所まで移動させる。それから壁側に背中を向け、そこから伸びるU字型の固定具が丁度ISの腰のあたりに来るように跪いた。最後に背中をぐっと後に倒して固定具にはめる。このようなISをハンガーに戻すという作業は、慣れないうちはこの固定具にISをぶつけたり位置がずれてそのまま後に倒れてしまったりと存外に難しい。その為、破損時の作業手間を考慮し、電子ロックに頼らない極めて原始的かつ、作りの簡素な固定方法となっている。

 勿論、橙子も我こそはと手を上げて、固定具そのものの破損までは無くとも何度か失敗している一人だ。この作業も慎重になるが、打鉄からの視線にも慣れた今は流れ作業と言っても過言ではなくなっていた。

 格納庫の中央まで戻ってくると、ちょうど雅美がアリーナへと続くシャッター脇のボタンを操作して、シャッターを下ろしているところだった。どうやら一足先にラファールをハンガーに戻していたらしい。彼は、半分程シャッターが降りた事を確認するとボタンのすぐ下に設けられている赤いレバーに視線を落とす。

 

「普段は触っちゃいけないって言われているものが間近にあると、ちょっとこう、薄ら暗い気持ちが湧き上がるよねー」

 

「非常ベルのボタンみたいな感じ?」

 

「そうそう」

 

 二人共、そのレバーが何なのかは知っていた。IS固定用のハンガーと同様の電子制御に頼らない、オフラインでも作動する手動用の緊急レバーだ。これを上にあげるとシャッターが開く。ここ以外にも一部の避難経路に同じものが設置されている。以前の無人機襲撃の件もあって、こういった手動式の緊急装置はここ以外にもこれから増えると川村先生から説明があった。ただ、完全にセキリュティを掌握でもされていない限りは、動作があった場合は警備に直ちに連絡が入るとの事だった。それは、まさに今しがた橙子がからから笑いながら語ったような『悪戯』を防止する事も含めての事だが。

 なお、目を細めた雅美がそんな彼女の表情を覗くと、「ま、いくらウチでもそんな事はやらないけどね!」と胸を張って返していた。

 それから、雑談もそこそこに二人は各設備の点検をチェックシートを参照し、使用したISでは所定のの位置に戻っているか、施錠はされているか、など確認しながら進めていく。今日は他に利用者もおらず確認するところも少ない為、作業はあっという間に終わった。最後にチェックシートの末尾に二人のサインを記入する。これを明日、川村先生に提出する事になっていた。

 

「よし、じゃあ今日の自主練はここまで。このシートはウチが出しておくよ。また明日。雅美君」

 

「ええ。また明日。おやすみなさい」

 

 そして、二人はこれまで繰り返してきた自主練の時と同じように、寮に戻ったところで手を降って別れた。雅美の部屋は寮の隅、というより物置を改造した部屋だが、橙子の部屋はそこから離れている。

 踵を返して橙子は歩き出す。今日の日をより良いもの出来た充実感を胸に。そして、明日を心待ちにしながら。IS学園に来て四組になり、簪や雅美といったクラスメートと日々を過ごす事で彼女の視線はこれまでよりもずっと前を向くようになっていた。ここには希望があり、その胸中に夢を抱く事が出来るようになったから。

 だから、気づかないでいた。自分が歩き出した時、雅美は虚ろな目で何かを呟きながら部屋に入って行った事を。輝かしい未来は時にその眩さ故に身近にあるものを見えづらくしてしまう、という事を。

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