目を開けると、眩い白い光が見えた。わたしは見慣れた場所の一室にいた。この天井は蝶屋敷のものだ。
わたしは生きてる。死んでいたら、ここまで居心地が悪くないはずだから。全身が痛い。両手には透明のチューブが巻き付いていて、顔にはテープで何かが鼻の下に止めてある。邪魔なので、手を伸ばして引き剥がそうとした。
「だめだよ」
ひんやりした指先が、わたしの手を掴んだ。
声のした方へ顔を向けると、息を呑むほど美しい司の顔が見えた。枕の隅に顔を乗せている。
「あの、わたし」
「何も言わなくていい。何もかもうまくいったから。」
「何があったのか…よく…」
はっきり思い出せない。思い出そうとしても、頭が拒否している。
「ほとんど手遅れだった。手遅れになるところだったんだ。」
彼が辛そうに呟いた。
「わたしがバカだったのよ、なほたちを人質に取られたと思ったの。」
「ぼくたち全員、あいつに騙されたんだ。」
「怪我はどんな感じ?」
「片足の骨折、肋骨と頭蓋骨にひび、出血多量。ぼくは嫌だったんだけど、しのぶが少し輸血したんだ。しばらく香りがすっかり変わってしまった。」
「たまには新鮮でよかったんじゃないの」
「まさか。ぼくは君の香りが好きなんだ。」
少しの間、部屋に沈黙が流れた。
「どうやったの?」
「どうやったのかな…」
司はわたしの質問の意図を察して、わたしの手をそっと包み込んだ。
「不可能なはずなんだ、途中で血を飲むのを止めるなんてこと…できるはずがない。でもぼくはやった。きっと、君を愛してるからだな。それ以外に思いつかない。」
「香りほど味は良くなかったとか?」
「まさか。それどころか、ずっとよかったよ。想像していたよりずっと。」
「ごめんなさい。」
わたしは思わず謝った。
「謝ることは他にもあるだろ。」
「なに?」
「あとちょっとで永遠にぼくと離れ離れになるところだったこと。」
「そうよね。ごめんなさい。」
「まぁ、理由はわかってるけど。」
もう一度謝ると、司は口調を和らげた。
「それでもやっぱりどうかしてるよ。ぼくに話せばよかったのに」
「でも、話したら行かせてくれなかったでしょ?」
「当たり前だ。行かせるもんか。」
また少し沈黙が流れる。
「骸はどうなった?」
「始末したよ。心配ない。」
それを聞いてほっとした。一つくらい良い知らせがあって良かったと心から思った。
「でも正直、骸よりしのぶの方がおっかなかったな。」
「どういうこと?」
「しのぶは今回、君がこんな目に遭ったのはぼくのせいだと思ってる。それは正しい。こっぴどく怒られた。澪がぼくと関わるのを望んでいるから自分は何も言えないが、関わるならもう二度と君を危険なことに巻き込むな、と釘を刺された。」
しのぶ様はお姉さんを鬼に殺されている。表向きは東城家のことも認めているが、鬼のことは心底憎んでいるのだ。
「どうせわたしだってしのぶ様にお説教されるのよ。きっととびっきり痛い注射をされるんだわ…」
わたしがしょげて身震いすると、彼がやれやれと言ったふうにわたしを見ている。
「注射が怖いのか?凶暴な鬼が自分をなぶり殺しにしようとしていても、そんなことは気に留めないで勝手に会いにいくのに?」
ちょっとイラッときて、話題を変えた。
「なんであなたはここにいるのよ」
司がじっと見てくる。最初は戸惑いが、それから傷ついたような表情が瞳に浮かんで、顔を顰めた。
「帰って欲しい?」
「いやよ!」
わたしは即座に否定する。
「わたしを1人にしないで」
「しないよ。ぼくはどこにも行かない。君が必要とする限り、ずっとそばにいるから。」
「わたしはあなたにそばにいて欲しいと思ってるのよ、いつまでも。でも、わたしを救わなきゃいけないのはもううんざりなんじゃない?」
わたしは人間だ。怪我もするし、病気にもなる。それにわたしは普通の人より遥かにドジだから、しょっちゅう怪我をするし…
「まさか。ぼくは君なしの人生なんて嫌だ。それに君を救うのだって全然構わないさ。君を危険な目に遭わせているのがそもそも自分じゃないなら…君がこうして蝶屋敷で治療されてるのが自分のせいじゃないならね。」
「あなたのせいなわけないじゃない。それどころか、わたしの命の恩人よ。あなたがいなかったら、わたしは今頃鬼殺隊員の共同墓地に眠ってるんだから。」
「最悪なのはそこじゃない。あの時、ぼろぼろに傷つけられて横たわっていた君を見て…」
彼はその時を思い出して、声を詰まらせた。わたしも恐怖が蘇ってくる。
「間に合わなかったと思って…苦しむ君の悲鳴を聞いて、あの耐えられない記憶を永遠に抱えて生きていくことになると思った。もっと最悪なのは、自分を止められないと感じて…この手で君の命を奪うことになってしまうかもしれなかったことだ。」
「でもそうはならなかった。」
「なってたかもしれない。あとちょっとで。」
なんだか彼が離れて行ってしまう気がした。そばにいるっていう保証が欲しくなる。
「約束して」
「何を?」
「わかってるでしょ」
ふつふつと怒りが込み上げてきた。司は悪い方向へ考えてばかりいる。
でもわたしの口調の変化を感じ取って、彼の目つきが険しくなった。
「ああ、ぼくは君から離れられるほど意志が強くないから。結局君の希望通りだよ。そのせいで君が死ぬことになっても、ならなくても。」
そうぶっきらぼうに付け加えた。
それを聞いて少し安心できた。
「そろそろ眠った方がいい。しのぶに鎮痛剤を打ってもらえるように頼んでくるよ。」
「まだいやだ。目を閉じるのが怖いんだもの…」
「ぼくはどこにも行かないと言っただろ。眠ってからも、ずっとそばにいるから。」
「行かないでね」
「それで君が幸せになるなら、それが君にとって一番いいことならね。」
「わたしの夢は、あなたと永遠に一緒にいることなの。」
わたしの口調に滲んだ微かな絶望感に、彼の顔つきが変わる。
わたしは人間だ。永遠の命はない。いずれ寿命を迎えて死ぬ。わたしの願いが叶うことはない。でも…
「ぼくは今、君と一緒にいる。それだけじゃだめか?」
「…いいわ。今のところは。」
わたしは今16歳だ。今はまだ、いいか。
「この世の全てを合わせても敵わないくらい、わたしはあなたを愛してる。それだけじゃだめ?」
「十分すぎるよ。それだけでいい。永遠にね。」
しのぶ様が部屋に入ってきた。司を睨みつけた後、わたしも睨まれた。でもお説教はこの鎮痛剤が抜けてからと言うことらしい。投与してすぐに出て行った。
すぐに瞼が重くなってきた。
「あり、がとう。」
「どういたしまして。おやすみ、澪。」
そして夜の闇が、わたしを覆い尽くしていった。