16歳の終焉
まるで、恐ろしい悪夢の世界に閉じ込められたみたい。肺が破裂しそうなほど走らなければならないのに、思うように身体が動かない。そんな夢。
無情な人の波をかき分けるうちに、足の動きはどんどん遅くなる。大きな時計塔の針が動きを緩めることはない。着実に、冷酷に、何物も寄せ付けることなく、終焉へ向かっていく。
でもこれは夢じゃない。悪夢の中のように、自分の命を救うために、走っているわけでもない。
もっとずっとかけがえのないものを守るために、わたしは全速力でかけていく。自分の命なんて、今はどうだっていい。
今、人目を気にせず、混雑した明るい広場を突っ走っているのはわたししかいない。その上、こんなスピードでしか走れないなんて。
時計の鐘が運命の時を告げ始めた。その衝撃がかかとを通して怯えた脚に伝わる。
もう間に合わない。
99%間違いない。これは夢だ。
そこまで確信があるのは、眩い日の光が差していることと、目の前に亡くなった祖母がいるからだ。
おばあちゃんはあまり変わっていない。記憶にあるままの顔。無数の小さなシワが刻まれたハリのないたるんだ肌が、骨をゆったり覆っている。
お互いの口元に、驚いたような微かな笑みが浮かぶ。おばあちゃんも、わたしに会うとは予想していなかったんだろう。
聞きたいことが山ほどあるけど、おばあちゃんも口を開きかけていたから、先を譲ることにした。お互いぎこちなく微笑む。
「澪」
そこでわたしの名前を呼んだのは、おばあちゃんではなかった。このささやかな再会に誰が登場したのかと2人して顔を向ける。わたしにはわかっている。この声ならどこにいてもわかるし、反応できる。目覚めていても眠っていても、たとえ死んでいても、絶対に。
東城司。
現実であれ夢であれ、わたしは彼と会うといつもドキドキするし、そしてこれが夢なのは確定事項になった。
彼は輝く太陽を浴びてこっちへ歩いてくる。おばあちゃんはわたしが鬼に恋をしていることを知らない。
なんて説明する?彼の肌は眩い陽光を反射して、まるでダイヤモンドでできているみたいに虹色の光のかけらを飛び散らせている。
彼は天使のような顔にとびきり美しい笑みを浮かべ、優雅な足取りでこちらへ向かってくる。この場にはわたし1人しかいないかのように。
彼は笑顔のまま、私の肩に腕をまわし、おばあちゃんの方を向かせた。意外だった。おばあちゃんはおののくどころか、恥ずかしそうにこちらをじっと見ている。おまけにかなり不自然な体勢でぎこちなく片腕を伸ばして、肘から先を丸めている。私には見えない誰か、透明人間でも抱いているかのようだ。
私は反対の手をおばあちゃんの方に伸ばす。おばあちゃんも鏡に映したようにそっくり真似をする。でも指先が触れ合ったはずの場所にはひんやりしたガラスしかない。
ぎくっとして、頭がふらふらした。夢は突然、悪夢に変わる。おばあちゃんじゃない。
これはわたしだ。目の前にいるのは、鏡に映し出された自分だった。年老いて、シワだらけで、しおれ切った自分。
彼は隣で、鏡に写すことなく佇んでいる。永遠に17歳のまま。ひんやりとした完璧な唇をわたしのたるんだ頬に押し付けて囁く。
「澪、誕生日おめでとう。」
ハッとして目が覚めた。息を呑んで目を見開く。
夢だ。ただの夢だ。自分にそう言い聞かせて、深く息をついた。
ただの夢だとしても、ある意味、予言めいているのは確かだ。今日はわたしの17歳の誕生日だから。
最悪の夢だった。このまま何事もなければ、いずれはああなるのだろうか。ゆう鬱な気分のまま、下に降りると、
「お誕生日おめでとう!!!!!!」
しのぶ様、カナヲ、アオイ、なほ、すみ、きよがわたしを待ち構えていた。みんなわたしの反応を待っている。
「あっ、あの…ありがとう」
引き攣った顔になってしまったが、とりあえずはお礼を言わないと。わたしにとっては最悪の日だなんて言えない。
「すみませんね。あなたはこういったことが苦手だというのはわかっているのですが、なほ達がどうしてもやるって聞かなくて。」
しのぶが肩をすくめる。
「だって、一年で一番おめでたい日なんですよ!」
「祝われて当然じゃないですか」
「おめでとうございます!はい、これどうぞ!」
そう言ってなほ、すみ、きよの3人はわたしにプレゼントをくれた。ハンカチだ。「布を選ぶのも、縫うのも3人でやったんですよ!」と誇らしげだ。ハンカチには綺麗なお花の刺繍がしてある。
「とっても嬉しいわ、ありがとう。」
これは本心だ。
「わたしもささやかだけど、今日のご飯は澪の好きな食べ物作るから。」
アオイが言う。
「ありがとう。でもあんまり気を遣わないで、今夜は任務があるし」
「それは心配ない。」
そう言ったのはカナヲだった。
びっくりして思わず振り返る。
「任務はわたしが代わるから、ゆっくりして。」
「カナヲ…」
「わたしはみんなみたいに、プレゼントとか、思いつかなかったから…これくらいしか」
「ありがとう、とっても嬉しい。」
そういうと、カナヲは照れながらも嬉しそうにしていた。
それから間も無く、司と杏が蝶屋敷にやってきた。杏はわたしを見つけると、飛び跳ねるように前へ出てきた。黒いショートヘアに縁取られた妖精のような顔が輝いている。
「お誕生日おめでとう、澪!」
「シーッ!声が大きいって!」
でも杏は気にもとめておらず、大きい包みを差し出してくる。
「贈り物は今開ける?それとも後にする?」
「そんなのいいのに…」
小声で抵抗したところで、杏はやっとわたしの機嫌に気が付いたらしい。
「まあいいじゃない。開けるのは今でも後でもいいわよ。気に入ってたもん」
予知したのか…
「だからそれを着て、今夜のお祝い会に来ること。」
「そんな予定があるなんて初耳よ」
「もう澪ったら、とっても楽しみにしてたのよ!そうやってだいなしにしないで」
「わたしの誕生日なんだから、わたしの希望が通るものだと思ってたけど」
「まあ、抵抗しても無駄よ。みんなで準備してるんだからね。今夜6時にうちに来ること!」
言いたいことを言い終えた杏は、煙のようにいなくなってしまった。
「話し合った通り、やはり誕生日を祝うのは許されない、ということかな?」
司が確認するように問いかける。
「ええ、そうよ」
「念のため聞いただけさ。気が変わったかもしれないからね。大抵の人は誕生日や贈り物を楽しんだり、喜ぶものだろ。なんでぼくは贈り物をしちゃだめなんだ?」
「何もお返しできないから。」
「君はぼくのそばにいるだけでいいんだ」
彼の言葉は素直に嬉しかった。すっと身体に染み込んでいく感じ。だけどちょっと信じられないと思うこともある。
「それに歳をとるし」
彼はああ、という顔をした。
「でもまだ17歳じゃないか。女性が誕生日を気にするようになるのって、普通は29歳からじゃないの?」
「あなたと同い年になった。今年はまだマシよ、問題は来年。わたしはあなたより年上になる。」
あんな夢を見た後だ、洒落にならない。
「まぁ不安になるのはわかる。でもとりあえず、誕生日ってことは抜きにしてさ、今日という1日を楽しもう。少なくとも、ぼくにとってはおめでたい日だから。」
それならできそう。
彼がいれば、わたしはいつでもどこにいても、楽しむことができるからだ。