わたしは杏に言われた時間より少し早く行って、司の部屋ゆっくりしていた。すると、ある本が目に入ってきた。ロミオとジュリエットだ。
「ぼくはロミオがどうも好きになれないんだ。」
「どうして?」
「だってロザラインに恋していたのに、すぐジュリエットに乗り換える。ちょっとうわついてやしないか?しかも、結婚式の直後にジュリエットのいとこを殺してしまう。あまり賢いとは言えない。過ちに過ちを重ね、自分の幸せをこれほど完璧に壊してしまうなんて。でも、一つ羨ましいことがある。」
「なにが羨ましいかわかるわよ、ジュリエットがすごく美人だからでしょ」
彼がクスクス笑っている。
「違うよ。いとも簡単に自殺するからさ。君たち人間は、みんな容易くやってのける。植物のエキスが入った小瓶一つ飲み下せばいいだけだ。」
「羨ましいなんて、何言ってるの?!」
息が止まりそうになる。
「一度ぼくも考えたことがあった。君が殺されかけた時だ。もちろん生きている君を見つけることが先決だったが、心の片隅で‘’もしも‘’のことを考えていた。君なしで生きていくつもりはなかったからね。ぼくは太陽では焼け死なないから、死ねる手段があるとすれば、日輪刀で頸をはねるしかない。でもそれは多分不可能だ。」
「?どうして?」
「無惨を消滅させるまでは鬼殺隊に尽くすことになってるからだ。それが、鬼であっても生かされている理由の一つだからね。それにいつも鎹鴉がついてるから、自殺しようとすればすぐにバレて止められる。それからお館様にお説教されるのがオチだ。」
「それは立派なことだと思うわ、でも絶対に、何があっても二度とそんなこと考えないで!わたしの身に何が起ころうと、自分を傷つけるなんて許さない!」
わたしは半ば叫ぶように喚いた。
彼がこの世からいなくなるなんて、考えたくもない。
「ぼくは二度と君を危険な目に遭わせない。だから、そんなこと話し合うだけ無駄だよ。」
「あなたがわたしを危険な目に遭わせる?何言ってるのよ、まずいことが起こるのは全部わたしのせいだってことになってたでしょ。わたしはトラブルを招く磁石なんだから。」
言葉を重ねるほど、怒りが込み上げてきた。
「よくも自殺なんて!」
たとえ自分が先に死んでいるとしても、彼がこの世から消えるなんて考えるだけで耐えられない。
「逆の立場ならどう?」
「あなたの身に何かあったら、わたしは命を絶つことになるわね。」
わたしが即答すると、彼の完璧な顔に苦悩が滲んだ。
「言いたいことはわかった…気がする。でも、君がいなくなったら、ぼくはどうすればいい?」
「わたしがやってきて、あなたを面倒に巻き込む前の暮らしに戻ればいいだけよ。」
彼はため息をついた。
「簡単に言ってくれるな」
「なんでよ、わたしなんてそれほど面白くないはずだもの。」
彼は反論しようとしてやめた。「話し合うだけ無駄よ」と繰り返した。
「一つ頼んでもいい?」
「内容によるけどなに?」
「うちの家族にとって、本当の意味で誕生日を祝ったのはもう何百年も前のことなんだ。だから今晩はちょっと多目に見て、あんまり嫌な顔をしないでくれないかな。みんな本当に楽しみにしてるんだ。」
そうか。鬼は歳を取らないし、人間と深く関わらない生活をしてきたから、誰かの誕生日を祝うのは本当にないことなんだ。
「…わかった、努力する。」
「あと、先に断っておいた方がいいと思うから言うけど、みんな楽しみにしてるって言うのは、文字通り‘’みんな‘’だから。」
「全員ってこと?!」
息がつまりそう。蝶屋敷のみんなだけでも死にそうだったのに。
「でも、百合は…」
「わかってる。心配するな。彼女も精一杯愛想よくするはずだから。」
心配するななんて、軽く言ってくれる。
杏と違って、百合はわたしを嫌っている。実際にはもう少しきつい感情を抱いているようだ。わたしは東城家の秘密の暮らしに踏み込んだ‘’招かれざる侵入者‘’なのだ。
「誕生日おめでとう澪!」
東城家のみんなに誕生日に歌う曲の大合唱で迎えられ、わたしは真っ赤になって俯いた。
杏が準備したに違いない。部屋にはたくさんのお花とろうそく、そして料理とお菓子がある。みんなは人間の食べ物は食べないのに、こんなに用意してくれたんだ…
予想していたよりはるかに派手な演出だった。わたしが硬直していることに気づいて、司がわたしの腰に手を回して頭のてっぺんにキスした。
恵美さんはわたしをそっと抱きしめ、武流さんもそうしてくれた。
「すまないね澪、杏は言い出したら聞かないんだ。」
それは知ってる。と心の中でつぶやいた。
2人の後ろには百合と徹がいた。百合は笑顔こそ見せてくれなかったけど、少なくとも睨みつけてはこない。徹は満面の笑みを浮かべた。
徹のことは好きだ。クマみたいに大きな体をしていて、茶目っ気たっぷりで面白い。わたしが欲しいと思う、お兄さんそのものって感じがする。
わたしはというと、百合がどんなに美しいかを忘れていた。直視するのが辛いくらいの美貌。あれくらい美人だったら、人生薔薇色だろうな…
杏は繋いでいた純の手を放すと、いつもの弾むような足取りでこちらへやってきた。純も微笑んでいるけど、壁に寄りかかったままだ。
純は細身で背は高く、いつものようにわたしとは距離を置いている。数日間一緒に過ごした時、わたしに対するよそよそしさは消えたと思ったのに、そうでもないみたい。わたしを守るという、一時的な‘’任務‘’を解かれた瞬間から。
わかっている。嫌われているわけじゃない。ただの予防策に過ぎない。
東城家の‘’食生活‘’に関する方針を守るのに、純は他のみんなよりも苦労している。みんなより経験が浅いから、人間の血の香りにそそられないようにするのがずっと難しいのだ。
過去に何があったのか、気になるけど、あまり詮索されたくないだろうし、それを話してくれるほど、打ち解けていない。
「さて、贈り物を開ける時間よ!」
杏は高らかに宣言すると、冷たい手をわたしの肘に添えて、お菓子ときらびやかな包みがいくつものったテーブルの方へ引っ張っていく。予想以上の包みの多さだ。
「言ったでしょ、贈り物はいらな」
「でも、わたしは聞く耳を持たないから。諦めて受け取ることね。」
杏は得意満面で口を挟む。「まずはこれからね」と言って、小さな四角い箱を渡された。
開けてみると、見慣れないものが入っている。でもとっても綺麗だ。
「それはわたしと百合から。首につけるのよ。外国ではねっくれすって言うらしい。鬼殺って危険な仕事でしょ、だからお守りの代わりにももなるかなと思って。」
「すごく素敵。ありがとう、百合、杏」
そう言うと、百合の表情が少し緩んだ気がした。
「じゃあ次は純と徹からね、開けてみて!」
箱を受け取り、包装紙のすみに指を入れて開けようとした。その時、
「いたっ…!」
紙で指を切ってしまったらしい。傷口を確かめようと、反射的に指を引き出すと、小さな切り傷から一滴の血が滴った。
全ては一瞬のうちに起こった。
「やめろ!」
怒号と共に、目の前に司が突進してきて、わたしをテーブルの向こうへ突き飛ばした。数メートル先に吹っ飛ばされ、テーブルと共にわたしも倒れる。
お菓子、贈り物、そしてお花が花瓶と共に音を立てて散乱する。花瓶のガラスが皮膚に刺さった感触があった。
純が司に体当たりを食らわせる。土砂崩れに巻き込まれて、巨岩が割れるような音が響く。
そして背筋が凍りつくような恐ろしい咆哮が響いた。純の喉の奥から響いている。純は司を突きのけようとする。
間髪入れずに徹が純を後ろから羽交い締めにした。鋼のようながっちりした腕でしっかり押さえ込んでいる。純はもがきながら、虚な瞳をぎらつかせてわたしをじっと見ている。
ショックの後に、痛みが襲ってきた。焼けつくような鋭い痛みが二の腕から手首へつたってくる。真っ赤な血がどくどくと流れ出ている。呆然と視線を上げた。そこには6人の鬼が、突然喉の渇きに襲われ、じっとわたしを見つめていた。