「澪はどうですか」
炭治郎の声が聞こえて、わたしの意識はほんの少しだけ浮上した。
「特に外傷はないので、問題ありません。体力を消耗しているだけです。とりあえずゆっくり休ませて、様子を見ましょう。」
「ならよかった…あの、例の話は本当なんですか、東城家の人たちが、去ったというのは…」
それを聞いて、しのぶ様の纏う空気が変わったのがわかった。意識がふわふわしているわたしでさえ。
「本当のようですね。数時間前に緊急の柱合会議が開かれて、お館様から聞いたので間違いないでしょう。でも…」
次にしのぶ様から発せられた言葉は、一段と低く、怒っているのがわかった。
「一言くらい知らせてほしかったものです。しかるべき説明をしていくのが筋というものでしょう。あれだけ澪を求めておいて、あっさりと…」
「しのぶさん…」
「でも」
炭治郎が何かを言おうとしたのを、しのぶ様が遮る。
「正直、わたしは安心しているんです。人を喰らわないとはいえ、所詮彼らは鬼なのですから。澪には、"普通"の日常を、幸せを掴んでほしい。離れて正解なのかもしれません。」
これ以上聞きたくなかった。
彼に関することは、何一つ考えたくない。また意識を手放したい。
その願いに応えるように、わたしの意識はまた遠のいていった。
翌朝、しのぶ様がわたしの部屋に入ってきたが、わたしの顔を見た瞬間、ぎょっとしているのがわかった。
そんなに酷い顔をしているんだろうか。
それか、完全に感情が欠落しているかのどっちかだ。
しのぶ様は何も言わずに、わたしを診察した。
「特に問題は無さそうですね。気分はどうですか?痛むところは?」
自分でも驚いたけど、声がうまく出せなくて、黙って首を横に振った。
「澪」
改めて名前を呼ばれて、わたしは顔を上げた。しのぶ様が鋭い目つきでこちらを見ている、
「森に置き去りにされたんですか」
"彼"の顔が浮かんだ途端、凄まじい苦痛がわたしの中を駆け巡る。
「答えてください。彼はあなたを置き去りにしたんですか」
わたしは死にものぐるいで首を横に振って否定した。
「違います。わたしが悪かったんです。追いかけたりしたから…」
しのぶ様は納得できないのか、何かを言おうとする。それを察したわたしは、子どものように手を振って制止した。
「すみません、このことはもう話したくないんです。申し訳ありませんが、1人にしていただけますか」
しのぶ様は何か言いたげだったけど、わたしの頑なな意志を汲み取ったのか、何かあれば自分かアオイを呼ぶように言い、部屋を出て行った。
10月
11月
12月
時はすぎていく。こんな絶望的なわたしの世界でも。
あれから、わたしには2つの選択肢があった。
1つは無気力になること。何もせず、無意味な日々を送る。でも、これには致命的欠陥がある。それは、常に彼のことを思い出してしまうということだ。
2つ目は、がむしゃらに忙しい日々をこなすことだ。休むことなく任務、鍛錬に打ち込み、鬼を倒す。
わたしは2つ目を選んだ。
任務を大幅に増やしてもらい、たまの非番の日もひたすら鍛錬に打ち込んだ。
忙しくて、彼のことを考える余裕がなかったから、めそめそ泣くこともなかった。
お陰で階級が上がり、戊になったことだけが、唯一の嬉しい誤算だった。
しかし、どちらを選んだとしても、周りに気を遣わせるというのは共通していた。蝶屋敷のみんなは、わたしに話しかける時、すごく気を遣って言葉を選んでいるのがわかる。
しかも話しかけられても、相槌くらいしか返せない。話が右から左へ抜けていく感じがして、あまり頭に入ってこない。
「澪、少し話があります。わたしの部屋まで来てください。」
「?はい。」
そんなある日、見かねたしのぶ様に呼び出された。
「聞きましたよ、最近戊に昇格したようですね。」
「はい。」
「あなたの功績や努力は素直に認めます。実力はかなり上がってきていますからね。でも、やりすぎは身体に悪いです。気がついてますか澪、あなたここ3ヶ月、まともに休んでないんですよ。ひっきりなしに任務に行って、非番の日もひたすら鍛錬して」
「それ、呼び出されるほど悪いことなんでしょうか。」
しのぶ様が言わんとしていることがなんとなくわかって、口調が少し刺々しくなってしまう。
「頑張るのは素晴らしいことです。でも、あなたの場合は明らかにやり過ぎです。この生活を続ければ、いずれ限界が来て倒れますよ。どうでしょう、1週間くらい休暇をとってみては?わたしからお館様に伝えますから…」
「すみませんでした。改めますから、休暇はいりません。失礼します。」
解放されるために、とりあえずはそう言ったが、改める気はさらさらなかった。なぜなら、わたしは忙しくすることで正気を保っているから。休みなど与えられようものなら、途端に絶望感が襲ってきそうだ。
気を遣わせるのが申し訳なくなって、任務に行っても蝶屋敷には帰らず、藤の家紋の家のお世話になることが増えた。
そんな時。一度止まった運命の歯車は、また再び動き出す。