蝶屋敷から20キロほど離れた場所でわたしは無事に任務をこなし、帰路に着いた。しかし
「女だ」
「女が一人でいるぞ。夜道に一人だなんて危ないなぁ?」
「待て、こいつは俺の獲物だぞ」
4人の男がいつの間にかわたしを取り囲んでいる。酔っ払いみたいだ。
ちょっと勘弁してよ・・・せっかく今日の任務でも死なずに済んで、寿命が1日伸びたところだったのに。
「近寄らないで」
力強い勇敢な声な声を出すはずが、乾いた喉は予想通りで、音量はゼロに近い。我ながら、本当に役立たずな喉だと思う。
「つれないなあ、お嬢さん」
「いいだろう?少しくらいさあ」
男が声をかけてくる。背後では耳障りな声が響く。いつの間にか四方を囲まれて、逃げられなくなっていた。
プチパニックを起こしている中で必死に考えた。こんな時ってどうすればいいんだろう。身構える?相手の鼻を折る?目潰しを食らわせる?
相手が鬼なら簡単だ。頸を斬ればいい。でも下衆な人間の相手はしたことがないから、どうしたらいいかわからない。
1人だって無茶なのに4人と来れば・・・まともな悲鳴をあげられるように、息を思いっきり吸い込んで目を瞑った。
ヒュッと目の前を風が横切った気がした。
そしてなぜか次の瞬間には最も会いたくない相手、東城司の腕の中にいた。
「失せろ」
静かだけど、激昂しているのがわかる。
夢だろうか?恐怖は瞬時に消え去って、みるみるうちに安心感が広がっていく。"彼"だった。ずっと聞きたかった、あの声。
わたしとは正反対に、男たちは恐怖を感じたらしく、その一言でみるみるうちに青ざめて、走って逃げていった。
すると彼はわたしの手を掴むと、すごいスピードで歩き始めた。彼の手はひんやりしていた。鬼には体温ってないんだっけ?
彼は普通に歩いているつもりなんだろうけど、わたしは早歩きどころか、ほとんど走らされているような速さだ。
それでもわたしは意外なことにすっかり安心して、しばらくの間どこへ向かっているのかも全く意識していなかった。でも、彼の表情が危険なくらい張り詰めていることに気がついた。
やっと普通の歩く速さくらいになってきた時に、恐る恐る話しかけてみた。
「わたしのこと、怒ってます?」
「いや」
ぶっきらぼうに答えたけど、口調はすごく硬い。
「大丈夫ですか」
「だ、大丈夫です…」
わたしに聞いてくるけど、こっちは見ていない。でも、顔に浮かんだ怒りははっきりわかる。というか、大丈夫か聞きたいのはこっちの方だ。
そもそもどうしてここに?偶然?
「あなたは?」
「あんまり。澪、ぼくは時々怒りを抑えきれなくなるんだ。でも、何もプラスにはならない。ぼくが引き返して、連中を追い詰めても…少なくとも、そう自分に言い聞かせようとしてる。」
顔を背け、なんとか感情を抑え込んでいるようだ。
「あいつらの首をへし折ってやりたい」
「えっと…それはやめて、ください」
彼のかもす雰囲気があまりにもおどろおどろしくて、思わず吃ってしまった。
「君はあいつらが何を考えてたか知らないから、そんなことが言えるんだ」
「あなたにはわかるんですか?」
「…想像はつく。」
わずかな沈黙が流れた後、彼が無機質な声で頼んだ。
「気を逸らしてくれ、頼むから」
「え?すみません、聞こえなくて…なんて?」
「ぼくが落ち着くまで、何かどうでもいい話をして」
彼は具体的に指示してから、目を閉じて鼻筋を親指と人差し指で挟み込んだ。
「えっと・・・なほ、すみ、きよと一緒に、しのぶ様を驚かす作戦を立てているっていうのはどうですか」
彼はまだぎゅっと目を瞑ったままだ。でも、口の端がぴくりと動いた。
「・・・なんで?」
「だっていつも張り詰めている感じなんですもの。いつも顔色が悪いし、柱ってただでさえ激務なのに、非番の日も深夜まで研究して。息抜きしてほしいって言っても聞かないので・・・」
「君みたいな仲間を持ってて、しのぶは幸せ者だな。」
それは違う。そう言いかけたけど、今はやめておいた。わたしはカナヲやなほ、すみ、きよと違って、家族でもなんでもない。
「もう遅いですし、お送りします。蝶屋敷でいいですか」
「え?あ、はい…」
言葉遣いは敬語に戻って、口調はかなり穏やかになっている。
歩きながら、当たり障りのない会話をした。
「どこか痛みますか?」
「いいえ、怪我はしていませんので。」
お互い何も言わず、しばらく歩いていたが、沈黙に耐えられなくなり、話しかけてみた。
「あの、私に会ったのは、その、偶然ですか?」
「偶然だ。」
あれっ、また敬語じゃなくなった。すごくそっけない。
「わたしに何か隠していらっしゃるでしょ。」
「君には関係ない。」
昼間とは違う、冷たい口調だ。わたしの方を見てすらない。イライラしているみたい。
「大いに関係あると思いますけど」
「とりあえずぼくに感謝して、忘れるわけにはいかない?」
2人とも黙っていた。わたしは青ざめた神々しい彼の顔に、危うくぼうっとなりかける。でも毅然として、彼を睨みつけた。
「じゃあそもそも、なんでわたしを助けたんですか。」
彼はふと言葉を失った。一瞬、思いがけなく無防備な表情になる。
「・・・わからない。蝶屋敷はすぐそこだ、失礼する」
そう呟くと、背を向けて、ものすごい速さで走り去って行った。
わからないって何よ?!意味がわからない!
怒りに任せて、ものすごい勢いで走って蝶屋敷に戻った。しのぶ様に殺気が混じった笑顔で「遅かったですね」とかなんとか言われたけど、頭に入ってこない。ドアを乱暴に閉めて、そのまま布団に潜り込む。
それでも、わたしの頭の中は彼のことでいっぱいで、不覚にもすっかり惹かれていた。
ばか、ばか、わたしのばか。まともな人間なら、あんな意味のわからない相手を好きになったりしない。ましてや、彼は鬼だ。
その晩、初めて彼の夢を見た。