蝶屋敷を出てから、わたしたちはしばらく当てもなく歩き続けたけど、結局無駄だとわかって、ある喫茶店に入って時間を潰していた。
司が行く場所をはっきり決めないと、杏が予知できないから、わたしたちは動きようがないのだ。
「何か見える?」
「はっきりしないのよ。見えるたびに違う行動を取ってるの。思考がコロコロ変わりすぎて、わたしにはなんとも…」
杏はわたしたち2人でなんとかするしかないと言った。
他の東城家の人たちを呼べないのには訳があった。
杏曰く、わたしが行かなくても、彼を止めるのは不可能ではない。徹とかに押さえ込んでもらえば、わたしが生きていると納得させるまで引き止められるかもしれない。
しかし、それでは司の不意をつけない。近づけば、考えを読まれてしまうからだ。家族の誰かが来るとわかったら、司はそれより先に行動を起こすだけなのだ。
「でも、司は杏がいることにも気付くんじゃない?そしたら杏の考えていることが聞こえて、わたしが生きてるってわかるでしょ。自分のしていることは意味がないって。」
やっぱり理解できない。したくないだけかもしれないけど、言ったことと違う。痛いほどはっきり覚えている。いつだったか、彼は言った。
ーー君なしで生きていくつもりはなかった。
わかりきった結論だとでも言うように、彼はそう言った。でもその後、森で告げられた別れの言葉が全てを、有無を言わせずに帳消しにしたはずだ。
「司に聞く耳があったとしても…まさかと思うかもしれないけど、考えていることって‘’偽装‘’できるの。司もそれはわかってる。あなたが死んでしまっていても、わたしは彼を止めようとする。そして必死に『澪は生きてる』と考えるはずよ。司を思いとどまらせるために。」
なるほど。
わたしは無言で歯を食いしばるしかなかった。
「あなたを連れて行かずに済む方法が一つでもあるならとっくにそうしてる。わたしはひどい過ちを犯してるのよ。」
「バカ言わないで。わたしの心配だけは無用だわ。わたしは災難を呼ぶ磁石なんだから。」
説得がうまくいってもいかなくても、出口のない悪夢のような日々からは解放される。うまくいけば彼と再会できる。
できなくて彼が死んだら…その時はわたしも後を追おう。
そう思うと、すぐそばに出口があると思うと、少し気が休まった。
ふと杏の顔を見ると、表情が強張っている。
「杏、どうしたの」
「お館様が、司の要望を却下したわ。」
司の要望、つまり、誰かしら隊士をよこして自分を殺してくれという要望は却下された。
わかっていたことだ。お館様がお許しになるはずがない。逆に、受け入れられたら困る。
「それで、彼はどうするつもりなの?」
「最初のうちは支離滅裂で、断片的なイメージしか見えなかったの。ものすごい速さで計画を変えてたから。でも、決めたみたい。」
「時間はまだ大丈夫よね。」
「だといいんだけど…決めた計画をこのまま進めてくれれば」
「計画って?」
「シンプルにやるつもりよ。陽の光の中へ出ていくの。」
それだけ?
でもそれで十分だ。あの草原での司の姿が、わたしの記憶に焼き付いている。
眩く輝き、肌は数百万のダイヤモンドのかけらでできているようにキラキラしていた。あの姿を目にして、忘れる人間などいない。
「今のところ、司はできるだけ多くの人がいる場所で、正体を晒す気。」
「場所は?わかる?」
そう聞くと、杏は意識を集中させた。
「この時計…ううん、これは…時計塔か。銀座よ!」
「銀座?」
「あのあたりは建物が多いから、太陽が真上に登るまで待つつもりみたい。」
「つまり、正午に決行するつもりなのね」
杏は静かに頷く。
「こんな状況は過去に例がないと思うけど、自殺願望がある鬼なんてそうそういないから。」
わたしの口から、ほんの微かな声が漏れた。でも杏にはそれが苦悶の悲鳴であることがわかったらしい。か細く力強い腕が、わたしの肩を抱く。
「できるだけのことをしよう、澪。まだ終わりじゃないわ。」
「そう、よね」
杏だって、勝ち目はわずかだと思ってる。それはわかっていたけど、今は慰めの言葉を受け入れるしかなかった。
「ねえ杏。よくわからないんだけど…そうして今回はそんなに鮮明に見えるの?他の時はかなり遠くの未来だったりするでしょ?現実にならないこととか、見えても過程だけとか」
杏の目つきが険しくなった。わたしの考えていることがわかっているのかもしれない。
「これは差し迫った限定的なことで、わたしもすごく集中してるからよ。一人でに浮かんでくる遠くのことや先のことは断片的で、曖昧な不確定要素に過ぎない。それに人間より、鬼の方が見えやすいっていうのもある。」
そうなんだ…
「わたしはどうすればいいのか教えて」
「特別なことは何もしなくていい。司が明るい場所へ移動する前に、あなたの姿を見せればいいの。わたしに気付くより前に、澪を見る必要がある。」
「どうすればうまくいく?」
「できるだけそばまで連れて行くから、そこから時計塔までとにかく走って。」
わたしは頷いた。
「転ばないようにね。今日は脳震盪を起こしてる暇はないわよ。」
全く嫌になる。これは冗談ではない。まさにわたしがやりそうなことだ。
太陽は刻一刻と天頂へ上っている。パニックが襲ってきた。
新しい恐怖が、初めて微かに顔を覗かせる。このことがきっかけで、司がこの世から消えてしまうかもしれないこと。