予想外
無限列車の任務から1ヶ月が経ち、わたしはようやく司に会う心の準備ができた。会いたくないという感情から、会いたくてたまらないという感情に変わるまで1ヶ月かかった。
久しぶりに東城家のお屋敷に来た。なんだか懐かしい気分になった。
敷地内に入ると、武流さんが迎えてくれた。
「やあ、澪。任務でのこと聞いたよ、大変だったね。もう傷は大丈夫なのかい?」
「お久しぶりです、武流さん。おかげさまですっかりよくなりました。もう任務にも出られています。」
「それはよかった。司なら部屋にいるよ。君を待ってる。」
「ありがとうございます。」
彼の部屋の前に立ち、ノックをするところまで来て、少しためらった。
この扉の奥に、彼がいる。そう思うと少し緊張した。
コンコン、と遠慮がちにノックすると、すぐに彼が出てきて、わたしを優しく抱きしめた。
「会えて嬉しいよ。」
「わたしも。」
彼は少し微笑んだだけで、何も言ってこない。
「……」
「何も言わないのね。」
「なんて言って欲しいのか、確信が持てないんだ。」
わかっている。気を遣っているんだ。
「大丈夫よ、あなたが言うことならなんでも聞きたいから。」
「君が生きて帰ってきてくれて、本当によかった。」
「そう、よね。」
心が痛んだ。嬉しい言葉のはずだ、本来なら。でも…
「でも、まだ心からそう思えないことが問題なの。わたしは生きてる。そのために、とてつもない犠牲を払ったから。」
「……杏寿郎のことは残念だった。」
名前を聞くと、ますます心の傷が広がった気がした。
「彼のお墓参りに行ったよ。」
「あなたが?」
「あぁ、君が怪我の治療をしている間に。感謝してもしきれない恩があるからね。できれば直接感謝を伝えたかった。君を救ってくれたこと。君なしじゃ、ぼくは生きていけない。杏寿郎は君だけじゃなくて、ぼくのことも救ってくれたことになるから。」
悲しみと感動が同時に押し寄せてきた。
「もう散々泣いたのよ、やっと立ち直りかけてるところなの。これ以上泣かせないで。」
「努力するよ。」
そこで、わたしはようやく司の顔を真正面から見た。
わたしの身に起こった奇跡。
いつまで経っても、この完璧な顔になれることはない。わたしが当たり前に思う日は永遠に訪れないだろう。視線は司の青白い顔を追っていく。
真っ直ぐな鼻筋、すっと迫り出した頬骨、滑らかな大理石のように広がる額にかかる、赤銅色の髪。
瞳は最後までとっておいた。覗き込んだら、思考停止するとわかってるから。潤んだ灰色の瞳は大きく、優しく、そのまわりを豊かな長いまつ毛が縁取る。
彼の瞳を見つめると、いつも不思議な気分になる。頭もぼうっとするし。息をするのも忘れてしまうくらい。
手を繋ごうと、わたしは手を伸ばした。
司の冷たい指先が、わたしの指先に重なる。そこでわたしはため息をもらした。彼に触れられると、なんとも言えない安堵感が広がった。ずっとこの身を苛んできた痛みが、すっと消え去るかのように…
司は手を重ね合わせ、わたしの手首を自分の顔に近づけた。瞳を閉じて、手首に沿って鼻筋を滑らせていく。
わかってる。わたしの血の香りは、司にとって他の誰よりも甘美でーー本当に、アルコール依存症者にとっての水の横に置かれたワインのようなものーーそれによって惹き起こされる燃えるような渇きが、正真正銘の苦痛になる。それでも、前ほど避けようとしなくなったみたいだ。
「澪、君に話がある。」
「何?」
「どういえばうまく伝わるかな……」
彼は少し考えて、再び言葉を紡ぐ。冷静な口調だった。
「ぼくは過去に、あと一歩で君を失いかけたことがある。そんな時、どんな気持ちになるのかもわかってる。それで…お願いがあるんだ。ぼくのためを思って、自分の身の安全を守るように努力してくれないかな。」
「いつもあなたがわたしに言ってることと同じじゃないの。」
わたしはしょっちゅうからかわれてる。
『日常生活を送るのでさえ、怪我をしないように監視が必要だ』って。否定できないのが悔しい。それくらい、わたしはおっちょこちょいなのだから。
「そうだ。でも、これは真剣な話だ。今回の列車の任務で君が負傷したと聞いた時、それも刺されて重傷だと知った時…ぼくはまともに呼吸ができなくなったんだ。」
「鬼って呼吸しなくていいんじゃなかったっけ」
「真剣な話だって言ったはずだよ、澪。」
口を挟むなってことか。はいはい。
わたしは大人しく黙っていることにした。
「ちょっとはわかってるのかな、ぼくにとって、君がどれほど大事か。ぼくがどれほど愛しているか。少しは掴めているのか?」
司はわたしを抱き寄せる。
「わかってるわよ、自分がどれほどあなたを愛してるかはね。」
「そんなの、一本の小さな木と森全体を比べるようなものだよ。」
わたしは呆れて、目を丸くした。
「どうしようもないわね。」
「そうでもないさ。」
なんだろう、彼らしくない。なんかソワソワしてる。いつもの冷静な彼らしくない気がする。
「君と別れていた数ヶ月に加えて、今回のことで、ぼくは今一度はっきり認識したんだ。君を愛してることを、どれほど大切に思ってるかをね。」
「わたしもそうよ…」
「……でも、が続きそうだけど?」
わたしはため息をついた。
「あなたのことは信じてる。信じてないのは自分のことなの。」
彼は顔を顰めた。
「詳しく聞きたいね。」
「だって…信じられないんだもの、自分があなたに相応しいって。あなたに見合うなんて。あなたを繋ぎ止めておけるものなんて、わたしには何もないのよ。」
「君は永遠に、たゆむことなく、僕を繋ぎ止める。それを決して疑うな。」
でも、どうやったら疑わずにいられるっていうの?
「君から離れられないとわかってもらう方法が、一つだけある。」
「なんなの?」
「澪」
司はわたしの手を握る。彼の綺麗な灰色の瞳は、わたしを捉えて離さない。思わず身動きできなくなった。
「ぼくと結婚してくれ。」