あっという間に日々は過ぎ去っていき、式の前日になった。
わたしは東城家のお屋敷の、司の部屋で過ごしていた。
「もう寂しくなってきた。」
「行かなくてもいいんだよ。ここにいても。」
少し沈黙が流れた。激しく脈打つわたしの鼓動、2人の乱れた息遣い、そしてぴったり重なる唇からもれる囁き。
時々、鬼とキスしてると言うことを忘れてしまう。相手がごく普通だからでも、人間らしいからでもなくーーー人間より天使に近いような人を抱きしめていることは、一瞬だって忘れることはできないーーー彼がさりげなくやるからだ。
わたしの血の誘惑はとっくに克服したと彼は言った。わたしを失うことを思ったら、欲望はすっかり消滅した、と。
それを信じてないわけじゃないけど、わたしの血の香りはいつまでも彼を苦しめる。炎を吸い込んだかのように、喉をじりじり焦がすのだ。
ふと、視線が合った。相変わらず、綺麗な灰色の瞳はわたしの魂を撃ち抜く威力を持っているかのようだ。
でも彼には、他のすべての人を見抜くようには、わたしの心の中は見えない。理由はわからない。でもとにかく、わたしの考えを守ってくれる防衛機能には本当に感謝している。それがなかったら、わたしの普段考えていることが、彼への想いが筒抜けていると思うと、恥ずかしくてたまらなくなるから。
「やっぱり出かけるのはやめるよ。」
「だめ。独身最後の夜なのよ、楽しまなきゃ。」
「でもそれは独身生活との別れを惜しむ連中が楽しむものだろう?ぼくはおさらばしたくてたまらないんだから、意味ないよ。」
「まあ、そうかもしれないけど。」
司の完璧な肉体には、いまだに目を奪われてしまう。白く、冷たく、大理石のように磨き抜かれている。そっと胸板に触れると、司がため息をついた。
「どんどん行く気が失せるよ。」
「でも、そろそろ純と徹が待ちくたびれてるころじゃない?」
そう言った瞬間、部屋の窓に徹がへばりつく。ここは2階なのにすごい。
「澪、そろそろ司を解放してくれないと、かっさらっちまうぞ!」
「すぐ行くよ、そうがっつくなって。」
「こっちは待ちくたびれてんだよ!」
わたしはクスクス笑ってしまった。蝶屋敷は女の子しかいないから、善逸と伊之助の言い合いもそうだけど、男の子が言い合うところを見るのは新鮮で楽しい。
「最後の確認だ。迷いはないんだね?気を変えるなら、まだ間に合うよ。」
「まさか、わたしを捨てようとしてる?」
半分冗談、半分本気で聞いた。
「確認しているだけだ。確信が持てないことはしてほしくないから。」
「もう何度も言ったでしょ。わたしにはあなたしかいないのよ、永遠に。あなたがわたしの未来なの。もうやめて、うじうじするのもなしよ。じゃないと、徹と純に今すぐ迎えにきてもらうわよ。」
「悪かった、しつこかったかな。きっと緊張してるせいだ。」
「あなたの方こそ、わたしのこと嫌になったりしてない?」
「絶対にない。ぼくは君のことを、君との結婚を2世紀待ってたんだからね。」
そこで窓の外から徹の大声が響いた。
「おい、突入するぞ!」
「ほら、もう行って、お屋敷を壊されないうちに。」
「おやすみ。明日は大事な日だ。早く布団に入るんだよ。」
「わかった。覚えておいてね、わたしは白を着てるから。」
「必ず見つけるよ。」
外でどさっとくぐもった音がして、徹が悪態をつくのが聞こえた。
「遅刻に気をつけて。」
小声で囁いた。誰にも聞こえていないと思っていたら、窓から純が現れた。
「心配ないよ澪、ちゃんと間に合うように連れて帰るからさ。」
途端にわたしはとても穏やかになり、不平不満は全てどうでもいいことに思えてきた。純には、杏に勝るとも劣らない能力がある。感情を操る能力。
「純、まさかとは思うけど、司を遊郭に連れて行ったりしないわよね。」
「おい、絶対に秘密だぞ!」
下から徹の声が響く。
「澪、落ち着いて。」
それを聴いたと同時にわたしは落ち着いた。
「東城家には独特のやり方があるんだ。鹿と熊を数頭ほどいただく。普段の夜遊びと対して変わらないよ。」
ああ。みんなは‘’菜食主義‘’だものね。独身最後の夜のお祝いは、野生動物の盛り合わせってわけか。
「ありがとう、安心したわ。」
純はわたしにウインクをして、窓から飛び降り、森へと消えていく。
純ともこの間話をして、彼の過去を知った。前より打ち解けられたんじゃないかと思う。こんな冗談を言い合えるようになったのは大きな前進だ。
残る不安は一つ、百合のことだ。
彼女は明らかにわたしを嫌っている。まともに話したことすらない。向こうが徹底してわたしを避けているからだ。わたしがお屋敷に遊びにきても、ほとんど出くわすことはなかった。
モヤモヤが残るのはいやだけど、結婚式は明日だ。早く帰って寝た方がいいだろう。蝶屋敷に帰ろうとした、その時だった。
「澪。わたし、百合よ。」
静かな声がして、ドアが少し開いた。月明かりがその完璧な顔に当たるのが見えた。
「入っても構わないかしら?」