新婚旅行なのでね。
気がついたら、列車の中だった。しかもガタンゴトンと動いている。
「やあ、おはよう。髪の毛が干し草みたいになってるよ。かわいいけど。」
「やだ…!って、ここどこ?」
「列車の中だ。まだかかるから、寝ててもいいんだよ。」
一体何時間眠っていたんだろう。首が痛い。
なんて勿体無いことをしていたのだろう。「新婚旅行の移動」というイベントは、一生に一度しかないというのに、爆睡していたなんて!
半泣きになっていたわたしだけど、結論から言うと、寝ていても全然心配なかった。いくら乗って乗り継ぎしても、彼は「まだ中継地点だから」というだけで、一向に目的地に着く気配がなかったから。
ある駅から少し歩くと、ある埠頭に着いた。そこにはたくさんの船がある。司はそのうちの一つに軽やかに飛び乗ると、荷物をデッキに下ろして、わたしが船縁を乗り越えるのに手を貸してくれた。
頭の中は相変わらずはてなだらけだ。
船を操縦できるの?まだ着かないの?っていうか、ここはどこなのよ?
「ずっと遠くまで行くの?」
「あと30分くらいだよ。」
そう言って、司はわたしに向かってニヤリと笑った。
なるほどね。彼は鬼だもの、謎の海底都市に向かっていたって、何も不思議じゃないわよね。
それからさらに20分ほどすると、彼に声をかけられた。
「澪、見てごらん。」
司は真っ直ぐ前方を指している。
最初は暗闇しか見えなかったけど、徐々に海面に映った白い月明かりが見えてくる。その奥に、黒い影が見えた。すごく大きい。
「ここはどこなの?」
「ぼくの家族が持っている島だよ。」
船は一気に減速して、桟橋に止まった。
「島を、持ってるの…?」
「元々は武流さんが奥さんの恵美さんに買ったものなんだけど、今回貸してくれたんだ。」
そう言うと司はわたしを軽々と抱き抱え、桟橋から暗いジャングルのような草むらに入っていく。少し歩くと、家らしきものが見えてきた。
何を考えてるの、と彼は聞いてこなかった。きっとここに来てびっくりしているわたしと同じくらい、司も緊張してるんだ。
家の中に入っても、不思議と慣れない感じはなかった。東城家のお屋敷の雰囲気に慣れてるから、同じような雰囲気を持つこの空間に違和感を感じないんだろう。
中でもわたしの視線を奪ったのは、部屋の真ん中で天蓋からひらひらと揺れるレースの蚊帳をたらした、とてつもなく大きなベッドだった。すごく洋風な感じですてきだ。
「この家、作ったの?」
「ああ、みんな手作りだよ。どう?気に入った?」
「完璧だわ。」
それ以外の言葉が出てこない。
「どうかな、よかったら…まずは2人で真夜中の海水浴をするっていうのは。」
司は深呼吸してから、再び口を開いたときにはもっと気楽な口調になっていた。
「海はすごく暖かいよ。ここの浜辺は、澪もきっと気にいる。」
「すてきね。」
思わず声が掠れてしまった。
この役立たずな喉め…!
「澪は身支度する時間がいるだろ、長旅だったから。」
そう言うと、彼は窓の方へ行き、壁に少し寄りかかった。
立っているだけなのに、なんであんなに絵になるわけ?
「海で待ってるよ。」
砂浜に行く途中で彼は服を脱ぎ、月明かりに照らされた夜の中へすっと出て行く。生暖かい風が入ってきたこともあって、わたしの肌は炎に包まれたような気さえした。彼を見ただけでこれだ、わたしは今夜死ぬのかもしれない。
深呼吸をしながら、わたしの荷物に近づく。そこで思い出した。これ、詰めたのは杏よね…?まさか…!
わたしの最悪な予想は見事に的中した。
服と呼べるようなものは何も入っていない。今着ている着物以外は。水着もない。嘘でしょ…
やっぱり任せるんじゃなかった!!
そもそも、何を着る?服を着るのはおかしいし、と言うより服らしきものはないわけだし、杏が用意した服のことは考えたくもないし…
ああ、どうか司がわたしを探しに入ってきませんように。
こんなふうにおろおろしているわたしを見たら、どう思うか想像がつくから。わたしたちがしようとしていることは間違いだと思うに違いない。説得するのにどれだけ苦労したことか…
それにわたしが動揺しているのは、怖いからじゃない。どうすればいいのか見当もつかないからだ。
みんなは一体どうやってるの?欠点や不安を抱えながら、恐怖をのみ込んで相手を完全に信頼するなんて…
もし相手が彼じゃなかったら、自分が彼を愛するように彼もわたしを無条件に永遠に変わることなく、そして正直な話、理性を超えて愛していると確信していなければ、わたしはここから立ち上がることはできない。
でも相手は司だ。だからわたしは立ち上がる。タオルを体に巻いて、毅然と外に出た。
闇の中の、黒く穏やかな波紋を見渡して、彼を探す。
見つけるのに苦労はしなかった。司はわたしに背を向けて、真夜中の海に腰まで入り、月を見上げていた。
彼の周りでは、波が穏やかに砕けている。背中、肩、腕、首の流れるようなライン…その完璧な後ろ姿を、わたしは眺める。
わたしも海の中に入らなきゃ。そのためには…
わたしはタオルを外して、月明かりの中に溶けていく。
「綺麗ね。」
と言い、彼の手を水中でそっと握った。
「まあね。」
彼はこともなげにそう答えると、ゆっくりとわたしを見た。いつ見ても見慣れない美しい顔が、わたしを見る。
「でも、ぼくならあれを綺麗だとは思わない。ここにいる君と比べたら。」
何も言えなくなった。
言わない代わりに、わたしは手を彼の心臓に当てる。
わたしの手の感触に、彼は微かに身を震わせた。彼の息遣いも荒くなっていく。
「やってみる約束だからね。」
急に張り詰めた雰囲気で彼が囁いた。
「でも…ぼくが何かまずいことをしたら、澪を傷つけるようなことをしたら、すぐに言うんだ。いいね?」
わたしはじっと目を見つめたまま頷き、波間をもう一歩進んで、司の胸にもたれた。
「怖がらないで。わたしたちはひとつなのよ。」
自分の言葉だけど、それに込められた真実に胸がいっぱいになった。
この瞬間はあまりにもぴったりで完璧で、疑いようがなかった。
司の腕がわたしを包み、抱き寄せる。この身体の全ての神経の先から、花火が散ったかのようだった。
「永遠に。」
司はわたしの言葉に応えると、さらなる深みへわたしを導いていった。