照りつける太陽で、目が覚めた。
何時なのか、よくわからない。朝なのか、もう午後なのか…
でも、時間以外ははっきりわかっていた。自分が今いる場所も、何をしたのかも…
なかなか目を開ける気にならなかった。あまりに幸せで、どんな些細なことも変えたくない。聞こえてくるのは外の波の音と、2人の息遣い、鼓動…
司のひんやりした唇が、わたしの首に触れる。わたしが起きたことに気がついたんだ。目を閉じたまま、抱きついた。
永遠にこうしていたいのに、わたしの脳はそれを許さなかった。自分の我慢が効かない胃を呪いたくなった。昨夜のことを思ったら、空腹なんて陳腐に感じる。天国から地上に戻されたみたいだった。思わず笑ってしまった。
「何がおかしいの?」
質問に答えるように、お腹が鳴った。
「お腹すいて死んじゃいそうなんだもの。全く、嫌になっちゃう。」
何か言ってくれるのを待っているのに、彼は黙りこくったままだ。
なんだか、ただならぬものを感じた。わたしを取り巻く幸福感の向こうに漂う、異様な雰囲気を。
わたしは目を開けた。まず飛び込んできたのは、破壊されたベッドの天蓋だった。それと、無数の羽。これは…枕の?
司は俯いていて、表情は見えないけど、なんだか憂鬱そうだった。予想外で、なんだか悲しくなってきた。
「ちょっと司、どうしたの?」
「聞くまでもないだろう。」
厳しく、冷たい口調だった。
考え込む。わたしは一体何をやらかしたの?
思い返しても、わたしにとっては、後味悪いことは何一つない。
かみ合うようにかたどられたピースのように、ぴったりだった。
わたしにとっては。
彼にとっては違ったの…?
「何を考えてるの?」
「それはわたしが聞きたいわよ、わたしに怒ってるんでしょ、なんでなのか教えて。」
司の目が鋭くなった。
「怪我の具合は?正直に言うんだ。軽く見せようとするのはなしだからな。」
「怪我?」
身体のどこにも、悪いところは見当たらない。
それより、わたしには気になることがある。
「どうしてわたし羽毛だらけなの?」
「ぼくが枕を噛み切ったからだ。天蓋もそうだ、ぼくが壊した。」
「噛み切った…」
何も言えないでいると、彼はわたしの寝巻きを肩から下ろした。
「澪、これをよく見るんだ。」
わたしの肩に浮かび上がったのは、青黒いアザだった。
いつの間にこんなになってたの?
全く覚えがない。
覚えているのは、もっと強く抱いて欲しいと願って、それが叶えられた時の喜びだけ。
他にもいくつかアザがあった。腕とか、反対の肩とか…
「君に謝る言葉がない。」
それだけ言うと、彼は行ってしまった。
わたしはなんだか、言い表せない怒りを感じていた。
司の悲観的な思い込みのせいで、完璧そのものの朝に水を刺されたから。
「待ってよ!」
追いかけていくと、司はベッドに力なく座っていた。
「わたしは後悔なんてしてない。平気よ」
「平気だなんて…そんなこと言うな。嘘に決まってるだろ。」
「実際にそうなんだもの、あなたが勝手に嘘って言ってるだけよ。」
「よせよ澪。」
「違う、やめるのはそっちよ。台無しにしないで、わたしは幸せなの。」
「ぼくがとっくに台無しにしたよ。」
「もうっ…!」
いい加減にしてよ、とありったけの不満を込めてため息をついた。
「わたしの考えてること、そろそろ読めるようになってもいいんじゃないの?ものすごく不便よ!」
それを聞くと、司はようやく顔を上げた。
「珍しいね。ぼくに考えを読まれないのは嬉しいんじゃないの?」
「だってこういう悩みがなくなるわけでしょ、今のわたしの気持ちをあなたがわかってたら!ほんの30秒前までは完璧に幸せだったのに、今は怒ってるわよ!」
「あぁ、怒って当然だ。」
「えぇ、怒ってます。これでご満足?」
腰に手を当てて仁王立ちした。
司はため息をつく。
「何があろうとそれはない。」
「そこよ、わたしが怒ってるのは、まさにそこなの。あなたはわたしの幸せな気分を邪魔してるんだから!」
言いたいことを言い終えると、わたしはふぅっと息を吐いた。少しスッキリした気分。
でも司の辛そうな顔を見たら、少し落ち着きを取り戻した。
「危険は覚悟してたわ。でも…すごく、すてきだった。幸せだったの。……わたしにとってはね。」
それを聞いた司は、目を丸くした。
「まさか君は、ぼくが満足しなかったと思ってるのか?」
「あなたと、違う感じだろうけど…少なくとも人間のわたしにとっては、素晴らしい経験だった。」
司は10秒くらい黙っていた。でもだんだん表情が和らいでいき、わたしを抱き寄せた。
「ぼくは君に謝らなきゃいけないみたいだ。まさかそんなふうに誤解されるとは思ってなかったよ。君を傷つけたっていうのに、最高だったなんて考えたくなかったんだ。」
その先はもう聞きたくない。だから先に遮った。
「じゃあ、あなたにとっても悪くなかったってこと?」
「昨夜はぼくにとって、今までで最高の夜だったよ。」
すると、彼は事後報告を始めた。
「武流さんに相談してたんだ、力になってもらえたらと思ってね。当たり前だけど、澪にとってはかなり危険なことだと忠告された。でも…武流さんは信じてくれた。こんなぼくをね。」
わたしが反論しようとすると、彼はシーッとわたしの口を塞いだ。
「何を覚悟しておくべきなのか聞いたよ。極めて強烈で、比類ない体験だと言われた。軽々しく考えてはいけないってね。あと、徹と純にも相談したんだ。最高の快楽だって言われたよ、勝るのは人間の血を飲むことくらいだって。」
まぁ、そうかも。
わたしは鬼じゃないし、鬼にとって人間の血がどれほど美味しいものなのか知らないけど、言いたいことはなんとなくわかる。
「でも澪がよかったと思っていても、それは間違ってるよ。」
「なんですって?」
司のその言葉で、わたしは再び顔を顰めることになった。
「わたしが嘘ついてるとでも言うつもり?なんで?」
「ぼくの罪悪感を和らげるため。その肌についた証拠は無視できないだろ。」
わたしは彼の両手を取り、痛いくらいに握りしめた。
「よく聞いて東城司。わたしはあなたのために演技なんてしてません。今、わたしは人生一幸せなの。あなたがわたしの命を奪うより愛することを選んでくれた時も、求婚してくれた時だって、あなたが結婚式で"誓います"って言った時ですら、敵わないくらいにね。だから、これ以上うじうじ言わないこと、いい?」
「……ぼくは君を悲しい気分にさせているんだね、それは不本意だな。」
「なら悲しまないで。」
ようやく彼は深呼吸をして、頷いた。
「そうだな、終わったことだ。いまさらどうしようもない。それに、ぼくの機嫌のせいで、君のひとときに水を差す意味はない。澪が喜ぶことなら、なんでもするよ。」
半信半疑で、司の顔をじっと見る。彼も落ち着いた顔つきで応えた。
「なんでも?」
質問した途端に、お腹が鳴った。
「お腹が空いてるんだね。何か作るよ。それが今一番君を喜ばせることができそうだ。」
「間違いないわね。」
とりあえず羽毛だらけだった髪の毛をなんとかして、アザが隠れるように羽織を被る。
うわ、ものすごく美味しそうな匂い。
司は卵焼きとご飯、お味噌汁を作ってくれた。
あまりの空腹感と美味しそうな匂いに、お鍋とお皿までたいらげられそうな気がする。
「もっと食事の回数を増やさないとダメだな。」
ゆっくり食べた方がいいという司の忠告を無視してがっついて食べるわたしを見て、司はボソッと呟いた。
「そんなこと言ったって、わたしずっと寝てたのよ。それより、この卵焼きすごく美味しい。自分は食事しないのに、すごく上手なのね。」
「まぁね。」
そりゃそうか。あなたは完璧だものね、できないことなんてないんだものね。そう心の中で呟く。
「ごちそうさま」、と言って、身体を乗り出してキスをした。司も反射的にキスを返し、そこでパッと身体をこわばらせて離れていく。
わたしは歯を食いしばった。質問するつもりが、非難がましい口調になる。
「ここにいる間、わたしにはもう二度と触れないつもりなのね。」
司はぎこちなく微笑んで、わたしの頬を包んだ。
「そういうことじゃないわ、わかってるでしょ。」
司はため息をつき、手を下ろした。
「わかってる。それに、澪の言う通りだ。もう二度と、君を傷つけたりしない。」