わたしを楽しませることは、島での最優先事項となった。
一緒に海で泳いだり、ジャングルみたいな森を探検したり、崖から美しい夕日を見たりした。
彼がどういう魂胆でいるのかはわかっていた。あれこれ忙しくして、わたしの気を逸らしておくつもりなのだ。そうすれば、抱いてくれとしつこく迫られずに済むから。
一日中動きっぱなしのせいで、毎日陽が沈む頃にはお腹ペコペコで、わたしの体力は尽きていた。
司が1人では食べきれない量の食事を作るけど、丸一日歩いたり泳いだりした後では、あまりの空腹にそのほとんどをたいらげてしまった。
満腹と疲労感で目を開けておくのも至難の業になり、結局は倒れ込むように寝てしまう。全て司の計画のうちだ、間違いない。
わたしが説得しようとしても無駄だった。理屈を並べ立てたり、せがんだり、不貞腐れたりしてみたけど、一切効果はなかった。抱きしめてはくれるけど、それ以上は何もなかった。
おまけに寝るとやけにリアルな夢ばかり見るため、いくら寝ても目が覚めると疲れていた。
この日も夕方になり、必死に眠気と戦っていて、思わずあくびが出る。
「眠いんだろう?疲れてるんだから、おやすみ。」
そう言うと、司は何かを口ずさみ始めた。子守唄だ。
「こんなにクタクタなのはどうしてなの?あなたの策略なわけ?」
「でも、実際よく眠れてるだろ?」
「そうでもないわ。」
わたしがそう言うと、彼の歌も止まった。
「死んだみたいにぐっすり眠ってるだろ。こっちに来てから寝言のひとつも言わずにさ。寝息が聞こえなかったら、昏睡状態なんじゃないかって心配するところだよ。」
「寝返りは打ってなかった?わたし、悪夢を見ると寝相が悪くなるのよ。」
悪夢と聞いて、彼が顔を顰めた。
「悪夢を見てたの?」
「強烈なのをね。だからぶつぶつうなされてるんだと思ってた。」
「ぼくにできることはある?」
「ただの夢だわ。」
「子守唄は?夜通し歌ってあげるよ、悪夢を追い払うためなら。」
「素敵な夢のこともあるの。だから大丈夫。」
「うちに帰ろうか?」
「そんな、だめよ。まだ10日経ってないし。満喫したいの。」
帰ったらまた任務で忙しい生活に戻ることになるから、今のうちに休暇を満喫しておきたかった。
司はまた子守唄を口ずさみ始めたみたいだったけど、わたしはそれを確認する暇もなく、また眠りに落ちた。
その後、わたしは闇の中から突如目覚めた。ばっと起き上がると、司の姿が目に飛び込んできて、何故だか涙が溢れた。
「澪…?!どうした?!」
彼は驚いて、慌てふためいた冷たい指先が、火照ったわたしの頬から涙を拭う。でも、涙は止まらない。
「なんでもない、夢だったの」
「大丈夫だ、ぼくがここにいる。また悪夢を見たのか?」
「悪夢じゃなかった。素敵な夢だった。」
「なら、なんで泣いてる?」
「目が覚めちゃったから。」
司は少し考え込む。
「なら、二つ選択肢がある。一つはもう一度寝て、夢の続きを見る。もう一つは起きて、どんな夢だったかぼくに話して、思い出す。どっちを選んでも幸せな気分になれると思うよ。」
「後者が良い、けど…」
起きたばかりだというのに、また抗えない睡魔が襲ってくる。だめ、せっかくの新婚旅行の半分以上を寝て過ごすなんて馬鹿げている。
でも自分の睡魔に打ち勝つことはできず、わたしの意識は再び闇の中へ消えた。
次に目覚めた時、司はいなかった。机を見てみると、置き手紙があった。
『ぼくが留守の間に目が覚めないといいけど、起きてしまった時のために。すぐに戻るよ、本土に狩りに行くだけだ。もう一度おやすみ。今度目が覚めた時には、そばにいるから。愛してる。』
思わずため息が漏れた。10日ここにいるのだから、一度くらいは彼が狩りにいくことは予想できたはずなのに、時間のことが頭から消えていた。この夢の島にいたら、時間に縛られることなく、完璧な状態でただ流れに身を任せているような気になっていた。
蒸し暑くて、おでこの汗を拭った。寝過ぎて目は冴えてたし、お腹が空いたので、朝ご飯を作ることにした。
卵焼きだ。卵4個使った卵焼き。自分でも呆れるほどの食欲。
でも、アオイや司みたいに料理がうまいわけではないため、出来上がったものはイマイチだった。しかも、なんだか味が変な感じ。
もしかして腐ってた…?もう一口食べると、やっぱり変な感じがして、慌てて吐き出した。
でも、数口飲み込んだ後だったため、もう遅かったらしい。わたしはトイレに駆け込むと、かがみこんで激しく吐いた。
「澪…?」
運が悪いことに、そこにちょうど司が帰ってきてしまった。
「入らないで」
わたしの弱々しい声を無視して、彼が入ってくる。
「見ないでよ、こんな姿…」
「『病めるときも』だろう?」
「ただの食あたりよ…卵を食べまくってるから、そのうちの一つにあたったんだと思う。」
それを聞いて、司は少し困ったような笑みを浮かべた。
「大丈夫なのか。」
「うん。薬箱取ってくれる?」
胃薬を探すけど、わたしが気を取られたのは胃薬ではなかった。
脱脂綿の箱がを目に入ってきて、しばらく呆然となる。
「……」
「澪?どうした?」
目を泳がせながらも黙りこくるわたしに、司が声をかけてくるけど、頭に入ってこない。
前回生理が来たのって…何日前だったっけ…?
「ねぇ、結婚式から何日経った?」
「8日だ。どうして?」
「……」
数え直してみる。司に待つように合図しながら、指を折り、数える。
「澪、どうしたっていうんだ?」
「遅れてる…」
「え?」
「生理が、来ない…」
彼が凍りついたのがわかった。顔色は変わらず、青白いままだ。鬼だものね。ピクリとも動かないから、まるで彫刻みたい、などと呑気なことを思っていた。
「眠ってばかりで、ボロボロ泣いたり、やたら食べたり…まさか…」
ふと、近くにあった、等身大の鏡の前に横向きに立った。
服をめくり、お腹を触ってみる。
「!」
カチカチだった。すごく硬くて、岩みたい。
それに何より、数日前までは気がつかなかったけど、明らかな膨らみがある。
わたしは呆然としてたけど、突然の衝撃で思わずお腹を押さえた。
「ぅわっ…!」
動いた。わたしの身体、お腹の中で何か動いた…!
うそ…もし今考えてることが事実だとしても、まだ1週間くらいしか経ってないのに…
ジリリリリ…
その時、固定電話がやかましく鳴った。
司は凍りついたようにその場から動かなかったから、わたしが出る。
「もしもし」
『澪?』
「この声、杏ね?」
『そう。2人とも大丈夫?わたし、見えたのよ…』
「見えた?杏、なに、何を見たの?!」
『武流さんが来たわ、代わるわね』
杏はわたしの質問に答えることなく、行ってしまった。ガチャンという音がして、今度は武流さんが出た。
『澪、わたしだ。大丈夫かい?』
「武流さん、鬼も人間と同じように、ショック状態になったりしますか?」
数メートル離れたところで固まっている司を見て言った。
電話口の向こうで、武流が微かに息を飲む音がする。
『司に何かあったのかい?』
「いえ、彼は無事だし、大丈夫なんですけど…ちょっと、予想外のことが」
無駄だけど、ほんの少しだけ落ち着けるように、深呼吸をした。
「ありえないと思うんですけど、わたし…妊娠したかもしれない、です」