「……どうぞ。」
「失礼します。」
少し間が空いて、中からしのぶ様の声がした。
扉を閉めて、しのぶ様に向き直る。わたしの姿を見たしのぶ様は、はっと息を呑んだ。当然だ、人間だった頃の面影はないとは言わないが、かなり変わっているから。
「しのぶ様…」
「澪…」
両者何も言わずに、少し沈黙が流れる。
「一度手紙を、出したのですが。」
「えぇ、受け取りました。あれから何があったのか、詳細も全てお館様から聞きました。」
わたしは黙ったまま頷いた。
そして、意を決して切り出した。
「あの…わたしの顔を二度と見たくないというなら、すぐに出て行きます。もう二度と現れません。でも、これだけは言わせてください。ありがとうございます、そして…本当にすみませんでした。」
そう言って頭を下げると、しのぶ様は驚いて目を見開いた。
「どうしても、お礼と謝罪を直接言いたかったんです。しのぶ様には、本当に申し訳ないことをしたと思っています。司から聞きました、わたしを救うために、懸命に心肺蘇生をしてくださったこと。しのぶ様がわたしが死んだと思って、傷ついていたことも…わたしの想像がつかないくらいに。こんなわたしのために……」
わたしのために傷つく必要などなかったのに、と言いかけたけど、神経を逆撫でするだけだと思って言わずに飲み込んだ。
「わたしは娘のために死ぬ覚悟でしたが…最悪の形で、鬼になって第二の人生を得ました。しのぶ様がお姉様を亡くされて、鬼を心底憎んでいるのも痛いほど知っています。わたしは、しのぶ様が憎んでいる存在になりました。二度と会いたくないと言われても、それは当然のことです。」
しのぶ様は口を挟むことなく、黙って聞いている。なんだか逆にそれがすごく怖かった。
「でも…わたしはこれからも、鬼殺を続けます。鬼を滅するまで、鬼舞辻無惨を倒すまで、やめません。鬼になっても、心を燃やし続けます。わたしの心の炎は、それまで消えることはありません。」
わたしは目を逸らさずに話し続けた。
しのぶ様はどうする?どう出る?
罵る?日輪刀で毒を打ち込んでくる?
それならまだマシだ。今のように黙っていられるのが一番怖い。
でも次の瞬間、しのぶ様はすくっと立ち上がると、わたしの目の前で止まった。そして、わたしに一発平手打ちをした。
パシッと乾いた音が部屋に響く。わたしの肌は硬いから、正直痛みは全くなかったけど、それでも衝撃は感じた。
「どれだけ心配したか、わかります?」
「……わたしには想像もつかないくらいですよね。」
「えぇ、その通りです。想像はしていただきたいですが。わたしはこの1ヶ月、2つの相反する感情を持ってきました。一つはあなたを救いたいということ。もう一つは…あなたの望みを叶えること。でも、この2つが両立することはあり得ないと考えていました。あなたを救うには子どもが犠牲になり、子どもを救うにはあなたが犠牲になるからです。」
「……はい。」
わかっている。その板挟みになっていたのは痛いほどわかっていた。それでも、わたしは子どもを選んだ。それだけは譲れなかった。
「でもあなたは、子どもを腕に抱いた時、幸せそうでした。幸せそうに笑ったんです。それでわたしは、ほんの少しですが、救われた気がしたんです。あなたは死ぬ前に少しでも、幸せを味わえたのだとね。」
「はい。あれは本当に幸せな瞬間でした。」
今でも忘れない。視界は霞んでいたけど、この世のものとは思えない、美しいものを目にして。
「あの後、司さんがあなたを死なせまいと、最終手段として自分の血を注射した時…わたしは正直、そんなことをしても無駄だと思っていたんです。まさか本当に助かるとは思っていませんでした…」
「わかってます、許されることじゃないことは…」
「でも」
しのぶ様はわたしの言葉を遮って続けた。
「多分、わたしは嬉しいんです。あなたが死なずに済んだから。」
わたしは目を見開くと、しのぶ様は少し付け加えた。
「もちろん、鬼になったことがじゃありませんよ。あなたが死ななかったことが、助かったことが、です。自分が嬉しいと思っていると気づくまで、少し時間がかかりました。」
「でも、わたしは鬼に……」
「それは不可抗力です。あなたは望んで鬼になったわけではありません。あなたは意識がなく、司さんが鬼にしようとしていることすら知らなかったでしょう。拒否することもできなかった。わたしもあっという間のことで、司さんを止められませんでしたし、止めたって、司さんはわたしを殺してでもそうしたでしょう。結果的にあなたのことはお館様もお認めになったようですし、それならもうわたしがどうこう言う権利はありません。」
それはすなわち…
「わたしを、許すと…?」
「別に怒ってたわけでも、許してなかったわけでもありませんしね。気持ちの整理がついていなかっただけで。もう大丈夫です、無視したりしませんから。」
わたしはちょっと拍子抜けした。てっきり攻撃されるものと思っていた。
「ちょっと意外です、てっきり毒でも撃ち込まれるのかと……」
「あなた、わたしのことなんだと思ってるんです?」
しのぶ様は少し呆れていたが、少しして表情を緩めた。
「なほたちやアオイ、カナヲとはもう話しましたか。」
「はい。少し動揺していましたが…受け入れると言ってくれました。」
「そうですか。あの子たちはあなたのことが大好きですからね。ややこしいこと抜きで、また一緒にいることができて嬉しいのでしょう。」
「ありがたいです、本当に、わたしにはもったいないくらい……最悪、縁を切られても文句は言えないと思ってましたから。」
そこに話を終えたことを察した司が、杏花をつれて部屋に入ってきた。
「やぁしのぶ。」
「どうも司さん。」
「澪のこと、受け入れてくれて感謝する。」
「……」
3秒沈黙が流れたあと、司はしのぶ様の考えを読んで否定した。
「いや、受け入れないとは思ってなかったよ。毒を盛られるくらいの覚悟はしてたけど。」
しのぶ様はそれを聞いて、ふっと笑った。
「相変わらず便利な能力ですね。まだ喋れない娘さんの考えも、司さんなら常にわかるんでしょう?」
それを聞き、わたしも司も苦笑いしてしまった。しのぶ様は自分が何か変なことを言ったのかと不思議がる。
「何か?」
「あ、あの…娘の杏花ですが、実はもう喋れます。」
「え?……喋れる?!もう?!いや、たしかに大きくなったなとは思いましたけど、まさか…」
「はい。でも、能力のせいであまり喋らないんです。自分の口で喋るより、伝える方が好きみたいで。」
それを聞き、しのぶ様はさらに顔を顰める。
「あの、よく理解できないのですが…もう少し詳しく…」
「ちちうえ」
その時、杏花が声を上げた。司の腕からしのぶ様の方に身を乗り出している。
「わたしがちょくせつしのぶさまにつたえたい。」
「そうだな。その方が早いし、しのぶも説明を聞くより、実際に体験した方がわかりやすいだろう。しのぶ、この子を抱っこしてやってくれるかい?」
「え、えぇ…」
杏花はにこにこしながら、しのぶ様の腕にすっぽり収まった。そしていつものように、頬に手を当てた。
「っ……!」
見るまでもなく、しのぶ様が圧倒されているのがわかった。何を見せているんだろう…
お館様に見せたものとはまた違うのなのかな、などと考えていると、しのぶ様が声を絞り出した。
「あなたは…生まれた時、わたしが何をしていたか、覚えているんですか…?」
「うん。いっしょうけんめい、ははうえをたすけようとしてくれてた。ちちうえがいってたの、しのぶさまがしんぱいそせいをつづけたから、ははうえはたすかったんだって。ははうえをたすけてくれて、ありがとう。」
そう言って、またにっこりと笑う。これにはしのぶ様も表情を緩めるしかなかったらしく、柔らかく微笑んだ。
「どういたしまして。あなたはご両親のことが大好きなのですね。」
「うん!」
その後、また杏花は司の腕の中に戻る。
「これなら、来週の柱合会議でも皆さんを説得できるでしょう。」
「そうだといいんですけど…」
「澪、あなたは杏花ちゃんよりも、自分の心配をした方がいいですよ。」
わたしが杏花の方を見てポツリと呟くと、しのぶ様は自分の心配をしろと言う。どういうことなのだろう。
「どういうことですか?」
「今回の柱合会議の議題は、あなたと杏花ちゃんのことです。杏花ちゃんは半分は人間ですから、鬼よりも人間を襲うリスクは低いとみなされています。一方、あなたは完全に鬼になったのです。色々試されることを覚悟しておいた方がいいですよ。」
「あぁ、特に実弥には気をつけた方がいいな。」
「そうですね。彼なら"あれ"をやりますよ、きっと。」
わたしは司としのぶ様の会話にいまいちついていけなかった。
「あれって…なんですか?」
「ぼくも最初は実弥に認められなくてね。彼は稀血の中でもさらに希少な血の持ち主なんだけど、目の前で腕を斬って流血させて、ぼくが耐えられるか確かめられたんだよ。今思えば、君の血の香りに比べたら余裕なレベルだったが…確かに彼の血には参った。それくらい、鬼にとっては猛烈にそそられる香りなんだ。あの禰 豆子もやられたみたいで、かなり苦戦してたみたいだよ。」
それを聞いたわたしは思わず怖気付いた。
あの禰 豆子ちゃんでさえ、欲求を抑えるのに苦労する血なんて…どうしよう…
いや、どうもこうもない。やるしか、耐えるしかないのだ。それ以外に選択肢はない。今聞けてよかったと思うしか、心の準備ができて幸運だと思うしかない。
そんなわたしを見かねて、司はわたしの頭を撫でた。
「大丈夫だよ、君なら。ぼくにはわかる。何も心配ない。」
そう言う司の口調は、確信めいていた。