娘が生まれて3週間が経ち、ついに柱合会議の日を迎えた。わたしと娘を柱の方々にお披露目(と言ったら変だけど)するのだ。
大丈夫だとは思う。
娘は人間を襲う素振りはこれっぽっちも見せない。
確かに人間の食べ物はあまり好きじゃなくて、わたしたちが狩る動物の血の方を好んでいる。
ミルクだった時も、武流さんがなんとか粉ミルクを飲ませようとしたのだが、美味しくないと嫌がり、顔を背け続けていた。
大丈夫。そう自分に言い聞かせるけど、やっぱり不安だ。そんなわたしの顔を見て、娘がわたしの手を取る。
「そうよね、心配しなくていいのよね。わかってる。」
わたしは娘と視線を合わせるようにかがみ込み、小さな手を握り直した。
「もう一度確認するよ。お館様のお屋敷で知らない人たちに囲まれて、色々聞かれると思うけど、気をつけることはなんだっけ?」
娘はまだわたしの手を握ったまま、言葉を伝えてくる。
「そうね。合ってるけど、声に出してみて」
「…いつもみたいにふれてつたえないで、こえにだすの。」
杏花は自分の考えを相手に投射できるが、そのせいであまり自分の口で喋らないのだ。でも、今日はそれでは困る。
「そう。でも、触れて伝えてみてって言われたらやっていいわ。」
「わかった。」
これが生後約1ヶ月の娘との会話だなんて笑ってしまう。
「あとは?」
「ごびにです、ますをつける。」
「そう、練習した通りにね。できる?」
「うん、じゃなくて…はい。ははうえ。」
「いい子ね、偉いわ。」
お館様と会った時には敬語を使えなかったため(当たり前なのだけど)、あれから簡単な敬語を教えた。
杏花の頭の良さは舌を巻くほどで、学習能力は極めて高かった。これがまだ生後3週間だなんて、笑えるけど笑えない。
外見は3歳ほどなのに、精神年齢はすでに10歳を超えていそうだ。
わたしと司、そして杏花は産屋敷邸に着くと、庭ではなく奥の部屋に通された。柱に紹介されるまではこちらで待機しておくようにとのことらしい。
ザンッと柱の皆様が整列する音がした。
ふう、いよいよだ。
「やぁ、よく来たね、わたしの可愛い子どもたち。」
「お館様におかれましても御壮健で何よりです。益々の御多幸を切にお祈り申し上げます。」
「ありがとう実弥。早速だけど、みんなにも通達した通り、今日はある"人"を紹介したいんだ。杏花、出ておいで。」
娘の方が先か。ふうっと息を吐いて気分を落ち着けようとする。そして娘に向かって微笑んだ。
「あなたを呼んでらっしゃるわ。あなたなら大丈夫。わたしも父上も、後ろにいるからね。」
杏花は軽く頷いて、ひらひらと優雅な足取りで前に出ると、お館様と柱の面々に頭を下げた。
「ほんじつはおいそがしいところ、おあつまりいただきありがとうございます。」
杏花はよく響く高い声で、礼儀正しく挨拶した。それを聞いたお館様は微笑む。
「上手な挨拶だね。お母さんに習ったのかな?」
「はい。おやかたさまと、はしらのみなさまにぶれいがないようにと、ならいました。」
「素晴らしい。」
お館様は目がもう見えなくなっているが、柱の面々が驚きや疑問で頭がいっぱいになっているのが雰囲気でわかるらしい。
目の前にいる子供は、外見からしてまだ3歳程なのに流暢に言葉を話している。しかも完璧な敬語で。
特徴的な赤銅色の髪は胸のあたりまで伸びていてカールしており、瞳の色は綺麗な茶色。
頬は薄いピンク色で、肌は白く、柔らかそうな質感ではなさそうだ。
半人半鬼。
長い歴史の中でも、このような例はない。
「改めて、みんなに紹介するよ。この子は東城杏花。司と澪の娘だ。人間と鬼の半分ずつを受け継いでいる。」
柱には事前に通達されてはいたが、皆信じられないといった表情しかできないでいる。
「わたしの鴉の報告では、人間の食べ物より動物の血の方が好きみたいだけど、食人衝動は全くないと聞いている。何か聞きたいことがある者はいるかな。遠慮することはないよ、そのために呼んだのだからね。」
「お館様、ちょっとよろしいでしょうか。」
「いいよ、実弥。」
やっぱりだ。やっぱりきた。
これでいいのだ、と自分に言い聞かせた。信頼を勝ち取るには、こうするしかないのだ、と。杏花を連れて逃げたい衝動と闘い、必死に抑え込む。
「色々聞くより手っ取り早い方法があります。」
そう言うと、不死川様は日輪刀で自分の腕を斬った。うわ…
「飯の時間だぞ、食いたきゃ食らいつけ!」
「!!」
杏花は身体を硬直させた。困ったような顔をしている。
それを見て、不死川様はニヤリと笑う。杏花が襲ってくると思っているのだろう。
でも、正直わたしは杏花のことを考えている余裕はなかった。
この血の香り…
事前に聞いていたとはいえ、ものすごい誘惑。さすが、稀血の中でも希少な血、凄まじいものを感じる。いつも食べている動物や血の比ではない。
あの血を飲んだら、この先1ヶ月は何も食べなくても保ちそう…
って、わたしは今何を考えたの?!
ぶんぶんと頭を横に振って、イメージを振り払う。
「大丈夫かい?」
司が聞いてくるけど、答えている余裕はなかった。
だめだめ、絶対に人間は食わない。そう誓った。娘にも、そう教えている。どれだけ飢えようとも、わたしは人間でいう野菜や豆腐並のエネルギーしかないものしか食べることを許されない。それが半永久的な命の代償だ。
その時、杏花が声を発した。
「あの、おやかたさま」
「ん?なんだい杏花?」
「ははうえを、よびたいのですが」
それを聞いた不死川様は、鼻で笑った。
「はっ、結局は母親頼みか。いいぜ、母親にもこれを試そうと思ってたところだ。出てこい!」
わたしはゆっくり立ち上がる。司がわたしの首筋にキスをして、「大丈夫だよ。」とだけ言った。
一瞬で部屋を移動して杏花の隣に行って、手を握る。
「どうしたの杏花」
「ははうえ…このひと、けがしてるから…てあてしてあげて?」
わたしは思わず顔を上げて不死川様の方を見た。腕からは見るに耐えない量の血が流れている。杏花は血の欲求と闘っていたんじゃない、ただ怖くて固まっていたのだ。
いざ不死川様の血を目の前にすると、ものすごい誘惑にかられた。涎が出そうにもなるレベルだ。身体は必死に目の前の血にありつけと叫んでいる。
全く嫌になる。不死川様にではない。自分に対してだ。元々は同じ人間なのに、人間の血肉を求めるなんて…どうかしてる。それが鬼の、わたしの性ならば、抗ってやる。
わたしは理性で欲求を押さえ込み、杏花を安心させるように笑顔を向けた。
「そうね杏花、痛そうだものね。すぐに手当てもらえるから、安心して。」
まさか子どもに心配されるとは思っていなかったのか、不死川様はわたしと杏花の会話を聞いて呆気に取られている。
おそらく、この人には言葉より杏花の能力を使った方が効果的だ。
「あの、不死川様。大変恐縮ですが、この子にはある能力があります。触れればわかりますので、この子が触れることをお許しいただけませんでしょうか。」
「……」
迷っているのか、不死川様はお館様の方を向いた。気配でわかったのか、お館様が諭した。
「大丈夫だよ、実弥。わたしも一度やってもらったが、すごいの一言だ。君の"誤解"も解けると思うよ。」
「……わかった、いいだろう。どうすればいい」
長いので一旦切ります。