「ウソ、そんなのだめ!」
わたしは激しく首を振って、満足そうに笑っている17歳の夫と19歳の義理の姉を横目で見た。
「いやよ、絶対にいや。今年からはカウントされないわ、歳を取らなくなったんだもの。わたしは永遠に17歳よ。」
「あっそ。」
杏はそう言って肩をすくめて、わたしの抗議をさらりと却下した。
「ま、どのみちお祝いはするからね。ジタバタしないことよ。」
思わずため息が漏れた。
杏は話してどうにかなる相手じゃない。
「じゃあ司、あとはよろしく。2人で楽しんできて。感想を後で聞かせてね。」
思えば、わたしは色々な面でちっとも変わってない。サプライズが嫌いだったり、それにも増して贈り物が苦手だったり。
わたしの核である個性の多くが、この新しい身体に引き継がれていることを知って、ホッとすると同時に新鮮な驚きを覚えた。
自分のままでいられるなんて、思っていなかったから。
「少し歩くよ。」
「歩く必要ある?少しの距離なら一瞬で移動できるじゃない。」
「そうだけど、ロマンチックに行きたいんだよ。いいだろう?」
「いいわ。」
屋敷から20分ほど離れた森の奥の空き地に、小さな家屋があった。庭もある。
呆然として、わたしは手元の鍵を握りしめた。
「どうかな?」
「あ…あの…これ、家よね?」
わたしと司には、元々別邸が与えられていたはずだ。なのに、また家をくれるの?
「与えられた別邸には、最低限の部屋数しかなかったからね。ほら、杏花のことは予想外のことだっただろ。この小さな家は少なくとも100年ここで廃屋になってたんだけど、みんなで作り直して改装したんだ。」
わたしは呆然と司の話を聞いていた。
それで勘違いしたらしく、司が少し心配そうに聞いてきた。
「気に入らなかった?もっと別な感じにしてもいいんだよ。杏はもっと派手にしようとしたんだけど、ぼくが君は素朴な方が気にいると思って反対したんだ。」
「シーッ!」
なんとかそれだけ言葉にできた。
「わたしの誕生日に家をくれるの?」
「正確には、ぼくたち2人にだよ。まぁちょっと小さいし、古いけど…」
「わたしの家にケチつけないで。」
司は微笑んだ。
「気に入ったんだね。」
「もちろんよ、素晴らしいわ!杏花とあなたと3人で暮らせるのね。」
「そうだ。おいで、中を案内するよ。」
部屋を一つ一つ案内してもらっていると、あることに気がついた。
「ここ、新婚旅行で行った島の家にそっくりな気がする。」
「そうだよ、それを目指したんだ。愛着が湧くだろうと思ってね。」
「すてき…」
「あぁ。」
司が囁く。
「杏が君の着物をしまう専用の部屋を作るってきかなくてね。お洒落な着物が大量にしまってある部屋があるんだ、この奥に。」
わたしはその部屋を見向きもしなかった。
司以外のものはまたこの世から消える。わたしを抱く腕、顔にかかる甘い吐息、わずか数センチ先にある唇。今のわたしの気をそらせるものは存在しない。
「杏には真っ先に服を見たってことにしておきましょ。」
そう囁き、司の髪に指を絡ませて顔を近づける。
「何時間も試着して楽しんだって、嘘つくの。」
司はすぐにわたしの気分を察知したらしい。
さもなければ、その気になっていたのに先に贈り物を心ゆくまで楽しませようとしていただけかもしれない。紳士らしく。
司はいきなり激しくわたしの顔を引き寄せ、低い呻き声をもらした。その声で電流がほとばしるようにわたしの身体を駆け抜ける。
次の瞬間、着物は剥ぎ取られた。
二度目の新婚旅行とも言える夜は、最初とは違った。あの島での時間は、人間だったわたしの人生の縮図だ。その頂点だった。
今だから、司の真価がわかる。
完璧な顔、しなやかでスキのない身体のラインを隅々まで、このたしかな新しい目できちんと見ることができる。あらゆる角度、あらゆる面を。澄んだ鮮烈な香りを味わい、大理石のような肌の驚異的な滑らかさを、繊細な指先で感じ取る。
司は全く新しい別の顔を見せた。
警戒も抑制もなく、そして何より、恐怖から解放された。わたしたちはともに愛し合える。ふたりとも躊躇いを捨てて。ようやく、対等に。
キスと同じで、全てはこれまでの感触を超えていた。司は今まで、かなり自分を抑え込んでいたんだとわかった。新婚旅行の時に人間だったわたしが痣だけで済んだのは奇跡だし、司の自制心の賜物だ。
自分の方が力のあることを忘れまいとするけど、あまりに強烈な官能の渦に意識は掻き乱され、1秒ごとに身体の隅々まで拡散していく。
頭の中で、この状況をめぐる興味深い難題について考えた。わたしが疲れることはない。司も同じ。一息入れたり、食事をしたり、トイレに行く必要はない。
司はこの世で最も美しく完璧な肉体を持ち、わたしはその彼を一人占めできる。今日はもう十分、と思える時が来るとは思えない。思わなくていいのだ。
この状況に、どうやってストップをかける?
答えが出なくても、わたしは気にも留めなかった。
「すごく不思議な感じよ…身体的には戦車も壊せそうなのに、精神的には疲れ切ってる…」
「わかるよ。」
司はわたしの腰のあたりまで伸びた髪を撫でている。
空が明るくなってきてふと気がついた。
「恋しい?」
言葉は交わしていたけど、きちんと会話をしていたわけではなかった。お互いに自制心を解放して夢中になりすぎて、会話などしている暇はなかったから。
「何が…?」
司が甘い声で囁いた。
「何もかもよ。ぬくもり、柔らかい肌、そそる香り……わたしは何も失ってないのに、司がそうだったらちょっと悲しいなと思ったから。」
司はわたしに優しく微笑みかける。
「今のぼくほど"悲しくない"人はいないよ、どこにもね。望んだものを一つ残らず、おまけに願ってもなかったものまで、全て手に入れられる人はそういないから。」
「嬉しいけど、答えをはぐらかしてない?」
「君はあたたかい。」
司はわたしの顔に手を当てて言う。
ある意味、それは事実だ。司の手も、わたしにとってはあたたかい。人間の肌とは違うけど、心地よくて自然な感じ。
そこで司はわたしの顔から指先を滑らせ、あごから首筋、ウエストまでなぞっていく。わたしはそっと目を閉じた。
「それに柔らかい。」
肌に当たる司の指先は、まるでサテンのようだから、その意味もわかる。
「香りは、そうだな…"恋しい"とは言えない。実弥の血の香りを覚えてる?」
「必死に忘れようとしてるわ。」
「あれにキスするところを想像してみて。」
司以外の人とキスするところなんて想像したくないけど、伝えたいことは理解できた。
うわ…ほんの一瞬でも気を抜いたら、血肉を全て食らってしまいそう。司は何年も我慢していたんだ…
「なるほどね…」
「まさしくその感じだ。だから、答えは"いいえ"だな。何一つ失ってないしね。今のぼくほど、恵まれた者はいないだろう。」
1人を除いて、と言いかけたけど、わたしの唇はキスで塞がれた。
「ねぇ、この"切望感"って…いつか尽きるのかな。」
「……なんとも言えないな。前例が少なすぎるから。澪は今のところ、禰 豆子と並んで、抜きん出て個性的だしね。普通鬼になりたての者は血への欲望に囚われるあまり、しばらくほかのことは目に入らない。でも、それは君には当てはまらないみたいだ。ぼくの場合は、1年くらいでおさまって、"ベジタリアン"生活に慣れた。欲求が完全になくなることはないが…いずれバランスをとれるようになってくる。何も心配ないよ、君なら。」
思わず微笑むと、彼も笑った。
その震動がわたしたちの身体の結びつきに不思議な作用をおよぼし、会話にピリオドを打った。