時刻は午後の7時。
あの逃走劇から、おおよそ6時間くらい。
桐生院が自分の持ち場に戻って、ハッピーミークのトレーニングを監督している間、何か出来る事が無いか探していたのだが役に立ちそうなものを見つける事は出来なかった。
たまたま練習場に行けばゴリラウマ娘のメルティロイアルの練習に何やら指示をしていたトレーナーが松原であったことに初めて気付いた。
夜ご飯を済ませ、課題を終了させた僕は約束していた時間になったのを見計って部屋を出る。
一人部屋だから、こういった時に部屋の同僚の事を気にすることなく外出できるのは非常に良い事だ。
既に殆ど暗くなっているトレセン学園だが、ウマ娘の視力なら問題ない。
僕が殴られた時より外灯が機能しているし、道に迷うことなく目的地にたどり着く。
向かった場所はトレセン学園の片隅にある巨大な樹の切り株が目印となっている名所、『大樹のウロ』だ。
切り株の真ん中はぽっかりと空いていて、試合で負けたウマ娘や、何かしらの熱く滾る思いを穴に向かって叫ぶ為に利用されている。
その大樹のウロ付近に設置されているベンチに腰かけている二人の少女を見つけた。
桐生院葵と、その後輩である吉田梨子であった。
吉田トレーナーは既に目を泣き腫らしていた。
「ごめんなさい、葵先輩……こんなことで迷惑かけて……私、やっぱりトレーナー向いていないんです…」
「迷惑じゃないですよ!こんな遅くまで、梨子ちゃん頑張ってたんじゃないですか。
頑張ってることは、私だって知っています!あんな怒るだけのトレーナーの言葉、気にしない方がイイですよ!」
「葵先輩……」
女同士の友情とは、かくも美しいものか。
泣きじゃくる吉田トレーナーを抱きしめる桐生院という構図にそう感じられずにはいられない。
アグネスデジタルだったら、尊さを感じて卒倒したかもしれない美しいシーンだ。
「桐生院トレーナー、ちょっと……」
「あ、ブラックサンダーさん」
「あ、あれ……なんでここにブラックサンダーさんが?」
吉田トレーナーにも名前を知られている辺り、僕はちょっとした有名人なのかもしれない。そんな気分があったが、今は話を進める事が先決だ。
「そうか……松原トレーナーは一人定時帰りしてて、吉田トレーナーはそれまでずっと一人で仕事してたんだ」
「はい。しかもあの人、明日までに完成してなかったら2度と面倒見ないからな、って……」
あの松原という男、これほどまでにテンプレと言わんばかりのヤバい上司ムーブをかましてきやがる。
と、僕はまず涙目の少女、吉田トレーナーにもう一度事実を聞くべく声を掛けた。
「吉田トレーナー、桐生院トレーナーからも聞いたんだけどトレーナー辞めたいって本当?」
「……」
彼女は小さく頷き、
「もう私、耐えられないんです……私の指導不足のせいであの娘がレースで勝てないのも。
それであの娘が辛い想いをし続けているのを見るのも、嫌なんです……」
俯きながら、
「練習計画もロクに立てられない、こんな駄目なトレーナーが居ちゃいけないんだ……私なんかがトレーナーなんて、目指さなければ良かったんだ!
葵先輩、お願いです……私が居なくなった後で、私の担当ウマ娘を預けたいんです……あの娘の幸せの為に、お願いします……」
たかだか練習メニューが本当にあの男にとって粗末な内容だったとしても、そこまで気にする必要はないかもしれない。
だけど、心が追い詰められてしまった人間は、些細な事でも自らの落ち度だと思いこんでしまう。熱意のある人間や、神経質な人間ほど、特に。
自分を信じられないほどに、彼女は追い詰められているのだろう。
それほどまでに、あの男の指導が苛烈だったという訳だ。
「馬鹿な事言わないでください!そんなの、駄目に決まってるじゃないですか!」
吉田の涙ながらの提案を桐生院は否定する。
だが、彼女がそれ以上言葉を発することが出来なかった。
ただただ、嗚咽混じりに涙を流すだけだ。
「ブラックサンダーさん、私もう一度松原トレーナーと話します。
彼女をここまで追い詰める必要はないじゃないですか……最悪、学園側に報告して然るべき処置を取る事も考えなくてはいけないかも……」
「ああ、でも……」
確かに、桐生院が言う通りに学園側に報告するのも一つの手だ。
松原トレーナーの指導における言動は明らかにパワハラに抵触する部分がある。
午前の会話の部分だけでなく、普段からのやり取りも見ていけば、今日見た以上に過激な指導をしているかもしれない。
トレセン学園にも、トレーナーの為のサポートエリアというのは存在する。
ここで言うサポートエリアといのは、職場における悩み相談所みたいな所だ。
過去にパワハラセクハラの案件で学園から追い出されたトレーナーもいたらしいので、桐生院の証言通りに松原トレーナー側に調査が入れば彼を追い出す事は出来るかも知れない。
今辛い目に逢っている吉田トレーナーを少しでも苦しい状況から解放してやれるかもしれない。
だけど、それは本当に正しい事なのだろうか。
そう思っていた時だった。
『それは無駄な事だよ、桐生院トレーナー』
「なっ!?」
僕らの後ろの木陰から、闇から這い出るように姿を現した巨体がある。
ブラックサンダーのトレーナー、ミスターXだ。
「ミスターXトレーナー……無駄、とは一体どういうことですか」
睨みつけるような視線を送る桐生院に仮面の下で何を考えているか分からないミスターXはこちらに歩み寄りながら続ける。
『キミが松原トレーナーを告発するように働きかければ、かなりの高確率で学園側が調査に入るだろう。
松原トレーナーは確実に学園から指導が入り、場合によってはトレーナーバッジの返納もあり得るだろう……世間はパワハラセクハラに対して厳しい。
そうなれば、吉田トレーナーは苦しみから解放されるだろう……他ならぬ、キミの手助けによってね』
「何が、言いたいんです……?」
『松原トレーナーには病気の妻がいる……聞いたことがあるかね?』
え?僕達はミスターXの言葉に思わずそう呟いた。
『奥さんは重度の認知症を患っていてね……今は老人ホームに預けているそうだ。
定時帰りしているのは、彼が奥さんの様子を甲斐甲斐しく見に行っているからだよ』
その理由なら、毎度松原トレーナーが定時に帰るのは理解できる。
ミスターXはそう続けて、
『しかし老人ホームも無料ではない、入所している限りは月で十万以上という金額がかかる。
自分の生活費も考えれば年間の出費は相当なモノだろう……そんな生活を彼はもう10年以上続けている。
貯金も殆ど無い筈だ。ベテラントレーナーであっても我々トレーナー業の給料というのはたかが知れている。
もしキミが告発し、彼がトレーナーという職を失えば間違いなくホームに入所している松原トレーナーの奥さんは追い出されることになるのは目に見えている』
キミは、と白い仮面の下にある瞳が桐生院を見据えた。
『かわいい後輩の為に彼らの今後の生活を破綻させるのかね?そうだとすれば、随分と身勝手な事だ』
「そんな……そんなこと、私は知らなくて……」
『ああ、知らなくて当然だとも。だってこれは嘘なのだから』
嘘かい。
『だが〝そうなる可能性〟があるかもしれない。
覚えていてほしい。告発は自らを守る事もあれば、相手を社会的に殺すという意味を含んでいる。
もしかしたら、松原トレーナーは自暴自棄になり本当に自殺してしまうかもしれない。
そうなったとき、キミは……いや、吉田トレーナーは罪の意識を感じずにはいられないはずだ』
ミスターXの言う通りだ。
告発によってもし本当に松原トレーナーが自殺をしてしまったら、吉田トレーナーは自らの告発した相手の不幸にも責任を感じてしまうに違いない。
「だけどミスターX、このまま何もせずに彼女がただ辞めるのを待つしか方法が無いっていうのか?」
『このままでは、そうだな。ただ彼女が辞めるだけだよ。
ただ本当に、吉田トレーナーがこのまま〝終わりたい〟、そう思っているのかによるが』
キミは、とミスターXは吉田トレーナーに視線を向ける。
『全てを出し尽くしたつもりか?』
「え……」
『ウマ娘を導くトレーナーとして、彼女たちに勝利を齎す指導者として……やれることを全て、やってきたのか?』
呆気にとられる吉田トレーナーにミスターXは松原トレーナーよりはマシではあるものの、棘のある言葉をぶつける。
『我々がウマ娘を勝利に導く為に必要なのは〝知識〟と〝経験〟だ。
レース、トレーニング、ウマ娘の脚質と適正をいち早く見抜き、レースプランを立てる。
実践を通し、ウマ娘に足りていない要素を分析し、適切なアドバイスをする。
だが、その知識と経験を身に付けるには膨大な時間が必要だ』
それは自身の経験談なのだろうか。
『勢いだけでのし上がる者もいるだろう、だがそう言った一発屋気質の者からある時突然勝てなくなり、気付いた時には学園を去っていた。
知識と経験を身に付ける事を怠ったから……我々は何年、何十年とそれらを身に付けるために日々を過ごしている。
それこそ松原トレーナーのような高齢になるまで。
それでもなお、足りないのだ……知識も、経験も。
若いキミなら、今年から配属になったキミならば尚更、勉強しても足りないくらいだ』
トゥインクルシリーズは待ってはくれない。
トレーナーだった時代に感じていたことは、僕が過ごしていた幼少期より時間の流れが異常に速いという事だ。
年間の計画、練習プラン、コンディショニング管理、事務仕事に追われているともう年末になっていたりする。
僕自身もデスクワークやチームの運営に対して上手くなった、とは自信を持って言えない……3年が経った今でさえも。
『―――試合で負け続けた?上司の言葉が辛い?
たかが数か月あまりのトレーナー歴のキミがそれで心が折れるというのは、余りにも甘すぎる』
「おい、ミスターX!彼女は!」
『甘さを捨てろ……信念があるなら立ち上がって見せろ。
我々トレーナーの一生は、死ぬまで戦いだ』
この男も、どちらかと言えばあの松原側の人間か!
これ以上のミスターXの言葉は心を擦り減らしている吉田トレーナーに追い打ちを掛けるようなものだろう。
なぜ、ここまで必要のない追い込みをかけるのか、僕には理解できなかった。
ミスターXの言葉を止めようとした時、隣で俯いていた吉田トレーナーが口を開く。
「やった……やりました!
やったんですよ!必死にッ!その結果がこれなんですよ!!」
涙を溢れさせながら、内に秘めた感情を爆発させた。
「勉強して、他の娘のレースもたくさん見て、チーフにどんなにキツイ言葉で叱られても耐えてきたんです!
あの娘を勝たせてあげられない……!あの娘がレースで負ける度に隠れて泣いていて、悔しいって叫んでる……!
でも、もう私、分からない!あの娘に出来る事が!
これ以上、何をどうしろって言うんです!何と戦えって言うんですか!
私があの娘を勝たせてあげる事が出来ないのなら、諦めて誰かに託すしかないじゃないですか!!」
右手を芝に叩きつける。
少女の力で叩いた地面は小さく窪みを作る程度で、だけど彼女は拳の下にある草を握りしめて引き抜くと、それを空へ放り投げた。
『そうやって何もかも一人で決めつている内は、ずっと独りよがりな考え方しかできない……。
キミは担当ウマ娘の声を聴いたのかね?真摯に向き合おうとしたのかね?』
「そんなの、勝たせてあげられない私の事なんか嫌いになってますよ……最近じゃ、あの娘も私に話しかけてくれなくなって――――」
『なら、本心を聞いてみればいい……来たまえ』
吉田トレーナーの言葉を否定するミスターXの背後から、一人のウマ娘が現れた。
栗毛のウマ娘が歩を進ませて、外灯でより姿が明らかになると吉田トレーナーは目を見開く。
「マイン……?」
それは、吉田トレーナーの担当ウマ娘だった。
「ご、ごめんなさい、トレーナー……トレーナーがそんなに苦しい思いしてたの、私、知らなくて」
「な、なに言ってるのよマイン!あなたは頑張ってるわ!悪いのはあなたの力を引き出せていない私が……!」
「違うの!私、負けが続いて、自分でもどうしたらいいか分からなくなって……
トレーナーがずっと頑張ってるの、私知ってるから、一生懸命にサポートしてくれるトレーナーに勝ちを届けられないのが情けなくて!!」
震えるような声で、ウマ娘・マインは言う。
「トレーナーの期待に、私応えたくて……でも、どうしたらいいか分からなくて、そしたら話す事が出来なくなって……」
「もう、そんなことで悩む必要はないわ……」
「ねぇ、トレーナー!辞めるなんて言わないで!私、他のトレーナーとなんて嫌だよ!
トレーナーと一緒に勝たなきゃ、私のトゥインクルシリーズは意味が無いんだよ!」
マインは自分のトレーナーの傍まで近寄って、芝に座り込んだ彼女を引き寄せると思いっきり抱きしめた。
「私、強くなるから!トレーナーの指示で、トレーナーのトレーニングで、トレーナーと一緒に!
あんなクソジジイなんかに怒られる必要が無いくらい、あの筋肉ゴリラウマ娘なんかより強くなって見せるから!」
「マイン……ごめん、ごめんね…わたしも一緒だよ……勝ちたい、あなたと……勝ちたいよ……!」
互いに抱きしめ合った二人は、大きな声でわんわんと泣いた。
警備員に見つからなかったのは幸運と言うべきだろう。
「ほんとは辞めたくない!最後まであなたのトレーナーでいたいよ!」
「私も同じ気持ちだよ。なら、今度は二人で戦おう……私とトレーナー二人なら絶対、何も怖くないから!」
二人は恐らく、お互いに気を遣いすぎていたのかもしれない。
間近で努力する姿を見せ合い、互いにその思いに応えようとしたから小さなすれ違いも起こった。
吉田トレーナーの辞めたいという原因には、あの煩い松原トレーナーの言葉は殆ど入っていない。
彼女は自ら辞める際の理由には松原トレーナーの言葉よりも、ウマ娘の期待に応える事が出来ていないという理由が多かった。
吉田トレーナーはずっと、マインの事だけを考えていた。
マインはずっと、吉田トレーナーの事だけ考えていた。
互いを思う気持ちが強くて、気付かないうちに雁字搦めになってしまったのだろう。
だけどこの時だは、この時の二人は間違いなく互いを理解し、心を一つにすることが出来たのだと思う。
その後、ウロの大樹の穴に向かって、二人は苦情が来そうなくらいの声量で叫んでいた。
『ジジイ今に見てろやぁあああ!!!ゴリラも覚悟しろぉぉぉおぉ!!!』
喉が枯れるまで二人は叫び続け、決意を固めた後の二人の顔はとても清々しい気分が窺えた。
〇
後日談、というか今回の落ち。
「うぅ……」
「桐生院トレーナー、そんな溶けたスライムみたいな声出さないでよ」
トレセン学園カフェテリア、屋外テーブルの上に突っ伏した桐生院葵が、僕の隣で呟いている。
彼女は自ら頼んだハチミツ濃いめ固めのジャンボスイーツパフェに目をくれないまま。
「私、先輩失格ですね……あの子たちの事、分かったつもりで……以前、私と同じような境遇だったから助けられるかもって、先輩風吹かせて……」
「桐生院トレーナーがいなかったら、間違いなく吉田トレーナーは潰れてた。
桐生院トレーナーが助けようと行動して、気にかけてくれてたから最悪な事態だけは免れたんだ」
僕は優雅に頼んだブラックコーヒーに舌鼓を打つ。
吉田トレーナーのチームはチーフの松原とサブトレーナーの吉田トレーナーしかおらず、他にフォローできる者はチーム内にはいない。
彼女がずっと一人で思い詰めていたら、年内には辞表を秋川理事長に叩きつけていたに違いない。
桐生院に関して、落ち度はない。むしろ、ファインプレー、最後の防波堤の役割を果たしていたと言ってもいい。
「お前はちゃんと、後輩の為に行動できる良い先輩だったよ」
「……ブラックサンダーさん、たまに口調変わりますよね。
なんか、山々田トレーナーみたいです……もしかしてブラックサンダーさんが山々田トレーナー、だったりして?」
「ぶひーっ!!」
「うああああ!私のパフェがコーヒー塗れに!!
なんてことを……なんてことを……!!」
豚のような悲鳴とともに僕はコーヒーを噴き出していた。
自ら招いたこととはいえ、ヤマカンでこちらの正体を暴いてくるって、どこの蘭姉ちゃんだお前は。
「……これで少しはあの娘たち、良くなるんでしょうか」
「うーん……それはあの二人次第かなぁ……まぁ、
昨夜のひと騒動から一夜が明けて、早数日。
吉田トレーナーは辞表を出すことなく、今もなおトレセン学園のトレーナーを継続して勤務している。
ウマ娘のマインとの関係も以前より良好のようだ。
他にもいくつか変化があったとすれば、彼女の所属するチームの環境だろう。
あれから松原トレーナーのチームには学園側から監視役が派遣されている。
というのも、誰かが今回の件で学園側にチクりを入れたらしく、それを聞いた秋川理事長が捜査を入れたらしい。
『憤慨ッ!未来ある若者を育成する立場にある指導者として、あるまじき行為ッ!!
決定ッ!これより数か月間、このチームに監視を付ける!!異論はあるまいッ!!』
こんな感じで。
今は彼らが練習やミーティングを開く際には学園の職員が日毎に見学という名の監視を行っている。
時々だが、理事長やたづなさんの姿を見る事もあるので、こうなるとあの煩い松原トレーナーもまるで熱膨張によって機能を失ったピストルのように静かになった。
ちなみに、学園側にチクったのは僕ではない。
僕はあの後、寮長のヒシアマゾンに寮内の洗濯機の中に洗濯した衣服を取り入れ忘れていた事を怒られていたので、そんな暇は無かった。
桐生院もこの件には何も報告はしていないようだ。
そうなると、誰が報告したかは限られてくる。
恐らくは、ミスターXだろう。
あれだけ叱咤したあの男が、最終的に学園側に報告していた事には疑念を抱かずにはいられないが、ここで議論していたも仕方が無いだろう。
だってアイツなにも教えてくれないし。
「監視も一時的だし、終わればまた元に戻るかもしれないけど。
それでも、今の吉田トレーナー達なら大丈夫さ、きっとね」
もう、一人じゃない。
彼女たちはあの日、互いを信じられるトレーナーとウマ娘になった。
二人なら、どんな高い壁にもぶつかっていけるだろう、時間がかかっても乗り越えていけるだろう。
「〝キミと勝ちたい〟、か」
あの時彼女たちが言っていた言葉を思い出す。
トレーナーが多分、一番最初胸に抱く熱い想い。
負けて、負け続けて尚、この気持ちを忘れた事はない。
理論とか、知識よりも僕はこの想いを身に付ける事が大事だと思う。
道標のようなものだ。
これさえ忘れなければ、どんな闇の中にいても迷わずに真っすぐ歩ける……そう思えるくらい。
僕も先輩として言えた口ではないが、彼女たちにとってトゥインクルシリーズは真の意味で始まったのだろう。
そんな感じの冴えない文末で、今回は締め括るとする。
〇
『桐生院 葵
宛先:山々田山能
件名:お疲れ様です。
―――――――――――――――
研修、お疲れ様です。忙しいかもしれないので、返信は不要です。
以前メールで相談していた事ですが、ブラックサンダーさんのお陰で無事解決出来ました。ありがとうございます。
あの娘とお話をしているとすぐ近くに山々田トレーナーがいるように感じて、凄く安心します。
あ、もちろん!山々田トレーナー本人には会えなくても大丈夫という意味ではないので!深い意味はありませんよ!
山々田トレーナーが帰国するまでに私もトレーナーとして更に精進していきますので、山々田トレーナーも帰国したら、必ずグラスワンダーちゃんを復活させてください。
そして、また私とミーク、山々田トレーナーとグラスワンダーちゃんで勝負しましょう……今度は負けませんから。
PS:帰国時は連絡ください。
また日帰りでも良いので、温泉旅行にでも。
勿論、ミークと私が後で一緒に行くための下調べですから! 』
「……」
涙が出そうだった。
虚偽の報告に踊らされているとはいえ、これほどまでに偽の外国研修に出張しているであろう孤独な僕の為にメールをしてくれる優しい同期などここ数年では一人もいない。
乾いた心にオアシスが生まれる感覚があった。
桐生院、お前は本当に僕にとって、大切な、掛けがえのない最高の同僚だ!
だけど、この抑えきれない思いを文章にして今すぐにでも送り届けたい、送り届けたいんだけど……。
「……」
だけど、ごめんな桐生院……無理なんだ。
僕、返信できないんだよ、今。
だって、今僕の真後ろにさ、いるんだよ……グラスワンダーが。
「……♪」
スゲー笑顔でさ。
まるでこれから殺るぞ♪って感じで右手に短刀を握って立ってるんだ。
「……へぇ、トレーナーさん、桐生院トレーナーとは温泉旅行に行った事があるんですね。
随分と仲が宜しいんですね……気にしていませんよ?ええ、同じ職場の同僚とは、掛けがえのない友……たとえ男女であろうと、温泉旅行に行くことくらい当然――」
「あ、あぁそうだなグラ――」
「――だと、言うとお思いですか?」
机に置いた短刀は暗に僕に対して、〝それを手にしろ〟と瞳が示している。
抗うこともせず、僕は恐る恐る短刀を手に持ち、グラスの表情を見た。
彼女は笑顔を崩さずに、天使のような声色で言うのだ。
「トレーナーさん、腹を切りなさい」
窓の外、既に12月。
世間はこれから有馬記念で年の瀬の大勝負に大いに盛り上がっている事だろう。
まさかウマ娘になった初の年末で、僕が自身の人生に幕を引くことになろうとは。
「何か言い残す事はございませんか?」
「誉ある――――最期を遂げたい」
地面に正座し、身なりを整え、短刀を納めていた鞘を抜き、刀身を晒す。
白銀の大地に身を置く事に何も違和感が無い、というか違和感が無いことが違和感なのだろうか。
というか、いつから外に出てたんだろう、僕。
ブラックサンダー、辞世の句を詠ませていただく。
「ついに行く 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思はざりしを」*1
いつの間にか死に装束に身を包んだ僕は意を決して短刀を迷い無く己の腹へと差し向けた。
ここまで来たら、度胸……そう、度胸!男なら、なんでもやってみるものさ、と阿部さんも言ってたじゃないか。
「―――天誅ッ」
僕が短刀を突き刺すと同時、背後のグラスワンダーが振り上げていた日本刀を僕の首目掛けて袈裟懸けに振り下ろした。
12月、トレセン学園の雪の上に鮮血が舞った。
僕は視界を真っ赤に染めながら思う。
――――人生で最後に食べたのは
これが本当の落ち。
隙の生じぬ二段構え。
そして新年の幕開けにしてはやけにバッドエンドな
次回より、新年度。推敲が終わり次第、ブラックサンダーepisode 0なんてのやるかもしれません。山々田トレーナーがウマ娘になるまでのお話です。
この作品であなたが気になるウマ娘は?(略、今あの娘どうしてるの?
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スペシャルウィーク
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セイウンスカイ
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キングヘイロー
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キタサンブラック(ロリ
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サトノダイヤモンド(ロリ