僕自身がウマ娘になることだ   作:バロックス(駄犬

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デジタン来たぜ……チャンミ始まりましたね、頑張りましょう(荒ぶる水着マルゼンから目をそらしながら)


20.控室

――――皐月賞。

 

 

 クラシックレース、3冠路線の一角を担うレース。

 デビュー後のウマ娘が最初に挑む大舞台のG1レース。

 ウマ娘でもっとも速い者が勝つと言われるレース。

 

 

 偉業への第一歩と言われるこの晴れ舞台に、僕ことブラックサンダー……本名、山々田山能は満を持して立つことになった。

 

 

 今、僕は中山レース場の控室で待機をしている。

 ウマ娘にはレースが始まるまでの時間、個別で控室が与えられるため僕以外には他のウマ娘は居らず、外から伝わる観客達の地響きに似た歓声がここまで鮮明に届くのが分かる。

 

 

「ふぅ……」

 

 

 壁に設置されている鏡に映った自分を見て、僕は息をつく。

 走れるだけ走り、実戦経験を積んで自信というものは付いていた思っていたのに、この場所に来てそれが信じられなくなった。

 

 壁と同化している長テーブルに置いた水分補給用のペットボトルは三十分ほど前に蓋を切ったが一口飲んだだけでそのままだ。

 口内は乾いているというのに、喉奥が極端に狭くなっている気がする。少しだけ呼吸がし辛い……脳が水を飲むことを拒んでいる。

 

 

 身じろぎする余裕すらないのか、僕はどうやらそれほどまでに緊張しているらしい。

 

 

「ブラックサンダー……情けない男……」

 

 過去に、グラスワンダーをこういった大きなレースに送り出す際に何度も来ては奮起するような言葉を掛けていた事を思い出す。

 

 

 『頑張れ』。

 『気負うな』。

 『平常心を保て』。

 『楽しんでいこう』。

 

 そんな言葉が、トレーナーとして最善だと思って放っていた言葉を何度心の中で言い聞かせても、僕の緊張は解ける事は無かった。

 

 

 ふと、思ってしまう。

 当時、レース前に僕が激励のつもりで言っていたグラスワンダーへの言葉は意味を為さないものだったのではないか。

 だって、レースに臨むウマ娘である僕自身が未だに不安を感じているのだから、そう考えてしまうのが当然だ。

 

 

 鏡に映る僕は、レース前だというのに酷く疲れた顔だ。

 既に2000mは走ったのではないかと思うくらいの疲労具合だ。

 昨日は9時前には布団で寝ていたというのに。

 

 

 あ、でも僕その後寝付けなくて2時くらいに寝たんだっけ。

 しかし、このままでは不味い。レースまで時間はあるものの僕の緊張感は高まりっぱなしだ。

 

 

 まるで高校時代に初めて短距離のレースに出た時のコンディション。

 あの時はしきりにコール時間を気にしては、腹が決まって下痢気味になってトイレに駆け込んでいた気がする。

 今の状況はその時の状態に近い。

 

 

 こういう時はどうするんだっけ、羊でも数えればいいんだっけか。

 

 これは確か眠る為のおまじないだった気がするけれど、それすらもまともに判断できない程に僕は完全に上がっていた。

 藁にも縋る思いで、僕は目を閉じて羊を数えだす。

 目指すは究極の自己暗示だ。

 

 

「羊が一匹……羊が二匹…」

 

 

 ぽつり、ぽつりと僕はそれだけを繰り返す人形のように呟いて行く。

 しかし、数分もすれば意志のブレというのが必ず起こるので数分後には、

 

 

「水着マルゼンが一人、水着マルゼンが二人、水着マルゼンが三人……ゴルシが一人、ゴルシが二人、ゴルシが――――」

 

『何をしているのかね、ブラックサンダーくん』

 

「オォウッ!?」

 

 

 僕の夢想意識の中に割り込んでくる声に目を開けると、目の前には黒服巨体のトレーナー、ミスターXが居た。

 

 

『試合前に己に掛ける自己暗示にしては、チャンミでよく見る地獄の光景を口にしているじゃないか』

 

「ほっとけよ」

 

 

 現実世界へと戻って来た僕は今しがた見せてしまった痴態に口元を歪めて、そう言い放つ。

 扉はいつの間にか開けられていたらしく、いかに僕が自己暗示に没頭していたかを物語る。

 

 

『ふむ……』

 

 

 僕を見ると、ミスターXが仮面の顎部分に手を当てて考え込むような仕草。

 ミスターXは僕の背後を取ると、

 

「ぎょえっ!?」

 

『首筋から広背筋にかけて筋肉に緊張が見られる……余程余裕が無いと見た』

 

 

 ミスターXは僕の肩をむんず、と手で鷲掴みしていた。

 そしてこの手は、人の手ではなく、両肩のパッド部分から飛び出して動くマジックハンドのようなアームである。

 しかし、マジックハンド部分は人の手の感触にとても近い、人間の皮膚と変わらないくらいだ。一体、何の素材で出来ているのだろうか。

 

 

『試合まで時間がある。筋肉をほぐすマッサージを施術してあげよう』

 

 

 今度はマジックハンド部分ではない掌部分がパカッと割れると筒状に丸められたロングタオルが飛び出してくる。

 あらかじめ持ち込んでいたとされる巨大なトランクは開いて内側に内蔵されている脚のような棒を伸ばして立てて先ほどのタオルを敷いてあげると、簡易的なマッサージベッドが出来上がった。

 

「試合前にあんまりマッサージはしない主義というか……」

 

『疲れを取るマッサージではない、どちらかと言えばストレッチやアップの方に近いものだ。

 安心しろ、私はこう見えてもスポーツトレーナーとしての教養はアメリカで身に付けている』

 

「マジか」

 

『マジだ』

 

 

 人?とは見かけによらぬものである。

 普段から胡散臭い男だが、今の僕はこの緊張から解き放たれるなら何をされてもいい。あ、タキオンの薬品だけは勘弁な。

 僕は騙されたと思って、ミスターXのマッサージを受ける事にした。

 

 

 

「随分と気に掛けてくれるじゃないか、てっきり、アグネスタキオンにしか目が無いのかと思ったよ」

 

『キミは私の担当ウマ娘だ……そして今日はキミの初のクラシックレース、三冠路線の初戦……気に掛けない訳がない。よもや、アグネスタキオンに嫉妬したのではあるまい?』

 

「冗談言うなよ」

 

 

 両肩から飛び出したマジックアームがうつ伏せになった僕の背中を上下に滑る。

 ゾウ以上の力を持つというミスターXによるマッサージだが、このマジックアームからはそのような力は感じなかった。

 きっと、この腕はマッサージをするために快適な力で動作するように彼の調整が及んでいるのかもしれない。

 

 

『それよりどうかな、広背筋周りがだいぶほぐれてきたと思うが』

 

「……ああ、意外と本格的でびっくりしてるくらいだよ」

 

 ミスターXのマッサージは、プロによるものかと思うくらいに見事だった。

 指で強烈に押すような指圧を行うことは無い、筋肉繊維に沿って掌の表面で摩るかのような動きだ。 

 

 

 これは主義療法における軽擦法(けいさつほう)と呼ばれるものであり、手の摩擦によって皮膚を温め血液の循環を良くし、新陳代謝の促進と肉体の細胞を活性化させる効果がある。

 このやり方の他にも押す動作による強擦法や叩く動作による叩打法、指圧による圧迫法……手技による療法というのは行う患部と効果によって様々である。実に奥が深いのだ。

 

 

『脹脛も固めだ。アキレス腱周りと足首の可動域も広げる』

 

 足首を手に持つだけで筋肉の疲労具合が分かるというのか、ミスターXは軽擦法を用いて両の脹脛をほぐすと次は脚の先端を掴み、足首を時計回りに反時計回りに動かしていく。

 

 

『トレーナーとして当然のスキルではあるものの、実際にこれがウマ娘の試合で勝利に結びつくかと言われれば私は自信を持って〝そうだ〟と言う事は出来ない。

 何故ならターフに立って、レースを走るのは私ではなく、ウマ娘自身であるからだ。

 レースが始まれば、ゲートが開いてしまえば……いや、地下バ道からキミを見送った瞬間に私は何もすることが出来なくなってしまう』

 

 

 だから、

 

『せめて最悪の怪我だけはしないように、少しでも不安を解消出来るように、私はこうして出来る事をする。

 そしてウマ娘のレース結果を真摯に受け止め、分析し、次のレースで繋げるためにトレーナーというのは一番冷静でなくてはいけないのだ』

 

 

 ミスターXの言葉が、他人事のように聞こえなかった。

 僕が先ほど悩んでいた事に最適解とはいかずとも、彼のように考える事で僕が抱いていた疑問に答えをくれたようにも思えた。

 少しだけ、前向きに考えてみよう。僕がトレーナーとしてやってきたことを僕自身が否定してしまわないように。

 

 

『どうかね』

 

「おお……!」

 

 十数分のマッサージを終えて、身体がやけに軽くなるような感覚があった。

 首回りの硬さもほぐれて頭も鉛のように固くなっていた足回りも全部が軽い。

 範馬刃牙が中国で砂糖水を飲んだ後復活したらこんな感じなのだろう。

 

 

『今回の皐月賞……恐らく荒れる』

 

 身体のコンディションを確認していた矢先、ミスターXがそう口にした。

 

『1番人気はメルティロイヤルだがそれ以外にキミのような逃げ先行策を得意とするウマ娘数名が内枠に固まっている。

 人数はフルゲート、そしてキミは外枠10番……いつものような逃げ作戦が出来る、容易なレースにはならないと思った方がいい』

 

「何か対策は無いのか、ミスターX」

 

『慌てる事は無い。緊急事態に備えて一つだけ策を教えよう……プランAだ』

 

 

 僕の問いにミスターXはレース中で危機に瀕した時の対処法を伝授する。

 その内容はとてもシンプルだが、あまりの分の悪い賭けのような内容に僕は顔を引き攣らせた。

 

「ちなみにプランAが駄目だった時のプランBは――――」

 

『そんなものはない』

 

「あぁ、マジかよ」

 

 

 毅然として言い放つミスターXに僕は大きく肩を落とす。

 こうなったら、この作戦が発動するような状況を作らないようにレース展開には注意を払う必要があるようだ。

 

 

『私はこれで失礼する。キミもそろそろ勝負服に着替えたまえ』

 

 時計を見るとレースが始まる時間帯へと迫っていた。

 まだジャージ姿の僕はG1レース用に支給されたブラックサンダーの勝負服を着用しなければならない。

 マッサージなんてしている場合じゃなかったのではないかと言われれば、そうでもない。

 少なくとも、心と身体の重みはだいぶ軽くなったのだから、ミスターXの施術は意味があったと思える。

 

 

「ミスターX……その、礼を言わせてくれ」

 

『礼には及ばない。それに先ほども言ったが、ここからはキミだけの戦いだブラックサンダー。

 私はこの扉を閉めたら、観客席に向かう……もうキミを手助けすることは出来ない』

 

「それでも、僕はアンタがしてくれた事を忘れない。

 アンタのお陰でレースに送り出されるウマ娘の気持ちが、少しは分かった気がするから。

 ウマ娘がトレーナーを信じて、トレーナーの期待に応えたくなるってやつがさ」

 

 

 扉前に立つミスターXに向けて、僕は拳を突き出して見せる。

 以前のように敵意を向けるようなものではなく、こちらに意識を向けさせるためのものだ。

 

 

「僕を見ていてくれ、トレーナー」

 

『――ああ、健闘を祈るよ』 

 

 数瞬の間の後に、ミスターXはこちらに向けて右の拳をこちらの突き出した拳に合わせるように構えていた。

 距離がありすぎて、まったく届いていないこの拳の突合せだが、僕達にとってはお互いを信頼するという意味で重要なものであった。

 

 

「さ、時間もないし……着替えるか」

 

 

 静かになった控室で、僕はこれまでにない程の軽い動作で壁に掛けられている勝負服を手に取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ちなみにプランAとプランBの元ネタは『Gears of War』からです。
荒れろ荒れろ皐月賞。勝負服は勝手に作りました。

この作品であなたが気になるウマ娘は?(略、今あの娘どうしてるの?

  • スペシャルウィーク
  • セイウンスカイ
  • キングヘイロー
  • キタサンブラック(ロリ
  • サトノダイヤモンド(ロリ

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