その内天皇賞春とかやり始めたら1年かかっちゃうかもね……
先頭の真後ろについていたブラックサンダーが一気にスピードを落とし、先行集団に紛れてしまうという光景は観客席にいるグラスワンダーとトレーナーであるミスターXは目の当たりにした。
「ブ、ブラックサンダーさんが自分から後退……?ミスターXさん、これは貴方の指示なのですか?」
『いいや……例年よりもペースが上がっている今回の皐月賞、しかも中盤手前で順位を落とすような指示など私は出していない。
坂を登る途中、顔を背けるような動作があった……そこからバランスを崩していたから、恐らくは前方のウマ娘が蹴り出した土を顔面に食らってしまったのだろう』
「では……ブラックサンダーさんはそれが原因で……?」
『しかもあれだけ走るなと言われた内側の芝を走り続けているという事は、視界もあまり見えていない可能性がある。
それが両目なのか、片目なのか……そんな状態で自分が今どの部分を走っているのかに気付くのは難しい……』
両目で見るよりも、片目で見ると目標より距離が遠くなったり、近くなったりすることがある。要は遠近感がバグるのだ。
今のブラックサンダーは前の集団との距離を正しく測り切れていないのだろう。
同時に真横に先行集団のウマ娘がいる事に気付いていないようなら、ブラックサンダーは彼女の方から見て左側の目が見えていないという事になる。
「あ!内側から抜け出しましたよ」
『自分が誤ったコースを走っている事と、順位を大分落としたことに気付いたようだな……それに顔を動かして左側を気にしているとなると、やはり負傷したのは左目か』
「一先ずは、これ以上順位が落ちなかっただけでも……」
『ああ、だが第2コーナー終わりで先頭とは2バ身差、スタートの加速も全部使い切った状態で上り坂での極端な減速……これはマズイ』
逃げウマ娘の戦い方はとにかくスタートの初速で先陣を切り、コーナーをロス無く進んで後方との距離を開き、後方のウマ娘が追い上げてきても最終直線までに稼いだ距離の貯金で逃げ切るものだ。
後方のウマ娘が逃げウマ娘を差し切る場合、スパートをかける前に先頭との距離をある程度詰めておく必要がある。しかし、逃げウマ娘が3人以上、つまり今回のレースの場合は逃げウマ同士でポジションの競り合いが発生する為、順位の入れ替えによって先頭を走るペースが速くなる可能性がある。
時にはオーバーペースによる競り合いにもなる事があるので、逃げウマ同士の潰し合いに乗っかってしまっては同じようにスタミナを消費して、最後に差すための脚が無くなってしまう。
逃げより後ろのウマ娘は距離を詰めるタイミングも視野に入れなければならない。
逆を言わせれば、先行勢がレース後半で逃げ勢の後ろに着いた時点で距離を稼げなかった逃げ勢は敗北濃厚となるのだ。
ここまでのブラックサンダーのレース展開はまさにそれであり、残り1400mの時点でハナも取れずに先行集団と同じ位置にいる現状は逃げウマにとって致命的だ。
順位を上げるためにその位置から再び加速をしようものなら、稍重のコースを走らされて減速し、体力を削られた状態ではスタミナに不安があるブラックサンダーは本当に最後の直線で走り切れなくなってしまう。
出来ればブラックサンダーにはその場所をキープしてもらいたいが、そうもいかないらしい。
レースというのは、まさしく生き物であり、絶えず変化するのだから。
『先頭のペースが上がった……後ろのウマ娘達が徐々に距離を詰め始めたか。ブラックサンダー、ここが堪え時だぞ……』
〇
・・・・・あぁ!観客席でそんな感じの言葉を吐いているのが大方予想できるよ、ミスターX!
第2コーナーを回ってレースは中盤に突入すると、コースは下りとなっていく。
下り坂は二段階あり、残り1000mからの傾斜は比較的に緩やかだ。
登りも、下りもスタミナを温存するために意識的に抑えていた後方のウマ娘達が1000m付近から徐々に前へと進出し始める。
現在順位は5番。内側をキープできているものの、これ以上離されてしまえば本当に終わりだ。
僕は口の中に残る土を吐き出した。身体に違和感を残した状態の疾走は常に安定を欠く。
しかし、極粒の石がまだ残っている。
不快感極まりない、この状況を解決するために僕は、
ゴリッ、ガギッ、ボリッ、ボリッ!
ウマ娘の強靭な歯で石と土が混ぜ合わさったモノを咀嚼し、唾液を混ぜて可能な限り液状にした後、一気にその泥のような液体を胃の中へと押し込んだ。
・・・・・マッッッッズッ!!!
苦虫を噛み潰したかのような表情を僕は浮かべている事だろう。
世界には土などを主食にして生きている人間がいたというから、意外に土って食えるもんなんじゃないかと思ったが、見通しが甘かった。
分かっていたけど不味い、本当に不味い。
鼻に残った土はどうしようもないので、ここからは意識的に口で呼吸を行っていく。
無意識に鼻呼吸をしようものなら、むせ返った反動で一気に順位を落としかねない、そうなればマジで終わりだ。
「しかし、キ、ツイなぁ……!!」
残り距離1000mを切ったばかりだというのに僕は肩で息をし始めていた。
ハナを奪われ、不良コースを走り、加速も殺され、目にもダメージ。
完全にペースを狂わされた。
おまけに徐々に距離を詰め始める後ろのウマ娘達、ここから僕も合わせて行くとなるとトラブルでスタミナを使った僕とそうではない先行、追込、差し勢では大きな差が生まれ始める。
いやいやいや、手詰まりでしょ、コレ。
どうやったら巻き返せるのコレ。
先頭と2バ身差、こちらのスタミナ半分ちょい、後ろにはあのメルティロイヤルが控えてる。
オーバーペース気味に走ってる先頭の逃げ二人もきっと最後は持たずに失速する。
負ける、三冠路線を目指すこの緒戦で。
もしそうなれば、もし―――、
「もしここで負けたら……」
僕は考えてしまう。
負けてしまったら、グラスワンダーを復活させることが出来なくなってしまうのではないかと。
勝利を得てこそ、彼女は闘志を少しずつ取り戻してきた。
だが、この2000mで勝てなければ次のダービーも菊花賞も勝てない事が分かってしまう。
そんな負け続けるウマ娘の背中を見て、グラスワンダーが闘志を取り戻すのか?いいや、無いだろう。
どうする。
どうする。
どうする。
負けたくない、勝ちたい。
そのために、一体どうすれば。
心が焦りだす。
僕より後方のウマ娘達がペースを上げる。
次第に僕よりも前に出始める。
口の中に残っている僅かな土の味すらも忘れ、視界がダブり始める。
集中力が切れ始めて、頭が何も考えられなくなってくる。
苦しい。
苦しい。
いっそのこと、もう走るのを辞めてしまおうか。
そうすれば、簡単だな。
投げ出してしまえば、諦めてしまえば。
――――色々と考えて後手に回っちゃうよりも理論とか作戦とか頭の中で堂々巡りの試行錯誤するよりは〝気持ち〟でぶつかってくのもアリだと思うよ。少なくとも、私たちはそうだった。
その時、脳裏に過ったのは皐月賞ウマ娘、ナリタタイシンの言葉。
2000mなんて走れば一瞬、気付いたら一瞬の内に終わってしまうのだと、彼女は言っていた。
〝気持ち〟、か。
気持ち、僕の気持ちって何なんだろう。
その言葉でふと、僕は我に返って、冷えた頭で思うままの気持ちを口にした。
「まだ終わりたくない」
「辛い」、「諦めたい」という気持ち以上に僕はまだ「勝ちたい」という気持ちの方が強い。
勝利を欲する、ウマ娘としての本能は、まだ僕の心にある。
レースを続ける闘志は残っている。
それだけで、僕が走り続ける理由にはなる。
前向きに考え、状況を整理して、視野を広げろ。
諦めるな、諦めなければきっと――――。
「うん?」
僕の耳に届くウマ娘の足音に変化があった。
近場からだんだんと遠くに間延びするような音。
顔を動かして見える右目で横を見ると、先行勢と差し追い込み勢のウマ娘達が外へ向かって少しずつ移動している。
稍重の内側を走るのは得策ではないと判断したのか、殆どのウマ娘が大外からの捲くりを意識して大外へと流れて行っているのだ。
あのメルティロイヤルでさえも外に向かって大回りをしている。
僕の所から次第に距離を置いて、離れて行く光景に僕はどこか覚えがあった。
皐月賞、偶然にも稍重という状況下のレースに僕は過去覚えがある。
思い出せ、少ない脳みそを使ってどうにか捻り出せ!
「―――!!」
その時、僕に電流走る。
この瞬間、ブラックサンダー天啓を得たり。
・・・・・そういうことかよ、ミスターX!
試合前に彼から言われていた作戦の意味を僕は漸く理解する。
すぐに僕は視力がまだある右目で第三コーナーの表示板を探した。
大体50mくらいだろうか、兎にも角にも右目が見えていたことに僕は幸運だと思わざるを得ない。
もし負傷した目が右目で、第3コーナーの表示板を見失おうものならこのレースで僕は最後の勝負に出られないと思ったからだ。
あの表示板を過ぎるまで、恐らく10秒も掛からないだろう。
あって5秒か、3秒か。
だが、最後に息をついて覚悟を決めるに十分な時間だ。
僕の勝負はここからである。
息を整えた後、僕は目標のコーナーを越えた辺りで身体を前傾させ、前へと踏み出した。
『さぁ、皐月賞もいよいよ大詰め!第3コーナーから第4コーナーにかけてウマ娘達が外へ向かいながら加速していきます!
先頭は変わらずグリーンデイだ!後ろからオアシスが追走!グリーンデイ、スピードが落ちてきているが大丈夫か!?
メルティロイヤルは大外の最後方、ここからあの鬼脚で巻き返せるか!?中山の直線は短いぞ!?
ああっと!ブラックサンダーだけが取り残されて、順位を下げている!?スタミナが切れたのか!?
5番手から6番手、そして8番……もう駄目だァ!!?』
『ここまでなのかブラックサンダー!?やはり2000m以上の距離は無理があったのか!?』
〇
「ふぅン、最後の最後に面白い事になってきたようだねェ。
皐月賞の距離は彼には無理だと踏んでいたんだが、妨害を食らってもちゃんと食いついていけてるじゃないか」
バックストレッチ側の観客席、アグネスタキオンはこのレース展開に口角を釣り上げていた。
大外に向かって最後の追い込みをかける他のウマ娘と違って、ブラックサンダーが力尽きてしまい挙句の果てに暴走をしていると実況席は思っている。
実況者だけではない、恐らくこの皐月賞でブラックサンダーを応援する者達も同じことを考えているのだろう。
「だ、駄目だ!ブラックサンダーちゃんのスタミナが切れちまったァ!?」
「うわぁ!やっぱこの距離は無理だったんだ!!」
「嘘つきッ!もういいよ!アタシあの娘のファン辞める!!」
そして彼らは気付いていない。
ブラックサンダーが既にこのレースで勝つために最後の仕掛けを発動させている事に。
「しかし、アレをここでやるかねェ。我ながら、彼の度胸には呆れるよ」
だが、自分がブラックサンダーと同じ状況に立たされたとしても迷わずそうするだろう、とアグネスタキオンは思う。
同時にこれは肉体への負荷をこれでもかと強める作戦だ。後は最後まで本当にブラックサンダーのスタミナが持つのか。
これは分の悪い賭けだ。普通のウマ娘ならば、ある程度の教養を持つトレーナーならばこんな作戦は実行しない……イカれたウマ娘とトレーナーでもない限り。
「ウオオオオオッ!!ヤッベェエエエエ!!!」
アグネスタキオンは自分よりも上段の席でいきなり大声に振り向く。
そこには瞳を輝かせてテンションマックス状態のゴールドシップが居た。
なぜゴールドシップがここに……というささやかな疑問にツッコミを入れるのはNGだろう、とアグネスタキオンは考える。
とはいえ、彼女も皐月賞を制したウマ娘だ。実力を持つウマ娘である彼女も、ブラックサンダーの狙いに気付いたらしい。
「マジパネェなアイツ!頭イカれてんぜ!」
感極まったような声色で叫ぶゴールドシップを見て、周りにいる誰もが思う。『お前にだけは言われたくねーわ』、と。
ゴールドシップは拳をわなわなと震わせて、アグネスタキオンにも似たような笑みを浮かべていた。
「そうだよなァ!そうだよなァ!そこしかねぇよなァ!!
道が無ェんならよぉ!自分で作ってくしかねェよなァ!!」
まるで自分の事のように喜ぶゴールドシップは第3コーナーを進出するブラックサンダーに向けて最大級の激を飛ばしていた。
「最高にクールだぜ!もっと見せてくれよブラックサンダー!お前のクールをよぉ!!
イッツ・クゥゥゥゥゥゥウル!!!ブラックサンダァァアアアア!!!!」
中山2000m、皐月賞の冠を賭けた勝負は第4コーナーを越えた最後の直線へともつれ込んだ。
次回皐月賞決着
この作品であなたが気になるウマ娘は?(略、今あの娘どうしてるの?
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