一年が過ぎて、僕は大学には無事に進学できた。
田舎ではない、その県でもレベルの高い体育大学にて、僕は教員の資格を取る為に励んでいた。
無論、教員の資格を取る為がメインではない。
真に僕が取り組んでいるのはより実力者の揃っている陸上競技部で、更なる速さを求める事だ。
比率で表すなら3:7。
教員が3で、陸上が7。
いや、もしかしたら2:8の方が正しかったもしれない。
それくらいに、僕は大学陸上に入れ込んでいたのだ。
ちなみに、卒業後の進路は決めてはいない。
教職課程を修了することで取り合えず教員免許は卒業と同時に取得できるらしいので卒業後は教師になる事も考えていた。
しかし、先ほども言ったように熱があるのは陸上競技の方なので教職関連の講義は程々にしようと思っていた。
父に「教員でも目指そうかな」と言った時、父はとても嬉しそうだった。
この大学を受験するに至って、僕は親には正直に陸上だけを続けるための進学するとは告げてはいない。
この大学で教員免許を取得して教師になる、という事を前提に大学進学を許してもらったのだ。
嘘をついたのである。
真剣に教師を目指そうとしている我が子の頑張りを応援してくれている父に、僕は、あろうことか嘘をついたのだ。
父は、あと数年で定年だ。
退職金は貰うが、貯蓄とマイホームのローンの全額返済に充てる為、お金の工面は大変だと言っていた。
そして、僕の通う大学は私立で、年に掛かる学費は100万を越える。それが四年間となれば、400万という大金だ。
だけど、父は心配するなと言って送り出してくれた。
母は、専業主婦から食堂のパートをやり始めた。
二人は、息子が父親のように立派な教師になる事を夢見て進学するのだ。ならば、私達も少しばかり頑張ろうではないか。―――そう思っている。僕は教師になる気はさらさらないのに。
二人の純粋な応援が嬉しかった。
それだけに、その期待を裏切ってしまっていて、本当に申し訳なかった。
『日本一になる』。
それが、僕が二人の期待を裏切った代価を帳消しにする道だと考えるようになった。
高校以上に研究と検証と、練習を重ねた。
講義もなるべく休まず、必修科目は落とさず、無欠席で真面目に勉学に励んだ。
奨学金は借りず、親からの仕送りも断り、学費以外のお金の工面は日雇いのバイトでカバーした。
筋肉トレーニングも行い、高校時代から体重を15キロ増やすほどの肉体改造だって行った。
スピードと、それをコントロールする肉体を四年間作り続けた。
娯楽も極力省いていたからか、同期からは「ノリが悪いな」と言われる事もあったけど、それは全て勝利する為なのだと自らに言い聞かせていた。
結果は徐々に付いてきていたが――――それでもダメだった。
ベストタイムを更新しても、大学の世界は高校とは比べ物にならないくらいのレベルの選手がそこら中に転がっていたのだ。
日本選手権の決勝にまで顔を出すような、いわゆるオリンピックを目指している者達が出てくるのである。
僕の隣には日本人ではない、外国から来た留学生が走る事もあった。
10秒90。
それが僕、山々田山能という陸上選手の速さの限界だった。
不必要な娯楽を、速くなるための不純物を可能な限りそぎ落としていった。血と汗によって形成されたと言っても過言ではない陸上競技の集大成はこの程度のタイムだったのだ。
当然、この程度の実力では、現代の大学陸上競技では準決勝に進めるかも怪しいレベルである。
大学最後の試合も、予選で強豪大学のエース三人が同じく組という最悪な組み合わせで行われ、僕は敢え無く予選落ちという形で大学陸上に幕を下ろした。
何もかも終わって、試合で使ったスパイクを片付けながらふと今までの道を振り返った。
振り返ったのは勿論、小学生から、今日この大学陸上最後の試合までの僕の道程の事である。
僕の走路には、何も栄光は無い。
インターハイ、インカレ、名だたるタイトルを持った大会に優勝、または入賞するどころか、出場することすらも叶わなかったのだ。
泥に塗れ、足掻くように走り続けた先の果てで、振り返った僕の道は泥が乾き、僕ががむしゃらに駆け抜けた歪な形をした足跡だけが残っている、荒野のような道だけだった。
僕は一体、何の為に走って来たんだろう。
肩の力が抜けた。
急に、熱が引いていくのが分かった。
心のどこかで何かが割れるような音がした。
それは、僕にとって
〇
夢は無限に見られるわけではないが、無限に変化することがある。
いきなり家の中にいたと思ったら、次の瞬間には木の上に登っていたり。
自分でも想像していなかった展開が毎秒毎に訪れることだってあるのが夢、と言う世界だ。
ならば、今僕がウマ娘の姿で芝生の上を走っているのも、東京レース場なのも、開催されてるレースが『日本ダービー』なのも、全て夢が見せている物なのだろう。
『さぁ!日本一のウマ娘を決めるレース、日本ダービーもいよいよ大詰めを迎えています!
先頭を進むのは依然として1番人気、ブラックサンダー!先行集団から2バ身離して第4コーナーを回る!残りは最後の直線525mだ!』
先頭を進む僕、ブラックサンダーは順調にリードをキープしている。
脚にも、呼吸にも余裕があり、最長の直線となっていてもこれなら走り切れてしまうのではないかと思ってしまうくらいに快速なレースだった。
「―――行くぞッ」
夢ならば、遠慮する必要はない。
残りの力を振り絞って全開のスパートを掛ける。
短距離走で言うなら、100mを走る感覚で最終加速段階に入る。
トップスピードだ。
風を切る感覚、僕自身が風になったみたいに。
気持ちがイイ、ずっと味わっていたいこの感覚。
ゴール板が見える。
アレだ。
アレがゴール。
あそこに最初に辿り着けた者が日本一のウマ娘の称号、『ダービーウマ娘』の名を手に入れることが出来る。
『日本一』。
僕が10年以上届かなかった、縁の無かった称号にようやく手が届く―――――。
「―――あれ?」
突如として起きた異変。
脚が、身体が鉛のように重くなった。
足の回転がまるで泥濘に嵌った自転車のように重くなり、スローモーションのように遅くなる。
皐月賞でも同じ事が起きた。
2000m、今の僕のスタミナの限界。今回の日本ダービーは前の皐月賞よりも400m長い。
僕のスタミナは既に枯渇していたのだ。
「――くそッ、あ、な、なんでッ!?」
重力魔法でも自分だけ掛けられているのか、空間が捻じ曲げられているのか、僕以外のウマ娘は快速だ。
直線に入った段階で、僕の後続に居たウマ娘達が容赦なく僕を追い抜いていく。
どんどん、どんどん他のウマ娘達との距離が離されていく。
ただ一人取り残されて、10人以上の背中を必死に追うも、僕だけは追いつけない。
置いて行かれる。
もう二度と、走れなくなるように、気力すらも奪われていく。
僕の努力は無駄だと。
僕の人生は無価値だったと。
僕の走りは無意味なのだと。
人からウマ娘になっても、それは変わらないと、そう言われているようで―――。
〇
「――ッ、グ、グラスッ、グラスッ……」
長い、辛い、悪夢のような時間を彷徨って、目を覚ました僕は見覚えのある天井を視界に入れたことで現実の世界に戻って来たのだと悟る。
意識は覚醒したばかり、頭は重く、身体は熱を帯びていて怠い。
自分が風邪を引いた身なのだと思い出させるには十分だ。
「トレーナーさん……?」
耳に聞こえる声に顔を傾けると、すぐ隣にはグラスワンダーが椅子に座って僕の看病をしてくれていた。
僕の部屋に何時からいたのだろうか、少なくとも外の景色はもう陽が落ち始めている。
今日はレースが終わった次の週だから平日のハズで、彼女は学園の授業と練習を終えてから来てくれたのか。
僕は、そんなグラスワンダーの手を掴んでいたことに気付いた。
大和撫子のように、滑らかな肌をした彼女の手から感じる温もりが、僕にグラスワンダーの存在を確かに認識させてくれる。
「グラス、グラス……いるのか、ここに…」
「ええ、グラスワンダーはここにいます」
力の入らない手で彼女の手を握ると、グラスワンダーが強く握り返してきてくれた。
確かめるように、教えてくれるように、刻むように、肌を通して伝わる熱は僕を安堵させてくれた。
「魘されていました」
僕の様子が落ち着くまで手を握り続けてくれたグラスワンダーがぽつりと呟く。
「様子を見に来たら、苦しそうにうわ言を……私は何もすることが出来ずでしたが」
「そ、そうか……あぁ、ごめん、迷惑かけたよな。大丈夫だよ」
名残惜しさを感じながら握ってくれていた手を僕の方から離して、身を起こす。
枕元には額に乗せていたタオルがズレ落ちていて、身体は大量の汗でべとべとだ。
買い置いていたペットボトルを手にしてキャップを開けようとする、が力が入らないのかキャップを摘まんだ指が滑ってしまい、上手く開けることが出来ない。
なんじゃこりゃ、ペットボトルも開けられないとかどこの三井寿だよ。今はスラムダンクパロなんてやってる場合じゃないだろ。
どうして俺はあんな無駄な時間を、と後悔する必要はないが、ウマ娘なのに開ける事も出来ないほどに衰弱している事に情けなさを感じてしまう。
「無理はしないでください」
そんな事を思っていると、グラスワンダーが僕からボトルを取ると簡単にキャップを開けて見せた。
そのボトルを僕の口元へと運んでいく。
「私が支えます」
労わる様に、慈しむ様に、ボトルの口を差し出すグラスワンダーは献身的だ。
僕としては、担当ウマ娘に気を遣ってしまっている事に非常に申し訳なく思う。
頭はそう理解していても、肉体はどうも限界が近いらしい。
ぼーっとする頭で、僕は小さく口を開けると、グラスワンダーはボトルの口を僕の口に当てて、ゆっくりと傾けながら水を流し込んだ。
彼女の手で送られる水量は決してむせることなく、僕の喉の動きをしっかり見て、どこで水を止めれば良いのかを既に心得ているのだろうか、彼女のお陰で快適に水を補給することが出来た。
「ふ……んくっ…」
「慌てないでください、ゆっくりと、落ち着いて……」
水をわざわわざ飲ませてもらっているこの状況はまるで介護されているみたいである。
しかし、グラスワンダーに介護されて人生を終える事が出来れば、僕は安らかに息を引き取ることが出来るだろう。それぐらいの安心感があるのだ。
「夢を見たんだ」
「夢……」
ゆっくりと、半分にも満たない量の水を飲み込んで気分が少しだけスッキリした僕は彼女に、グラスワンダーにそう言った。
彼女の前では隠し続けるのは難しいと思ったのだ。僕は意を決して、まだ鮮明に覚えている夢の内容を話す。
小学時代の事。
高校時代の事。
大学時代の事。
これから始まる日本ダービーの事。
そして―――、
「日本ダービーが終わって、お前がさ、トレセン学園から居なくなる夢を見たんだ」
レースで敗北し、闘志を取り戻せなくなってしまったグラスワンダーがトレセン学園から、僕の前から姿を消す最悪の夢を見てしまったのだ。
「今の僕じゃ、次の日本ダービーには勝てない」
スタミナの問題。
2400mを走り切れないという現実が、容赦なく僕に襲ってくる。
年間数ある中の一つのレースだ、と考えるのが間違いないが、僕が見た夢がその敗北の行く末がバッドエンドへと繋がらせようとする。
「次僕が負けたら、お前が……グラスが居なくなってしまう、そんな事ばかりが浮かんでしまうんだ」
あくまで夢の内容なのに、あろうことか、僕は鵜呑みにしようとしてしまっている。
最悪の上に最悪が重なる事が、必然のように感じてしまっている。
「おかしいよな、あれだけ僕の走りでお前を復活させると豪語しておきながらさ、今の僕は走る事に、恐怖を感じてる……怖いんだ」
精神を蝕む恐怖。
過去の失敗が尾を引いて、現在の心に重しとなっている。
それは競技パフォーマンスに酷く影響し、場合によっては選手生命すらも危うくさせる……一種の
「僕なんかが、走らなければと思ってしまう。
僕なんかは、走っても無駄だと思ってしまう。
僕には、トゥインクルシリーズは相応しくない世界だと思ってしまう」
これまでの結果が、そうだったから。
どれだけ努力しても、結果がともわないものばかりだったから。
勝者が居れば、その枠に入れなかった敗者が溢れているのは分かっていたハズなのに。
ただ速さだけを追い求めてきた僕の人生は、終わってみれば、無意味なものだったと気付かされて。
大学を卒業するまでの僕は、本当に走る事が嫌いになっていた。
暫くしてその傷は塞がったが、突発的に見た先ほどの夢で心の傷が再発したのだろう。
簡単に言えば、今の僕は超ネガティブ状態なのだ。
「こうして、お前を不安にさせるような言葉をずっと口にしている……。
情けないトレーナーで、情けないウマ娘で――――」
ほんとうに、どうしようもないと口にしようとして、それは遮られた。
僕の額に、ぽふりと制服の布地が擦れるのと柔らかい感触が当たる。
グラスワンダーが、僕の頭をそっと、自身の胸に抱き寄せていたのだ。
明日はマイルチャンピオンシップなので早めに寝ますね
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