――――京都レース場。
淀の坂と呼ばれる高低差4.3メートルの坂が存在するレース場は異様な熱気に包まれていた。
観客席は下から上まで全てが埋まっており、この日を待ち望んでいたかのような顔を浮かべてその視線をこれから入場するであろうウマ娘達の立つターフへと注いでいる。
今日はトゥインクルシリーズの前期総決算とも呼ばれるG1レース、『宝塚記念』の日だ。
通常のG1レースとは異なり、前期におけるファンからの投票によって出走権利を得られるウマ娘にとって栄誉あるグランプリレース。
「ライス、体調の方は?」
「もう、お兄様は心配し過ぎだよ。パドックでもウォーミングアップの時も大丈夫だったんだから」
レースの始まりはまだ先で、控室にて勝負服を着替え終わった矢先。
その待ち時間にてライスシャワーとトレーナーはいた。
トレーナーはやけに心配した顔である。
いつもは「頑張ってこい」と送り出してくれるのだが、今日は何かを感じ取っているのかライスシャワーの身を案じる言葉ばかりだ。
「お兄様、前のレースで……天皇賞春でライスが疲れてないか心配なんだよね?
たしかに、あの後は脚も重かったし、少し走りづらかったけどお兄様のメニューはこなせたし、今日は体調だって良いから!」
メジロマックイーンの春の天皇賞3連覇という偉業を阻んだライスシャワーのその後のレース戦績は不調だった。
その年の瀬の有馬記念には出れたものの、次の年のレースも振るわなかった。
だが、ライバル達との懸命な特訓の甲斐もあり、ライスシャワーは再び天皇賞春にて出走し、1位を掴み取り、復活を遂げた。
「それに、ライスは応えたいんだ……ライスを選んでくれたファンの皆の期待に」
復活を遂げた天皇賞春で、ライスシャワーの勝利をファンの誰もが祝福した。
ゴール直後に京都の空へと舞った色鮮やかな紙吹雪の光景と、割れんばかりの歓声をライスシャワーは今でも思い出すだけで、胸が暖かくなる。
ヒールと呼ばれ、関東の刺客と呼ばれていたウマ娘、ライスシャワーはそこにはおらず、ただ復活を待ち望まれていたウマ娘、ライスシャワーがいた。
だからこの宝塚記念も、1番人気で選んでくれたファンの為にもライスシャワーは絶対に走ると決めていたのだ。
疲れが残っていたとしても、自分を支えてくれた者達に応えるために、強い意志で走ると。
「ライスはね、ライスを応援してくれるたくさんの人の為にがんばるから!」
ライスシャワーの言葉に不安を覚えていたトレーナーとサブトレーナーは次第に顔を明るくして、いつもの調子に戻った。いつもの笑顔に戻るとそのままライスシャワーをレース場へと送り出してくれた。
ライスシャワー自身もレース場のスタッフに呼ばれて、地下通路へと向かって行った。
・・・・・皆、見ててね。
スタート地点のゲートに次々とウマ娘達がゲート入りしていく中、ライスシャワーは観客席を見る。
トレーナーや、サブトレーナー、理事長やメジロマックイーンやミホノブルボンなどの見知った顔もある。
周囲の視線にもう怖気づく事は無くなった。
今はただ、その人達の期待を背負って走りたい。
『さぁ、今年もあなたの、そして私の夢が走る宝塚記念がスタートします!』
そして勢いよくゲートが開くと同時、ライスシャワーは力強く地を踏み込んでターフへと駆けだしていった。
〇
雨が降っていた。
それは昼の快晴が嘘のように、太陽は雨雲に遮られ、大粒の雨水が地面を叩き始めて。
突如として振り出した大雨に外にいた者達は身を濡らしながら慌てて近くの建物へと避難する。
「……」
外でチームの備品の買い出しをしていたライスシャワーも、その一人だ。
しかし、建物ではなく、ライスシャワーは近場の公園へと逃げ込んでいた。
練習で傷んで使えなくなったタオルの補充やドリンクの粉、たーちゃんとそーちゃんの要望品などが入った袋を屋根付きの休憩エリアに設置されている椅子の上に置いている。
袋は縛っているので水が中に入るのを防いでいたのか、中身はまだ濡れていない。だが、ライスシャワー本人はずぶ濡れだ。
勿論、今日の天気予報を見ていなかった訳ではない。
この時間帯に振ってくるだろうという事はライスシャワーも把握し、トレセン学園の購買部で買ったビニール傘を携行して買い出しへ繰り出した。
しかし、ビニール傘はライスシャワーが買い物中に置いていた傘立てからいつの間にか抜き取られており、雨が降る前にタクシーで帰ろうとしたところ小銭袋をどこかに落としてしまい、トレーナーに連絡をしようにもスマホの電源が落ちるという事態に見舞われ、あれよあれよと時が経ち、結局ずぶ濡れが避けられない現状となってしまう。
「不幸……だ」
と、心の底からライスシャワーは思っていた事を口にした。
この負の連鎖に見舞われるのなんて、右手に幻想殺しを宿したラノベ作品の主人公みたいだ。
普段からこういったトラブルに見舞われ続けている事なんて、日常茶飯事で慣れてきたものだが、今日はタイミングが悪い。
『ミホノブルボンさん!今季限りでトゥインクルシリーズを引退するというのは本当ですか!?』
『はい。私、ミホノブルボンは次の宝塚記念を最後にこのトゥインクルシリーズを引退します』
『トゥインクシリーズ引退後は、ドリームトロフィーリーグへの移籍、という事でしょうか!?』
『……いいえ、ドリームトロフィーリーグには移籍しません。私のレース人生は宝塚記念がラストレースとなります』
ミホノブルボンの勝利したレースで突如として宣言された彼女の引退宣言。
菊花賞後のレースで復帰して、その年の有馬記念にも出場し、勝利もした復活のウマ娘、ミホノブルボンの記者会見はトレセン学園とレース界を揺るがした。
ライスシャワーは訳が分からなかった。
なぜ、彼女が引退を決意したのか。
大きな怪我もしているようには見えない。
ここ最近の状態も全てが好調で、引退を示唆するような要素は何一つなかった筈だ。
自分にも相談も無く、彼女はそう決めてしまった。
そしてメディアにも大きく宣言してしまった。
―――『もう一度、貴女と一緒に走りたい』。
約束は。
約束はどうなったのだ、とライスシャワーは問わずにはいられない。
だけど、
「……っ!」
ズキン、とライスシャワーは己の左脚に痛みが走るのを感じ、触れる。
気温が低い日は体温も冷えて血流が悪くなるせいか、療養中の怪我や昔の古傷が痛みを誘発するのだ。
ライスシャワーの古傷が痛む。
生きている事が奇跡、と後にそう呼ばれる程の大怪我をライスシャワーはしたのだ。
宝塚記念のレース中、中団につけていたライスシャワーは位置をあげる為に加速をつけて前へと出ようとした。
天皇賞春での疲労が抜け切れていなかったのか、今ひとつスピードに乗れていなかった。無理やりな加速だったが必要なペースアップだった。
第3コーナー付近、嫌な音が聞こえたのをライスシャワーは憶えている。
ピキッ、というひび割れの音ではなく、一本丸々とボギッと折れたような音がして。
レース中にも関わらず冷や汗を浮かべたライスシャワーは次の瞬間に脚に力が入らなくなったのを感じて。
踏ん張ろうとして、左足を前に出そうとして、でも身体が大きく沈んで、転んだ。
60kmを越えるスピードで地面に叩きつけられ。
どんどんと、後方のウマ娘が自分を追い抜いていき、先頭のウマ娘達と距離を離されていく中でライスシャワーは他に転んだ娘がいないのを確認していた。
周りから悲鳴なのか、歓声なのか、混じったものが朧気ながら聞こえてきていた。
自分の脚を確認する暇もなく、誰かが近くで叫んでいるが何を言っているか分からず、ライスシャワーは意識を手放した。
骨折したと聞かされたのは目が覚めてからの事だ。
折れた左脚は骨が突き出るほどの酷いもので本当に命に関わる状態だったらしい。
『歩けるようにはなります……通常の生活も問題ありません…ですが、ランニングやレースは……』
ウマ娘にとって骨折とは、命に関わる恐怖の怪我である。
レース中の骨折で競技人生を終わったウマ娘は少なくない。
あれから、ライスシャワーは走っていない。走る事が出来ないのだ。
そして、ミホノブルボンは引退の真相を聞こうとすると逃げるように消えてしまう。
走れないライスシャワーでは、走る事の出来るミホノブルボンを追い駆ける事が出来ない。
彼女と会話できないという状態がもうすぐ一か月になろうとしている。
勿論、ミホノブルボンのトレーナーにはライスシャワーのトレーナーからコンタクトを取って確認しているが返答は「これが彼女の選択だ」という事だ。
「もしかして、ライスの、せい……?ライスが怪我しちゃったから?」
一緒に走ろう、と言っていたのに大きな怪我をしてしまったから。
全盛期のスピードも、体力もおとろえてしまっているから。
レースに復帰するのは難しいという診断が下されているから。
そんな自分とレースをする意味が無いと、ミホノブルボンは思ってしまったのではないだろうか。
だから、強者であるミホノブルボンは口も利かずに引退しようとしているのではないだろうか。
そんな、そんなことはない。
彼女の熱意をライスシャワーは憶えている。
彼女と交わした約束を互いに覚えている筈。
ミホノブルボンがそんな事を思う筈がないのに……、
「う……うぅ…っ…ぃゃ…いなく、ならないで」
ミホノブルボンが、大切な存在が消えていく光景がライスシャワーの脳裏を過ぎる。
空を覆う闇の雲はライスシャワーの心すらも覆い、暗い影を作る。
不安と絶望から、マイナス思考を振り切る事が出来ず、悪いのは自分なのだと決めつけてしまう昔の癖が出てきてしまう。
「やだ、やだよぅ……ブルボンさん…!」
気づけば瞳から溢れ出す涙を抑えきれなくなったライスシャワーは空を見上げた。
風は吹きすさび、雨は容赦なく音を強め、空という存在はまるでライスシャワーを嘲笑うかのようだった。
このまま、お別れなんてしたくない。
もう一度、二人で話をしたい。
彼女が何を思っているのか知りたい。教えて欲しい。
でも、走れない自分にはどうすることも出来ない。
逃げるミホノブルボンを追い駆ける事も出来ない。
自分は無力な存在だと、ライスシャワーは思った。
何も出来ない。
何も出来ないのだ。
自分は、魔法を使う事が出来なくなった魔法使いだから。
「お願い……誰か」
何かに縋る様に、祈る様にライスシャワーは呟く。
どうか自分の願いを聞いて欲しいと。
三女神様がこの願いを聞いていたなら、叶えてほしいと。
「たす、けて……だれ、か」
その瞬間、光と共に轟音が暗い空へと鳴り響く。
耳をつんざく聞き慣れない音に思わずライスシャワーは身を屈めた。
自分の祈りすらも届かせないかのような、そんな雷だった。
為すすべなく、と言ったところかライスシャワーの顔から生気が失せていく。
もう駄目なのだ。どうすることも出来ないのだと。
これが運命なのだとしたら、それを受け入れるしかない、そう思った時。
「どうした、ライスシャワー」
心を閉ざそうとして、声が聞こえた。
お兄様でもない、お姉様の声でもない。ましてや、ミホノブルボンでもない。
だけど、その人は自分の事を知っていて、ライスシャワー自身もその人の事を知っている……そんな気がした。
「ブラック、サンダーさん?」
腰まで伸びた青鹿毛の髪と、金色の瞳のウマ娘、ブラックサンダーは砕けた笑みを浮かべてライスシャワーへと言う。
「ああ。指輪の魔法使い、ブラックサンダーはここにいるぜ」
薔薇の少女は雨の中、胡散臭い魔法使いと出会った。
健気な少女が心折れて曇る……私の好きなシチュエーションです。
今のライスならファントム無限に生み出せそう。
暗い展開だけど変な奴が来たから大丈夫だ!
この作品であなたが気になるウマ娘は?(略、今あの娘どうしてるの?
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