「素晴らしい」
トレセン学園、液晶テレビの画面をアグネスタキオンは狂気に染まった顔で見つめていた。
画面の中、スパートをかけたミホノブルボンの兆候に誰よりも気付き、速度を上げながら最終的に第4コーナーで並んだ光景はこのレースを見ていた全ての者を驚愕させたに違いない。
「ハナを取りきれないから一時はどうなるかと思ったがミホノブルボンの後で控えて彼女をマークしていたことが功を奏したようだねぇ。しかし大した物だ。淀の坂でミホノブルボンの突き放すスパートについて行くとは……ダービー前にひたすら坂路練習を積んだ成果が出て来いるようで何よりだ」
しかも、
「坂を超えた直後から息を整えないでそのまま下坂に突っ込むとは……ワンテンポ早いタイミングでミホノブルボンと距離を詰めるだけでなく、コーナーまで加速し続けた。普通なら遠心力の関係で身体は大きく外へと振られ、距離を大きくロスする可能性だってある。だがブラックサンダーのコーナーリングは見事なものだと言わざるを得ない」
ガリッ、ガリッ、ボリッ!
カツカツカツカツカツカツ!
右手に持つチョコレート菓子を口へと放り込む。頭を使う科学者にとって糖分は必須だ。
スルメを咀嚼するかの如く無我夢中で噛み砕いている、しがみつく椅子の足元では己の足のつま先が疼きを隠せないかのように床面を小突いている。
「あぁ!嘆かわしい、イジらしい、喧しい、こんな気持ちになったのは久しぶりだよブラックサンダー!」
研究対象のウマ娘が着実に自身の研究に対する成果を見せているのだから喜ばしいこと限りがないはずだが、アグネスタキオンは口に広がるビターチョコレートの苦味を噛み潰しては喉の奥へと押し込んだ。
これは現地でこの光景を見ることができなかったことに対する後悔だろうか。
テレビの電子音で伝わるレース場の喧騒がこれほど妬ましく思ったことはない。
まるで画面の向こう側からこちらにでも来いと言わんばかりの熱にアグネスタキオンは白衣の袖を握りしめる。
まだ、未練があるとでも言うのだろうか。あの緑のターフと、熱狂溢れる空間に。
⚪︎
熱を辿った。それは前を行く、ミホノブルボンの熱だった。
最後の力を振り絞り、すべての者たちを振り切らんとする覚悟の熱を追って、僕はひたすらその軌跡をなぞった。
坂前の仕掛けから彼女の背後を追走した。空気抵抗の少ない背後、スリップストリームによるスタミナとスピードの維持。
ダービー前に嫌と言うほど走り抜けた地獄の登坂練習がミホノブルボンとの距離を1バ身以内に収めることが出来ている。
坂を登ってはや下り坂、息継ぎなど必要ない。その分をミホノブルボンとの距離を縮めることに費やして、さらに半歩、彼女に肉薄する。
重心が自然と前に倒れる。不規則な加速が生み出され、顎が上がりそうになるのを必死に堪える。
顔に降りかかる土塊がまるで石のように硬くなり、僕の顔を打ちつける。きっとレースが終われば、僕の顔は傷だらけだ。
だけど進むのだ。
この程度の礫に臆していては、痛みに耐えられなければ、追いつくことも、勝利することもままならない。
「加速をーーー、速さをーーースピードを」
まだ速さが足りない。
手を伸ばせば届きそうなのに、ミホノブルボンとの距離が縮まらないのは、僕がまだ恐怖しているからだ。
今はコーナー中、過度な加速は最後の直掩を前に大きく膨れて距離ロスを起こす可能性がある。シンボリルドルフとの模擬レースの二の舞になるだけだ。
だけど、恐怖して足踏みなどできない。していられない。
思考はするな、すべて直感で掴み取れ。己の感じるままに進め。
己の形を速さに特化した形状へ。
足の回転をコーナーへ併せろ。スピードロスにならない、むしろそのまま加速しろ。
意識は風に溶け込み、速さという概念へ至レ。
最高速のウマ娘は最後のコーナーへ足を踏む。
ガリガリと芝を削る足の悲鳴が聞こえる。
まるで敷かれたレールを走るハイスピードの滑車台が窮屈なカーブを曲がるかのような感覚。
体を斜めに、必死に重力に抗う。抗える限界角度まで、軸足が折れるのではないのかと危ぶまれるくらいに。
「曲がれぇぇぇ!!!」
耐える。
堪える。
耐えて、堪えて、身体はついに前へと跳ねた。
まだかまだかと待ちかねた、力一杯押し込まれたバネが弾けるかのような力と共に黒鹿毛の体が飛び跳ねる。
もうミホノブルボンとの距離は目と鼻の先、というか、ほぼ真横であった。
もう何も考えることはない。
条件はすべて成した。上がるべき土俵には届いた自信がある。
追うべき者は目の前に、というかもう真横に。
ならば後は追い抜いて、置き去るだけ。
『最後の直線!真っ向勝負の追い比べ!ミホノブルボンとブラックサンダー!互いに鎬を削る!ミホノブルボン、前は譲らない!リードを取る、が!ブラックサンダー負け時と喰らい付く!勝負の行く末は、ゴールするまで分からなくなりました!抜きつ抜かれつの攻防!ラストランの花道を飾れるかミホノブルボン!下剋上を成し遂げるか時代の風雲児ブラックサンダー!!」
「・・・・ッッ!!」
ミホノブルボンが少しだけ前に行くならば、
「ッッ!!」
僕が再び真横へ。それを数度繰り返してさらに前へ。
「あの2人、譲らねぇ!」
まるで並走のような光景。
互いの走りが影響を与え合い、本来ウマ娘が備えている内なる闘争本能を刺激する。
相手がギアを上げたなら、こちらも負けじとギアを上げ返す。
肉体の強度を度外視した走りは危険だ。肉体に想像以上の負荷がかかる。
プチっ、プチっ、と身体のどこかで筋繊維がちぎれてく感覚がある。
張り詰めていたゴムが一つ一つ張力を失い、しなだれていくように。
だけど、残った筋繊維が失った部分を補おうとなお堪え続ける。
まだまだと、まだまだ僕はお前より速くなれると。
だから、最後まで出し切れ。限界を超えて、その先へ。
『僅かに!僅かにブラックサンダー前へ出たか!?新旧皐月賞ウマ娘の戦いに決着か!?宝塚記念初の快挙なるかブラックサンダー!?ここまでかミホノブルボン!!』
「うわーブルボン!諦めないでくれー!最後まで勝ってくれー!」
否。ミホノブルボンがここまでな訳がない。競り合いの中で感じた。彼女は絶対に譲ったりはしない。
「ま、だ・・・・ッッ!!」
まだ眼は死んじゃいない。ここまで、とか諦めないで、とか言ってくれるなよな。
最後まで走るウマ娘に、失礼だろうが。
「ブラックサン、ダー・・・・ッッ!!」
その両の瞳には青い炎が宿ったように輝いていて。
でもギラギラと、勝利を手にせんと泥のようにへばりつく渇望があって。
僕なんかより、ずっと負けず嫌いで。勝ちたいという気持ちが強くて。
まだ終わりたくないって、まだ走っていたい。そんな顔をしていた。
「ミホノブルボン再び並ぶ!ブラックサンダーが前に出る!ああっと内からミホノブルボン差し返す!!
快挙か!?花道か!?王者の意地か!?下剋上か!?内か!?外か!?これは大接戦!大接戦ーーーーー!!!」
熱が、呼吸が、想いが一つに。
まるで一つの大きな生き物になって。
もう前だけしか見ていられなくなって。
脚を伸ばして、体を大きく前に倒して、どんなことをしてでも勝ってやるって姿勢だったと思う。
多分それは、ミホノブルボンも同じだったんじゃないかって。
『ゴォォォル!!!宝塚記念を制したのは、2番、ミホノブルボン!ミホノブルボンです!最強を証明しましたミホノブルボン!2着はブラックサンダー!僅かに、僅かにですが届きませんでしたが、今年のクラシックウマ娘が大きな爪跡を残しました!3着はーーーーーー』
レースを勝ったのは、紛れもなくミホノブルボンで、僕はそのレースに負けたのだった。
その事実だけが、京都の空に大歓声と共に鳴り響いていた。
この作品のヒロインであり、私のヒーローである実馬のグラスワンダーが今年の夏に亡くなったのを聞いて、ショックを隠し切れませんでした。ちょうど私は旅行で新潟県に行き、新潟競馬場でアイビスサマーダッシュを観て執筆意欲を充填して旅行を満喫してきた矢先。30歳という年齢は大往生だと思います。そして彼の血を継いだ競走馬も素晴らしい戦績を残し続けていることは今後の競馬界を盛り上げて続けてくれることでしょう。
やはり、推しには会えるときに会いに行ったほうがいいですね。来年こそは北海道の地を訪れて、多くの競走馬さんに会いに行きたいと思います。
では、また来年も不定期になりがちですがよろしくお願いします。
この作品であなたが気になるウマ娘は?(略、今あの娘どうしてるの?
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