そらごとのひめごと 作:カラオケで90点出せない
今後も増えると思います。
苦手な方はブラウザバックをお願いします。
野宿のときの視線を知ることは残念ながらなかったが、廃墟という場所が劣悪な環境だということはよく理解した。
漫画やらなにかしらの物語で廃墟で寝泊まりするキャラというものは意外といる。
そのため実は意外と快適なのかもしれないと思って期待していたのだが、そういうわけではないようでがっかりだ。
こうしていざホームレス生活を行ってみると、思ったよりも自分が適応できていることにびっくりする。
まぁ、これは輪廻と名乗るあの奇妙なヒトガタ生命体がいてこそのことなのだが。
特に食事問題が
食事はいらない、排泄もいらない。人間をやめているような気分だ。
何度も床に倒れた体でも悪臭なく清潔さが保たれているのだ。
ファンタジーである。
服の問題は、少し悩ましい。
基本的には使い潰しのきくシャツを着てしのいでいる。身にまとうのはそれ一枚だ。
すぐに血まみれになるので、交換頻度は高め。
……ちなみに食事問題が自分には、ということはつまり、相方のほうは必要だということである。
刹那輪廻は人間じゃないため、お金を求めて駆けずるということはないし、乞食をすることもない。
一般的な
「──ま、まってっ、まってっ、それ以上むりだってっっっ」
「いいやいける。
「おまえは致命的なところを勘違いしてるっ、人の腹は穴をあけるものじゃないんだってっ、んぎゅっっっ!」
「いい悲鳴だ。4点。落第だからこのままかっさばくぞ」
「いやだ、ぜったいいやだ、やめろ、やめろっ」
「いい表情だ。30点。落第。オマエは被虐のセンスがなさすぎる」
体を両断するように、男の長く鋭利な
肌の上を滑ると、おかしなほどに深々と切り傷が刻まれた。
そして切れた傷に手が突っ込まれる。それだけで情けないほどの悲鳴をこぼしてしまうのだ。
どうしてこんなことになったのだろう?
おれ、何か悪いことしたかなぁ。
そんなことを思って現実逃避をしようとしても、骨をキリキリと爪で擦られたら、痛み以外頭から立ち消えてしまうのだ。
「ひぐっ、ああああああああっっっ」
「いい目をしている。喉が潰れるくらい叫んでくれたらよかったのにな。2点。落第。でも俺はすごく優しいから、いじめるのはそこそこで終わらせてやる」
まったく関係のないはずの胸に手を突き入れられた。
素手だというのに人の肉を容易く削っているということは、この際そういうものだとおいておく。
「心臓はっ、だめっ、だろっっっ!」
「いい脈拍だ。100点。腹の中をいじられてここまで生き生きしているのも珍しいな。いいぞ」
おれの反論を待たずして、「いただきます」と言ったヤツは、そのまま腹の中から取り出したものに口をつけた。
ながく伸びたそれを引っ張って、噛みちぎる。意外と噛まれるときには痛みがなかった。
どっちかというと引っ張られているほうが痛いくらいだ。
「まずい」
食事後に、男はそういった。
おれはというと、打ち捨てられた魚のように地面にぺたんと張り付いているだけ。
脳を刺す痛みが大変なことになっている。そのせいで、体は回復しかけているのだが、全身が震えて一切動くことができない。
「こうして見ると……事後みたいだな」
「しね……」
そんな言葉も、震えてほとんど音にならなかったが、どうやら憎きこのやろうにはちゃんと聞こえたようで。
まだ癒えていない腹の穴に、手を突っ込まれてぐちぐちといじられた。
「反応が薄いとつまらねー」
触れられた時点で、体がどうしようもないほど勝手にびくびくと痙攣した。
目がぐりんと上を向いて意識をどうにかそらそうとする。無理だ。
どうやらおれは痛みで気絶できない体にされてしまったらしい。
「……はー、はー、はー」
どうにか体を動かせるようになって。
「まだ体の中すっかすかな気がする……きもちわる……」
「もう一回触れてやろうか?」
「またあしたどうせやるんでしょ……」
食事と称して行われるこの拷問(?)は、一日一回行われる。
すっからかんになったかのような腹を撫でさすりながら、ここ最近ついてばかりのためいきをまた一つついた。
床に倒れて煤けた服を叩いて、床に崩れ落ちるように座り込む。
腕や足をぴんと張っていたせいで、手が張ったように痛い。そのため意図的に曲げることで休ませる。
しばらくそうしていた。
いい具合に体が落ち着いてきたため、立ち上がって割れた窓の外を覗く。
実のところひどく臆病な自分は、今こうして過ごしている廃墟に入るときも怖かったものだ。
夜なんかは特に、なにか恐ろしいものが出てくるのではないかと想像してはぞっとした。
実際に出たのは刹那輪廻を名乗る妙ちきりんな男と、自分の内臓くらい。
ため息。
必要に駆られてのことだったとはいえ、崩れかけの廃墟であり立入禁止の札がある密室だ。
ここでどんなことが起こったとしても、誰も助けてなどくれない。
「……早まったかなぁ」
どうせ自分はあの男から逃げられないんだからと、この廃墟を言い出したのは自分自身だ。
そこで諦めずに、ちゃんと逃げる方法を考えていたほうがよかったのだろうか。
少なくとも人目があれば、こんな猟奇的な目にはあっては──訂正、どうせ人目を避けて行うに決まっている。
「何を見てる?」
「なにも。ただ風を浴びてるだけ」
廃墟の煙たい空気は、ぼーっとしていると肺に溜まっていく気がしてよくない。
一夜を明かすとホコリで喉ががさがさになる。
すぐに治るのだが。
しかし治るとしても、不快感は少なからず感じるものだ。
無駄だと思いつつ、なるべく避けたいと思うのは普通じゃないだろうか。
「さて」
と、刹那輪廻は言い出した。
「目下最大の問題は金がないことだな」
「うん?」
あんまりにいきなり話し始めたから、理解が及ばずに間抜けな疑問を声にしてしまった。
そんなこちらの様子には興味がないようで、懐からなにかを引っ張り出す男。
彼はなにか袋に入った粉のようなものを持ち出した。
「これが解決策だ」
ふと思い出したのは、つい先日おれがこいつと面識を持ってしまった日のこと。
部屋が煙に包まれたときのことだ。
あのときは妙に意識が高揚したような。
嫌な予感が一つの想像にたどり着いた。
背筋が冷えた気分だ。真面目な素行のいち市民である自分は、犯罪の中でも特に凶悪なそれを目の前にしてじっとしていられるほど不良ではない。
「おまわりさ──んぐっ」
袋ごと顔面に叩きつけられた。
襲いくる感覚に身構え、そして身構えた感覚がくる前に窓枠に頭を思いっきりぶつけられる。
頭蓋骨が割れるような音が頭の中で響いた気がした。
そのまま勢いのまま床に倒れ伏す。かろうじて動く手で頭に振れると、凹んでいるのがはっきりわかった。
血がどばっと、大きく裂けた傷から溢れ出す。
いきなりの出来事に混乱したままのおれの胸の上に男は座り、そのまま大きな手で俺の頭を撫でた。
「別に薬物とかじゃあない。一切証拠が出ない、安全な
「薬物ぅ……ぅぎゃっ」
手がでかいやつのアイアンクローは痛い。
「別にいいだろう? 俺たちは金がほしい。相手は高額転売したい。WIN-WINだ。いわゆるOEMというものに似ているな」
「おれからしたら人道を外れることに嫌悪感があるんですぅー」
「はっはっは、オマエの意見なんて聞いていない。適当に売りつける相手を捜しにいくぞ」
「あっ、ちょっ、抱っこやめろ! おれを抱き殺す気だろ!?」
「よくわかったな、偉い」
「褒められたってうれしくない!」
そしてさっそく相手を発見して、売り込んで。
取引終了後、手元に残る金はたった四万円だった。
「……これは多いのか? 少ないのか?」
「少ない。と思う……5キロくらい売ったよね。ちょっとまって、調べてみる」
スマホを使って検索する。
すると、コカイン1キロにつき六千万円ほどということがわかった。
「めちゃくちゃ買い叩かれてるね」
「なるほど、嘗められてるな」
ちなみに効果をちゃんと確かめさせてからの取引であり、ちゃんと(?)麻薬と偽って売ったのでそれはもう驚くくらいである。
おそらくこちらがこういうことに慣れていないということを見抜いていたのだろう。
そもそも相手も冗談のつもりだったのかもしれない。
それを通したのはこちら。
自業自得では? という意思をこめて男を睨むと彼は無造作に人の目に指を突っ込んできた。
指で感触を確かめるように、撫で擦るように弄ぶ。
「うぎゃっ、ちょっと、ストップ、ストップッ! なんか痛い! 怖いし、気持ち悪い! おれが悪かったから!」
「さーて、どう落とし前をつけようか」
こちらの涙で濡れた指をぺろりと舐めて、男はあぐらをかいた膝に肘を乗せて頬杖をついた。
おれをいじめる方法を考えているのかと思って体が勝手に震える。
仕方ない。
もともと臆病な自分だ。ここ最近のことがトラウマになったって仕方ない。
だって痛いし、つらいし、苦しいのだ。
いっそ死んだほうがマシかもしれない、と思うことはあるのだが、それでも死にたくない自分が出てきてしまう。
今もこうして惨めったらしくも生きているのは、きっとおれがまだ何も
──あるいは何者でもないからだろうか。
自分の中には『本当』がない。
誰でもない。
今ここにいるものはたしかに自分かもしれないが、その自分というものはまだ何にもなれていない。
ただの誰かの焼き直し。平均的現代人という中身をそのまま平均的な筐体に入れただけのような、そのくらいのどこにでもあるようなものでしかない。
だから自分は死にたくない。
おれは、わたしは、ぼくは、心の底から死にたくないのだ。
「奴隷。オマエはどうだ?」
「えっ、何? 聞いてなかった」
内心びくびくしながらそういえば、「だろうな」と刹那輪廻は言った。
「自分が何者でもない。ほとんどのものがそうだろう。悩むだけ無駄だぞ」
「…………」
驚いた。
人をいじめることが大好きなこいつが、まさか人を慰めるようなことを言うなんて。
少しして、「それもそうか」と思い直す。
こいつの目的は自己の確立。同様の悩みが見ていられなかった、というところだろう。
「自分が何かになるには明確な個人を世界に知らしめてやるしかない。鮮烈に焼け付くくらいの何かをやるしかないんだ」
「……へー」
「で、これからやることはそれができる可能性があるんだが。──乗るか?」
刹那輪廻はこちらをじっと見つめてそう言った。
様子を見るに、別に自分が乗らなくとも勝手に一人でやってしまうのだろう。
そんな目をしている。
わざわざこちらに聞いてくるのは、ひょっとして気を使ったのだろうか。
こいつが。
自分に。
気を使った?
「……らしくない。おれは奴隷なんだろ? 無理やり引っ張っていくのが『刹那輪廻』ってやつじゃないのか?」
「なるほど。オマエには俺がそう見えているんだな」
彼はこちらの首をむんずと掴み上げて、無理やり目線をあわせてきた。
まるで猫のように持ち上げられる自分は、じっと見つめられることに耐えきれず「にゃーん」と鳴いた。
「よし、行くぞ。俺を舐め腐ったやつらをぶち殺してやろう」
「……えっ」
麻薬のときにほとんど諦めていたが、またしてもガチ犯罪系である。
「──あっはっはっはっは!」
結論から言うと、刹那輪廻を名乗るバケモノは容易く報復を果たした。
「最高の気分だな。害虫駆除が好きというわけでもないのだが。これはどういう心境の変化だろうな?」
「…………」
死~ん。
とあるビルの一室。そこはまさに死屍累々という有様を呈している。
血と臓物と、その他様々な内容物なんかが撒き散らされているその中に、一つ倒れている妙にきれいな死体がじっと男を眺めている。
自分である。
「オマエはどうだった? 楽しかったか?」
その言葉は、間違いなくこちらに向けられていた。
おれはほんの少し迷って、素直なく気持ちを口にすることにした。
「わからない」
自分は手を下していない。
盾と武器に使われただけである。
どういう使われ方をしたのかは……あまり語りたくない。思い出すだけで痛いからだ。
まだじくじくと残る体の痛みに顔をしかめながら、起き上がった。
「……でも、なんだろ。なんか清々しい気がするよ」
「…………」
刹那輪廻は驚いたようにこちらを見下ろす。
異常に背が高い男がこちらを眺めると、なんというかすごく怖い。
何か変なことを言ったか、と思って、言ったのだと思い直した。
「……オマエ、頭おかしいんじゃねぇの?」
「おまえに言われたくないよ」
「人間は俺からしたらゴミだ。けれどオマエは違うだろう?」
「おれからしても、ううん、人からしても他人って、似たようなものだと思うよ」
別に自分が特別だとは思わない。
悪臭やら、なんやらの不快感は当然ある。心臓は顔を真っ赤にするくらいに脈動するし、つられて泣きそうにもなる。
吐き気がするのも事実だ。胃はからっぽだからなにも出てこないが。
けれど、それはまた別の話であって。
なんというか、意外なくらいにせいせいしたという気分が湧いてくるのだ。
「だって、おれはおれで。おれの世界はおれの中でしか成立しないんだもん。
他人を入れてる余地なんて、これっぽっちもないでしょ」
これが偽らざる自分の本音。
人死を目の当たりにして、自分自身の存在にすこしだけ実感が持てたのだ。
おれは■■■。
今のところは何者でもない存在なのかもしれないけれど、それでも。
おれは確かにここに生きている。
生きているのだ。この瞬間も。
「ありがとうね、輪廻」
「俺は自分の好きにしただけだ」
「じゃあおれも、感謝したかったんだちょうど」
「へぇ」
今の生活は、はっきりいってイヤだ。
痛いのはイヤだし、苦しいのもイヤだ。
だから、こうして自分自身の存在を、その片鱗でも見つけることができたとしても、もとの生活に戻りたいという思いは変わらない。
「ほんとに、ほんとに、ありがとね。輪廻」
それはそれとして、この感謝は本物だ。
大事なことを、自分は偽る気はなかった。
たとえこの言葉すら、借り物の言葉だったとしても。
この気持ちも、借り物だったとしても。
それでも、それは今の自分にとっての本物なのだから。
「…………。俺は人をいじめることが好きだ。大好きだ」
刹那輪廻は、照れ隠しのようにそう言い出した。
「──楽しいことをしよう」
そして気づけば、おれは血濡れた椅子に座ったやつの膝の上にいた。
いきなりのことだったので呆気にとられて背後の男の顔を見る。
その顔が嗜虐的に歪むのを見て、このさきなにが起こるのかの想像ができた。
できてしまった。
「やっ、ちょっ」
ぎゅっ、と。
背中から思いっきり抱きしめられる。
異常なまでに長身の男は、当然おれよりはるかに大きい。
抱きしめられれば、頭と膝から先ほど以外はすっぽりと体に収まることになる。
「まっ、い、いやだっっ、ひどっっっ──!?」
そこから先は、おおよそ想像がつくだろう。
解放されたときにはまるで軟体動物のように体がぐにゃぐにゃになっていた。
ひどいことをする。
血でぐちゃぐちゃになったシャツは、もうボロ布と変わらない。
体を隠す役割さえ果たせなくなったシャツを脱ぎ捨てて全裸になる。
そんな自分の姿からそっと目を離した男は、なんだか妙だった。
別に意識することなんてないだろうに。
リョナタグでもつけようかと思ったけれど、この程度でそう呼ぶのはだめでしょと思ったんですよね。
あとジャンル、一応コメディにしてたんですが前回と今回にそんな要素ないからノンジャンルにしました。
一応当てはまると言えば文学かもしれませんが、文学にするのはなんか違うと思ったので。