Portrait/Zero
ああ、知っていたとも。同盟軍の上層部も、政治屋連中も頭がどうにかしていることぐらいは。だが、これは極め付けだろう。何を考えていやがる。
リンツの任務は、ヤン司令官の護衛である。宇宙最強の白兵戦部隊と名高い薔薇の騎士、その連隊長代理は鍛え抜かれた長身に、色褪せた麦藁色の髪とブルーグリーンの目をした、なかなかハンサムな青年だ。
彼が警護すべき大将ヤン・ウェンリーはまだ20代。それもあと一月半で終わりを告げるが、同盟軍史上最年少の大将である。外見は実年齢より三歳前後は若く見える。黒髪黒目、中背で肉付きはやや薄い。穏やかで知的な表情と全体的に線が細いせいか、軍服を着てさえ若手の学者に見える。あるいは大学院生に。要するに、到底戦闘員向きではない。
ヤンは、自分が搭乗する艦艇には帰還兵を乗せないだろうと考えていた。船団の指揮官のサックス少将を始め、イゼルローンまで足を伸ばした政治家連中も同乗するからだ。それなりに武装を積んだ、巡洋艦か軽巡艦あたりを充てるだろうと。リスク管理上、それが常識というものである。リンツも全く同意見だった。
ところがどっこい、ヤンらが乗る艦艇は武器がビーム砲しかない輸送船。おまけに、帰還兵三百人余りを同乗させるという。旅程は片道三から四週間。輸送船団の責任者のサックス少将からの、大将と言えども職分を侵すことなかれという嫌み半分の訓戒を大人しく聞いていたのも、あまりの状況に呆然としていたからだ。
極端に美化するならば、ヤンは深謀遠慮の人であり、臨機応変の人ではない。苦情を述べたてて、イゼルローン駐留艦隊の巡洋艦を出させることは不可能ではないが、それは日程を延ばすことができるならばである。だが、とてもそんな余裕はなさそうだった。
この輸送作戦は、そういったリスクに思いが至らないのか、思い至ってもその為のパワーソースを割くことができないのか。どちらがより深刻であろうか。
唖然として黙り込んでいる黒髪の司令官と、その真意にまでは思い至らない亜麻色の髪の少年の背後、若き大尉と少佐達と中佐は視線を交え、無言のうちに連携した。絶対にヤン・ウェンリーを一人にするな。ユリアン・ミンツもなるべく一人にするな、と。
そう考えれば、サックス少将の縄張り主義も、政治家に
ユリアンについては、空戦の師であるオリビエ・ポプラン少佐と、その親友のイワン・コーネフ少佐がなにくれとなく構ってやっている。意外な人選ではあったが、どちらかと言うと被保護者に配慮したのか。もっとも、この二人の
ヤンの副官、フレデリカ・グリーンヒル大尉は、女性の身で次席卒業を果たした優等生だ。士官学校の授業科目には、白兵戦と射撃も含まれるので、こちらも相当に優秀だろう。
まだ14歳のユリアン少年でさえ、薔薇の騎士連隊の訓練の手ほどきを受け、素質を現し始めている。射撃はヤンよりも上手いに違いない。
リンツは絵を描くのが趣味だ。そして白兵戦の教練では、敵の身長体重を目視から推測することを叩き込まれる。自分より体格の勝る相手とは、一対一の交戦をなるべく避けるべきだからだ。
この二つの素養から推測するに、ヤン司令官の身長は175、6センチ、体重は63キロ前後。身長がさほど変わらぬ二人の撃墜王よりも、一割弱は痩せているにちがいない。この御仁に、白兵戦の名手たることを望むのは無理だろう。骨格自体が細身にできているのだから。中肉に見えるのは、顔の小ささに誤魔化されているだけだ。
リンツはヤンの警護に注意を傾けた。サックス少将の白眼視のせいで、輸送船の一角に止めおかれ、必然的にだいたい全員が揃っている。ときにポプランが女性と仲良くしたり、帰還兵の乱闘騒ぎに首を突っ込んだりしているが、このお調子者の嗅覚は馬鹿にならない。どこからともなく噂を聞きつけてくるのだが、案外役に立つのである。
一方コーネフは、静かにクロスワードを解いていることが多い。本の虫であるヤンも、傍らで読書に勤しんでいるので、これはこれで悪くない。時にキーワードに詰まると雑学に強いヤンに、教えを請うていたりもするので、警護しているように見えないという利点がある。
そうとは知らないユリアンが、帰還兵と会話をしているのを見かけたので、何食わぬ顔で声を掛け、トレーニングルームに向かう。
薔薇の騎士連隊の勇名と悪名は、同盟軍にも
それでも、移動にかかる時間の無為さよ。グリーンヒル大尉のように、事務仕事に勤しむような勤勉さは、黒髪の寝たきり司令官にはない。これはリンツも同様だが。
「やはり、イゼルローンから巡洋艦を出して貰えばよかったかなぁ」
「どうしてですか、ヤン提督」
「ああ、あれなら戦術コンピュータに戦史ライブラリが入っているからね。
持ってきた本を全部読んでしまったんだよ。私には、貴官のような特技がないからね」
その持ってきた本は、かなり厚い歴史書が十冊はあったはずだ。これが活字中毒者というやつか。
「ユリアンから聞いたよ。絵を描くのが趣味で特技だとね。
私はあんまり能のない人間で、趣味は読書と昼寝だし、
そういう特技のある人を無条件で凄いと思うよ」
「しかし、閣下は同盟軍史上最高の智将でいらっしゃると、小官は思っております」
麦藁色の髪の青年の言葉に、黒い瞳が優しい笑みを見せた。優しすぎて悲しげにみえるほどの。
「ああ、ありがとう。しかしね、戦争の才能なんて何も生み出さない。
まあ、軍人の私が言うのも今更だけれどね。
絵を描いたり、楽器を演奏したり、料理を作ったり。
スポーツでもいいんだが、そういう才能は羨ましいものだよ」
「閣下も歴史がお好きだと伺いましたが」
リンツの言葉に、ヤンは軽く右手を振って苦笑した。
「私はそっちの才能はあんまりないよ。
歴史の流れを広く知りたいと思うと、水深は浅くなる。
多分、せいぜい二流の研究者で終わっただろうね。
一つの時代、一人の人物、その研究に半生を費やしても足りないことが多いんだ。
西暦時代から現代までとなると、寿命が何千年もないと無理だろうな。
だが、もし数千年の寿命があっても、その研究中に新たな歴史が生まれるんだ。
結局は無理ってことさ」
「そういうもんですか」
「西暦時代の資料は、13日間戦争で相当数が消失してしまったんだ。
その時点で西暦2036年だった。今から約1600年前のことだ」
「気が遠くなりそうですな」
ヤンは頷いた。
「熱核戦争は地球の北半球中心を焦土に変えた。
その時に、人類の遺産とされたものの多くは灰になってしまった。
地球統一政府の成立以後に、残った資料や映像から復元されたのが一番古いものだ。
教科書に『復元』と書かれたものがそれにあたる。
無論、南半球にあって難を逃れた物もあったがね。
これらは、銀河連邦も人類の遺産として大事にしたんだが、
ルドルフの弾圧で焼かれてしまった物がある。
長征一万光年には、そもそも持ち出せない物が多かった。
同盟成立後、改めて復元を図ったんだ。これが『新復元』さ。
せいぜい二百年しか歴史がないし、ものによっては『復元』と『新復元』両方がある」
この言葉は、リンツにとって目から鱗のものだった。
「そうだったんですか。いや、長年の謎だったんです。
美術の画集にもそれが載っているんです。一体何のことだろうと思っておりました」
「ああ、絵画もそうだね。
ただね、同盟に伝わっているのは元々歯抜けの資料ばかりさ。
帝国で入手できる資料には、ルドルフのバイアスのかかった物が多いだろう。
絵画もそうなんだ。ルドルフは、ゲルマン系の古典作品以外を弾圧した。
ただ、あんまり詳しくはなかったんだろう。
隣国の画家の作品でも、有名な物は生き延びたんだよ。
モナ・リザや真珠の耳飾りの少女、聖母子といったあたりだね。
みんなドイツ人画家の作品ではないのだがね」
ヤンが並べた古典作品は、有名なものばかりだった。だが、もう一つ共通点がある。
「美人ばかりですな。お目こぼしされたんでしょうかね」
明らかに先代連隊長の影響がうかがえる。ヤンは苦笑した。
「いや、そればっかりじゃないがね。レンブラントやファン・ダイクの作品も残った。
帝国貴族に需要があったからさ。肖像画のお手本として」
「は、肖像画ですか」
「貴官も描いているみたいだけどね。
今言った二人の画家は、西暦16、7世紀のオランダの名肖像画家なんだ。
その頃のオランダはとても豊かで、金持ちは結婚式なんかの際に、
プロカメラマンを頼むような感覚で、肖像画を描いてもらったんだ。
一張羅を身につけてね。画家は顧客の顔はもとより、身に付けた衣装も美しく描写したのさ。
女性のドレスのレースや刺繍、アクセサリーまで。ま、予算によって画家の格は違うんだが。
帝国の上流貴族は今も描いてもらっているんじゃないかな」
歴史学者になれなかった名将の言葉に、画家になりたかった白兵戦の雄は感心しきりだった。
「ああ、そうだったんですか。お詳しいですね、閣下」
「ほんの一通りだけれどね。歴史を知るうえで、当時の文化は不可分のものなんだよ。
文化が歴史から影響を受ける、あるいはその逆も多いからね。
この肖像画家たちは、写真の発明と共に激減してしまうんだ。
西暦19世紀から20世紀のことだ。職業画家自体もそうだよ。
写真の方が正確で、技術もいらない。少なくとも、絵を描くほどにはね。
それでも、絵画はなくならなかった。今も貴官や沢山の人が描いているだろう」
リンツは頷いた。
「カメラの普及の後は、写真にできないような表現で描く画家も出てきた。
ピカソは、人間や風景を構成する形を図形として再展開し、
形に内包されるものを表現しようとした。
また、ダリは自分の想像の中のありえぬ幻想を形にした。
面白いのはこの二人、それこそ写真のような絵を描ける天才だったんだよ。
ピカソなんて、12歳の頃には画家の父よりも絵が上手で、父が絶望してしまったほどさ」
「はあ、あの訳わからん絵にはそういうエピソードがあったんですな。
子どもの
「うん、正直私もあれは訳が分からない。何を考えていたんだろうとは思うけどね。
でも、『ゲルニカ』からは戦争への怒りが伝わってこないか。天才の力かな、やはり」
「しかし、どちらが好きかと聞かれましたら、閣下が最初におっしゃった美女の方ですな」
ヤンは黒髪をかき回しながら微笑んだ。
「そりゃそうだ。だからね、ピカソも最初のうちは散々に酷評されたよ。
それに、人間綺麗なものが好きだろう。これは不変だと思うよ。
自分の手で描きたいという欲求は、変わらないんじゃないのかな。
写真が生まれ、立体写真まで発達しても、地球を離れて星の海を渡るようになっても。
まあ、イゼルローンの連中をスケッチするのはいいが、本人に許可を貰うように。
貴官が将来個展を開くにあたって、揉めるのは困るだろう?」
「やれやれ、お見通しでしたか。
改めてお伺いしますが、閣下を描かせていただいてもよろしいでしょうか」
リンツの問いかけに、黒髪の魔術師は澄まして答えた。
「ちょっとはハンサムに描いてくれるんならね。
さっき言った名肖像画家達は、本人に似せながら美化が上手だったから売れっ子だったんだよ。
貴官もお手本にするといい」
麦藁色の髪の素人画家は、思わず半眼になってしまう。
「ですからね、閣下。そういう歴史的な大家を基準になさるのはよくないと思いますよ」
「そうかなぁ」
「そうですよ」
分厚いマニュアルを大きな手でめくりながら、逞しい肩がどことなく落ち込んでいる先代連隊長の姿が脳裏をよぎる。戦闘のない夜は、独り寝をしないような色事師に、一体何があったのか。
ヤンが出発する前の幹部会議とその後の出来事が、シェーンコップに与えた影響をリンツは知らない。
『復元』『新復元』は筆者の創作です。
しかし、地球規模の熱核戦争後、統一政府の首都がオーストラリアに置かれたことから推察するに、現在の北半球の主要都市は壊滅状態だったと考えられます。
その後、政治経済が安定してから残された研究資料、画像等を元に、当時の一流画家達が、製作当時の材料に近い物で模写復元したと思ってください。
それは模写であっても、帝国成立時にはすでに千年以上が経過したものであるため、相当な価値が発生していました。
同盟の成立後、さらに『復元品』の資料から、『新復元』が生まれたという設定です。美術品ではなく歴史資料なので、はっきりと模写とうたっています。博物館にある恐竜化石の模型のようなものですね。本物ではないけれど、ちゃんと資料的な価値はあるでしょう。